2025年12月7日日曜日

戦争の美術史

11.30 神戸市立中央図書館編集・発行「KOBEの本棚」111号(2025.11.20)で、拙著『神戸元町ジャーナル』で紹介いただいている。ありがとうございます。

20251125114538.pdf 



 図書館で借りた本。齋藤愼爾『周五郎伝 虚空巡礼』(白水社、2013年)。齋藤は若き挫折の時期、山本周五郎作品に救われた。これまでの周五郎研究をふまえながら、空白部分や疑問を追求する労作。



「朝日俳壇」より。

〈古書店のあの頃のまま秋の旅 (東かがわ市)丸山靖子〉

12.1 師走と言ってもヂヂイは慌ててすることは何もない。寒さに震えてトイレ回数増えるだけ。

12.2 午前中臨時仕事、久々。午後買い物。家人がよく「今日いいこと3つあったか?」と訊く。「悪いことはなかったから、それがいいこと」と答えている。今日はいいことあった。買い物でレジの人が親切、にこやかに応対してくれた。

12.4 昨夜から冷えて、冬用下着装着。

12.6 花隈の兵庫県古書籍商業協同組合で「もとまち一箱古本市」開催。書友のの様が出店するので会場覗く。よく知る古本女子たちも出店していて、本イベント常連本好きの皆さんが来ておられる。今日は本を買うのはではなく人に会うのが目的。

 

宮下規久朗 『戦争の美術史』 岩波新書 1360円+税



神戸大学大学院人文科学研究科教授。戦争に関する美術――絵画、彫刻、記念碑、写真、映画――を総称して「戦争美術」と呼ぶ。作品それぞれが、記録、戦勝記念、反戦・平和、死者追悼、さらに芸術性追求という多様な性格を持つ。

 人類の歴史のなかで戦争が文化・文明を推し進めてきたことは否定できない。武器開発から新しい技術や道具が生まれたし、道路が整備された。敵である異文化との交流も始まった。

〈文明を推進した戦争が美術と結びつくのは当然であった。実際、美術と戦争とは大きな関係がある。いずれも太古の社会から存在するが、美術が文化の成果を示す一方、戦争は美術を破壊して文明を停滞させるという真逆の結果をもたらした。美術は平和時にこそ制作されるが、戦争のたびに破壊されながら、戦争によって新たな題材を得て深化する面もあった。/戦闘の様子、兵士の肖像、戦地の風習を描く作品はいつの時代にも制作され、世界中の美術史を彩ってきた。それらの多くは戦争を否定的に捉えておらず、称えるものが多いが、近代になると反戦の主張を帯びるようになる。そして単に事実を記録するだけでなく、芸術としての力によって悲劇を記憶させ、人間のあり方や生死について考えさせる。〉

 現代の鑑賞者が作品を見て、作者の意図や時代背景や戦争の意味を理解できるとは限らない。

〈美術は、意味や目的によって作品の価値が決まるわけでもない。戦争美術でも、反戦を訴えたものが優れていて、好戦的なものやプロパガンダ(宣伝芸術)がつまらないとか、多様な意味をはらむ作品のほうが優れているなどとはいえない。そうした意味を超えて、どれほど戦争の真実に迫っているか、そしていかに訴える力をもっているかによって作品の価値は決まると私は考える。〉

 戦争画をタブー視せず、「反戦も好戦も美術史的に同一地平で考える」。

 いまやボタン一つで敵地に打撃を加えられ、攻められる側も防御する。無防備な無辜の人々の頭上から爆弾が降ってくる。それを無関係の人間は画面で見ている。無関係者には戦争が身近になっている。

 カラー図版約150点掲載。

(平野)ヂヂイは藤田嗣治の「アッツ島玉砕」を見た時、反戦画だと思った。当時の日本国民は殺戮の絵を死者への供養と拝んだ。

2025年11月30日日曜日

孤独

11.26 職場の部屋で使っていたモノが見つからない。出勤してカバンから出して使った。カバンに戻した、と思う。でも、ない。机の上やら椅子の下やら抽き出しやら、ない。どっか見落としているのだろう。次の出勤日にもう一度探すことにする。ボケている。

