2023年6月29日木曜日

対談 日本の文学

6.26 訃報。洋画家・野見山暁治。

『井上ひさし全芝居 その三』収録の「頭痛肩こり樋口一葉」を読む。1984年「こまつ座」旗揚げ公演作品。一葉十九歳から彼女の死の二年後まで。毎年のお盆、彼女とゆかりの女性たちが集う。はじめ一人だった死者が最後は五人に。

6.27 孫電話。姉は夏風邪回復、妹は鼻水。本調子ではない。

 

 『対談 日本の文学 わが文学の道程』 中央公論新社編 

中公文庫 1300円+税



『日本の文学』全80巻(中央公論社創業80年記念出版、196470年)の月報に収録した対談。谷崎潤一郎と円地文子、川端康成と三島由紀夫、小林秀雄と大岡昇平、宇野千代と川端康成と丸谷才一、井伏鱒二と河盛好蔵、舟橋聖一と伊藤整、丹羽文雄と浅見淵、石川淳と安部公房、石原慎太郎と開高健と大江健三郎……。明治・大正から活躍する大作家、戦後派、第三の新人。石原・開高・大江が若手。現在文庫で読めない作家もいる。

三島が4回登場。この全集の編集委員でもある。松本清張を入れるかどうかで三島が大反対した。

(平野)

2023年6月25日日曜日

私のイラストレーション史

 6.22 臨時出勤。先週急に休みを願ったからその穴埋め。雨上がり、野鳥の声。「ホーホケキョー」ときれいに上手にはっきり3度鳴いて、「キョキョキョ……」と連続で鳴く。うぐいす?

6.24 BIG ISSUE457、特集「ニューロダイバーシティ」。



6.25 「朝日歌壇」より。

〈広辞苑まっさらのまま隅飾る近くの本屋も閉店真近か (栃木県)大野木和子〉

「朝日俳壇」より。

〈休刊に「またね!」も寂し梅雨に入る (新庄市)三浦大三〉

 6中に家人が家を片付けたい、と奮闘。不要の物を大整理。


 南伸坊 『私のイラストレーション史』 ちくま文庫 

1100円+税 解説 養老孟司



 2019年単行本、亜紀書房刊。文庫化にあたり「追悼和田誠さん 『新しい絵』世に播いた種」を収録。南にとって和田は「日本のイラストレーションの父」。

 南伸坊(1947年生まれ)、イラストレーター、装丁デザイナー、エッセイスト。小学6年生の時にデザイナーになりたいと思った。なぜそう思ったのか、記憶を遡る。叔父と親戚を訪ねて、美大生の娘さんに憧れた。これはキッカケに過ぎない。叔父がペンキ屋・看板屋で、展示会や見本市の装飾をしていた。大工や左官の仕事を見ることが好きだった。友だちのおじいさんの趣味のマッチラベル蒐集を(友だちが留守でも)ずっと見ていた。近所のポスター屋の作業を最初から最後まで見続けていた。もともと興味があったことの面白さを発見していった。

 小学校時代の絵のこと、好きだったマンガのこと、そして中学2年で週刊誌広告「ピース」のイラストレーションを見てしまう。これが和田誠のイラストレーション。

〈「いいなあ」と思った。/「こういう絵を描く人になりたいなあ」と私は思った。(中略)「このピースの広告みたいな絵を描く人になりたい」と思ったのだった。〉

 工芸高校、芸大浪人、美学校、「ガロ」編集者。和田誠、水木しげる、羽仁進、澁澤龍彦、つげ義春、横尾忠則、赤瀬川原平、木村恒久らに出会い、師事。

〈高校入試に失敗し、大学入試に失敗し、就職試験で失敗する。その失敗のたびに、自分の会いたかった人に近づいていった。〉

南の青春は日本のイラストレーション史と共にあった。南が模写した当時の作品を収録。

〈私が考える「イラストレーション史」というのは「illustrationという英語を、和田さんが日本語にした過程」ということなんです。(中略)私が言いたかったのは、和田さん(たち)がイラストレーションとかイラストレーターという言葉の使用にこめた意味は、当時ももちろんあった「挿絵」とか「挿絵画家」とは違う表現をしはじめたジャンルに、新たな名称を与えて、その違いをあきらかにしたかったということじゃないかということでした。〉

