2014年11月30日日曜日

戦争の教室


 『戦争の教室』 松本彩子、臺宏士、渡辺久浩、中島浩、神林豊編集
月曜社 20147月刊 1800円+税

 あの戦争を直接体験した人、その人たちの体験を聞いた人、各地の戦争現場に立ち会った人、戦争の不安を感じている人、災害体験を戦争と重ねる人、直接体験していないのに戦争の傷を背負わされている人、画家、作家、学者、建築家、ジャーナリスト、会社員、留学生……元慰安婦。戦前生まれの人から1990年代生まれの人まで80人が、「戦争」について様々な角度から語る、表現する。
 来年2015年は敗戦から70年目。当然のことながら戦争体験者はどんどん減っている。

……富国強兵を目指した旧憲法(大日本帝国憲法)下の約六十年間、日本兵の死者は膨大な数に上る。一方、日本国憲法下で創設から今年で六十年になる自衛隊員の死者はゼロである。もちろん、交戦していないのだから他国の兵士を殺害したこともない。「不戦社会」を長く実現できたのは、日本国憲法が三大原則の一つとして掲げている「平和主義」にあることは言うまでもない。前文には「平和」の言葉が四回も繰り返し登場し、九条が定めた戦争放棄は、日本国民が選択したそのための手段だ。不戦状態は、戦勝国の軍隊が占領した状況下で施行された憲法と言え、平和は当時の日本人自身が憲法に掲げた理想で、それを維持して来たのは、積極的に意識してきたかは別にしても、この社会の大半を占める戦後生まれの日本人であることは紛れもない事実だ。しかし、社会が戦争体験と縁遠くなるにつれて戦前の「戦争社会」が忍び寄っているという現実も一方にある。…… 臺宏士

丸木位里 丸木俊  大逆事件
澤地久枝  七十年前 私は軍国少女だった
坂崎重盛  兄・幸太郎さんの残した一冊の本
岩永文夫  パンパン考
植松憲一  『難民』、祖国を喪うひとびと アフリカからの報告
高取英  明治維新と戦争
高橋智  戦争と書物
会川晴之  アンジェイ・ワイダ監督が語る 戦争と平和
渡部潤一  宇宙から考える人類
佐藤哲郎  靖国 小唄の師匠と中国人青年
浅生ハルミン  荷風さんいえやけた・これあげる
李台  初心者ヘアドレッサーの戦争
伊藤範  家族 東北にて
丘山源  厚生省創設と「健康ファシズム」 戦争と健康
河田真矢  酒と平和
神足祐太郎  私の知らない戦争 祖母と父の間に
……

 最年少は1990年生まれの中国人留学生・程思睿(筆者略歴ページでは「遠睿」となっている。どっちが正しい?)。中国では戦争も革命もその後の貧困も知らない世代、「赤色教育」も受けていないそう。「90後(チュウリンホウ)」と軽蔑のニュアンスを込めて呼ばれる。

……なぜ祖父母が抗日戦争を語るときに、あれほど敵意や憎悪をむきだしにするのか、理解に苦しむ。と同時に、自分がそのような悲痛な体験をもたないということにも、ほっと胸をなでおろしている。でないと、かつての「敵地」を留学先にえらんでやってくることなど、思いもよらなかったにちがいない。……
 われわれは歴史に束縛され、それにかこつけて宿怨の由来やら報復の口実やらにすべきではない。もちろんわれわれは歴史を銘記すべきで、その残酷さを理解してこそ、ふたたび同じ轍を踏まずにすむのだ。たとえわれわれが身を置く平和の基盤がいかに脆弱なものだとしても、僕たちは二度とふたたび、大量殺戮ほかならぬ現代戦争をえらんではならない。そうでないと、後代の人間がもういちど僕たちが犯した愚行を思い返し、みずからの祖先がみずからの家郷をどうして破滅させてしまったのか、まったく腑におちず、嘆息をもらさずにはいられないだろう――これもまた断じて僕の望むところではない。……

 日本人の最年少は根本綾香(1989年生まれ、金融機関に勤務)。同期の女子たちと旅行に行く。未知の世界、非日常の日々で、日本とは違う歴史や環境に直面する。日常の場面に戦争の緊張があり、地雷の被害があり、血なまぐさい記念碑がある。

 安息のひと時である女子旅。しかし旅に出ると、思いがけず「戦争」に触れる。厳しい世界の現実と自らの未熟さに向き合わざるを得ない。……

 日本でもそのような現実を知ることができる。報道写真展には毎年足を運ぶ。恋人や家族を戦争で失ったら……、自分の身に置き換え考える。

 戦争と平和は、表裏一体だと思う。軍事的な意味での戦争を体験していない日本の女子たちには、想像力が不可欠になる。想像力を膨らませるためには、思う存分、気のしれた仲間と語りあい、思いを吐露し、自分を知ることだ。そして世界に目を向け、見聞を深め、五感で感じることだ。……

