2022年10月27日木曜日

川崎美術館

10.23 家の修繕終わり、本を元に戻さなければいけないが……

「朝日歌壇」より。

〈うとうととして顔に置く古本の神保町の匂い脳に染み入る (安中市)鬼形輝雄〉

「朝日俳壇」より。

〈長き夜や覚めて読み継ぐ一書あり (前橋市)荻原葉月〉

〈傍線に妻の青春秋ともし (宮若市)光富渡〉

〈長き夜や私やっぱり紙が好き (小平市)原田昭子〉

 

10.25 「よみがえる川崎美術館――川崎正蔵が守り伝えた美への招待――」神戸市立博物館1890(明治23)年、川崎正蔵(18371912年)が設立した日本初の私立美術館。正蔵は川崎造船所(現在川崎重工業)、神戸新聞社、川崎銀行など川崎財閥創始者。美術館は布引の豪邸敷地内(JR新神戸駅あたり)。日本・東洋美術品を海外流出から守るため蒐集した。狩野派、円山応挙、中国絵画など。年に数日、招待客のみの限定公開だった。

昭和初めの金融恐慌により造船所は経営危機に陥る。松方幸次郎社長は私財を差し出し、川崎家もコレクションを売り立てた。海外に渡ったものもあるが、正蔵の蒐集と公開の精神は美術館・所蔵者に受け継がれている。

川崎邸は阪神大水害、空襲で被害を受け、全貌は明らかではない。展覧会ではその様子も一部再現。

展覧会は124日まで。https://www.kobecitymuseum.jp/

 


10.27「イシサカゴロウ 2021ふりかえり YEARBOOK2021展」花森書林

 ゴロウはほぼ毎日作品をSNSにあげている。その記録を本にする予定、注文受注制。描いてほしい写真を送り、その絵を手製本に掲載。花森書林で受付中。8500円だったか? 

 週末孫に会いに行く。ついでに神保町のブックフェスティバルと古本まつり、NR出版会訪問。どれがついでか?

(平野)

2022年10月23日日曜日

文にあたる

 10.20 訃報、ドリフターズ・仲本工事。

BIG ISSUE441号。巻頭リレーインタビューは作家・マンガ家の小林エリカ。

「『アンネの日記』と出合い、作家を目指す」

見えないもの見えないまま表現したい」



 孫動画。妹がお気に入りの絵本を姉のところに持っていく。姉が読んであげる。盛り上がるところで姉が叫ぶと、妹も合唱する。なかよしうれしい、ヂヂバカチャンリン。

10.22 村田耕平氏の墓参り。ご家族に案内を願い、みずのわ一徳社主と。ようやく手を合わせることができた。故人の思い出と恩は語り尽くせない。

 

 葉室麟 『星と龍』 朝日文庫 800円+税



 確か読んだ、と思いながら。やっぱり単行本で読んでいた。けど、再読。著者は2017年逝去。本書は「週刊朝日」連載途中で絶筆。2005年デビューして、12年で著書60数冊上梓。

 主人公は楠木正成。後醍醐天皇親政後、護良親王殺害まで。

 

 牟田都子 『文にあたる』 亜紀書房 1600円+税



 フリーの校正者「むた・さとこ」。

〈本を読むことを仕事にしています。/といっても、いわゆる「読書」とは少し違います。本が出版される前にゲラ(校正刷り)と呼ばれる試し刷りを読み、「内容の誤りを正し、不足な点を補ったりする」(『大辞林』)のがわたしの仕事です。(後略)〉

 誤字・脱字、衍字(えんじ)など「誤植」を見つける。見つけることを「拾う」、見逃すことを「落とす」という。

固有名詞や数字、事実関係などの正誤を確かめる「事実確認」。

校正の対象は活字本だけではない。雑誌、漫画、テレビのテロップ、映画字幕、新聞、ネットニュース、ウェブサイト、カタログ、チラシ、商品パッケージ……

「誤植」は簡単に見つかるだろうと想像するが、複数の人が繰り返し校正しても見逃しは残る。ことばの「誤用」は著者が意図した文章表現かもしれないから、何冊も辞書にあたり例をあげてお伺いのメモを付ける。

「事実確認」となると途方もない。広告の数字や単位を間違えたら「正誤表」で直すわけにはいかない。料理のレシピ、数式や化学式、動植物の特徴、漫画の人物の姿(服や小物の柄、髪型の向きが前後で違っていないか)、小説の細部(その時代・その場所に全国チェーンの店舗があったか、登場人物や家の間取りに矛盾はないか)、引用文は正しいか……、図書館で資料を探し、ネット検索し、調べ上げる。

