2026年9月24日木曜日

歌・句・諺のはなし

9.19 家人は孫のお守りに向かう。台風25号と小型孫台風に突っ込んでいく。ヂヂイ留守番。

9.20 「朝日歌壇」より。

〈来るたびにわが書棚から数冊の本を持ち去る本好きの孫 (魚沼市)磯部剛〉

 数か月前に元同僚にパソコンメールしていた。パソコンはあまり使わないとはわかっていたが、連絡方法それしか知らない。今日返信来た。元々たいした用事ではなかったので、「お元気?」で話終了。

「BIG ISSUE」534号、535号。表紙、前者はタイの漫画家・ウィスット・ポンニミット「マムアンちゃん」。本誌で19年連載中。後者は俳優・松たか子、主演作「ナギダイアリー」の話。



9.21 敬老の日。銀行に記帳しに行ったら、隣のATMでご老人が、引き出し画面にならない、とお困り。余計なお世話だけど、個人情報を見ないようにして最初からやり直したら、解決。

 

『歌・句・諺のはなし』 柳田國男 折口信夫 高浜虚子 中公文庫 1000円+税



 原本は1930年出版〈日本児童文庫〉シリーズの『歌・俳句・諺』(アルス)。折口が短歌、高浜が俳句、柳田が諺について児童読者のために書き下ろしたもの。1927年の柳田講演から「諺と謎々」を追加。

 歌。古代神様の言葉として、「称え言(となえごと)」=祝詞とそれから進んだ「ものがたり(原文傍点)」の二つの言葉が信じられてきた。「称え言」のある部分は諺となり、「ものがたり」の肝腎な部分が歌となる。諺は、命令の意義から変化して社会的訓戒、また人間としての心がけというふうに変化してきた。

〈さて歌は、どこまでも、自分の心を詳しく、相手の心を牽(ひ)くようにいい出すものであります。そして、低い神様、或は位置の高い人間から、神様に申し上げる言葉が、次第に、人間どうしのいいかけいいあわせる、かけあい(原文傍点)の言葉に利用せられて来ました。そうして、神様の言葉すらも、やはり、歌で現されることになりました。それは大方、三つの句の形になったものらしく考えられます。〉

 古代の歌、万葉集、古今和歌集、中世の和歌集、江戸時代の和歌を鑑賞する。優美という趣味、無名の人が詠んだ歌の情感など、読者の目線で解説する。

 虚子は落葉を題材にして俳句と文芸の面白さを説く。落ち葉掃除という面倒な仕事から落ち葉の考察、落ち葉の景色、落ち葉の絵や文章などその深い趣を見出す過程を具体的に語る。落ち葉を詠んだ俳句をさまざま分類して見せる。

 柳田は、諺はダメな人を責めたり励ましたりすることが目的ではない、と説明。

〈……噂に上る当の相手よりも、黙って傍らに聴いている大勢に、なるほどよくいった、うまいことをいうものだと思わせる方が主であって、それがまた直接に本人を叱るよりも、もっと大きなききめがあったからであろうと思います、(中略)仲間どうしの悪口はもと一つの練習でありました。世間すなわち知らぬ人の中にはいって、あまり大きな恥をかいて来ぬように、前から少しずつ笑われる辛さを覚えさせ、またなるたけ笑うことのできる人に早くしようとしたのであります。〉

(平野)

2026年9月19日土曜日

大江健三郎を読む

9.13 「朝日歌壇」より。

〈図書館のやたらごっつい貸眼鏡秋の光の大活字めく (東京都)牧田涼子〉

〈原爆を描きし本を十五冊八月六日の教室に置く (上田市)笠井淳〉

〈薄給の息子が行くたび本を買う個人経営の小さな本屋 (名古屋市)百々奈美〉

 高槻の親戚法事。大学生も帰国。

9.14 孫から敬老メッセージ届く。大事にしているシールを目いっぱい貼ってくれている。

9.15 新聞に著名人訃報が続く。ご冥福を。

9.17 長雨からようやく晴れて墓参り。

 

『大江健三郎を読む 文学と歴史の複眼的視点から』

小森陽一 成田龍一  長瀬海構成 集英社新書 1350円+税



 小森は日本近代文学研究者で「九条の会」事務局長。1982年成城大学文芸学部に職を得、近所に住む大岡昇平と立ち話。ちょうど大江健三郎親子の姿が見えて、大岡が「光さん」と「大江くん」と教えてくれる。「さん」「くん」の理由を訊ねると、

