2026年4月2日木曜日

私の東京地図

4.1 寒い三月去って、四月雨のスタート、まだ寒い。入社・入学の式の人たち、颯爽。

 本を読んでいて、エエ歳してても知らない言葉に出くわす。今さら学力・教養の乏しさを嘆いても仕方ない。家の外だと、栞挟んだり、メモして、あとで辞書を引くようにしている。同じ言葉・漢字を調べることも多々。今日は「一籌を輸する」。まず「籌」が読めないから漢和辞典で「ちゅう」と知って、国語辞典で「一籌 いっちゅう」。ようやく「いっちゅうをしゅする、ゆする」と読むことができる。「籌」は「かずとり」数をかぞえる竹の棒、はかりごとの意味も。「輸する」は、負ける。ということで、やや劣る、ひけをとる。以上『新字源』『広辞苑』より。ヂヂイはだいぶ劣る、大敗。

4.2 月に一度我が家の前が資源回収(紙・ダンボール)の収集場所になっていたが、町内会役員さんから収集日と場所の変更の知らせあり。案内文をご近所に配る。近所とはいえ普段通らない路地を歩く。徘徊者とか不審者に思われないか心配。

 

佐多稲子 『私の東京地図』 ちくま文庫 900円+税



佐多稲子(190498年)、長崎県生まれ、小説家。一家で上京し、向島小梅町の長屋から東京暮らしが始まる。稲子は小学校を辞めて、工場勤め。労働者人生のスタートだ。自分を含め長屋の悲しい切ない住民たちの暮らし、浅草の賑わい、上野の料亭奉公、日本橋丸善の女店員、上司の紹介で見合い結婚して目黒。夫は資産家だが、金があるゆえの人間不信から神経を病み、夫婦心中を企てる。命助かるも、稲子は身ごもっていた。離婚、家族に子を預け、駒込神明町カフェーの女給。作家たちと知り合い、窪川鶴次郎と結婚、プロレタリア文学運動に関わる。監視を逃れて転居を繰り返す。東京各地の風景と縁のあった人たちの思い出を短篇小説にして書き継いだ。

〈東京の街にかける私の愛着は、故里(ふるさと)に故里らしいつながりの絶えてしまった小さな生活者の、ここを頼みとするしかなかった悲しさからきている。(中略)たたみこまれた一枚一枚のその風景は、年代や経験につれて、古めかしい色刷りの絵葉書になってしまったり、光と影のある写真という印象になったりする。その風景には必ずそれぞれに人の姿がそれぞれの姿体で入ってくるのは当然で、東京の空が火焔に染まる度に、すぐその失われた跡を見さだめたかったような私の、東京の町に対する愛着から、私はその人々をも、町の性格の中でとらえておきたいとおもいはじめた。/また同時に、戦争がすんで、人が人の姿をとりもどすことになったとき、私は自分をも見極めなければならぬおもいに突き当った。歩いて来た道とともに次第に形を変えてゆくその移り方に、私は、自分をとらえたいとおもう。〉

 稲子は料亭勤め時代から芥川龍之介を見知っていた。芥川は窪川とも文学仲間。芥川が稲子の心中体験を知っていて、「あなたは、もう、もいちど死にたいとおもいませんか」問うた。その4日後、芥川自殺を新聞で知る。

小林多喜二は稲子の赤ん坊にあやして、冗談言って笑った。数日後、彼は「無情な紫色に滲ませて殺されて帰った」。弔問客も警察に検束された。稲子は葬式に参列できなかったが、多喜二に供えられた花を小さな花束にして刑務所の同志たちに差し入れた。

戦中稲子は従軍して戦時協力者となってしまう。

 街と人、人の思いが震災、戦争で焼かれた。焼け跡に立って記憶を掘り返し、自分を見つめ直す。

(平野)