2022年8月30日火曜日

文と本と旅と

8.28 「朝日歌壇」より。

〈ずっとここに居ていいんだよというような平日の昼ジュンク堂書店 (東京都)金美里〉

〈学生時「風土」買いたる古書店が京の街から消えるとの報 (亀岡市)俣野右内〉

〈かさばれる古書のリュックを抱えつつ時忘れけり岩波ホール (我孫子市)松村幸一〉

「朝日俳壇」より。

〈ガリ版の創刊号を曝(さら)しけり (名古屋市)山内基成〉

 新聞訃報。三遊亭金翁、93歳。「お笑い三人組」の小金馬さん。ご冥福を。

 なかよし古本屋さん、スタッフさんがコロナ感染濃厚接触者と濃厚接触してしまって、31日まで臨時休業中。

8.30 今週も臨時出勤2日あり。働きすぎではないか?

 孫一家は夏休み最後に旅行。みんながカゼやら何やらで動けなかった。姉妹で湯船、饅頭パクパクなどの写真見て、ヂヂババも楽しい。

 

 上林暁 『文と本と旅と 上林暁精選随筆集』 山本善行撰 

中公文庫 1000円+税



 上林暁(19021980年)は高知県出身、本名・徳廣巖城(とくひろ・いわき)。改造社編集を経て作家活動。私小説の作家。

 撰者は京都の古書店・善行堂店主。これまでに上林の小説集『星を撒いた街』、随筆集『故郷の本箱』(共に夏葉社)を編集している。

 上林には本書と同じ書名の随筆集(1959年五月書房刊、「文」「本」「旅」「酒」に分類)がある。本書は善行堂店主が上林の全集を読み直し、「人」を付け加え、各章の作品を入れ替えた。

「本道楽」

戦後、上林は脳溢血で2度倒れた。療養中は「午前執筆、午後一睡、夜散歩」。散歩の途中古本屋に寄って、「一冊二冊の掘出物を抱えて帰る」ことが唯一の楽しみだった。

〈私は散歩に出ても、大抵オレンヂジュース一杯で咽喉をうるおし、左半身不随のからだをステッキに託して帰って来る。一冊二冊の本でも、とても荷厄介(にやっかい)である。しかし家に帰ると、ページをめくり、表紙を撫で、机の上において眺めて、飽くことを知らない。寝る時は枕許におく。開いて読むこともあれば、そのまま読まないで目を閉じることもある。折角古本屋に寄っても、一冊も獲物がなくて帰る時は、とても淋しい。〉

「署名帖」

 上林は編集者時代に作家・学者ら執筆者の手紙やはがき、原稿袋などの署名を集めた。破棄されるものから切り取ってアルバムに貼っていた。

 谷崎潤一郎の字は「肉が太く、墨色が濃く、墨痕淋漓(りんり)」。

 川端康成の署名はペン字。「清らかである、流麗である。線は細いが、決して弱くなく、勁(つよ)く張り切っている」。

 本編執筆は1938昭和13年。他に当時健在だったのは、横光利一、室生犀星、正宗白鳥、三木清、徳田秋聲ら。故人は、吉野作造、直木三十五、十一谷義三郎、陸上競技の人見絹枝の名も。

(平野)

2022年8月27日土曜日

貸本屋とマンガの棚

8.24 大阪市立美術館〈フェルメールと17世紀オランダ絵画展〉。「窓辺で手紙を読む女」、女性の背後に天使が描かれていたことが判明、修復が完了。




天王寺公園内、前に来たのは子どもたちが小学生の頃。あのときも「フェルメール」を見た。当時公園内あちこちで朝から一杯呑んでカラオケ歌っていた。今はきれいなふつうの公園。

8.25 なかじま教授から6月の呑み会の写真届く。楽しかったのにすっかり忘れている。思い出した。ありがとうございます。また集まりましょ。

8.27 「寅さんの日」だそう。1969年8月27日に『男はつらいよ』第一作が公開された。同シリーズはテレビで繰り返し放送されている。なんども見ている作品があるのに、見ていないのもいくつか。