11.28 紛失物はヂヂイの足元から見つかる。なんでこれが目に入らなかったのか、やっぱりボケている。

11.29 家人と映画、「TOKYOタクシー」。孤独な高齢女性が過ごした一日。

 

『精選日本随筆選集 孤独』 宮崎智之編 ちくま文庫 1000円+税



 編者は1982年生まれ、文芸批評家。随筆は、常に身近にあるもの、間違いなく文学であり、随筆によって蒙を啓かれ、読書の深みへとはまってきた、と語る。「孤独」をテーマにしたのは、「随筆の趣を感じてもらうだいいちの入口として適したテーマ」と思うから。

寺山修司 「何しろ、おれの故郷は汽車の中だからな」

吉田健一は少年時代を海外で過ごした。フランスの田舎町でベルギー人に青年出会った。のちに彼は第一次世界大戦の戦争孤児だったと聞かされる。

川端康成「末期の眼」。なぜ芥川龍之介は死ぬことばかり考えつづけ、「或旧友へ送る手記」=遺書を書いたのか? 

大庭みな子はその川端の自死について、

……川端さんは随分昔から「死」のことをずっと考えてらして、忙しい毎日の中で、空いていたその時間に、またふっと「死」のことを思い出されたのだと、いうふうに思いました。〉

 幸田文、遠藤周作、小林秀雄、内田百閒、坂口安吾、森茉莉、正宗白鳥……が綴る「孤独」。

(平野)

2025年11月25日火曜日

転がるように 地を這うように

11.23 大阪梅田、友人夫妻とウチ夫婦でランチ会。おみやげに装訂家・俳人の最新句集をいただく。友人は著者と仲良し、京都であった出版記念イベントにも出席した由。ウチからのおみやげは元町駅前の豚まん。

 大相撲九州場所、ウクライナ出身の安青錦初優勝。花道で待つ付き人(涙)と抱き合う姿にヂヂイもジーン。

「朝日歌壇」より。

〈うるさいと誰も言わねどうるさくて図書室巡る熊除けの鈴 〈安中市)岡本千恵子〉

11.24 連休、家人と息子はそれぞれ予定あり多忙。ヂヂイは昨日のランチのみ。息子のみやげ菓子の包装紙がかわいいので文庫カバーにする。

 午後、ギャラリー島田の「石井一夫展」。帰り道に古本屋さんを覗く。一軒目は店主不在、二軒目は他店と共同出店している店舗の当番でお休み。そういうこともある。

 

木内昇 『転がるように 地を這うように 私の杖となった文学の言葉たち』 ちくま文庫 900円+税



 木内作家デビュー前のエッセイ集、2003年刊行『ブンガクの言葉』(ギャップ出版)を改稿、文庫化。「文学作品から一語を抽出する形で、随筆のような感想文のようなものを書こうと思ったのか、実は細かには覚えていません」。

 山本周五郎「青べか物語」、〈【かんのんさま】 この場合はお釈迦になる、と同意。使いものにならないこと。〉

相手の無理な要求や失敗を殺伐とした物言いで否定、攻撃するのではなく、やんわりと言葉を発する。「青べか物語」で、ビールをコップ一杯だけ注文する客に、瓶ビールを一杯だけのために開けるわけにはいかないから、「そんなことしたらかんのんさまだよ」と断わる。木内は「人の温度が宿った市井の言葉がもっと残っていれば、現代の、むやみに深刻ぶる日常や、腫れに触るような慎重な人間関係や、それが高じて生ずるしょうもない陰鬱な事件、そうした気持ちの悪いものがもうちょっと減るんじゃないか(後略)」と評論家的に考えていた。

新しい言葉遣い、新しい意味合いが生まれてくる。レコード店で女学生たちがCDを選んでいて、「あり得ない!!」と言い合う。彼女たちは「あまり好きじゃない」「それはどうかな?」くらいの柔らかい意味で使う。当時「あり得ない」はキツイ表現で使われていると木内は認識していた。また、喫茶店で若者の集団と隣り合わせていたところ、遅れてきた青年が詫びている。気まずい雰囲気の中、待っていた男性の一人が大声で「ったく、あり得ねぇ~」と発すると、場が一気に和らいだ。

