2023年3月30日木曜日

江戸の思い出

3.28 先週姉孫は家を離れて二泊三日。元気で明るい(にぎやか)彼女だけれど、不安な日日だったろう。彼女なりに覚悟して決断した。ヂヂババは彼女に「がんばってとか、かしこいとか、いわないで」と釘をさされた。紋切り型の励まし、べんちゃらは通じない。無事帰宅、パパママにたくさん甘えてちょうだい。妹も姉がいなくておとなしくしていた様子。ヂヂババ早速宅配便、雑貨や食べ物送る。ちゃんりんちゃんりん。

3.29 訃報、思潮社・小田久郎、俳優・奈良岡朋子、深夜叢書社・齋藤愼爾。ご冥福を。

 名古屋の老舗・正文館書店本店が6月で閉店。

3.30 買い物ついでに南京町を久々に歩く。観光客や家族連れでいっぱい。料理屋は行列、立ち食いの人たちがたむろして、以前の姿に戻っている。私の目的は「赤松酒店」に明日本会お願い。飲み助たちよ、もうすぐ案内するからね。うみねこ堂に寄ったら、もう福岡さんから連絡あったで~、って情報が早い。フライング。

 

 岡本綺堂 『綺堂随筆 江戸の思い出』 河出文庫 900円+税



 同文庫2002年初版の新装版。

 明治5年生まれの綺堂にとって、江戸の風景、情緒、歌舞伎の世界は「遠い昔の夢の夢」「引かれ寄ろうとするにはあまりに縁が遠い」ものだった。「何かの架け橋がなければ渡ってゆかれない」けれども、「架け橋」は朽ちながらもかろうじて残っていた。文明開化、西欧の文化が満ち溢れていても、大人たちは江戸の生まれであり、彼らに教えてもらえた。

……遠い江戸歌舞伎の夢を追うには聊(いささ)か便りのよい架け橋を渡って来たとも云い得られる。しかしその遠いむかしの夢の夢の世界は、単に自分のあこがれを満足させるにとどまって、他人にむかっては語るにも語られない夢幻の境地である。わたしはそれを語るべき詞(ことば)をしらない。〉

 綺堂は「たしかに踏み渡って来た世界の姿」=「架け橋」なら語ることができる。劇場、芝居茶屋、河岸、屋台店、遊郭……、それらも関東大震災によって消滅してしまった。

……その当時の少年は依然として昔の夢をくり返して、ひとり楽み、ひとり悲しんでいる。かれはおそらくその一生を終るまで、その夢から醒める時は無いのであろう。〉

 江戸の面影、震災以前の東京風景、震災記録、怪談・奇譚の原典を語る随筆集。芝居脚本の話はあるけど、半七の話はない。

(平野)

2023年3月26日日曜日

山本周五郎の記憶

3.23 雨の中、ギャラリー島田DM発送手伝い。雨上がり本屋さん、目的の本4冊。

3.24 戦争している国に必勝しゃもじ持参、外交大丈夫か? 

 訃報、団時朗。化粧品のコマーシャル男前で長身でかっこよすぎた。しばらくして草刈正雄が加わった。ご冥福を。

 積ん読本。『海音寺潮五郎』(ちくま日本文学全集、1993年)。歴史小説短篇と「悪人列伝」から道鏡、将門、義満。平安末期が舞台の小説では、犬が「ビョウビョウ」と吠える。

 


3.26 「朝日俳壇」より。

〈ストーブを囲みて文語聖書読む (千葉市)佐藤豊子〉

「朝日歌壇」より。

〈「新平家」取り合い読みし兄姉逝きて「週刊朝日」休刊となる (藤沢市)藤田勢津子〉

〈なつかしや男おいどんさるまたけ三畳一間で悶悶とあの頃 (堺武男)〉

 他にも「週刊朝日」「松本零士」詠む歌あり。

 

 『山本周五郎の記憶 横浜の光と影を愛した文豪』 

山本周五郎記念事業団制作 歴史探訪社 2400円+税



 20223月、横浜市中区本牧に山本周五郎記念碑(「山本周五郎 本牧道しるべ」完成。周五郎(本名清水三十六、さとむ)は山梨県出身、山津波で被災し、一家上京。小学生時代を横浜で過す。横浜本牧に住まいしたのは1946年春のこと。隣の西谷家の離れを2年半ほど仕事場に借りた。今もその建物が残っている。西谷小助(ペンネーム秋朱之介)は装丁家・詩人、周五郎一人雑誌「椿」を発行。本書で娘さんが周五郎の思い出を執筆する。「本牧周五郎会」メンバー。