 戦争の危機は深刻だが、将来のことは若者たちに任せて大丈夫だと思う。
(平野)

2014年11月29日土曜日

ひょうご部落解放


 ひょうご部落解放』 2014年秋号 vol.154 
特集 兵庫の障害者運動 
ひょうご部落解放・人権研究所 頒価700円 

直販定期購読制、お申し込みはこちら。http://blrhyg.org/index.htm

 

表紙はWAKKUN。トンカさんが絵本紹介。 私は新刊紹介「おじさん読書ノート」を担当。

(平野)

2014年11月28日金曜日

春泥尼抄


 今東光 『春泥尼抄』 新潮文庫 1961年(昭和369月刊(手持ち8131刷)

「週刊サンケイ」連載、58年講談社から単行本。

 河内の貧乏農家の少女が口べらしのため尼寺に入れられる。春泥と名を授かり、同い年で寺の御附弟(ごふてい、後継者)春鏡の付き人になる。彼女は華族。少女も共に京都の寄宿学校・尼衆学林で学ぶことができた。
 若く美しいふたりの尼僧は恋愛と仏教の戒律の狭間で悩み苦しむ。お嬢様育ちの春鏡はひとりの男性との恋に動揺する。春泥は憧れの男性・小学校時代の先生への思いを秘め、仏門に抵抗し、男に溺れず、逆に彼らを翻弄する。先生に再会する。寺を出る決意を固めるが……

 美しい尼との恋というとアダルト小説(?)思うが、今東光は女性の勁さを描いている。戦後の新しい女性像だ。春泥は仏に仕え学び、教養と作法を身に付け、友を気遣い、因習に立ち向かう。フランス文学を愛読し、ランボオの詩を口ずさむ。恋に悩む尼に現実の厳しさを諭し、男性の誘惑に対しても毅然として臨む。

「先祖代々、河内の貧農に生れたわたくしみたいな女は、集積遺伝で、こないな考えをするんでっしゃろな。雑草のように踏みにじられた観念は、案外、土性ッ骨が据ってるんでっしゃろ。わたくしは、あなたから捨てられても泣きまへんやろ。その代り、わたくしも平気でお捨てするかもしれませんが」

 モダンボーイ東光の文学論・芸術論も展開される。
 東光は32歳で比叡山延暦寺に入り文壇から離れた。法名「春聴」。51年に河内・八尾市に赴任。ここを舞台に娯楽小説を書いた。彼は瀬戸内寂聴の法師で、「春」の字を法名にあげるつもりだったが、彼女は「春には飽き飽きして出家するのだから」と、「聴」を望んだ。「春泥」のことも気にしたよう。

(平野)

ギャラリー島田 http://gallery-shimada.com/

1129日(土)~1210日(水)
 石井一男展 
 須飼秀和展









2014年11月27日木曜日

小村雪岱


 『小村雪岱――物語る意匠』 埼玉県立近代美術館監修 大越久子著 東京美術 2800円+税 20148月刊

 小村雪岱18871940)、埼玉県(現・川越市)生まれ。東京美術学校日本画科卒業、美術雑誌「國華」の口絵(古画の模写)、資生堂意匠部。1909年(明治42)泉鏡花と知り合い「雪岱」の画号を授けられる。14年(大正3)、鏡花『日本橋』の装幀で世に知られるようになり、その後鏡花本を数多く装幀。里見弴、大佛次郎、長谷川伸、子母澤寛ほか、生涯で手がけた本は二百数十冊に及ぶ。新聞・雑誌連載小説の挿絵でも人気を博し、舞台美術でも活躍した。

目次

小村雪岱――物語る意匠家
一 鏡花本の世界
二 ふたりの女
三 装幀の仕事
四 挿絵の仕事
五 雪岱のわすれがたみ
雪岱と蝶



「小村雪岱――物語る意匠家」より
……雪岱がその才能を発揮した装幀や挿絵、舞台美術は、作家や脚本家などの引き立て役に徹した分野であり、表現者として一歩引いているように見えないでもない。だが雪岱は、熟知した型を組み合わせたり図案化したりする展開力、すなわち「意匠」こそが、型を超えた個性に至ることを知っていたのではないだろうか。そのような意味で本書では、雪岱のどの分野の仕事にも共通する天性の魅力を「意匠」ととらえ、その才能を最も開花させた装幀と挿絵の世界を中心に紹介することとした。手がけた仕事はいずれも、まず「物語」ありき。作家や脚本家が提示する世界観を壊さずに、どのようにして視覚的に魅力ある造形を作り上げるか、そこが腕の見せどころである。写生と写実には興味がなく、人の手で拵えられた物が好き、と本人が語るとおり、時には潔いまでに説明を省略し、むしろ計算し尽くした構図の工夫によってみずみずしい驚きを与えようと心を尽くした。その心意気を意匠――今日で言うデザイン感覚――と呼ぼうというのである。……