〈古い言葉の美しさというのは忘れられるべきものではないが、それでも今を生きている自分には、今生まれている言葉を新参者とみなして頭ごなしに拒否するのではなく、その都度斟酌していく余裕が必要なのだな、ということを考えさせられた。〉

 

【出世双六】 アド・バルーン/織田作之助

【落莫】 風琴と魚の町/林芙美子

【道化】 人間失格/太宰治

【猪口才】 坊ちゃん/夏目漱石

【清浄無垢】 銀の匙/中勘助

【責苦】 木魂(すだま)/夢野久作

【端然】 母の上京/坂口安吾

【厄介】 さぶ/山本周五郎

【ネビッチョ】 浮雲/二葉亭四迷

【蔵む】(つつむ) 破戒/島崎藤村

【恬然】 カッパ/芥川龍之介

【道学者】 お目出たき人/武者小路実篤

【塩花】 おかめ笹/永井荷風

 他に評論、「厄除け詩集/井伏鱒二」、「ご馳走帖/内田百閒」、「月に吠える/萩原朔太郎」、「筑波日記/竹内浩三」。

「ネビッチョ」とは? 「ねびる」は、老人めく、若さがなくなるの意。「ネビッチョ」は「老成した人間を揶揄した言葉」。

 引用文献・参考文献のページに泉鏡花「外科医」があるのだけれど、本書には鏡花の項も鏡花の話もない。ギャップ出版版には、〈【褄はずれ】泉鏡花/「外科医」〉の一文があるよう。なぜ抜け落ちているのか、外したのかの説明もない。ないとなるとそれも読みたい。

(平野)

2025年11月22日土曜日

夏鶯

11.18 今日は歯科診療。帰宅して年末飲み会案内文作成。ぼーっとしていても飲み会は忘れない。

 記載忘れ、11.16「朝日歌壇」より。

〈窓に寄り子らは手を振るまた来てと絵本読み終え帰る私に (名古屋市)磯前睦子〉

〈どの店も薬缶湯気たて猫がいた百万遍の古書店街は (大和郡山市)四方護〉

11.20 飲み会案内を飲兵衛諸氏に送信。柄ではなのだけれど、依頼されていた文化基金応募推薦文をやっつける。頼りないヂヂイの推薦でよいのかしら?

BIG ISSUE515、特集「わたしの隣人 エスニックマイノリティ」。

 


赤神 諒 『夏鶯』 集英社 2300円+税

あかがみ りょう、なつうぐいす



慶応4111日(陽暦1868.2.4)西国街道神戸村三宮神社前で岡山備前藩の行列を外国人兵士が横切り紛争。双方が発砲し、外国人3名負傷。周辺地域と港を外国の軍隊が占領する事態になった。明治新政府初の国際外交事件。備前藩の砲兵隊責任者・瀧善三郎が切腹して収まった。「神戸事件」である。

本書は「神戸事件」をもとに「武士」の生き様を描くが、瀧善三郎について詳しい記録が残っていないこともあり、ほとんど創作。事件は「三宮事変」、藩名、人名すべて変えている。

吉備藩士・滝田蓮三郎は同藩家老・戸木(へき)家の家臣。父は砲術師、殿の御前で大砲試し打ちに失敗(のちに藩内の権力争いによる陰謀と判明)、責任を取り自死(餓死)。蓮三郎は文武に秀でた俊英、将来の藩を背負う人材と期待された。学問と医術の師・抱節は弟子たちに「世の春を告げる鶯となれ」と教育してきたが、蓮三郎は「鳳になる」と宣言。17歳で岡山城に出仕するも、故あって」死罪となるところを剣の師・尾瀬成之介が身代わりに切腹(読者は権力者の陰謀とわかるが詳細不明、最後に明かされる)し、永蟄居(無期懲役)。蓮三郎は故郷金谷(かなや)で幽閉の身、「大兀僧(おおがつそう、見苦しいほど髪を伸ばした姿)」と世間に蔑まれる。母、兄、幼なじみの尾瀬準之介・信乃兄妹に見守られ、晴耕雨読、農業研究、外国事情など勉学、医術に励む。近隣の若者らが学び、次第に認められていく。コロリ治療から感染、抱節に助けられる。その抱節がコロリで死亡。墓前で、準之介と信乃に語る。