〈校正は自信の持ちにくい仕事です。減点方式だからとは先輩の言ですが、百点満点で採点するとしたら合格ラインは百点以上。つまり最低でも百点(原文傍点)ということです。(後略)〉

 間違いがなくて当り前、読者がたまたま見つければ「まちごうてる!」と怒る、呆れる。

〈ある作家は誤植を部屋のちりにたとえ、「掃除をして、床にちりひとつ落ちていない状態にしたとたん、それまで気付かなかったもっと細かい塵が目に入り、全体が汚れているときには保護色のように周囲に溶け込んでいた異物が、笑みを浮べて自己主張をはじめる」といいました。校正を「掃葉」とも呼ぶのは、掃けども掃けども散りしきる落ち葉に誤植をなぞらえたのだと考えれば腑に落ちます。(後略)〉

初心者でもベテランでも落とす。必死にやって落とすこともあれば、気楽にやって拾うこともある。初歩的なミス、自分で気づかないミスもある。ゲラと校正直しを比較対照して公開され、評価されることはない。

〈あらためて校正について書かれた本を探してみると、本づくりや編集について書かれた本の中で校正にふれられていることに気がつきました。かつて目を通した本がいま読むと別の本のように生き生きとした言葉となってたちあらわれてくることも驚きでした。読めば読むほど読みたい本が増えていく。校正だけにとどまらない、本を作るということの奥深さは、広大な森に分け入っていくようだと感じられました。自分はまだその入口に立っているにすぎない。読んでも読んでもこれで十分と思えることはなく、読むほどに無知を恥じました。〉

 失敗の数々、先輩の仕事ぶり、作家の悪筆、辞書の話など数々のエピソードを語る。

(平野)校正というと赤鉛筆と黒縁の分厚い眼鏡、黒い腕カバーのイメージ。地道で、なくてはならない仕事。

2022年10月18日火曜日

木下杢太郎 ユマニテの系譜

10.16 図書館で「西村旅館」関連新聞記事閲覧。「西村」宿泊の二葉亭四迷夫人、トルストイの息子のことなど。

 午後、年初に急逝された出版人弔問。業界の人たちと共にお参りした。彼らは私よりずっと濃い交際をされていた。故人の筆まめ、几帳面な人柄のことは承知していたが、関西出版界の資料をきちんとまとめておられた。

10.18 家の修繕工事開始。1階の物置同然の部屋(ほとんど私の本)の壁と天井直し。本を2階に移動。寝る場所なんとかできた。

 


 杉山二郎 『木下杢太郎 ユマニテの系譜』 中公文庫 1995

 初版は1974年平凡社刊。杉山(19282011年)は美術史家、専門は仏教美術史、東西交渉史。奈良国立文化財研究所、東京国立博物館勤務の後、仏教大学などで教壇に立つ。

 木下杢太郎、本名・太田正雄(18851945年)。生家は静岡県(現在の伊東市)の裕福な米屋。進歩的で教養ある家庭に育ち、芸術・文学を志すが、家族の同意を得られず医学者の道を歩む。医学研究(皮膚科学)の余暇に小説や戯曲執筆、美術史(天平から朝鮮・中国、インド、アラビア、ギリシア・ローマ)研究、キリシタン研究など大きな業績を残した。そのための語学習得も怠らなかった。

本書は、同じ医学者で文学者・森鷗外の系譜につながる近代知識人として杢太郎を取り上げる。「日本の近代史の激動は、その文化生活・精神生活に、いろいろな翳りを投げかけている」という問題意識。資料を探索し、「小説を書くとか、詩作する、また史学や民俗学を追究する、その人の態度なり生き方に照明をあてて、文学史や史学史のなかで位置づける操作から、さらに生活を支えてきた意欲や生活感情や美意識、創作活動の基底に厳として存在する精神、人間性(ユマニテ)まで掘り下げる」。



(平野)『百花譜』の文人医学者であり、若き日の『五足の靴』の詩人。もっと知られてよい人物。神戸旅行の随筆があるが、「西洋風」にあまり良い印象を語っていない。夫人は神戸の人なのに。

2022年10月15日土曜日

こどもに聞かせる一日一話

10.13 「みなと元町タウンニュース」更新しています。拙稿は「光村利藻」の日露戦争とその後。

https://www.kobe-motomachi.or.jp/motomachi-magazine/townnews/

BIG ISSUE440号。スペシャルインタビューはスティーヴン・キング、リレーインタビューは中村文則。

本屋さん、新刊3冊。

 


10.15 ゴロウさんから個展の案内届く。

 