(平野)関東大震災後、周五郎は神戸須磨にいる幼なじみを頼り、下宿。元町の雑誌社に勤めたが、神戸滞在はわずか5ヵ月だった。1926年友の姉をモデルにした「須磨寺附近」で作家デビュー。

2023年3月23日木曜日

わかれ縁(えにし)

3.21 高槻墓参。家人従姉妹一家と合流。家を出る時はBCメキシコ戦リードされていた。逆転サヨナラ勝ちに驚く。選手たちの力は素晴らしいが、ずっと応援していたファンも偉い。ヂヂは絶対見ていられない。

 新刊本ストックなくなり、積ん読本。『岡本綺堂』(ちくま日本文学全集、1993年)、「半七捕物帖」、幕末世間話「三浦老人昔話」、怪談「青蛙堂鬼談」、戯曲2。解説・杉浦日向子。

3.22 仕事中、WBC決勝戦結果をマンション郵便受けの夕刊見出しで知る。経過を誰かに訊いたり、ネットニュース見ると負ける気がして。選手、関係者、野球ファンの皆さん、おめでとう。

 積ん読本。『大佛次郎』(ちくま日本文学全集、1992年)。鞍馬天狗「宗十郎頭巾」、明治初期没落士族の少年の社会意識「幻燈」他。鞍馬天狗=倉田典膳は敵にも味方にも素顔と名前を知られている。解説・鎌田慧。

 


 西條奈加 『わかれ縁(えにし) 狸穴屋お始末日記』 

文春文庫 660円+税



 主人公・絵乃。夫は男前だが、浮気に借金。女性を金蔓としか思っていないワル。別れようと思いながらズルズル。高額の借金に絵乃は苦界に沈められるかも。今度こそ愛想が尽きた。夫を殺して自分も、と思った時にぶつかった男が公事宿「狸穴屋」の手代。民事の訴え事を代行、なかでも離縁を得意にしている。絵乃には費用のあてはない。手代が女将を説得して、絵乃は見習いとして働くことに。

「縁組も離縁も、縁には変わりない。繋がる縁もあれば、わかれ縁(えにし)もあると――常々女将さんも、口にしなすっているじゃねえですか。(後略)

 手代はたまたま見かけた絵乃の様子を変に思い、わざとぶつかった。

 現代でも家族のささいなもめ事が厄介事になる。家族だからこそややこしい。江戸時代も同じ。嫁の実家の借金、嫁姑、親権、跡継ぎなど、ベテラン公事師とともに絵乃が解決に関わる。

その間、絵乃の身辺も慌ただしい。出奔した母と再会。夫が刺され、母が自首。絵乃は離縁して自立できるのか、母の真意は……

(平野)

2023年3月19日日曜日

本を売る日々

3.18 訃報。ロベルト・バルボン、黒田杏子。ご冥福を。

診療所行って、息子に宅配便出して、図書館。

 

 よそ様のイベント

 イシサカゴロウ展 316日~2620日休館)

 ポートピアギャラリー(ポートピアホテル内)


 

 青山文平 『本を売る日々』 文藝春秋 1700円+税



 本屋を主人公にした連作集。

江戸時代文政年間(1820年代)、地方の城下町で本屋「松月堂」を開く平助。月に一度近在の村々の名主を訪問、外商に回る。篤農家と言われる文人・教養人は大切な顧客。平助が商う本は「物の本」。

……物の本とは『根本』の本であり、『本来』の本であり、物事の本質を意味する。(中略)本と言えば、それは仏書であり、漢籍であり、歌学書であり、儒学書であり、国学書であり、医書であって、草双紙はむろん読本(よみほん)も本ではなかった。〉

「物の本」とは学問の本のこと。本は高価なものだった。草双紙も庶民が買える値段ではなく、読者は貸本屋で借りる。だから店に草双紙など流行本を並べても商売にならない。平助は顧客要望の「物の本」を探し、仕入れる。知識は幅広い。自ら開板=出版をする夢もある。

表題作は、名主・惣兵衛屋敷での出来事。若い娘(惣兵衛が落籍して後妻にすると他家で聞いた)に本を見せてやってと頼まれ、よそに届ける画譜を見せた。席を外して、戻ると、娘はおらず、見せた本のうち2冊なくなっていた。さあ、どうなる、どうする。平助は惣兵衛家の相続、夫婦愛の問題にも立ち入る。

(平野)時代小説でよく「物の本によると……」と出てくる。私は当時のベストセラーを想像していた。本書でも知らない書名が次々出てくる。作家の史資料渉猟は広く深い。

2023年3月16日木曜日

底惚れ

3.14 著名人の訃報続く。扇千景、伊藤雅俊、陳建一。ご冥福を。

 朝墓参り。墓石を拭いていて、石塔に頭をぶつけた。先祖のゲンコツか?