「先生は、いつでも死ねる覚悟で毎日を生きとられたけど、俺は破れかぶれなだけじゃった。心のどこかで、じきに赦免が出て、鳳のごとく羽ばたいて、世の中を変えられると、未練がましゅう考えとった。じゃけど、現実は違う。生きながらえんのは、思い罰じゃった。(後略)」

 世に必要とされる日が来るか来ないか、天に任せる。今日その日が来てもすぐに役立てるよう胆を練り続ける、と。

「これより俺は、真の武士となるべく精進を重ねる。昔立てた志のとおり吉備一、天下一の武士になってみせる。鳳じゃーねぇ。抱節先生に敬意を表して、鶯じゃ。準さん、この金谷にゃーいつでも啼ける鶯が一羽いる思うてくれ」

準之介を通じて藩政に献策し難題を解決、縁ある京の僧侶や公家と交流する。恩赦の機会が訪れるたびに、権力者が邪魔をする。倒幕の機運が高まるなか、ついに15年ぶりに出仕が叶う。その任務は……

瀧善三郎がモデルということは、読者は主人公の最期をわかって読むことになる。重い罰を受けながら世に貢献し弟子を育てるが、恩赦は何度も立ち消えるという過酷な宿命を受け入れた。武士として命をまでさし出した。読み進めるのが辛い。

春啼く鶯が「夏鶯」? 切腹は冬だし。これも最後の最後でオチが着く。

著者は上智大学法科大学院教授、弁護士。「小説で町おこしをめざす歴史・時代小説の作家」(朝日新聞2025.11.18「ひと」欄)、大分、岡山、福井、群馬などを舞台に創作。本書の会話は岡山弁。



(平野)

2025年11月18日火曜日

早く逝きし俳人たち

11.15 「ひょうご部落解放」2025年秋号(192号、ひょうご部落解放・人権研究所)到着。前職退職後、年に3回本の紹介をしてきた。長く続けさせてもらったが、寄る年波、そろそろ息が切れてきたので降板となった。最後の原稿は編集さんのご配慮により拙著『神戸元町ジャーナル』。硬派の社会運動誌の息抜きページでしかありませんでした。読者さん、研究所の皆さん、お世話になりました。感謝いたします。



 19時から元町映画館で夏葉社・島田潤一郎さんの記録映画「ジュンについて」(田野隆太郎監督)。入場困難を予想して整理券配布に並ぶ。ヂヂイ一番乗り。顔見知りの本好きさんたちにご機嫌伺い。映画は島田さんに580日密着、仕事ぶり(編集、営業、返品処理)と家族親戚のつながりが映し出される。元書店員として彼の仕事については多少存じ上げている。映画の中で、何度でも読み返してもらえる本を作る、困っている人のために本を出したいとはっきり述べる。書店主や書店員さんと営業話やら本・読書の話、音楽など大事な雑談の模様も。出演者は小さな書店や古書店の人。既に著書で従兄の死が出版社創業の動機であることは書いているが、それでも家族のことを含めやカメラの前で話すのはしんどかっただろうと思う。また、ある程度自力で頑張った人しか助けない、という現代社会の前提に異議を唱える。上映後、田野監督とのトークでは海文堂書店にも触れてくださり、ありがたいこと。島田さんに挨拶できた。益々の活躍をお祈りする。



