11.23 大阪梅田、友人夫妻とウチ夫婦でランチ会。おみやげに装訂家・俳人の最新句集をいただく。友人は著者と仲良し、京都であった出版記念イベントにも出席した由。ウチからのおみやげは元町駅前の豚まん。
大相撲九州場所、ウクライナ出身の安青錦初優勝。花道で待つ付き人(涙)と抱き合う姿にヂヂイもジーン。
「朝日歌壇」より。
〈うるさいと誰も言わねどうるさくて図書室巡る熊除けの鈴 〈安中市)岡本千恵子〉
11.24 連休、家人と息子はそれぞれ予定あり多忙。ヂヂイは昨日のランチのみ。息子のみやげ菓子の包装紙がかわいいので文庫カバーにする。
午後、ギャラリー島田の「石井一夫展」。帰り道に古本屋さんを覗く。一軒目は店主不在、二軒目は他店と共同出店している店舗の当番でお休み。そういうこともある。
木内昇 『転がるように 地を這うように 私の杖となった文学の言葉たち』 ちくま文庫 900円+税
木内作家デビュー前のエッセイ集、2003年刊行『ブンガクの言葉』(ギャップ出版)を改稿、文庫化。「文学作品から一語を抽出する形で、随筆のような感想文のようなものを書こうと思ったのか、実は細かには覚えていません」。
山本周五郎「青べか物語」、〈【かんのんさま】 この場合はお釈迦になる、と同意。使いものにならないこと。〉
相手の無理な要求や失敗を殺伐とした物言いで否定、攻撃するのではなく、やんわりと言葉を発する。「青べか物語」で、ビールをコップ一杯だけ注文する客に、瓶ビールを一杯だけのために開けるわけにはいかないから、「そんなことしたらかんのんさまだよ」と断わる。木内は「人の温度が宿った市井の言葉がもっと残っていれば、現代の、むやみに深刻ぶる日常や、腫れ物に触るような慎重な人間関係や、それが高じて生ずるしょうもない陰鬱な事件、そうした気持ちの悪いものがもうちょっと減るんじゃないか(後略)」と評論家的に考えていた。
新しい言葉遣い、新しい意味合いが生まれてくる。レコード店で女学生たちがCDを選んでいて、「あり得ない!!」と言い合う。彼女たちは「あまり好きじゃない」「それはどうかな?」くらいの柔らかい意味で使う。当時「あり得ない」はキツイ表現で使われていると木内は認識していた。また、喫茶店で若者の集団と隣り合わせていたところ、遅れてきた青年が詫びている。気まずい雰囲気の中、待っていた男性の一人が大声で「ったく、あり得ねぇ~」と発すると、場が一気に和らいだ。
〈古い言葉の美しさというのは忘れられるべきものではないが、それでも今を生きている自分には、今生まれている言葉を新参者とみなして頭ごなしに拒否するのではなく、その都度斟酌していく余裕が必要なのだな、ということを考えさせられた。〉
【出世双六】 アド・バルーン/織田作之助
【落莫】 風琴と魚の町/林芙美子
【道化】 人間失格/太宰治
【猪口才】 坊ちゃん/夏目漱石
【清浄無垢】 銀の匙/中勘助
【責苦】 木魂(すだま)/夢野久作
【端然】 母の上京/坂口安吾
【厄介】 さぶ/山本周五郎
【ネビッチョ】 浮雲/二葉亭四迷
【蔵む】(つつむ) 破戒/島崎藤村
【恬然】 カッパ/芥川龍之介
【道学者】 お目出たき人/武者小路実篤
【塩花】 おかめ笹/永井荷風
他に評論、「厄除け詩集/井伏鱒二」、「ご馳走帖/内田百閒」、「月に吠える/萩原朔太郎」、「筑波日記/竹内浩三」。
「ネビッチョ」とは? 「ねびる」は、老人めく、若さがなくなるの意。「ネビッチョ」は「老成した人間を揶揄した言葉」。
引用文献・参考文献のページに泉鏡花「外科医」があるのだけれど、本書には鏡花の項も鏡花の話もない。ギャップ出版版には、〈【褄はずれ】泉鏡花/「外科医」〉の一文があるよう。なぜ抜け落ちているのか、外したのかの説明もない。ないとなるとそれも読みたい。
(平野)