11.15 「ひょうご部落解放」2025年秋号(192号、ひょうご部落解放・人権研究所)到着。前職退職後、年に3回本の紹介をしてきた。長く続けさせてもらったが、寄る年波、そろそろ息が切れてきたので降板となった。最後の原稿は編集さんのご配慮により拙著『神戸元町ジャーナル』。硬派の社会運動誌の息抜きページでしかありませんでした。読者さん、研究所の皆さん、お世話になりました。感謝いたします。
19時から元町映画館で夏葉社・島田潤一郎さんの記録映画「ジュンについて」(田野隆太郎監督)。入場困難を予想して整理券配布に並ぶ。ヂヂイ一番乗り。顔見知りの本好きさんたちにご機嫌伺い。映画は島田さんに580日密着、仕事ぶり(編集、営業、返品処理)と家族親戚のつながりが映し出される。元書店員として彼の仕事については多少存じ上げている。映画の中で、何度でも読み返してもらえる本を作る、困っている人のために本を出したいとはっきり述べる。書店主や書店員さんと営業話やら本・読書の話、音楽など大事な雑談の模様も。出演者は小さな書店や古書店の人。既に著書で従兄の死が出版社創業の動機であることは書いているが、それでも家族のことを含めやカメラの前で話すのはしんどかっただろうと思う。また、ある程度自力で頑張った人しか助けない、という現代社会の前提に異議を唱える。上映後、田野監督とのトークでは海文堂書店にも触れてくださり、ありがたいこと。島田さんに挨拶できた。益々の活躍をお祈りする。
11.16 みずのわ柳原社主メール。連絡事項と別に「余談」とあり、山田写真製版所印刷『神戸元町ジャーナル』が「全国カタログ展 カタログ部門 経済産業大臣賞受賞」。今回同社は図録部門でも「経済産業大臣賞」受賞するなど、15作品が受賞。おめでとうございます。
家人と散歩、相楽園(写真)、生田神社まわって買い物。
樽見博 『早く逝きし俳人たち 「祈り」としての俳句』 文学通信 2700円+税
著者は1954年茨城県生まれ、「日本古書通信」編集長、俳句同人誌『鬣(たてがみ)』同人。著書に古書随筆、俳句評論。
本書では早逝の俳人12名のこと。
〈……「早く逝きし俳人たち」12名は、病や戦争によって、己を時間をかけて磨き上げていくことが叶わなかった若者たちです。「己」とはその人を形作る仕事であり家族です。生活とも人生とも言えるかと思います。その生活の中での感動を表現するものが、彼らが選んだ俳句です。俳句を選んだ時からその人の俳句的人生が始まる。表現の形は様々ですが、生活と俳句は不可分です。彼らは直面する死の恐怖の中でも希望を俳句に託し作品を残した。その作品は優れ、所属した俳句雑誌の発展にも貢献した。でも磨き上げていくべき俳句修業も死によって断たれ、戦後の混乱した世相もあるし、時間の経過と共に忘れられてしまう。もっとも、彼らだけが特別不運なのではなく、俳人も含め殆どの人は忘れられていきます。〉
著者は職業柄古い俳句雑誌を繰ることができた。俳句仲間の追悼文や関係資料から、句集を残すことができなかった人たちの作品と彼らの生きた証しを発掘する。詳しい経歴不明の人もいる。
中西其十 山影のひろごりつきし枯野かな
田中青牛 飛ぶ虻の陽に散らしたる花粉かな
大橋裸木 わが戻る蜩の田端をよぎり日暮里をよぎり
河本緑石 海ははるかなり砂丘のふらここ
松本青志 喜憂みな人の世にして麦熟るる
和田久太郎 水洟や冷々として骨を滴る
藤田源五郎 母の背に枯木あかるし癒えたかり
高橋鏡太郎 愛うすきひととあればよ遠花火
本島高弓 月明に 肋骨を焚く鬼となる
堀徹 玫瑰や海のゆうぐれひとは言はぬ
鎌倉鶴丘 秋没日がくりとうごく田螺かな
柏原鷹一郎 雪の天涯もなきかな風伯は
樽見は12名のことを書き終えて思う。
〈……彼らは作品がこのように掘り起こされることを望んでいたろうか、死が現実のものとなるなかで彼らが俳句に託したものは誰かに読まれ、後世に名を残すためだったのか、どうもそうではないように思えてきました。「残してあげたい」というのはある意味で、私の思い上がりです。しかし、私は一般の方より、古い俳句資料に出会う機会の多い職業についています。そして不思議なくらいに彼らの作品が目の前に現れてきた。これは彼らと同じく俳句を選んだものとして、彼らの思いを受け止めるべきではないかと思いました。「残してあげたい」ではなく彼らの叫びを素直に聞こうと考えなおしました。〉
(平野)書名の「早く逝きし」に興味を持つ。二〇代、三〇代、四〇代、戦死、結核。戦地から帰還して炭鉱落盤事故で亡くなった人もいる。