11.16 みずのわ柳原社主メール。連絡事項と別に「余談」とあり、山田写真製版所印刷『神戸元町ジャーナル』が「全国カタログ展 カタログ部門 経済産業大臣賞受賞」。今回同社は図録部門でも「経済産業大臣賞」受賞するなど、15作品が受賞。おめでとうございます。

https://www.yppnet.co.jp/topics/%e3%80%90%e3%81%94%e5%a0%b1%e5%91%8a%e3%80%91%e7%ac%ac67%e5%9b%9e%e5%85%a8%e5%9b%bd%e3%82%ab%e3%82%bf%e3%83%ad%e3%82%b0%e5%b1%95%e3%81%a715%e4%bd%9c%e5%93%81%e3%81%8c%e5%8f%97%e8%b3%9e/

  あちこちから忘年会の催促やらお誘いあり。まだ声かけてもらえる。

 家人と散歩、相楽園(写真)、生田神社まわって買い物。



 

樽見博 『早く逝きし俳人たち 「祈り」としての俳句』 文学通信 2700円+税



著者は1954年茨城県生まれ、「日本古書通信」編集長、俳句同人誌『鬣(たてがみ)』同人。著書に古書随筆、俳句評論。

本書では早逝の俳人12名のこと。

……「早く逝きし俳人たち」12名は、病や戦争によって、己を時間をかけて磨き上げていくことが叶わなかった若者たちです。「己」とはその人を形作る仕事であり家族です。生活とも人生とも言えるかと思います。その生活の中での感動を表現するものが、彼らが選んだ俳句です。俳句を選んだ時からその人の俳句的人生が始まる。表現の形は様々ですが、生活と俳句は不可分です。彼らは直面する死の恐怖の中でも希望を俳句に託し作品を残した。その作品は優れ、所属した俳句雑誌の発展にも貢献した。でも磨き上げていくべき俳句修業も死によって断たれ、戦後の混乱した世相もあるし、時間の経過と共に忘れられてしまう。もっとも、彼らだけが特別不運なのではなく、俳人も含め殆どの人は忘れられていきます。〉

 著者は職業柄古い俳句雑誌を繰ることができた。俳句仲間の追悼文や関係資料から、句集を残すことができなかった人たちの作品と彼らの生きた証しを発掘する。詳しい経歴不明の人もいる。

中西其十  山影のひろごりつきし枯野かな

田中青牛  飛ぶ虻の陽に散らしたる花粉かな

大橋裸木  わが戻る蜩の田端をよぎり日暮里をよぎり

河本緑石  海ははるかなり砂丘のふらここ

松本青志  喜憂みな人の世にして麦熟るる

和田久太郎  水洟や冷々として骨を滴る

藤田源五郎  母の背に枯木あかるし癒えたかり

高橋鏡太郎  愛うすきひととあればよ遠花火  

本島高弓  月明に 肋骨を焚く鬼となる

堀徹  玫や海のゆうぐれひとは言はぬ

鎌倉鶴丘  秋没日がくりとうごく田螺かな

柏原鷹一郎  雪の天涯もなきかな風伯は

 

 樽見は12名のことを書き終えて思う。

……彼らは作品がこのように掘り起こされることを望んでいたろうか、死が現実のものとなるなかで彼らが俳句に託したものは誰かに読まれ、後世に名を残すためだったのか、どうもそうではないように思えてきました。「残してあげたい」というのはある意味で、私の思い上がりです。しかし、私は一般の方より、古い俳句資料に出会う機会の多い職業についています。そして不思議なくらいに彼らの作品が目の前に現れてきた。これは彼らと同じく俳句を選んだものとして、彼らの思いを受け止めるべきではないかと思いました。「残してあげたい」ではなく彼らの叫びを素直に聞こうと考えなおしました。〉

(平野)書名の「早く逝きし」に興味を持つ。二〇代、三〇代、四〇代、戦死、結核。戦地から帰還して炭鉱落盤事故で亡くなった人もいる。

2025年11月13日木曜日

堺港攘夷始末

11.8 朝、孫に宅配便、相撲番付とお菓子を送る。

 午後、家人と新開地喜楽館で落語。ベテラン、中堅、若手、お神楽。終演後ロビーで出演皆さんが観客を見送ってれる。

BIG ISSUE514。インタビューはAdo、特集は「あたりまえを壊す人類学へ」。元町駅前の販売員さん登場。



11.11 2ヵ月に1度の内科診療。

 大岡昇平『堺港攘夷始末』 中央公論社 198912月初版、手持ちは199046




 幕末の混乱のなか、堺で起きた土佐藩士によるフランス兵襲撃事件。大岡昇平(19091988年、作家・フランス文学者)が森鷗外の歴史小説『堺事件』の誤り(発砲状況、死者数)を正す。国内の・資料・文献、当事者の記録、フランス側の資料など細大洩らさず検証する。

