2022年6月26日日曜日

恋愛名歌集

6.21 「朝日新聞」〈天声人語〉書店消失。


 

 ギャラリー島田DM作業。7月の予定。

●「杉山知子展」(7.97.26

●「おしいれのぼうけん 子どもの心を描いた田畑精一展」(7.308.7) 有料イベント(入場料500円)

http://gallery-shimada.com/

 

 古本屋さんを覗いたら、夏の古本市案内あり。

●「古書ノ市」 神戸阪急本館9階 7.1318

●「さんちか古書大即売会」 さんちかホール 7.288.2

●「下鴨納涼古本まつり」 下鴨神社 糺の森 8.1116


 

6.24 妹孫がヨチヨチ、アンヨがじょうず。姉は「五番街のマリーへ」熱唱。

 

 萩原朔太郎 『恋愛名歌集』 岩波文庫 640円+税



 朔太郎没後80年。初版は1931(昭和6)年第一書房刊。

 古代に生まれた和歌という詩の形が現在も存続している。

……日本の歌は、日本語の特殊な性質――実際それは世界的に特殊である―と関聯して、他国に類のない韻文である。したがってその芸術価値も独自であり、西洋の抒情詩等と優劣を比論し得ない。けれども他の日本語詩との比較においては、すくなくとも韻律構成の上において、歌が最も発達した神経を有して居る。(略)〉

「万葉集」について、

……「万葉集」は、興国新進の気運に乗じた上古人が、大胆率直に情緒を解放した歌集である。ゆえにその歌風は自然直截で力強く、詩感は奔縦不羈で活気に富み、格調は荘重剛健で威風に充ち、情熱は素朴で赤裸々に表出されている。〉

 万葉歌人には柿本人麿、山部赤人、山上憶良、大伴旅人ら天才はいるものの、多くは庶民。自然生活に歌の題材を求めた。

〈草まくら旅にし居れば苅薦(かりごも)の乱れて妹に恋ひぬ日はなし 作者不明〉

「古今和歌集」以降は、

……万葉の豪壮に対して優美を尊び、率直に対して趣向を好み、経験に対して空想を取り、自然に対して構成的の技巧を選んだ。〉

 平安歌人は宮廷生活の花鳥風月。その宮廷での恋愛経験は自由に表現された。恋歌を芸術的に洗練した。

……この恋愛部門だけが、「古今集」全一巻の生命であり、その特殊な優美なスタイルと相俟って、万葉以来の新しい詩的価値を創造して居る。〉

〈ほととぎす鳴くや五月の菖蒲草(あやめぐさ)あやめも知らぬ恋もするかな 作者不明〉

「新古今和歌集」は、

……技巧的構成主義の歌が到達し得た極地であり、平安朝歌壇三百年の修養を総決算した、最後の成果である。〉

 武家社会になり貴族は衰退。その悲痛は、西行のような出家遁世、もしくは藤原俊成・定家らの宮廷執着。

〈この絶望的な厭世観と耽美主義と、これが実に「新古金集」全巻を貫く主題である。〉

〈遥かなる岩のはざまに独り居て人目思はで物おもはばや 西行〉

〈玉の緒よ絶えなば絶えね長らへば忍ぶることの弱りもぞする 式子内親王〉

(平野)『名詩集』と思っていて、いつになったら近代詩が出てくるのか、と読んでいた。おバカヂヂ。古典の授業で教わったんだろうけど、基礎知識なし。七五調と五七調の違いも知らず、韻律のことや枕詞は平安朝に衰滅したことも。

2022年6月19日日曜日

新編ひたむきな人々

6.18 思い立って大阪梅田。蔦屋書店、きただ店長、みさご人文・きたむら文学両コンシェルジュにご挨拶。本日『本屋という仕事』刊行記念イベント開催だけど、これは不参加、失礼。

 帰宅したら娘から父の日ビール届く。感謝感謝。

6.19 「朝日歌壇」より。

〈二時間目じぶんのせきでこわくないおばけの本をひとりでよんだ (大阪市)おくの花純〉

 なかなか「BIG ISSUE販売員さんに会えない。今日は雑誌と販売道具置いたまま姿が見えない。しばらく待つけど、おひさまギンギン肌を刺す。日影に移る。いつもこんな環境で立ってはるんや。15分ほどして帰ってきはった。無事432433号購入。

