7.13 本日はみずのわ出版・柳原一徳社主のトーク。先週別の会場で3時間話したそうだが、ここでは時間制限あり。当然著者=私への叱言・悪口・恨み節炸裂と思われたが、かなり抑えて語ってくれた。彼が大変な知力・労力・時間を負担してくれたことは間違いない。ギャラリー島田社長と彼に深く感謝する。会場では、拙著登場の詩人とその兄それぞれのお孫さんが対面。ン十年ぶりの再会で、お話盛り上がっていた。
7.14 職場の先輩が20日トーク会に参加希望。仕事仲間には知らせていないけれど、この方は本好きで私の経歴もご存知。
■ 川本三郎 『荷風の昭和 《後篇》 偏奇館焼亡から最期の日まで』 新潮選書 2600円+税
空襲で永井荷風は自宅・偏奇館と蔵書を失う。中野区、明石、岡山……、避難先・疎開先でも空襲に悩まされる。友人や地元の人たちが支えてくれる。戦後、熱海から市川に居を移す。高齢者・荷風には戦災のトラウマか、奇人・変人の行動が現われ、親戚や友人が離れてしまう。孤高の高齢者生活ながら、経済的には裕福。世話してくれる人たちもいる。戦中体制に協力しなかった荷風には作家の仕事が殺到する。権威を嫌い、占領下の民主主義にも距離を置き、市井の男女の愛情物語を書き続ける。浅草の踊子や芸人との交友を楽しむ。1959(昭和34)年4月30日、家の手伝いに来てくれていた福田とよが荷風が亡くなっているのを発見。死因は胃潰瘍による吐血のために窒息死、本名壮吉。
荷風の日記・著作を繙き、彼の生涯と文学、時代、東京の風景、風俗、文化を解説。
荷風の作品が好色とされ、荷風自身も女性好きとされるが、あまりに表面的な見方。
〈荷風は確かに女性を愛した。それは好色というのとは少し違う。女性の持つたおやかさ、美しさの文化をこそ愛した。それは軍人に代表される猛々しく、武張った権力の対極にあるものだった。/軍国主義の時代が息苦しくなるなかで、荷風が玉の井の娼婦や浅草の踊子たち、あるいは戦後の浅草のストリッパーたちと交流したことは、柔らかで優しい女性文化への愛情から生まれたものといっていい。生涯、女性たちを愛し続けた荷風は、軍人たちの武に対し、女性たちの美にこそオマージュを捧げた作家だった。(後略)〉
(平野)