 呑み会、飲み会、のみ会……、ささやくような囀り、サイレンみたいな遠吠え、悲鳴のごとき嘶き、そろそろ復活の要望が聞こえてくる。酔いどれ皆の衆、もうしばし待て。

3.16 午前中図書館。西村貫一主宰へちまくらぶの雑誌「金曜」を少しずつ読んでいる。

BIG ISSUE451、表紙は「きかんしゃトーマス」。子どもたちと見ていた時代は人形アニメだった。今は2DCGだそう。



 いつもの本屋さん文芸書の棚、著者名50音順で並べている。「遠藤周作」「大江健三郎」に続いて、先ごろ亡くなった新興宗教教祖の小説。首をかしげる。

 

 青山文平 『底惚れ』 徳間書店 1600円+税



 202111月刊。柴田錬三郎賞、中央公論文芸賞受賞。

 小藩江戸屋敷、若いまま隠居させられた元殿様のお手がついた下女が宿下り、お払い箱。中間の「俺」が相模の村まで送っていく。藩から彼女に渡された金はわずか、しかも用人が中抜きしている。「俺」は藩のスキャンダルを不良の岡っ引きに売って彼女の金を増やしてやる算段。岡っ引きは藩を強請る。彼女は殿様との愛を大切に思い、「俺」を刺して逃げた。

 これ読んだで~、また同じ本を買ってしまったか~! でもね、前に読んだのは短篇集だったと記憶。本作は「その後」の話。

彼女は必死で殿様を守った。「俺」は彼女の一途さに感嘆し、「俺」に悪行をさせなかった恩人とも思う。「俺」は命をとりとめた。彼女が後悔し、罪の意識に苦しんでいる、と想像。お前は殺人者ではない、と何とか知らせたい。無差別殺人を決行して読売のネタになることも考えた。「俺」が選んだのは女郎屋の楼主。彼女が困窮して流れてくるかもしれない。「俺」を手助けしてくれるのは、苦界の謎めいた男ともうひとりの下女。

「底惚れ」しているのは逃げた彼女と殿様だが、「俺」にも「底惚れ」の相手がいた。

(平野)「俺」の女郎屋は報酬も衛生環境も働く女性に優しい。客である男性にも喜ばれ、繁盛。女性がやむを得ない事情で岡場処に身を落としても、一定期間で十分稼いで巣立てるように。

2023年3月14日火曜日

風天 渥美清のうた

3.12 「朝日俳壇」より。

〈うきうきと選手名鑑繰る球春 (東京都)三神玲子〉

〈立読みの書肆消ゆる街春寒し (所沢市)小林貞夫〉

 図書館。

 夜、気になって野球中継を見てしまう。現役日系メジャーリーガー、元気にプレイ、人柄の良さが伝わる。

 孫たちの写真。大学受験終わった親戚とディズニーランドで大はしゃぎ。お姫様ドレス着て、目を腫らしながら(花粉症)楽しんだよう。

3.13 未明の雨でさくらんぼの花がだいぶ散った。

 夕方のテレビニュース。33日、大江健三郎逝去。

『大江健三郎 作家自身を語る』(新潮社、2007年)より。生まれ変わっても小説家に? と問われ、

〈生まれ変わらぬことをねがっています。しかし、もし生まれ変わったら、私にはもう小説に書くことはないでしょう。この生涯において、才能とかそのスケール、高さなどはいわぬとして、とにかく私は小説家として怠けず働いたと、生まれ変わりをつかさどる役の存在がいたら、申したてるつもりです。〉

ご冥福を祈る。


 