(平野)
「朝日」11.26朝刊「リレーオピニオン 女と女(8)」に髙田郁さん登場。



 大学時代の友、遠く離れて暮らしていても助けてくれる。しばらく会っていない。
……でも何かあったら一番に駆けつける仲だと、お互いにわかっている。友達は自分の鏡のようなものだと思っています。……

その思いは「みをつくし料理帖」の澪と野江の物語にも反映されている。

2014年11月26日水曜日

コスモポリタン


 サマセット・モーム 龍口直太郎訳
『コスモポリタン』 新潮文庫 1962年(昭和377月刊(手持ち、677刷、654刷) 
現在はちくま文庫『コスモポリタンズ』1994年)で読める。

 
 
 龍口の「あとがき」より。
 192329年、アメリカの雑誌『コスモポリタン』の依頼で寄稿した掌篇30篇。
 当時既にアメリカの雑誌は広告のためのもの。記事は「広告に読者を近づけるエサ」。小説も同様で、第1ページは挿絵入りで掲載しても後ろの方は広告ページの間に入れられてしまう。しかし、編集者はモームに「広告のヒモのつかない作品」を書いてもらった。見開きページで完結するような短い作品。
 この作品集の書名は『コスモポリタン』誌に由来するが、各作品の登場人物が故国を離れた人たちであることにもよる。モーム自身が世界各地を訪問した国際人。諜報活動をしていたという説もある。各国の中心都市や観光地ではなく、田舎、辺境、孤島、外国航路の船内など。著名人も登場しない。

「異国の土」より。

 私は諸国を放浪するのが好きなたちだが、それは、荘厳な史跡を探ねるためでもなければ、明媚な風光をめでるためでもない。どんな遺跡を見ても、私にはなんだか退屈だし、いかに美しい景色、すぐにあきあきするからだ。私が旅をするのは、人間というものを知るためなのだ。といっても、おえら方に会うためではない。私は大統領や国王のお出迎えに、道路ひとつ横切るのもたいぎなほうなのだ。作家には、その著書のなかでお目にかかればたくさんだし、画家にも、その画のなかで会えば充分だ。だが、ある宣教師の不思議な身の上話を小耳にはさむと、その人に会うために、千里の道も遠しとしなかったし、また、ある玉突きのゲーム取りと近づきになるために、うすぎたないホテルで、二週間もねばったことさえある。広い世の中には、思いもそめぬところで、ひょっくり出くわして、これはちょっとめずらしい、と眼をまるくするような人物がよくいるものだが、そのほかには、どんな人に出会っても、私が驚くようなことはまずないといっていい。……

 神戸の地名が出てくるのは「困ったときの友」。塩屋・垂水。あらすじは紹介しない。ただ題名にはご注意を。

「物識先生」では、脇役で神戸のアメリカ領事館駐在員登場。

(平野)

2014年11月25日火曜日

神戸史話


 落合重信・有井基 『神戸史話 近代化うら話』 創元社 1967年(昭和427月刊(手持ち7411月第6刷)

目次

ミナトの町の騒動記  慶応二年、兵庫のコボテ  ノルマントン号の悲劇  兵庫仮留監の暴動と罪石  黒い死ペスト  フン尿騒擾事件  大正政変の余波・小寺邸主激事件  神戸の米騒動  昭和あけのパニックと神戸 ……

できてびっくり物語  吉兵衛のドック造り  神戸肉  鉄道開通  マッチ  電気灯事始  初物づくめの山陽鉄道  水道開設の苦心  神戸築港  活動写真の草創期 ……

えらいやっちゃ列伝  三田藩の主従トリオ  伊藤博文と福原遊郭  神戸でのジョセフ・ヒコ  六甲山の開祖グルーム  日本を溺愛したモラエス  呉錦堂と小束野開拓  天下を三分した金子直吉  松方コレクション ……

 
明治100で近代100年史ブームだった。本書もその流れ。

 打ち壊し、囚人暴動、伝染病、糞尿、代議士襲撃、異人館放火、米騒動、水害、空襲……、モダン都市神戸は暗黒都市だった。
 私財を投じ発展の基盤となった人物がいるし、新しい文化を導入に貢献した人たちもいる。近代化の表と裏、100年の物語。