 〈イシサカゴロウ 2021ふりかえり YEARBOOK2021展〉

花森書林

10.21(金)~11.3(木) 火曜水曜休み 13時~19時(最終日は17時まで)

https://hanamorishorin.com/2022/10/info/event/741/

 

 『こどもに聞かせる一日一話』 「母の友」特選童話集 

福音館書店 1500円+税



 福音館書店創立70周年記念出版。「母の友」連載、お母さんと子どもたちが一緒に楽しめる短篇童話。この20年くらいの作品から選んでいる。ぐりとぐら、だるまちゃん、ババばあちゃん、ぐるんぱ……、人気キャラクターたちの単行本になっていない話も収録。

 お父さんも読んであげてください。ヂヂババちゃんももちろん。

(平野)

2022年10月11日火曜日

追悼 安水稔和

10.8 6日「朝日新聞」夕刊に〈竹中郁と小磯良平――詩人と画家の回想録――〉の紹介があった。ふたりのパリ遊学中の動画フィルムが公開される。行かねば。108日から1218日、神戸市立小磯記念美術館。

 


10.8 桂米團治独演会、けんみんホール。女性ファン多数。

10.9 新聞訃報。音楽家・一柳慧、89歳。

「朝日歌壇」より。

〈吾の一首並ぶ頁に栞ひも置きて返却朝日歌壇二〇二一 (堺市)平井明美〉

「朝日俳壇」より。

〈秋灯や佳境に了(おわ)る未完本 (所沢市)荻野オサム〉

 一柳さんの父上・信二氏も音楽家。詩人でもあった。竹中郁らと同人誌「羅針」を発行。

10.11 毎日新聞のネットニュースで訃報。神戸の詩人さん・安水稔和(やすみず・としかず)が8月に亡くなっていた。90歳。

https://mainichi.jp/articles/20221010/k00/00m/040/143000c

神戸新聞NEXTも、

https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202210/0015710499.shtml

 業績や経歴は新聞記事をお読みください。

 個人的には、新聞で著書『神戸 わが街』(神戸新聞総合出版センター、2016年)の紹介をしたところ新刊書を贈ってくださった。感謝と共に、謹んでご冥福をお祈りいたします。

「ここがロドスだ わが街神戸」より。

〈神戸で生まれ、神戸で育ち、神戸に暮らし、神戸でこの生を終えるに違いない私には、まさに神戸がわがロドスであり、ここで私は踊ろうと思い、踊ってきた。/「ここがロドスだ」という思いの一方で、常々私は「ここでありそこであり」とも思い続けてきた。ここが私にとってかけがえのない取り替えようのない特別の土地であるのだが、あちこちへ出かけてみると。そこがここではないか、さらにはここがそこであると思えてくるのだ。ここだけのことだと思っていたこともじつはここだけのことではない、ここのことがそこのことでそこのことがここのことなのだと判ってくる。私が続けてきた旅、現実の旅も言葉の旅もそれを知る旅だったのだ。〉



(平野)

2022年10月8日土曜日

本の幽霊

10.4 今週は臨時出勤2日もあり、労働週間。今日は明石。上の階から東を望むとお城の櫓や天文科学館が見える。

 PR2冊で近藤ようこ連載開始。「波」は梨木香歩原作「家守綺譚」、「図書」は「ゆうやけ七色」。

 


10.6 今日の仕事場はいつもと同じ須磨区だけど市営地下鉄沿線、山の中。

 孫電話。姉は昨日の運動会かけっこで隣の子が転んで巻き込まれたそう。直後はご機嫌悪かったけど、ダンスの時は快復したらしい。切り替え早い。妹は姉のなわとび縄を引っ張って遊ぶ。姉に取り返されてフテ寝演技。同じ道具が必要。

10.7 新聞訃報。絵本作家・山脇百合子。『ぐりとぐら』『いやいやえん』。

仕事帰りの電車で本屋店主・モリさんと取次営業・河さんと一緒になる。須磨寺絵本イベント準備の帰途。おふたりには三宮ブックス村田社長死去後の引き継ぎ・事務処理でお世話になった。1年半振り。ちょうど今日箱根で村田さんはじめ出版功労者(物故者)顕彰式典、と河さんが教えてくれた。おふたりに会えたのも故人のお引き合わせ。