 森英介 『風天 渥美清のうた』 大空出版 

20087月初版 手持ちは20196刷 

昨秋神保町ブックフェスティバルの版元バーゲンで購入。



 渥美清は私生活を明かさなかった。家とは別に部屋を借りて、仕事を家庭に持ち込まなかった。役柄とはまったく一致しない。病を抱え、ストイックな生活だった。その彼がアマチュア句会に参加していた。編集者たち中心の会やメディア著名人らが集まる会など遊びながら楽しみながらの会。元新聞記者が俳句から「厚いベールに包まれた渥美清の心の原風景を覗いてみたくなって」探し回る。私信に書いた句もあり、句友たちの証言も。

 俳号、風天。

『カラー版 新日本大歳時記』(全5巻、講談社、2000年)春の巻「遍路」に、「お遍路が一列に行く虹の中」。高浜虚子ら専門家の句と共に選ばれている。

村上護『きょうの一句 名句・秀句365日』(新潮文庫、2005年)にも遍路句と批評、代表句掲載。

インターネット「増殖する俳句歳時記」には、「赤とんぼじっとしたまま明日どうする」などが取り上げられている。

https://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/auth.html

 

 森が集めた句は220。「渥美清はきわめて孤独の人だが、その孤独をしっかり楽しんでいた粋な人でもあった」。

〈あと少しなのに本閉じる花冷え〉風天

 石寒太が全句を解説。

 

(平野)

2023年3月12日日曜日

芥川・菊池 アリス

3.9 午前中図書館。司書さんと話している人の声に聞き覚えある。そーっと近づくと古書片岡店主、ヂヂふたりハグ、変なの!

 神戸税務署に確定申告書類持参。

ギャラリー島田「心を観る 時代を観る――中井久夫さんを偲んで」。精神医学の診察、著作、講演、詩、翻訳……、スーパーマンぶりがわかる展示。遠方からもお客さん来廊の由。ギャラリー島田、新しい方向が生まれそう。

3.10 近代出版史をコンパクトにまとめた本を読んでいるけれど、誤植が多く、文章も整っていない。内容を信用していいのか不安。横書きというのも不満。

3.11 何度か書いているが、あの日あの時間、大阪梅田で仏教書出版社の会、映画試写の最中だった。ビルが揺れた。

午前中、図書館。買い物、BIG ISSUE450、表紙とインタビューはスピルバーグ。特集は「ふくしまの12年」。本屋さん、時代小説2冊。

 


 『芥川龍之介・菊池寛共訳 完全版アリス物語』 

ルイス・キャロル 澤西祐典訳補・注解 グラフィック社 

1800円+税



 芥川龍之介と菊池寛が『不思議の国のアリス』を訳していた。

菊池は作家活動をしながら若手作家のために「文藝春秋」を創刊。はじめは薄い雑誌だったが、次第にページ数が多くなり、部数も増えた。菊池は興文社『小學生読本』の編集を手伝ったが、新たに『小學生全集』の相談を受け、協力。当時出版界は円本全集ブーム。『小學生全集』(興文社・文藝春秋社、全88巻)は135銭で販売。『アリス物語』はその第28巻、1927(昭和2)年11月刊。芥川が自死したのは同年7月だった。「共訳」とあるが、どこからどこまでをどちらが訳したのか、また別の人物が訳したものを手直ししたのか、研究者の間でも不明。

……『不思議の国のアリス』の邦訳として、今なお高い水準を誇る名訳です。例えば、タルトが「お饅頭」になるなど、お菓子を和菓子になぞらえている箇所もあれば、アリスが「変ちきりん、変ちきりん」と叫ぶなど、原文の味わいを見事に訳出している部分もあります。また、アリスが出逢う不思議な生き物たちが、活き活きとしたオノマトペをまとって躍動する様には、文豪の筆遣いが感じられます。〉

「変ちきりん、変ちきりん」の原文はキャロルの造語で、翻訳者たちが知恵を絞り、工夫してきた。「奇妙れてきつ! 奇妙れてきつ!」(柳瀬尚紀)、「ますます、妙だわ、ちきりんよ!」(高橋康也・高橋迪)など。

 芥川・菊池は読者が想像しやすいように説明的に訳したり、語呂合わせしたり、お金の単位を円にしたり。ふたりが訳していない部分が何ヵ所かあり、澤西が補っている。また、注釈にふたりのエピソードを加えている。

 澤西は小説家、芥川研究、ルイス・キャロル研究。

(平野)

 