 高野慎三 『貸本屋とマンガの棚』 ちくま文庫 900円+税



 高野は1940年東京生まれ、「日本読書新聞」、青林堂「月刊漫画ガロ」を経て、1972年北冬書房設立。1999石子順造らと貸本マンガ史研究会創立。本書は、貸本マンガ以前、誕生から衰退まで、戦後間もない時代のマンガ文化・貸本文化を紹介。「まんだらけZENBU」(20002013年)に掲載。単行本『貸本マンガと戦後の風景』(論創社、2016年)を改題、文庫化。

 本屋で売る新刊本とは別に貸本マンガが出版されていた。手塚治虫の本は貸本マンガではないが、貸本屋にもあったそうだ。白土三平や水木しげるは紙芝居から貸本マンガに転身。さいとう・たかを、つげ義春も描いていた。

貸本が映画と並んで青少年の娯楽だった。貸本屋最盛期は1950年代、全国で推定2万数千件あった。貸本に描かれたのは貧しさや家族との別れ、戦争の悲劇、平和の願いなど。まだ身近に空襲の跡があり、記憶も鮮やかにあった。読者のすぐそばにある真実だ。残酷で強烈な表現・主張もあったが、働く若者たちの夢や希望を描き、マンガ本来の笑いもあった。

〈貸本マンガを語るとき、注意しなければならないのは、その背景として横たわっていた社会の構造にも目を向ける必要があるということだ。それは、貸本マンガという存在が、社会=生活と密着していたからにほかならない。〉

 貸本マンガ登場が1953年、消滅が678年頃。朝鮮戦争、安保、ベトナム戦争と重なり、高度経済成長が始まると衰退した。多くのマンガが生まれて、消えた。貸本屋もなくなった。

 著者蒐集の貸本マンガ図版あり。私たちが知る著名漫画家の作風、描法の変遷を見ることができる。

(平野)うちの近所にも貸本屋があった。小学校低学年の頃に通ったけれど、子ども向けの本は少ない。水木マンガは表紙だけで恐ろしかった。借りるのは山根赤鬼や前谷惟光などお笑い系。「少年マガジン」「少年サンデー」を読むようになって、貸本屋には行かなくなった。

2022年8月24日水曜日

鶴見俊輔、詩を語る

8.22 孫動画。(1)姉が新しい歌披露、横で妹は手拍子して踊る。(2)妹、ウォーキングと食事(うどん手づかみ)。繰り返し見る。楽しい、うれしい、ぢぢバカチャンリン。

8.23 24日夏休み取得で連休のつもりが、午前中明石西部臨時出勤。駅前に本屋さん、今は教科書販売だけのよう。

 25日も出勤決定。いつもより働くことに。

 午後買い物。移動する販売員さんとバッタリ遭って、「BIG ISSUE437号、ポストカード付き。



 『鶴見俊輔、詩を語る』 聞き手 谷川俊太郎 正津勉 作品社 2200円+税



 鶴見俊輔(19222015年)生誕100年の記念出版。

 20033月、鶴見と詩人2人の鼎談。「季刊 詩の雑誌 midnight pres2021号(2003年夏/秋)掲載。そのときの表題は「歌学の力」。日本の詩歌・文化の伝統に込めた思いを語る。

 谷川は1976年に鶴見と初対面。「俊の一字の/縁に結ばれて」と詩に書く。正津は鶴見同志社大学教授時代(196170年)の教え子。

鼎談は03年鶴見の詩集『もうろくの春』出版まもなくのこと。本人は詩集のつもりではなく、古今東西の本、詩歌の一節、それらに触発された新しい着想など、覚え書きのメモ。

 

谷川 「もうろく」という言葉を使おうと思ってやったんですか。詩集を出すんなら、という意味?

鶴見 それが「もうろく」というのは私は小さいときからリハーサルしているわけなんだよ。いま初めて「もうろく」に入ったわけじゃないんだ。(中略)つまり、うちに帰れなくなったり、全然見たこともない世界が見えたり、学校に行けなくなっちゃったり。(中略)だから十二から十五までだいたい三年間うつ病だったと思うんだ。(後略)

……

谷川 やっぱりフッと出てくるんですか、なんにも考えないで。

鶴見 そう。これから仕事しようとかそういうのじゃなくて、フウッと出てくるものが詩になっているわけ。洗練じゃないな。だから、何度も何度もこう回していってよくしていくという、その詩技というのはないんだ。

 