〈「光さんの音楽は完成の域に達しているけれど、大江くんの小説はまだまだだからね」と、ニヤリとされました。小説家同士の相互評価がどれだけ厳しいものなのか、ということを、このとき私は突きつけられたように思いました。〉

成田は近現代日本史研究者。

〈大江を取り上げるのは、大江が「戦後社会」の全体に目配りし、長きにわたって発言を続けたとともに、いま一つ、二〇二〇年代の危機があるからです。世界史は冷酷に、目の前で新しい危機を発生させています。二〇二二年二月のロシアによるウクライナ侵攻、それが収束しないなかでのイスラエルとパレスチナの衝突。そうした現在、世界のなかで起きている危機をどう捉えればよいのか。一九七三年の時点で、すでに「新しい戦前」という言葉を用いて核時代の危機を指摘し、時代と向き合ってきた大江健三郎の営みを手がかりに答えを探っていこうというのが、この対談の趣旨です。〉(成田)

 大江の初期短篇、エッセイ、晩年の作品まで読み直して、大江が書いた「戦争」「戦後」「『戦後』後」を考える。それは文学作品研究だけではなく、国際政治・社会問題・歴史を考えること。

 小森は個人的体験=文学的語りで話を進め、成田が文学=フィクションと歴史学=科学を区別し、広い視野で作品を読む。

(平野)

2026年9月12日土曜日

流砂

9.8 近畿も大雨。

 先日紹介した『本とねこと青い自転車』の著者は大学入学まで須磨で暮らした。地元の本屋さんのことを書いている一文があるので、元店主さんにお知らせ。いらぬおせっかいかも。

 雨の中、歯医者さんに向かう。外出を待っていたかのように大粒が降ってきた。

9.11 昨日は台風一過、青空も見えたが、今日は雨模様。

9.12 朝、図書館。ハーンさん調べ。神戸の新聞社勤め時代の論説(1894年=明治27年10月)「地震と国民性」。相次ぐ自然災害(91年濃尾地震、93年中国地方台風による洪水、94年山形県地震)と日本人の国民性について。「災害の後に見られる日本人の素晴らしい回復力、あるいは苦難に際しての見事な忍耐力」を称賛している。

 

黒川博行 『流砂』 新潮社 2500円+税



 著者得意の犯罪小説。今回は「匿名流動型犯罪」=トクリュウ。首謀者は綿密な計画があるようだが、実行役は闇バイト募集の寄せ集めで暴力も辞さない。高齢者を狙う詐欺犯罪から近年は暴力強盗に様変わりしている。監督役、リクルーター、受け子に出し子、ケツ持ちの暴力団、金主など階層があり、情報屋に偽造屋などもある。実行犯が捕まっても上まで及ばない仕組み。

宗教二世・青木(偽名)は闇バイトに応募しては報酬を得ていた。彼は獲物をすべて分捕るため冷静に計画・準備。証拠・証人を残さないためターゲットを殺害して、死体を処分する土地まで用意した。簡単に実行してしまう。上層部も黙っていない。裏切者・反逆者を追い詰める。こちらも暴力は当たり前。青木も殺される。大阪市内・府内から奈良、神戸、名古屋、東京、犯罪者と捜査陣が走り回る。

殺伐とした事件。捜査する刑事たちは地道に確実に犯人たちに迫る。常に前向き、ジョークをはさみながら汗を流す

表紙カバーの絵はヒキガエル。青木が購入した古民家の庭に棲息。青木は小学生の時に遠足から持ち帰って飼育したことがある。

〈……ヒキガエルはいつもじっとしているが、獲物を見つけたときは頭を向けて間合いをはかり、長い舌を一気に出して食いつく。……〉

現場にたどり着いた刑事たちもヒキガエルを見つける。

〈「あいつは験(げん)がええらしいです。犯人(ホシ)を引く、いうてね」〉

スマホで人が集まり、凶悪犯罪を起こす。実行犯はわずかな報酬で使い捨てとわかっていて加害者になり、被害者にもなる。首謀者もバイトも際限なく現れ、消える。

(平野)