2023年3月9日木曜日

夢と一生

3.5 「朝日新聞」神戸版に紹介記事。

ギャラリー島田「こころを観る 時代を観る――中井久夫さんを偲んで」

34日(土)~329日(水) 11001800 但し7日・17日(水)休み



 イタリア映画「丘の上の本屋さん」。美しい山村を舞台に、古本屋の老主人と移民少年の本を通した交流。少年の本を持つ姿が凛々しい。

3.6 今週は仕事不規則で、今日は休み。図書館休館。

映画「日の丸~寺山修司40年目の挑発~」1967年寺山が構成したTBSテレビドキュメント番組があった。道行く人たちにカメラを向け、マイクを突きつけ、「日の丸」について矢継ぎ早に質問を浴びせる。建国記念の日が祝日として施行された年、高度経済成長の最中。当時の政治家・郵政省が「偏向」と問題視。

2022年同テレビ局のディレクターが同じ手法で人びとに問いかける。日の丸とは? 祖国とは? 戦争とは? ……。 

 寺山は問うことで何をしたかったのか、自分ならどう答えるか、55年前と現在で日本人の認識、答えは変わったのか。

寺山の短歌、〈マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや〉

そこに愛はあるんか~?

「みなと元町タウンニュース」更新。拙稿は戦争中の西村旅館。

https://www.kobe-motomachi.or.jp/motomachi-magazine/townnews/

 

3.8 確定申告書類。

 渡辺京二 『夢と一生』 

河合文化教育研究所発行 河合出版発 1000円+税



 渡辺は本書の校正をすませて亡くなった。自身の半生を語る。

 少年時代を満洲で過ごした。「祖国とは桜の咲く美しい理想郷」だった。

……つまり、日本というのは正直な国である、心が清い国である、とても素直で、心がきれいな国である、というふうに子ども心に思っていました。(中略)天皇さんがちゃんと見ている。国民の中に一人でも、不正に泣くようなものがあってはならない。(後略)〉

 祖国は正義の国、正義を世界に実現しようとしている、と。敗戦、飢え、寒さ、すべてがひっくり返った。渡辺少年は文学と映画によって軍国主義から抜け出した。ヨーロッパの自由、個人主義を発見する。引き揚げ事業で働き、共産主義に感化される。帰国し旧制中学に転入するが、結核療養所生活、党活動。戦争中の軍国主義と同じように、共産党を信じ、「本気ですべてを党に捧げつくす」。党内の分派闘争、離脱。

……軍国少年から共産主義者へ変身した自分は、実は何も変わっていなかったと。生活の根拠なしに、ある理念から別の理念に移っただけだったと。これは大きな衝撃でした。ここからぼくの本当の戦後が始まるわけです。〉

 結婚して、子育てしながら大学を出て、編集者になり思想家たちに影響を受けた。そして水俣病闘争、ここでも分裂や差別があり、「政治的ロマン主義」と決裂。

〈現代という時代は、貧乏の克服や人権の保障については、かつてない高いレヴェルに達しつつある時代です。にもかかわらず、人と人の気持ちが大変通じにくい時代になってきています。これが現代の最大の問題で、私たちの生き方もみなその点に関わらざるを得ないと思います。〉

「大変むずかしい問題」。答えは簡単に出ないが、小さい問題ですぐに改善できることはある、と。ひとつは「言葉の問題」。奇怪な日本語になっている。直截な言い方をせず、あいまいな表現で問題をぼやかしている。それに日本固有の文化・歴史を知らない。それがあってこそ「人間が人種を超えて交流」が素晴らしいものになる。

 本書が「河合ブックレット」最終巻。予備校・河合塾の講師たちによる自発的な文化講演会から生まれた。同塾はじめ予備校講師には後に著名な学者・思想家になる人たちがいる。渡辺も同塾福岡校で現代文を教え、同文化教育研究所の研究員だった。

(平野)

2023年3月4日土曜日

西洋書物史への扉

3.3 花壇のさくらんぼの花が咲き始めた。例年より少し遅いが、毎年咲いてくれる。うれしい、心はずむ。



「波」連載の川本三郎「荷風の昭和」に幸田露伴死去の話。昭和22730日没。荷風は露伴と会ったことはないが、露伴を「先生」と敬慕。戦後同時期千葉県市川市に二人は住んでいた。露伴は明治の文豪、読者に知識・教養が必要な作家、当時は読まれていない。寝たきりの貧乏暮らし。財産は貯金通帳に2000円のみ。娘・文と孫の玉、弟子・土橋俊彦が世話をした。一方、荷風は戦後「荷風ブーム」と言われるほどよく読まれた。露伴葬儀は82日。荷風は式場には行かず、離れたところから黙礼。