 その他話の内容は、

〈鶴見俊輔。当方、じつは最後の同志社大学鶴見ゼミ生だった。先生、ずっとひそかに詩を書いてこられた! そうしてきょう世に問われようとは!/いったいそもそもその哲学と詩の関係はいかがなぐあいか? いやもっとより広く思想と文学の関わりについて?/母愛子と、渡米体験は……。俊輔坊の、心的疾患は……。うんぬん、そのあたりの心のありようを伺いたいものだ、などなど。(後略)〉(正津勉 後書)

(平野)

2022年8月21日日曜日

レミは生きている

 8.21 早朝、雨をものともせず家人は息子に会いに行く。ヂヂ留守番。

「朝日歌壇」より。

16の倍数になるページ数自分の本棚確かめにいく (奈良市)山添葵〉

 平野威馬雄 『新版 レミは生きている』 ちくま文庫 

800円+税



 1959年東都書房、77年講談社、79年講談社文庫、93年ちくま文庫。

平野威馬雄(190086年)、フランス文学者、詩人。父はフランス系アメリカ人、日米民間交流団体の初代会長を勤め、日系移民擁護に尽力した。母は日本人。威馬雄は母と日本で暮らし、父との生活は小1の終わり頃と中学5年の時、計3年ほど。母子は裕福な暮らしだが、母は「らしゃめん」、威馬雄は父の容姿を受け継ぎ「混血児」「あいのこ」、と差別を受けた。少年時代を振り返り、日本人としての自覚、差別に屈しない行動、フランス語独学、家族愛を語る。「レミ」は父がつけた愛称、フランス児童文学「家なき子」の主人公から。

1953年、威馬雄は占領軍兵士と日本人女性との間に生まれた「混血児」を救う会を立ち上げた。後の「レミの会」。児童・親からの相談や行政との交渉はじめ、自宅で世話をし、戸籍にも受け入れた。

現在、かつての「混血児」「あいのこ」は「ハーフ」「ミックス」と呼ばれ、芸能界・スポーツ界で活躍する人も多い。日本社会で憧れ・尊敬を得ている。昔と比べれば家庭的にも恵まれた人が多いだろう。ではこの国で差別・排除はなくなったか、というと疑問。有名人含め、在日の人たち、外国人労働者、移民に対する差別・偏見・ヘイトは根強い、まだまだ消えない、新たに生まれている。

私は小学5年生か6年生のとき、学校の図書室で威馬雄原作の絵本「レミ」シリーズを読んだ。同姓の著者に引かれたのだと思う。港町を舞台にした混血児たちの話。主人公レミは女の子。レミが生米を食べて嘔吐する場面を覚えている。でもね、神戸市立図書館・国会図書館の検索には出てこない。幻か?

(平野)

 20歳くらいの頃、テレビで威馬雄を見た。薬物中毒や非行体験を語っていた。フランス文学やオバケの研究もしているおじいさんだった。しばらくして、娘さんが平野レミというシャンソン歌手だと知った。テレビで見かけるようになって、賑やかなキャラで料理もしていた。絵本の「レミ」はこの人のことか、と思ったが、イメージが合わない。彼女が和田誠の妻と知って驚いた。

 中央図書館に威馬雄「レミ」本が2冊。『レミは生きている』(講談社、1977年)、『レミよ おもてに出ておいで』(第二書房、1962年、『レミは生きている』初版後の読者・児童からの手紙や電話、ラジオ番組での取材など)。

小学校の一学年上に黒人と白人の女子がいた。二人共神戸弁で、近所の子たちと遊んでいた。運動能力が飛び抜けていた。学年が違い、女の子の遊びには入れないから、名前を知らなかった。中学の運動部で活躍しているだろうと思っていたけれど、いなかった。

 

2022年8月18日木曜日

無垢の歌

 8.17 このところ神戸は雨予報があってもほとんど降らずだったが、昨日から大粒のが降ったりやんだり。しばらく続く模様。

 孫電話。姉は昼間はしゃぎすぎて眠たい。妹は睡眠十分、叫ぶ、動き回る。おやすみ~。

 