 落合(19121995)は郷土史家。市立図書館、神戸市史編集室勤務。62年神戸市学会創設、長く代表を勤めた。有井(19322006)は神戸新聞記者で史学会代表代行。共に著書多数。

(平野)
神戸の新出版社「苦楽堂」の第1号出版『次の本へ』紹介記事、日経新聞11.24「春秋」。
『次の本へ』ブックフェアがあっちこっちで始まっています。

2014年11月24日月曜日

明治大正 神戸のおもかげ集


 荒尾親成編 『明治大正 神戸のおもかげ集――写真、版画に見る明治・大正の神戸(第一集 第二集)』 中央印刷株式会社出版部
 

 

 荒尾のコレクションをまとめたもの。「第一集」は19699月初版、752月再版。「第二集」は717月発行。「第一集」再版時に改めてセット組で販売したよう。

「第一集」。 1869年(明治2)の写真で北野から撮影したものがある。生田の森を中心に競馬場、西国街道、神戸港沖の外国船が見える。一帯はのどかな田園だった。南蛮美術蒐集で有名な池長孟の遺品から見つかった。
 明治初めの異人館、湊川神社、布引、元町など、町並みと観光名所。

「神戸港の大津波」(明治4)では汽船が陸に打ち上げられている。
「六甲山の鳴動騒ぎ」(明治37)、半年間にわたって不気味な地鳴りが続き、有馬温泉の湧出量が多量になり、大地震、大爆発かと大騒ぎになった。地震学者の調査で「心配なし」とわかり、市民は安心した。神戸新聞が「六甲探検記」を連載して読者が増えた。担当記者は江見水蔭(尾崎紅葉門下で当時有名な文人、関西に来たことが話題になったが、在籍期間は2年)。

「第二集」。新コレクションと荒尾の著書『神戸に来た史上の人々』(中外書房)を併録。
 明治初めの福原遊郭、幕末の居留地海岸、県庁舎、開港五十年祭など。
 インドの詩人・タゴール来神の写真(大正55月)がある。

 おもしろいのは村上華岳先生(当時29才)がいち早く船内にタゴール翁を尋ね、たいへん気に入られて歓談し、翁の見事なスケッチ画を残していることで、元来華岳先生は大の印度人びいき、晩年まで健康がゆるせば一度は印度へ行ってみたいと言いつづけられていた方。

(平野)〈くとうてん〉蔵書から拝借。

2014年11月23日日曜日

正体


 「正体」 山本周五郎の神戸


「正体」は『花も刀も』新潮文庫所収。

 津川の友人で、須磨月見山に住むフランス帰りの画家・杉田龍助と佐知子夫妻。かつて津川と佐知子は関係があった。津川は龍助危篤の報を受け来神。神戸駅で彼の幻を見て、間に合わなかったと思う。旅館・野村屋に入り龍助宅に電話をする。やはりその日の午前に亡くなっていた。野村屋で旧知の仲居に龍助の乱行を聞く。通夜、佐知子は休んでいて、友人・八木と話す。彼が遺作を見て遺作展を開こうと言う。佐知子を描いた作品ばかり5060点。

……年代順に見ると初めは着衣の全身、それから半身になって、顔だけになって、さらに小品の中には眼を中心にした顔の上半だけのものが七八点に及んでいる。その次には裸体があった、全裸が五点、ことに人物八十号へ描いた一点は床に仰臥したもので、とうてい一般に展観することのできぬ猥がましい大胆なポオズである。(龍助は失敗だから破れと言っていた)
 それは見れば見るほど放姿な淫卑な筆つきである、あらわにひろげられた内腿には静脈がうき、双の眼は怠惰な倦怠と溶けるような欲望との入混った不思議な赤みがさしている、右手を頭の後へ廻し、左手はくったりと床の外へ垂れている、ぬめぬめと濡れている口辺、まるみと力の籠っている腹のふくらみ、それから伸ばした左足の指が強く内側へかがめられていて、それが流れている全体の線の調子を壊していると同時に、ひどく肉感的な暗示をもっているのだ。

 いったい龍助は佐知子の何を描こうとしたのか?
 佐知子は悲しんでいる様子はなく、津川と再会した感動もない。
「一種の近寄りがたさ、見透しのつかぬ模糊とした精気」
 のようなものを感じる。
 津川は初七日まで滞在。明日帰京すると佐知子に告げる。

「一日お延ばしなさい、明日の晩七時頃野村へお伺いしてよ」
 と云った。
 津川は驚いて振返った。彼女はショオルのあいだから嬌めかしく、むしろ勝誇ったように笑っていた。
――あれだ」(略)