 


 『新編 ひたむきな人々――近代小説の情熱家たち――』 外村彰編 

龜鳴屋 2021



 「損得を顧みず生命の高揚感を希求する、さまざまな人々が登場する」小説集。旧版(2009年)を6作品入れ替えて新編刊行。

八木重吉「心よ」 国木田独歩「画の悲み」 夏目漱石「幻影の盾」 永井荷風「ローン河のほとり」 志賀直哉「清兵衛と瓢箪」 森鷗外「安井夫人」 菊池寛「恩讐の彼方に」 芥川龍之介「尾生の信」 宮沢賢治「毒もみのすきな署長さん」他、全19編。

 登場人物たちは、

……おおむね世間と反りのあわない頑迷な人々である。その孤高、専心の世界には、子どもらしい熱中、稚醇の童心を持った個性が多くみられるようである。わが道を極める一徹者、おかしな趣味の道楽者がいれば、何やら業めく隘路を行く後ろ向きの主人公もいる。〉

 友、恋、家族愛、同志愛、技・芸、趣味、任務……、本人たちは純真である。全身全霊をかけ、誇りを持って生きている。理想に向かうこと、道を極めることは勇気がいる、不安も生じる、逃げたいとも思うだろう。他人には頑固、愚直、滑稽に見える。嘲りもあろう。

現実世界の俗物・凡人はマネできないが、羨ましくもある。

 カバー、挿画、グレゴリ青山。扉版画、高橋輝男。

 金沢の出版社、直販のみ。私は古本屋さんで見つけた。

(平野)

2022年6月16日木曜日

本屋という仕事

6.14 歯医者さん診療が思いのほか早く終了。まだ本屋さんは開いていない。デパート開店時間までベンチで読書。時間待ちの術を知らない。

 お江戸の岩さんがみずのわ社主の講演記録(2013年日本編集者学会)を送ってくださる。当時読んだものの、再読できた。心配りに感謝。

6.15 妹孫は一歩二歩歩いて、お尻からドシン。姉は絵本に加えて、何やらゲームに熱心。あんまりヂヂババの相手してくれない。

 

 三砂慶明編 『本屋という仕事』 世界思想社 1700円+税



 書店員の皆さんが本屋の仕事、自分の仕事を語る。編者・三砂が尊敬する業界の先輩、友人、仲間たち。彼らは「それぞれの場所から、今を問い、発信を続けていくことで、本屋の仕事そのものに新しい価値」をつけくわえている。

 ネット販売という黒船に席巻され、コロナ禍、不況、戦争、円安がのしかかる。小売業も飲食業も世の中みんな大から小までしんどい。

〈私たちが生きている世界は、私たちが積み重ねてきた仕事の上に成り立っています。私たちが住む家も、着る服も、食事も、誰かの仕事の結果です。私たちは生きている時間の大半をそれぞれの仕事に費やしています。だから、良い仕事をすることは、より善く生きることと密接につながっています。私は本屋で働いているので本が中心ですが、本屋の仕事について改めてもっと深く知りたくなりました。尊敬する書店員の方たちは、なぜ本屋を選んだのか。働くことを通してどんな価値を生みだしてきたのか。本への愛憎。本棚の耕し方。お客様との対話。お店を成り立たせるためのマネジメントについて、書店員の先輩方にたずねてみることはきっと、ほかの職業にも痛呈する本質的な問いだと信じています。〉

目次

序 本屋は焚き火である 三砂慶明(読書室・梅田蔦屋書店)

 火を熾す 本屋のない場所に本への扉をつくる

モリテツヤ(汽水空港) 宇田智子(市場の本屋ウララ) 田尻久子(橙書店・オレンジ) 奈良敏行(定有堂書店)

第Ⅱ部 薪をくべる 日々の仕事から新しい価値が生まれる

岡村正純(大阪高裁内ブックセンター) 徳永圭子(丸善博多店) 東二町順也(紀伊國屋書店新宿店) 北田博充(書肆汽水域・梅田蔦屋書店) 