 野崎歓 『無垢の歌 大江健三郎と子供たちの物語』 

生きのびるブックス 2000円+税



 野崎はフランス文学者、放送大学教授、東京大学名誉教授。フランス文学他、映画、日本文学評論の著書もあり。本書は子供に注目する大江文学論であり、大江作品の面白さを伝える入門書。

 大江作品の子供といえば、長男光をモデルにする「イーヨー」。障害をもって誕生した長男の成長は大きな柱。

 大江はデビュー当時から「子供っぽい人間、子供っぽい作品」と批評されたそうだ。自ら作品の中で「老人になったならば、子供っぽい老人という評判につつまれて生きることになるのじゃないか」と予測した。(「子供っぽい」傍点)

〈子供っぽさを「チャイルディッシュ」ととれば幼稚な、未成熟で大人げない、という非難になる。しかし「チャイルドライク」ととれば、無邪気で純朴、素直で可憐という肯定的評価になるはずだ。若くしてのデビューから、老齢に至るまで、一貫して「チャイルドライク」であり続け、子供の無垢への追憶と志向を保ち続けたところに、大江文学の素晴らしさを見出したいのである。〉

 書名は連作短篇集『新しい人よ眼ざめよ』所収「無垢の歌、経験の歌」から。父が長期取材から帰国後、イーヨーとの間に「危機的な転換期」が訪れる。大江の愛読書であり、しばしば引用するウイリアム・ブレイク詩集『無垢と経験の歌』がモチーフ。神話的な詩の世界に大江は長男との共生を求めた。かつて誤読して赤ん坊殺しと読み取ったことも告白する。

子供の成長は、純真・無垢、ばかりではない。性や反抗心が芽生える。生活・行動は家庭の外に広がり、差別・排除にも遭遇する。

……子供との「共生」とは、ただべったり一緒にいることではない。子供はつねに出発し、しばし姿を消す。だが幸いにもまた戻ってきてくれる。(中略)「共生」とは「再生」にほかならない。「よく帰ってきたね」の一言を発するそのたびごとに、親は再生し、家庭も息を吹き返す。〉

野崎は「イーヨー」を〈じつに「decent」(上品)な姿〉と表現する。作品中に紹介される「イーヨー」の優しくユーモラスな言葉づかいやエピソード(父、祖母、タクシー運転手との会話など)は事実だろう。

……イーヨーは多くの弱点を抱え、苦しみを味わい、ときには迫害さえ被る。だが彼は上品さとユーモアを失わず、しばしば鮮やかな表現力を発揮し、そしてつねに食いしんぼうである。子供が周囲にどれほど大きな力を及ぼすものであるかを、イーヨーの姿は浮き彫りにしている。〉

 大江のテーマは核兵器、戦争廃絶。そのために神話・伝承、SF、詩、世界文学、音楽・芸術を駆使する。自からの旧作品を読み直し、批判する(野崎はそれこそが「経験の歌」という)。

 大江の根底にあるのは「祈り」。子供たちが、赤ちゃんが、そのまた子供たちが生きていける環境を残すこと。

……我が子であろうがなかろうが、あらゆる子供のために大人は祈らなければならない。その祈りを未来に届かせるために、現在を生きる責任を大人は負っている。〉

(平野)

2022年8月16日火曜日

あきない世傳 金と銀 完結

8.13 この夏休みは孫たちに会えないので宅配便の荷物準備。姉には絵本、妹にはミフィーの人形など。絵本のついでに自分の文庫も購入。

 


8.15 お盆、電車休日ダイヤで勝手が違い、2度乗り換え、戸惑う。マンションでは帰省ご家族の姿がちらほら。会社貸与携帯電話に迷惑メール「国税庁」着信、会社に報告。

 

 髙田郁 『あきない世傳 金と銀 十三 大海篇』 ハルキ文庫 680円+税



 いよいよ完結。吉原衣裳競べ、五鈴屋の屋敷商い新店と菊栄の笄売り出し、歌舞伎役者・二代目吉之丞のための「染め色」完成、さらに新しい製品構想と順風満帆、いよいよ商いの大海へ出航……、多くの読者が予想していると思う。