 津川は、龍助が佐知子の正体をつかもうとして、焦り、その結果彼女を別な女性に作り上げてしまったのだ、とわかる。津川が通夜の晩に感じた一種近寄りがたい雰囲気は、実は龍助が知らないうちに作ってしまったものだ、と。

……彼は佐知子を追求しながら事実はますます彼女から遠ざかっていたにすぎぬ。……

 あの絵こそが彼女の正体をつきとめていた。しかし、龍助には決して捉えることはできなかった。
(平野)

2014年11月22日土曜日

橋本関雪



■ 『橋本関雪 アサヒグラフ別冊美術特集 日本編66』 朝日新聞社 19912

 橋本関雪18831945)神戸区坂本村(現・神戸市中央区楠町)生まれ、日本画家。祖父・父とも明石藩の儒学者。

 湊川尋常高等小学校時代から画家を志し、平野村に住む四条派・片岡公曠に学ぶ。1903年京都の竹内栖鳳に師事。日露戦争従軍。06年神戸絵画研精会を結成。08年東京に移り、文展で活躍。13年京都に転居、初めて中国旅行。その後、数十回訪中。ヨーロッパにも2度行き、ゴッホやゴーギャンに魅了され、古美術品を持ち帰った。中国古典の教養をバックボーンに、日本画、西洋画にも目を向けた。太平洋戦争にも従軍。尊皇愛国の志が強く、戦争画も進んで描いた。


 表紙の絵は「僊女図」1926年)。

 作品解説 木村重圭(当時、兵庫県立歴史博物館学芸課長)

……深山の仙境に朱の服をまとった仙女が、渓流のかたわらの岩に座っている。仙女のまわりには、鹿や瑞鳥がむらがり、藤の花が紫の房を垂れている。ふっくらとした仙女の顔は、唐美人がモデルである。色彩的にも華やかな幻想の世界が描き出されている。

 京都「哲学の道」沿いの邸宅・白沙村荘に記念館があり、今年9月新たに橋本関雪美術館がオープン。作品、資料、蒐集品が展示公開されている。


(平野)

2014年11月21日金曜日

路地裏に綴るこえ


 佐野由美 絵と文 『神戸・長田スケッチ 路地裏に綴るこえ』 くとうてん 680円+税


 
 佐野由美19751999)、長田区生まれ。阪神・淡路大震災の時は大阪芸術大学在学中。984月からNGO派遣事業に参加、ネパールで美術教師のボランティア。翌年4月帰国直前に交通事故で死去。 本書は、震災直後から描いたイラスト日記と、生まれ育った長田の町のあれこれを描いたもの。19982月出版(六甲出版)を復刊。

目次

長田スケッチマップ
はじめまして
下町・長田に綴るこえ
震災日記――阪神・淡路大震災体験記――
震災日記(ボランティア編)
震災日記(番外編)
長田は今も元気
あとがき

解説「ある魂に寄せて」 季村敏夫

 工場の機械の音、長屋の並び、路地裏探検、市場のおっちゃん・おばちゃん、路上の井戸端会議、長田神社のお祭り、工場の狭間にある父のアトリエ、登下校の坂道…… 「平凡でも『そのまちらしさ』を持つ空間で暮らすこと」の大切さを感じる。

 私は昔、美しい農村に憧れていて、アスファルト地面とコンクリ壁の長田がいやだったけれど、今は長田の古い汚れた壁なんかは、風化による絵画に思えるし、自分の歴史が、がさつだが活気と人情ある長田の土俗性と共に綴られてきたことを嬉しく思う。

 佐野の家は全壊、長田の下町は火が出て焼き尽くされてしまった。教会に避難し、被災者生活。炊き出しや配給物資配給巡り、知人の家で風呂に入れてもらってお泊りなど、日記に悲愴感はない。
「これは今、歴史上でまたとない凄い状況の中におるんやわ」という実感の中で、一番わたしらしいやり方で記録して残さなければと思い、……

 大学の試験のため学友たちの住まいに居候ハシゴ生活。それを楽しんでいた。大学の副手をしながら建設現場で働いているあぐちゃんに叱られる。
「アホゥ! 日本中の人間が神戸を建て直そうと努力しているときに、神戸人がちんたら大阪に逃げてくんな! 長田は自分のまちやろ。さっさと帰って復旧に協力せえっ。今は絵なんて描くな! なんでもええからできることからやれ。……
 同情し慰めてくれる人はたくさんいるが、説教されたのは初めて。はじめはムカッとしたが、納得した。長田に戻り、YMCAのボランティアに参加、老人訪問を受け持つ。