 和田の思いは雑誌「話の特集」となる。

(平野)

2023年6月20日火曜日

樋口一葉

6.15 夕方になって明日上京することに。会社に無理を言って代行勤務できる人を手配してもらう。

6.16 昼東京駅近くの本屋さんで娘婿&長男と待ち合わせ。待っている間に『山頭火全集』(春陽堂書店)の日記の巻をパラパラ。

6.17 訃報、大投手二人。ドラゴンズ魔球・杉下茂、赤ヘルカープ精密機械・北別府学。ご冥福を。

ヂヂは「大」でも「投手」でもないけれど、肩痛こらえて粗大ゴミを片付ける。

6.18 「朝日俳壇」より。

〈端居して本を閉ぢれば雨の匂ひ (横浜市)近藤泰夫〉

6.19 訃報。「肝っ玉母さん」「御宿かわせみ」平岩弓枝。ご冥福を。

 

 『樋口一葉 ちくま日本文学全集』 筑摩書房 1992年 

解説 井上ひさし



 樋口一葉(18721896年)、本名奈津。貧しい生活ながら古典文学に親しみ、作家を志し、恋に悩む。結核のため24歳で死去。

〈七つというとしより、草双紙というものを好みて、手まりやり羽子をなげうちてよみけるが、その中(うち)にも、一(いち)と好みけるは英雄豪傑の伝、任侠義人の行為などの、そぞろ身にしむように覚えて、すべて勇ましく花やかなるが嬉しかりき。かくて九つばかりの時よりは、我身の一生の、世の常にて終らむことなげかわしく、あわれ、くれ竹の一ふしぬけ出でしがなとぞあけくれに願いける。(後略)〉「塵の中」より。

 作は悲劇。年譜を見ると、商売開業、借金の申し込み多数。妾の交換条件もあったが拒否。歌塾で代稽古を務めることもあった。生徒の多くは爵位持ちの夫人・令嬢や金持ち商人の娘。家に帰れば借金生活、私娼窟の女性たちのため代筆。井上ひさしは、一葉が明治女性の最上層から最下層までを知ったことを彼女の文学の特色の一つととらえる。

(平野)古文、擬古文。和歌・漢籍の引用や形容を理解できない。一文が長くて、主語がわからなくなる。要するに読める立場にない。はずかしい。でもね、人情噺的作品もある。

 一葉作品ではコオロギ(竈馬)は「かたさせ」と鳴いた。本書の註では、「コオロギの鳴き声をかたさせすそさせといった」とある。

2023年6月15日木曜日

幸田文

6.6 「朝日新聞」夕刊第一面に東京の書店員の情熱で専門書復刊、大量販売の記事。

6.7 「みなと元町タウンニュース」370号着。Web版も更新。拙稿は「西村旅館(7)」。雑誌「金曜」8号から23号。小泉八雲、児童詩、ビリオン神父、森於菟による幸田露伴追想など。

https://www.kobe-motomachi.or.jp/motomachi-magazine/townnews/

6.10 ヂヂババ東京・横浜に行くのは楽しみのはずなのに、今回は重苦しい。右肩痛む。

6.11 「朝日歌壇」より。

〈母が摘みし好きな押し葉が挟まれて牧野植物大図鑑厚し (浜松市)松井惠

「朝日俳壇」

〈プルーストこれ一冊で雨安居(うあんご)に (筑紫野市)二宮正博〉

 孫の顔見て、夕方帰神。

6.12 仕事すんで家人と再度上京。13日夜帰神。バタバタしている。娘夫婦がテキパキと手助けしてくれる。頼りないヂヂババ。

 ブログも元町原稿もサボっている。

 