部 火を焚き続けるために 本屋の仕事を拡張する

狩野俊(コクテイル書房) 田口幹人(合同会社未来読書研究所・北上書房)

 他に鼎談2本、ブックリスト、ブックマップも。

(平野)

 


2022年6月14日火曜日

仰臥漫録

 6.13 姉の歌に合わせて妹が踊る。片手で本棚につかまって、腰ふってごきげん。芸がふえてきた。何してもうれしい、ヂヂバカちゃんりん。

 

 正岡子規 『仰臥漫録』 岩波文庫 800円+税



 正岡子規没後120年。解説に『仰臥漫録』出版までの経緯が紹介されている。子規が日記を書き始めたところ、高浜虚子が「ホトトギス」にその掲載を予告してしまい、子規激怒。それでも子規が亡くなって2年数ヵ月後、1905(明治38)年1月発行の同誌に載せた(一部省略、削除あり)。18(大正7)年岩波書店から絵を含めすべて出版。27(昭和2)年7月岩波文庫。このたび改版してカラー版に。解説、復本一郎。

 01(明治34)年9月から10月末、翌年3月の3日分、6月から7月の「痲痺剤服用日記」など病床日記である。毎日の食事三食と間食メニュー(大食である)、身心の苦痛、便通、繃帯取り替え、来客、見舞い品、庭の糸瓜・瓢(ふくべ)・夕顔・鶏頭、・小鳥・虫、それに短歌と俳句、絵。忘れてはいけない、介護してくれる母と妹への不満・怒り、時に感謝。「古白日來」の文字と小刀・錐の絵を添えて、自殺の衝動も書き留めている。自死した従弟「古白」が自分を呼んでいる、と。

 02(明治35)年919日子規死去、辞世三句。

〈糸瓜咲て痰のつまりし仏かな〉

〈痰一斗糸瓜の水も間にあはず〉

〈をとゝひのへちまの水も取らざりき〉

 子規はずっと庭の糸瓜を見て、生長を句と絵にしていた。慰められていた。忌日は糸瓜忌と呼ばれている。

 戦後子規庵に保管されていたはずの原本が行方不明になっていた。2001(平成13)年土蔵から発見された。ついこの間やん。

(平野)

「古白」とは藤野古白(ふじの・こはく、本名・潔、187195年)。95(明治28)年初め、平清盛兵庫築港の伝説をもとに戯曲「人柱築島由来」を発表。4月ピストル自殺。ノイローゼ、作品不評と失恋があった。このとき子規は日清戦争従軍、戦地で追悼。

〈春や昔古白といへる男あり〉

97(明治30)年、子規は古白の遺稿をまとめ出版、三周忌の記念とした。坪内逍遥、島村抱月が追悼文を、友人たちが句を寄せた。

〈思ひ出すは古白と申す春の人〉漱石

〈古白死して二年櫻咲き吾病めり〉子規

2022年6月11日土曜日

日本の地下水

 6.11 今週は臨時出勤が2日もあり、5日も働いた。残業もした。良いお天気なのに仕事なんて! うかうかしていたら梅雨が来る。元町原稿も進まず。

「みなと元町タウンニュース」更新。拙稿は「光村弥兵衛・利藻」、父子。誰それ!?

https://www.kobe-motomachi.or.jp/motomachi-magazine/2022/06/02/townnews358.pdf

「朝日新聞」夕刊の〈時代の栞(TOKI NO SHIORI)〉。「本を舞台回しに現代史や社会風俗を紹介」。6.8は髙田郁『みをつくし料理帖』シリーズ、上方生まれの女性主人公が江戸で料理の道を歩む人情小説。作中の料理レシピも公開。2009年から14年全10巻、累計420万部。

 


 ブックコンシェルジュきたださんから本届く。現役書店員18人が語る『本屋という仕事』(三砂慶明編、世界思想社)。しばらく本屋本を読んでいなかったが、これは必読。

 妹孫が姉の鼻を囓った。じゃれついたはずみか、お腹すいていたのか? 