 解説の季村も長田で被災、震災資料収集保存活動を続けている詩人。佐野のことは彼女の著作物で知るだけ。佐野がボランティアをしたネパールを震災の95年と翌年訪れていた。994月ラジオニュースで彼女の死が告げられた。
……一瞬耳を疑ったが、カトマンドゥ、震災、女性、美術教師、次第にわたしは居住まいをただしていた。……

 その年の6月、季村はみたびネパールに。佐野が働いた小学校に立ち寄った。
……教室の小さな椅子に座り、周囲の空気を吸い、手と手をあわせた。……

 あの震災から20年が経とうとしている。佐野が描いた長田の風景はほとんど消えてしまっている。彼女は現在の風景を知らない。
 死んだものはもう汚れることはない。汚れを抱え、さらに汚れつづけることは生者に課せられる。(略)佐野由美さんが生きて伝えたかったことを、深く思い出す時期がまたやってきたのだ。

 佐野の活動を負ったドキュメンタリー映画with…若き女性美術作家の生涯」(榛葉健監督)が2001年から全国で自主上映されている。


(平野)

2014年11月20日木曜日

僕の“ユリーカ”


 稲垣足穂 『僕のユリーカ』 第三文明社レグルス文庫 19798月初版(手持ちは8373刷) 

 初出は671011月、雑誌「南北」だが、56年と61年に発表した作品の改作。68年南北社より単行本。

 足穂宇宙論。ギリシアの哲人から占星術、錬金術、江戸の学者、近現代の科学者たちまで、宇宙の謎に挑んできた天文学の歴史を考察。

 女性は各時代を通じてのスターです。もとより何事を持ちかけても受け容れてくれる彼女たちの深淵的な優しさに、それは依るものでしょう。ところで天文学はいったい人気があるのか、ないのか? しかし僕には、疾くに廃れているようで一向にそうでないのが天文学であり、これが最後まで残るような気がしてなりません。では一種の人気をいつも持ち続けているのかと云うと、そうではない。「そりゃ君、あまりに天文学的だよ」「何しろあいつは天を相手にしておればいいんだから」などは何処でも耳にする言葉です。ところでこちらの相手はお星様であるだけに、何事をおっかぶせようと、女性と同じに、先方は一向に汚染を蒙りません。だから申します。「地上の星を花と云い、御空の花を星と云う」
 天文学は女性と相ならんで、幻想を托すのに最も手頃な相手です。女性は曾て十年間にわたるトロイ攻防戦の元になりましたが、天文学がそれにも劣らぬ夢の台であることは、古代、中世、近世、現代を通じて少しも変りません。ティコ・ブラーエの「天の城」が、フリードリヒ二世のための占星術研究を名目にしていたように、二十世紀のアメリカの諸天文台も、星占いに気があるウォール街族の寄進に俟つものが多いと云われています。……


「星を売る店」より
 店へ入ってみると、花ガスの下の陳列箱の上に、おもちゃのレールに載った汽関車と風車が置いてある。背をこちらに向けていた店員が、ふいな客の入来に泡をくって
「いらっしゃいませ」をやった。
「こりゃ何です――いったい?」
 と私は、ぶっきら棒にガラス箱の中のコンペイ糖を指した。
(略、コンペイ糖を汽車に入れると動き出す。楽器に入れれば勝手に鳴り、タバコに巻き込めば火花が散り夢心地になると説明)
「それで――」と待ちかねて私は口を挟んだ。
「一体何物なんです?」
「星でございます」
「星だって?」
「あの天にある星か? とおっしゃるのでございましょう」と相手は指で天井を指した。……

(平野)

2014年11月19日水曜日

村上華岳


 『村上華岳 アサヒグラフ別冊 美術特集 日本編61 』 朝日新聞社 198911

 表紙の絵は「裸婦像」1920年)
 
 

「華岳のなまめかしさ」 岩崎吉一(当時、東京国立近代美術館企画課長)

 華岳の作品には一種官能的な〈艶めかしさ〉がある。(略)彼の手記、雑感を読むと、肉的官能的なものを肯定しつつ、いかにして霊的精神的なものに昇華させるかを、さまざまな場合に即して、さまざまな言葉で書き記している。そして繰り返し述べられている内省と自戒の苦渋に満ちた言葉は、それがいかに切実で、しかも困難であったかを如実に物語っているのである。

(「裸婦像」について)……より直接的に、肉的官能的なものを霊的精神的なものに昇華しようと意図する作品であった。これは華岳にとっての理想画であり、豊満な肉体はまさしく現実的な女性だが、同時にこの裸婦が観音であることも暗示されている。のちに彼はこれがイメージの中にある永遠の女性の表現であることを認め、裸婦の眼に観音や観自在菩薩の清浄さを表そうと努めるとともに、乳房のふくらみにも同じ清浄さをもたせたいと願ったことや、肉であるとともに霊であるものの美しさ、髪にも口にも、また腕にも足にも、あらゆる調和の美しさを描こうとしたことなどを語っている。
(平野)