 『幸田文 ちくま日本文学全集』 筑摩書房 1993年 

解説 安野光雅



 幸田文(19041990年)は幸田露伴の次女。1938(昭和13)年文は離婚して父と暮らす。彼女が文章を書き始めたのは47(昭和22)年7月露伴の死後。父の思い出、記録、自分の結婚生活、破綻など。父から文章指導を受けていないが、日々の生活のなかで茶道、生け花から料理、掃除など細々教えられた。露伴は遊びながら庭の木々の話をしたり、手習い指導。家に素読の先生を呼び、句会も開く。

「みそっかす」より。

 文が生まれる時、露伴は男の子を期待していた。女中は、母が泣きながら「女だって好い児(よいこ)になれ、女だって好い児になれ」とくりかえしているのを聞いた。露伴は「いらないやつが生まれて来た」とつぶやいた、とも。

〈私の生まれたときに父は三十八歳、すでに一女を得ている。おのれの気魄を次代を貫きつがせたいその跡取り息子を望み求めたのは、世の人情のあたりまえである。(中略)人情の流れは、懐に抱けば舟もつなぎ波風も避ける。さからった私は櫓にも骨折り櫂にも息づいたが、いまはおだやかにこのことを思ってみている。壮年三十八歳の元気に溢れた父と、しかと云ったか云わなかったかわかりもしないことばとを、あたたかにわが懐に抱けばおのずから湧くものは微笑である。この私は裸で生まれ落ちるが否や、あれほどの、父ほどの男を忌々しがらせたではないか。何と生意気な、そして滑稽な文子。〉

(平野)

2023年6月6日火曜日

梅雨無常

5.31 女性の声で留守電。うちの電話はボロくて音声が割れて名前を聞き取れない。すぐにまたかかってきて、話すうちにようやくなかよしの駄菓子屋さんとわかる。

6.1 古書愛好タカさんから共通の友人急逝の知らせ。あまりに急で、言葉が出ない、涙も出ない。

 埼玉いわさんからカフェのオリジナル雑貨届く。ありがとう。

6.2 ご親族からもお知らせあり。梅雨無常。涙涙。

6.3 訃報、上岡龍太郎。

BIG ISSUE456。表紙とインタビューは是枝裕和。

 


6.4 「朝日歌壇」より。

〈えほんではかわいかったと本物のヒキガエル見てべそかく娘 (川崎市)小暮里紗〉

〈青春の「朝日ジャーナル」捨てました明日から老人ホームに暮らす (海南市)樋口勉〉

 同紙神戸版に兵庫県古書籍商業協同組合が「古本屋入門講座」開催の記事。

 福岡さんと電話して、また涙。

6.5 新刊本がなくて積ん読本。『ちくま日本文学全集 幸田露伴』(筑摩書房、1992年)。鷗外や荷風や明治物を読むと必ず登場する文豪。このところ元町原稿資料にも露伴が出てくる。小学校のとき塾(べつべん)のワークブックで作家と作品を結ぶ問題があった。幸田露伴=五重塔、谷崎潤一郎=細雪など。小学生がそんな小説読めない。話の筋などどうでもよくて、ただ覚えるだけ。

「五重塔」は本書には収録されず。カバーの絵は五重塔なのに。



以前当ブログで森於菟の露伴追想「脈鈴」を紹介した。本書収録「幻談」(釣り好きが体験した怪談話)に「脈鈴」のこと。ケイズ釣という隅田川の奥まで入ってくる黒鯛釣を楽しむ。

〈で、川のケイズ釣は川の深い処で釣る場合は手釣を引いたもので、竿などを振廻して使わずとも済むような訳でした。長い釣綸(つりいと)を篗輪(わっか)から出して、そうして二本指で中(あた)りを考えて釣る。疲れた時には舟の小縁へ持って行って錐(きり)を立てて、その錐の上に鯨の鬚を据えて、その鬚に持たせた岐(また)に綸をくいこませて休む。これを「いとかけ」と申しました。後には進歩して、その鯨の鬚の上へ鈴なんぞ附けるようになり、脈鈴(みゃくすず)と申すようになりました。(後略)〉

 釣り人と船頭は土左衛門を引き上げる。立派な釣竿を握っていた。

(平野)