ところがどっこい、サディスト郁は大詰めでも五鈴屋面々を奈落に落とす。憎たらしい陰謀? 良きアドバイザーと思っていた人の裏切り? そのうえ大火事が江戸の町を襲う。

そうは言っても、最終巻。大団円を期待しているから、早く読み進みたい。ページをめくる指がせわしない、先走る。

主人公・幸は9歳で五鈴屋に奉公し、商売の才能を見出された。「買うての幸い、売っての幸せ」の教えを守って、店を盛り立ててきた。30数年、多くの人と出会い、大切な人を失っても新たな縁をつないできた。仲間と共に度重なる困難を克服してきた。同業者や生産者、職人、町内他業種との共存共栄を目指す。何よりもお客のため。商いに終着地はない。騒動が治まり、支援者に思うところを問われて、

「航海には嵐が付き物、この先、幾たびも容赦なく嵐に襲われることでしょう。けれど、何度でも乗り越えてみせよう、と存じます。ひとりではありませんし、一軒でもありませんから」

    第一巻刊行から6年半、著者髙田さん、絵の卯月さんお疲れ様。

読者諸氏もご苦労さん。著者は特別巻を2冊予告しているので、待ちましょう。まだまだ「お楽しみはこれからだ」です。

本巻、付録に「五鈴屋出世双六」あり。絵は神戸兵庫の画家・イシサカゴロウ。

個人的には本書登場の「田原町買い物双六」もほしい。



(平野)

2022年8月13日土曜日

疎開日記

8.7「朝日歌壇」より。

〈本屋また一軒無くなり新刊のにほひ楽しむ居場所うしなふ (鎌倉市)石川洋一〉

「朝日俳壇」より。

〈書を曝(さら)し我が青春を晒(さら)しけり (北本市)萩原行博〉

8.9 墓参り。お彼岸以来なので草茫々。先祖不孝は毎度のこと。巡回バスを待っていると、ご婦人グループの会話が耳に入る。キンキキッズのコンサートがなんのかんの、どう見ても皆さん80歳は超えておられる。

 帰宅して買い物。本2冊。


 

 新聞訃報、オリビア・ニュートンジョン、青木新門、中井久夫。ご冥福を。

8.10 訃報続く。三宅一生。

 孫電話。妹はボキャブラリー増えている。とはいえ、食べ物の頭文字のみ。バナナの「バー」、チチボウロの「ボー」など。姉は図書館で借りた絵本を見せてくれる。

8.11 訃報、レイモンド・ブリッグズ。

8.12 家人はお盆休み、ヂヂだけ仕事。電車空いている。掃除、草刈り、暑さは前日までより少し収まる。

 

 谷崎潤一郎 『疎開日記 谷崎潤一郎終戦日記』 中公文庫 1000円+税



 戦中・戦後の日記他、永井荷風・吉井勇との往復書簡、戦後第一作「A夫人の手紙」、和歌、古典芸能随筆など収録。

1923(大正12)年の関東大震災被災以来、谷崎は阪神間のあちこちで暮らした。長く住んだのが兵庫県武庫郡住吉村、魚崎町(共に現在神戸市東灘区)。

米軍機本土空襲が迫る。44(昭和19)年4月熱海の別荘に避難。

〈あり経なばまたもかへらん津の国の 住吉川の松の木かげに〉

〈ふるさとの花に心を残しつゝ たつや霞の莵原(うばら)住吉〉 

摂津国莵原郡は神戸東部・芦屋の古名。谷崎にとって阪神間での生活は「ふるさと」になっていた。

空襲激化、45(昭和20)年5月岡山県津山・勝山に疎開する。家族を守る、を第一に考えている。

谷崎一家の疎開は、食うや食わず・命からがら、というのとは違う。家計のやり繰りに苦労はしているが、食べ物もお金もまだ余裕がある。谷崎にとって不自由なのは精神的芸術的生活。軍部によって『細雪』が掲載禁止になり発表できないが、執筆を続けていた。

813日、谷崎は岡山疎開中の荷風を勝山に招く。荷風は世捨て人のように暮らしていたが、親しい音楽家と共に疎開。彼も発表のあてのない作品を執筆。この時谷崎に原稿数本を託した。15日午前、荷風岡山に戻る。正午、天皇玉音放送。谷崎は米英から無条件降伏提議ありのみを聞き取った。

谷崎は独り荷風の原稿を読む。家族、町の人たちが次第に放送の内容を理解していく。戦争が終わった。

裕福な上方商人社会を描く谷崎、市井の庶民の生活を題材にする荷風。軍国主義に迎合せず、各々の文学世界を守り通した。

(平野)