……遠くから景仰していた露伴に弔意を示すには、式場には入らず距離を置いて黙礼したほうがいいと遠慮したのだろう。人気作家の荷風が式場に現れれば、混雑が予想されると慮ったのかもしれない。(中略)黙礼こそ、一度も面識はなかったものの、長く敬してやまなかった「露伴先生」への最高の礼儀ではなかったか。〉

3.4 図書館、西村貫一調べ。ようやく「金曜」を紹介できる。

「金曜」15(へちま文庫、昭和254月発行)に増田五良「尾崎紅葉の晩年」。紅葉は露伴と共に「紅露時代」と並び称された文豪。明治361130胃がんで亡くなった。37歳、若い。多くの硯友社弟子に囲まれて逝った。増田は「紅葉山人追憶録」(雑誌「新小説」明治3612月)、泉鏡花「紅葉先生逝去十五分間」を参照。紅葉死後、自然主義作家らが活躍し、弟子たちは発表の場を失っていく。

 明治文人の話が続く。「金曜」18(昭和257月)、森於菟「脈鈴――露伴と鷗外餘録」。露伴と鷗外について思い出話を求められるが、思いつかない。叔母・小金井喜美子(鷗外の妹、歌人、翻訳家)に訊ねる。喜美子が語るのは、露伴の鼻が低かったこと、近所の古道具屋に露伴の石膏像があり驚く。その像の鼻も低かった、と。於菟が、まだ何かあるでしょう、と問う。露伴の釣り好きのこと。日露戦争の頃だったか、露伴が鷗外宛の手紙に釣りの詩を添えた。鷗外は面白いので真似しようと思ったができず。その手紙を喜美子に送ってきた。手紙は行方不明だが、喜美子は露伴の詩を覚えていた。

「脈すずはいまだ鳴らずて 気はしづむ川の水底 大利根の深き夜を釣る 釣糸の長き思いや」

 脈鈴は魚のあたりを感知するための細工。鯨の髭に鈴をつけた。

小雨の中帰り道、於菟は露伴の釣り姿を想像。

……竹の子笠をかぶった露伴翁が闇にもほの白く光る大河の水面を見つめて、ひとり黙然と釣糸を垂れる姿を頭の中にえがいた。そして昔は互に相許した仲であるが、時世の遷り変るとともに、彼自身好んでいるとは思えぬが勲章を胸に飾り、若い文学者にかこまれている老友鷗外に、孤独の中にも澄みに澄むおのれの心境を即興の四行詩に托して伝えようかと思いついたとき、やわらかにしなう釣竿の先にとりつけた鈴からかすかな脈動が掌に伝わるのを感じたであろうと想像した。〉

 

 髙宮利行 『西洋書物史への扉』 岩波新書 1000円+税 



著者は慶應義塾大学名誉教授、中世英文学、書物史専攻。

 bookの語源、印刷本から転写された本、楔形文字は紀元前3100年まで遡れるなど、びっくりする話がいっぱい。

……本書の目的はヨーロッパの書物の歴史に関して、多くの事例から時代の特徴を捉え、点と点を結んで線にすることである。文字メディアがいかに誕生したか、何を書写材料として発展してきたか、パピルスの巻子(かんす)本はなぜ羊皮紙の冊子本に駆逐されたのか、中世の写本生産の担い手だった修道院の写本室の様子、印刷術の発明がもたらした書物文化の普及とそれとは逆の狭隘化(ボトルネック)現象、音読から黙読へと変化する読書のあり方、溢れかえる印刷本と格闘するルネサンスの文化人、一九世紀の中世趣味による振り返り現象、書物コレクターの出現と偽書など、書物の生産・流通・鑑賞の歴史が織りなす綾をお楽しみいただければと念じている。〉

 2000年前の文書板、楔形文字と蠟板、冊子本、中世のペチア・システム、音読・黙読、写字生、書見台、回転式書架、活版印刷、写本偽作者、復刻、本の余白、それに現代のデジタル化……、書物と共に書物を愛した先人たちの歴史をたどり、書物の未来を考える。   

著者の古書体験は12歳から。父上に連れられて神保町からはじまった。

(平野)