 鶴見俊輔 『日本の地下水 ちいさなメディアから』 SURE 2600円+税



 鶴見俊輔生誕100年記念出版。

 1956年、思想の科学研究会は「中央公論」に「日本の地下水」を連載。全国のサークルの小雑誌を紹介、評論した。執筆者は鶴見、武田清子、関根弘。当時「思想の科学」は休刊中だった。同誌は601月号から再開し、連載も移り、21年続いた。

「ちいさなメディア」とは、マスメディアや政党、運動団体の対極にあるもの。同人誌や通信、会報、社内報など。ほとんどがガリ版刷り。現在のミニコミやZINは文化・趣味同好会のイメージだが、全国各地の「ちいさなメディア」は戦後の民主主義、男女同権、食糧難、戦争の危機など社会問題を切実に考えていた。地域運動、図書館内のさまざまなグループ、大学内の研究会、読書会、病院、治療、旧軍人、更生施設、手習い、社内報、学校同窓会、家族通信、宗教……、いろいろなサークルが活動記録・発言を作成していた。

 本書は鶴見執筆分をまとめる。

「日本の地下水」と名づけたのは鶴見の幼なじみ・嶋中鵬二(中央公論社社長)。鶴見が「地下水」に言及しているのは62年「島原の乱以後――『おほもと』」。大本教の月刊誌座談会。大正・昭和戦前、同教団は軍国主義・国家主義を唱えていたにもかかわらず大弾圧をうけた。不敬罪、新聞紙法・治安維持法違反など。勢力が大きくなりすぎた。

〈教祖の王仁三郎が、政府の弾圧をうけてそれにたえたという生き方、蒙古に入って軍部のやり方を見て日本国家の「アジア解放」方式にみきりをつけてはなれていったという生き方の事実の中に、大本教の教理が、あいまいかつ多義的なものから、国際主義・平和主義の方向により限定されたものへと転生してゆく条件を見ている。〉

 信徒内に混乱があり、戦後の時点でも青年たちが問題点を語り合っている。鶴見は彼らの誠実さを称えている。

 61年、九州五島列島のかくれキリシタン36世帯が大本教に改宗する事件があった。16世紀キリスト教伝来以来400年、密かに守り続けていた信仰は独自の形になっていた。明治以後入ってきたキリスト教にはなじめなかった。自分たちの信仰が大本教の信仰に近いことを感じた。信仰とともに、非転向の姿勢を貫いてきた共感。

〈日本の思想史における一つの非転向の伝統が、もう一つの非転向の伝統にうけつがれたといってよい。かくれキリシタンは、もう一つの非転向の伝統に自分たちの信仰をうつしうることをとおして、自分たちが本来もっていた感じ方が、自分たちに理解できる形にいいなおされたことを感じた。この事件は、日本の思想史のもっとも深いところで起こった一つの地下水の水脈ともう一つの地下水の水脈との出会いだった。〉

(平野)

 

2022年6月5日日曜日

ふるさとを憶う

6.3 妹孫誕生日記念写真たくさん。姉孫と並んだ写真も。他人様にもお見せしたいところ、自慢したいけど我慢。

6.4 妹孫1年検診の写真着。まんまる、 おすもうさんみたい。どすこい!

 昨年廃業した編集プロダクション「くとうてん」鈴社長、セーラ編集長、ゴロウさんを中心に、お世話になった面々が集まり感謝の飲み会。3年半ぶりに会う人もいて、皆さん息災と思いきや、古本屋さん家族にコロナ感染あり休業の知らせ。

6.5 「朝日歌壇」より。

〈母遺す蔵書を詰めしダンボール積上げしまま吾は八十路に (岐阜市)後藤進〉

〈返本の荷造りしてる本屋なり本が紙にて刷られるうちは (長野県)沓掛喜久男〉

 

 『ふるさとを憶う 宮本常一ふるさと選書第2集』 

みずのわ出版 1200円+税


 

 民俗学者・宮本常一は日本全国を歩き、膨大な資料、写真、文章を遺した。本シリーズは故郷・周防大島について記録したものを集める。

 本巻では1947年執筆の「私のふるさと」を収録。小学生高学年でも読めるようルビや解説をつけ、写真・絵も多数。島の四季、森、干潟の遊び、自然の脅威、言い伝え、村の家々の様子、集落の変化など、幼少時の思い出を中心に綴る。