2014年11月18日火曜日

須磨寺と山本周五郎


 『須磨寺と山本周五郎――須磨は秋であった。』 大本山須磨寺塔頭正覚院 平成六年(19942月第1(手持ちは952刷) A4119ページ 非売品

 開祖弘法大師御入定1150年御遠忌記念事業として、三重塔再建、周五郎文学碑建立などを企画。「須磨寺塔頭正覚院シリーズ」全5巻出版も。本書はその第2巻。須磨寺周辺の古地図など資料、須磨寺と山本周五郎に関する記事・論文を収録。

 文学碑は8312月完成、翌年4月除幕式。「樅の木は残った」の舞台・仙台産の石「泥かぶり」を縦に切断し、それぞれに「須磨寺附近」の一節と周五郎自筆の言葉を刻んだ。

《須磨は秋であった。……
ここが須磨寺だと康子が云った。池の水には白鳥が群を作って遊んでいた。雨がその上に静か濺いでいた。……
 池を廻って、高い石段を登ると寺があった。……
「あなた、生きている目的が分かりますか」
「目的ですか」
「生活の目的ではなく、生きている目的よ」》
 
《貧困と病気と絶望に沈んでいる人たちのために幸ひと安息の恵まれるように。 周五郎》

直筆の言葉の「のため」は後から書き入れた印と共に書き込まれている。
 制作は彫刻家・速水史朗。

郷土文学に詳しい宮崎修二朗が「須磨寺附近」康子のモデルにインタビューした記事(本書発行の10年前)を収録。彼女の記憶では周五郎の神戸滞在は約5ヵ月(大正12.913.1)。というのは、彼女が渡米したのが131月半ばで、周五郎も同時に帰京したそう。別れの時に「もし山本周五郎という名の小説を見たら、私が出世したと思って下さい」と言った。

木村久邇典の研究では3年滞在だが。

(平野)

2014年11月17日月曜日


 「豹」 山本周五郎の神戸

「豹」は『人情裏長屋』新潮文庫所収。

 周五郎は友人の姉の嫁ぎ先に下宿していた。
 本作品では、主人公・正三が東京から兄の家に来て滞在。兄が亡くなって3度目。兄は船会社の重役だったが、赴任先のアメリカで自殺。須磨の家には嫂・純子と小さい甥、お手伝いさん。正三は純子に次第に惹かれていく。
 近くに須磨寺があり、須磨寺公園に電鉄会社がつくった動物園があった。そこから豹が逃げた。閑静な住宅街に不安が広がる。ある夜、純子が夫の死の真相を打ち明ける。女性問題が原因だった。正三は図書館通い(大倉山の中央図書館)を日課にしているが、本を読んでいても気持ちが動揺していた。兄は家の反対を押し切って愛する女性と結婚した。その兄が女性問題で自殺とは。

……そのほかにもいろいろ複雑な事件が絡み合ったのであろうが、ついにはそのために自分を殺してしまったという。あの生活力の旺盛な、しかし立派な紳士であった兄が――。正三は人間の奥底にひそんでいる情熱の避けがたい力強さをはっきりと身近に感じた。

 書物を借出したがそれを(ひら)いてみる気力もなく、日ぼんやり過したあとで図書館を出た正三は、足の向くままに湊川へ出て食事をしたのち、ふらっと映画館へ入った、そして猥雑な映画の動きに眼を放しながら、行く時間かを過して外へ出ると夜だった。
 それでもまだ家へ向う気持にならないので、公園の闇を歩き廻ってから山手通りのほうまで行った。するとどうしたわけか、不意に嫂の声を聞きたいという慾望が、激しく正三の胸をかき乱しはじめた。まるで熱病のようだった、たった今、即座に嫂の眼に触れなければ、そのまま頭が狂ってしまうような気持だった。正三は自動車を呼び止めて須磨へ向った。

 さて、豹。深夜、純子が豹を恐れて正三の部屋に来る。風の音や庭の竹ざおが倒れる音に純子が怯える。

「正三さん」
 純子は低く叫びながら、左手でぎゅっと正三の手を握った。
「大丈夫です」
 正三はとっさに片手を純子の背へ廻した。喘ぐような純子の息吹が正三の面を蔽った。むっとする香料の匂いと、ぬれた女の唇が自分のを強く求めて動くのを感じた。