 慶応4111日(1868.2.4)摂津神戸村の三宮神社前で岡山備前藩の行列を外国人兵士が横切り紛争。双方が発砲し、外国人3名負傷した。この「神戸事件」が明治新政府初の国際外交事件となる。備前藩の砲兵隊責任者が切腹して収まった。

 その一ヵ月後2月15日(3.8)、大坂堺で事件。土佐藩兵士がフランス兵士を襲撃し、11名死亡。彼らは街を散策し、海岸を測量する者もいた。土佐兵は堺を外国人遊歩地区と知らず、また「攘夷」の志も強かった。土佐の隊長は既に「神戸事件」の情報も知っていたはず。自分がひとり切腹すればよい、と考えた。ところが、フランス側の要求は犠牲者の数と同人数以上の処刑。新政府の外交責任者は応じ、土佐藩は兵にくじ引きさせ、20名の切腹者を決めた。ここでまず命の選別があった。ほとんどが足軽身分だが、切腹者は士分として扱われる。11名が切腹し終えたところで、フランス側が9名を助命とする。彼らの命は助かったが、土佐に戻され流刑。藩上層部は攘夷を放棄する。

 死者、死を免れた者、ひとりひとりについて大岡は目を配る。フランス側の犠牲者も地方出身の貧しい者たちだった。

 幕末動乱、開国、西洋列強との外交という大きな歴史の波が土佐とフランスの下級兵士たちを翻弄した。

(平野)

2025年11月8日土曜日

筒井康隆「おれ」

11.4 外出中の新聞。2日「朝日俳壇」「歌壇」より。

〈少年は詩に育まれ星月夜 (横浜市)長谷川水素〉

〈海坂藩の秋をさがしに旅に出ん庄内柿の渋ぬける頃 (仙台市)沼沢修〉

〈別れ際家に帰ると言う父の亡骸だけを書斎に戻す (京都府)片山正寛〉

11.5 孫電話。姉に法事の席で「猫かぶった」かどうか(おとなしくできたという意味で使っている)尋ねると、「かぶらなかったー」の答え。幼少時にむずがって、お坊さんに退場を促されたことがあって、それ以来大事な席ではママに「猫かぶってなさい」と言われている。もう分別があるから大丈夫。

11.7 九州在住幼なじみが拙著紹介「読売書評」コピーを送ってくれる。心配りに感謝。


 筒井康隆掌篇小説「おれ」(「波」11月号掲載)の舞台は神戸元町。筒井は元町駅で「おれ」に遭う。筒井作品にたびたび登場する「おれ」。筒井にぼやく。

「だいたいにおいてどの作品でもおれは虚しいか、情けないか、酷い目に遭うかで、時には死んじまったりもする。(中略)それが六十五年も続いてみろ。ほとほと嫌になる。たまにはいい目をさせてくれと言いたくなるじゃないか。(後略)」

 筒井も「無理もない」と思う。「おれ」の言う「いい目」とは、いい酒、ゆっくりディナー、いい女。言う通りにしてやる。ポン引き「元町駅のおっさん」に理想的女性を紹介してもらい、幸せな時間を過ごしたはず。「おれ」の希望は叶えられたのだが、不満だ。その理由は?



 作者が文章で表現しなければ作中人物は「いい目」を感じ取れない。特に女性とのラブシーンは具体的詳細濃密に「表現されない限りおれの快感はおれには感じられないんだ」。でも、それをすれば筒井作品は発禁になり、仕事を失う。「そんなこと書けるもんか」。

(平野)