〈お宮の守では、五月頃になるとみみずくがないた。その声を村人はチョーキチコイときいた。五月田(さつきだ)の忙しさに親は日の暮れるまで働いて、戻ってみると息子の長吉がいない。片方の脚絆(きゃはん)(農作業等で脛(はぎ)の保護などのため巻く布)をときかけてそのまま子をさがしに出て、子の名を呼びつつ鳥になったのだという。その声をきくたびに、鳥の身の上をあわれに思ったものである。〉

 戦後の話も。外地から引き揚げてきた老夫婦が親戚のツテで村の沖の小島に住み着いた。潮が引くと歩いて渡れる。小屋を建て、海水を煮詰めて製塩し、細々と暮らしていた。村まで飲み水をもらいに来ていた。妻が死に、夫ひとりになった。親戚が引き取ると言ったが、小屋を動かなかった。死期を悟ると、通りあわせた人に親戚を呼んでもらった。跡始末の貯えはあったようだ。

〈老人が死ぬと小屋はすぐ解かれた。そして、その跡へは草が生えた。なにごともなかったようにそこは草に埋もれていった。ここにこうして書きとめねば誰の記憶にもとどまらないほど、ひっそりと消えていった人生であった。この人にも語れば語ってきかせるほどのライフ・ヒストリーがあったはずである。それはつつましく清潔な晩年がおぼろげながら物語ってくれるのだが、この世に何ものをも残さなかった。墓すらも建てられはしなかった。〉

 本年2月、監修者・森本孝さんが亡くなった。みずのわ社主が遺志を引き継ぐ。

(平野)

2022年6月2日木曜日

裏横浜

5.29 「朝日歌壇」より。

〈「女性誌」と「男性誌」の棚は仕切られてその奥の棚に「婦人誌」もあり (町田市)村田知子〉

5.30 京都SUREから新刊着。鶴見俊輔『日本の地下水――ちいさなメディアから』1960年から21年間「思想の科学」に連載した地域雑誌評。複数の筆者が担当したが、本書は鶴見執筆分をまとめる。今年は生誕100年。積ん読溜まっているので、紹介はだいぶ先になる。

 妹孫満1歳の誕生日。


 

6.1 「朝日新聞」夕刊に、銀座・教文館「ナルニア国」のウクライナ支援記事。ヨーロッパ在住の日本人絵本作家・画家と協力して寄付金を募る。お礼にオリジナル包装紙プレゼント。

https://www.asahi.com/articles/ASQ5W44J1Q5NUCVL01Z.html

 

 八木澤高明 『裏横浜――グレーな世界とその痕跡』 ちくま新書 860円+税



 著者は写真誌カメラマンを経てノンフィクションライター。世界を旅して、取材するのは紛争地や土地の裏の顔。

横浜の生まれ育ち、少年時代の思い出からはじめる。自転車で港に釣りに出かけ、街のあちこちを走り、怪しい地域に迷い込んだこともある。プロ野球「大洋ホエールズ」のファンだった。そこから親会社の捕鯨、球場周辺のルーツを追う。

晴れやか、おしゃれ、エキゾチック、明るい港町の地下に眠るのは、遊郭、屠畜場、労働者、ドヤ街、麻薬、革命家の隠れ家、移民宿、米軍兵士……

〈すでに水運は交通手段でなくなり、船旅は富裕層が豪華な旅を楽しむものでしかなくなった。港もオートメーション化されたことにより、港湾労働者も消えた。それゆえに、大桟橋や赤煉瓦の周辺は、テーマパークのようになるか、廃墟となるか、その選択肢は多くなかった。カジノ誘致を巡る問題が噴出しているのも、港の衰退と無関係ではあるまい。〉

 八木澤は先輩から「デラシネ(根無し草)」と言われるが、海外から横浜に戻ると、愛着を感じる。取材や日常生活で、快・不快「愛憎入り乱れた場所」でもある。掘り起こした過去の痕跡、出会った人びとが語る現在、清濁併せた横浜の姿。

(平野)神戸も同じような歴史を辿ってきた。私は港に近い下町の育ち、裏の世界は日常のすぐそばにあった。