 西崎憲 『本の幽霊』 ナナロク社 1500円+税



 ファンタジー7篇、うち本をテーマにした話が6篇。

表題作はロンドンの古書店から通信販売で入手した本の話。確かに届いた、手にとった。「夏のあいだはその窓を開けてはならない」というような文も目に入った。書棚に収めた。古書マニアの友人がそんな本はカタログになかったと言う。改めてカタログを確かめると、ない。書棚にもない。古書店の送り状にも記載されていない。夢か? 謎のまま何年も経つ。仕事独立し、結婚して、引っ越す。妻はまだ実家暮らし。

〈むかしから暗い家が好きだった。そのときの部屋の暗さがなかなか好もしかったのだ。/カーテンはまだなく、月の光が机の天板の端を舐めていた。/机の上に本があった。/本を置いたおぼえはなかった。仕事の資料を置いたのだろうか。/近づいて手にとってみた。/判型はたぶんセクスト・デチモ、褪せた水色のクロス装、サンセリフのタイトル。/開く。//夏のあいだはその窓を開けてはならない (後略)〉

 その先を読もうとしたそのとき、電話が鳴る。妻から、今日は夏至だ、と言う。電話を切ると、机の上に本はなかった。予感はしていた。

 最後に書名を明かす。実在する本。

 他に、「あかるい冬の窓」「ふゆのほん」「砂嘴の上の図書館」「縦むすびのほどきかた」「三田さん」。

(平野)本書に出てくる判型、字体の名称、知らなかった。年だけ重ねて教養・知識が追いつかない。読み始めた本でも読めない漢字や知らないことばでページが進まない。「姑らく問ふを須ゐない」「巾幗逸才者」「煢然孤独」「匹田」「倏ちに顔を赤める」……、これに英独仏語も混じる。

2022年10月2日日曜日

大塩平八郎の乱

9.27 新聞訃報、元西鉄ライオンズの投手、池永正明。高校野球、甲子園での活躍は印象強い。下関商業ユニホーム胸の「S」マークがシンプルでかっこよかった。確かスライディングで左肩を負傷して、三角巾で腕をつって投球した。パ・リーグはテレビ放送なかったからオールスター戦でしか見ていない。1970年八百長疑惑事件で球界を追われた。2005年に解除されたが、気の毒だった。

9.28 また新聞訃報、ノンフィクション作家・佐野眞一。海文堂に何度も来てくださった。週刊誌連載での差別表現事件が悔やまれる。

 元首相国葬。テレビ長時間報道。慰霊は死者のため、生きている者のため。政治的利用は死者にも生者にも不幸なこと。

9.30 海文堂書店閉店から9年。ご近所のお店もずいぶん顔ぶれが変わった。

 良い天気。労働も気分良くはかどる?

 孫写真、姉妹並んで仁王立ち。正義の味方!

10.1 訃報、六代目三遊亭円楽。落語家さんの72歳は若い。

 図書館で「西村旅館」資料探し。大正13年「神戸新聞」に元従業員「港の街の名物男『峰さん』」の思い出話発見。

 夕刻テレビでアントニオ猪木死去ニュース。「猪木ボンバイエ」が鳴り響く。

10.2 新聞訃報、武村正義死去。

「朝日歌壇」より。

〈編むという動詞の主語になれた日の九月の風は光をまとう (奈良市)山添聖子〉

〈ウクライナの翻訳家いふロシア兵に読ませたい本「ビルマの竪琴」 (船橋市)大内はる代〉

〈「若菜集」に初めて会いし青春の杜の都の高山書店 (仙台市)沼沢修〉

 今日は2階の本棚移動。家人の指示に従うのみ。子どもたちの不要品もゴミに捨てる。

「西村旅館」横道その2、創業者・西村絹の本家筋「西村履三郎」のこと。1837(天保8)年「大塩平八郎の乱」に加わる。当時絹は12歳。


 

 森鷗外 『大塩平八郎 他三篇』 岩波文庫 740円+税

「大塩平八郎」乱当日と後の関係者処罰のこと。初出は「中央公論」1914(大正3)年1月号。

 本書では「西村履三郎」は「西村利三郎」と表記。注解(藤田覚)に「田畑百七十石所持の河内きっての豪農」とある。10歳頃に大塩の洗心洞に入塾。「乱」後、逃走。伊勢、仙台を経て江戸に潜入するが病死。

 翌年の裁決は大塩ら10名磔刑、11名獄門、3名死罪、他追放。大塩はじめ捕縛前・執行前に自死した者、牢死した者(当時は牢屋でほとんど死ぬ)の死体(塩漬け保存)も磔柱、獄門台に晒された。

 利三郎は既に埋葬され死体は腐乱していたため、墓が壊された。処罰は家族に及び、家財没収、家名断絶、長男と次男は遠島、逃亡を助けた義兄と僧も追放の刑。

(平野)