 翌朝、甥っ子から前日の昼に豹が射殺されたと聞かされる。純子もそれを知っていたはず。正三は悪寒を感じる。

……射斃(いたお)された獣よりも、もっともっと身近に、闇の廊下で自分の唇の上に押合わされたもののほうが、豹の正躰であったのだと知った。その日の午後、正三は須磨の家を立って東京へ帰った。

 正三は「情熱の避けがたい力強さ」から逃げた。

(平野)

2014年11月16日日曜日

陽気な客


 「陽気な客」 山本周五郎の神戸

「陽気な客」は『つゆのひぬま』新潮文庫所収。

 周五郎の神戸時代を題材にしている。
 
 周五郎は友人(語り手・おれ)と呑んでいる。彼に[仲井天青]という人物が死んだと聞かされるが、周五郎には心当たりがない。昔劇団を主宰していた人で、[おれ]が神戸の出版社で働いていた時の同僚。
 
 その出版社というのは、「神戸夜話社という怪しげな雑誌社」。

 その社は元町通りと栄町の電車通りをつなぐ狭い横丁の喫茶店の二階にあった。もちろん古い木造の日本建築で、表に面した六帖二間をぶっとおして、古畳の上に机と椅子を並べたのが編集室なんだった。……

 そこの主筆が仲井。

……初めて社長に紹介されたとき、彼はねじり鉢巻をして椅子の上にあぐらをかいて、その椅子の右側に一升壜を置いて、そいつを湯呑み茶碗に注いで、ぐいぐい飲みながら原稿を書いていた。……実になんといったらいいか、要するにそんなふうに編集所にはぴったりし過ぎて却って不自然なくらい傍若無人なようすだった。
「ふん、君も東京の落人か、ふん」
 そのとき彼はこう云ってにやっと笑った。いい顔なんだ、実にいい顔なんだ。ちかごろの里見弴の顔をもう少しばかりしけ(、、)させて苦痛と頽廃の薬味を加えればいいかもしれない。彫りの深い、眼のぎろりとした、とにかくただものでない顔なんだ。……

 社長と妻がもめてケンカ。仕事にならない。仲井と[おれ]は居酒屋に。

 そこでおれたちは飲みだしたのさ。主筆はコップであざやかにくっくっと飲む、乱暴なんだが少しも乱暴のようにはみえない。左手の肱を台について指先で頭を押え、右の肩をおとして少し斜に構えた姿勢なども風格的なんだ。酔いがまわりだすとあのぎろりとした眼が熱を帯びたようになって、いよいよただものでないという感じが強くなった。
「うんそうか、文学をやるのか、よかろう」
「いや、そんな、文学なんていう、そんなその」
「てれるなよみっともない、文学なんてそんなにてれるほどたいしたもんじゃない、おれは魚屋をやる、おれは八百屋になる、……おんなじこった、てれたり恥ずかしがったりする意味なんかちっともありやしない、さあ、きみの文学のために乾杯しよう」

 酔っ払った仲井が尋ねる。いつから自分を「仲井天青」と見抜いていたのか、と。
[おれ]は「仲井天青」を知らないから当惑するが、彼のプライドを考えて「狡猾にたちまわった」。仲井は、かつて文壇でその作品を認められ劇団を主宰したこともあった、と愚痴をこぼす。東京で妻が待っている、と。
 雑誌社は不振、[おれ]の給料は飲み屋と弁当屋の支払いで赤字。仲井は前借りまでしている。ある給料日、[おれ]と仲井はクビを言い渡される。仲井は社長に憐れみを乞うが、にやにや笑っている。[おれ]は社長を張り倒し、仲井は押し倒す。一緒に飲みに行く。しこたま飲んで、仲井は家には帰れないと言う。妻が来ているはずと。彼が社長にすがったのは妻を呼び寄せる算段をしていたからだった。

「ぼくはきみに対しても恥ずかしい、冷汗が出てならない」
――――
「芸術だとか野心だとか、ひとの作品を罵倒し、人を嘲り、笑いとばし、われらの時代だ旗を揚げようだの、……嘘っぱちだ、(略)ぼくはぼくの才能によって墜ちるところへ墜ちて来たのさ……(略)

「きみはこれを機会に東京へ帰ってくれたまえ、そして、しっかりやってくれたまえ」
 天青は別れるときおれの手をぐっと握った。
「決して安きについたり投げた気持になっちゃいけない、どっちにしたって人生は苦しいもんだ、苦しむんなら自分のほんもので苦しむべきなんだよ、……じゃあさよなら、さよなら、頼むからぼくのことは忘れてくれたまえ」

 木村久邇典『山本周五郎の須磨』によると、[仲井]と[おれ=陽気な客]は周五郎を含む実在の人物複数を合成。
(平野)