2022年8月7日日曜日

鷗外追想

8.2 少々バテ気味ながら、本屋さんをうろつくとシャッキリする。文庫本2冊購入。単行本1冊発注。

 


8.3 夏休み。元町駅前で「BIG ISSUE436号、特集〈平和つくる絵本〉。表紙の絵は、浜田桂子『へいわってどんなこと?』(童心社)より。

 


8.4 「みなと元町タウンニュース」360号着。創刊30年。Web版も更新。

https://www.kobe-motomachi.or.jp/motomachi-magazine/2022/08/03/townnews360.pdf

 

8.6 朝、雨の音で目が覚める。新聞を取りに出る。路地の向こうが白く霞んでいる。

「朝日新聞」別刷り「be on Saturday」に夏葉社代表登場。


 

 『鷗外追想』 宗像和重編 岩波文庫 1000円+税



 森鷗外(18621922年)没後100年。55人の回想。

……鷗外と同じ時代を生き、その風貌と謦咳に接した人々の語る言葉ほど、生き生きと鷗外をよみがえらせてくれるものはない。〉

 文学者、新聞記者、医者、家族……、訃報直後、記念の出版、全集の月報など、それぞれ執筆時期は異なる。納棺前にお顔を整えた近所の理髪師も。

 カバーの絵は、平福百穂「森鷗外父子肖像」。女の子は長女茉莉、お絵かき中か? 茉莉の思い出。6歳くらい、母と陸軍省を訪ねた時のこと。

〈私は暗い、狭い階段を上っていた。私はうれしさで一杯だった。私の眼の前の暗い中に父の長靴の拍車が光り、鳴っていた。(中略)私は父のそばに座って読んでいる本を覗いて見ていた。所々虫の匍ったあとのように字の抜けている黒い横文字の行列は異様な模様のように見えた。頁の端を父の親指がそっと押えている。父の手は黄色を帯びた乳白色だった。切りこみ過ぎないまっ白な爪をつけた薄黄色い父の親指を私は忘れる事が出来ない。〉

(平野)

2022年8月2日火曜日

定本 本屋図鑑

7.28 臨時出勤、明石西部。住宅街の中に田畑がぽつぽつあり、鳴く。駐車場の一角にお地蔵さん鎮座。

箒やモップがいつものマンションで使っているものと形状が違うので、指・手のひらになじまない。痛い。弘法大師は筆を選ばないけれど、ヂヂは箒を選ぶ。

7.29 猛暑。ちょっと堪える。帰宅、ご飯、寝る。GF京都ミホさんに「ヂヂは夏の子」と暑中見舞い出したばかりなのに。

7.31 「朝日俳壇」より。

〈父の日や本は絶対捨てません (さいたま市)丸橋酉重〉

 岐阜古本女子から暑中見舞い涼菓拝領。ありがとう。

8.1 電車内でPR誌「波」。ちょうど浮世絵春画随筆ページ。図版多く、人様の前で読むのは憚られる。飛ばして、あとのお楽しみに。


 『定本 本屋図鑑』 本屋図鑑編集部 編 得地直美 絵 夏葉社 2200円+税



 2013年初版に加筆、再構成。全76店舗紹介。

〈「本屋は友人であり、家族である」/そう言い切ってしまうのは少し大げさかもしれないけれど、本当に、そう思うときがある。/会いたい人に会えなくて、電話やメールをしても、誰もが用事を抱えていて、寂しさはつのるばかり。そんなとき、最寄りの本屋さんへと足をのばす。夜の町に、書店の光が、ぽつりと灯っている。〉

 町の本屋も大型書店も厳しい・苦しい商いが続いている。本屋だけでなくさまざまな業態が立ちいかなくなっている。本屋がなくなったら、寂しい、困る。

〈この本をつくったのは、ひとえに、いろんな本屋が好きだから。いまも営業しているお店も、全部好き。閉店しまったお店は、もう二度とその棚を見ることができないから、昔よりもっと好き。〉

 私が勤めていた海文堂書店は本書初版掲載店の中で一番に消えた。なのに抹消せず掲載してくださっている。感謝申し上げます。

(平野)