2026年9月7日月曜日

本とねこと青い自転車

9.3 東京荻窪の書店Titleから店主の随筆到着。独立開業して10年、多忙のなか、著書何冊も出版していているが、雑誌などにもエッセイ・書評を多数寄稿。それらをまとめる。

辻山良雄 『本とねこと青い自転車』 装画・挿画 坂本千明 

信陽堂 2000円+税


 

〈彼は西の港町にある真珠屋の次男として生まれ、格別な利発さもなく、ぼんやりとした子ども時代を過ごしたのち上京した。本に囲まれていると安心するという理由から本屋の仕事を志し、家では妻一人猫三匹とともに暮らす。身の丈一八〇cmにて細身、腹のまわりには贅肉が少々。大人しい性格だが現状に満ち足りているわけでもなく、齢五十を過ぎ、鏡に映る自らのつるんとした顔を見て狼狽(うろた)えた今日。〉[履歴書]

 表題作の「自転車」は、須磨海岸での補助輪付き自転車から現在の相棒まで。自転車たちと過ごした日々を思う。

9.5 台風は九州南部に停滞して、あちこち豪雨。近畿は幾分過ごしやすい気温。

朝、ヂヂババ内科診療。午後買い物。

花森書林、8月は出張販売多くてお店は長期お休みだった。10日から〈永田収写真展~思い出の古本屋~〉開催。

https://hanamorishorin.com/2026/08/info/event/1239/

 

キャベツを切っていてわが指先まで切ってしまう。ちょっと出血。家人、不注意を叱りながら手当てしてくれる。

9.6 「朝日歌壇」より。

〈下読みで泣かぬ練習くり返し子らに読み聞かす「かわいそうなぞう」 (山口県)庄田順子〉

 

(平野)

2026年9月3日木曜日

漢字と音読みの謎を解く

8.25 朝、図書館。

孫電話。夏休み終了で、姉は出来事あれこれを報告してくれる。妹はマニュキア(水で消える子ども用)がどうのこうのとグズグズ。

「BIG ISSUE」533号、特集〈新しい「屋台」ことはじめ〉。従来の屋台とは違う新しい屋台。販売や飲食提供、プラス他者とのコミュニケーションや自己表現の場となる屋台。あちこちで「屋台づくりのワークショップ」が開催されている。電車で移動可能なコンパクトなものもある。各種イベントで新しい屋台が登場しそう。



8.26 仕事夏休み、朝のうち図書館。

「朝日新聞」〈声 Voice〉の読者投書欄、「近所の本屋消え やり切れぬ思い」(福島県 藤原健司さん)。今月末で近所のスーパー内の本屋が閉店する。本と本屋体験を振り返り、「何ともやり切れない」思い。小学生時代に読んだ童話をその本屋で購入して読み直し、忘れていた結末に驚く。明治の話、主人公はランプで財を成すが、電気の普及で落ちぶれる。新美南吉『おぢいさんのランプ』。

〈主人公が「新しい時代の商売」として始めたのが本屋だったのだ。その本屋が消えて行く現実に複雑な思いが残った。〉

 買い物帰り、元町商店街で旧旧同僚・タケさん。だが、あちらはすぐに私をわからない。電話が通じなくなっていて、5年ぶり。立ち話で近況を報告し合い、住所を訊いて拙著を送る。

 本屋さん、新書2冊と黒川博行の犯罪小説。

8.27 朝起きるなり家人が「今日はちゃんと聞いたで、寝言!」と。ヂヂイがよく寝言をモゴモゴ言っているらしいが、本人は全く知らない。心の秘密でも叫んだのかとドッキリ。「せんさんびゃくよんじゅうろくえん、て言うてた」。本屋時代のレジの夢か、一切記憶なし。

 図書館、ハーンさん。

8.28 『茨木のり子全日記Ⅰ』読了。読んでいる途中で紹介したから、1961年(昭和36)の夫の蜘蛛膜下出血と闘病、鬱病発症に触れていなかった。のり子も頭痛に耐えながら、詩人・作家の仕事が増えていく。苦しい時期だが、夫が少しずつ快方に向かうことや、家事・裁縫、芸術鑑賞、家族・友人との交流を励みに穏やかに生きる。洗濯機・ミシン購入で喜び、家計を愚痴り、批評に怒る。

〈私が詩を書くのは、自分自身を潑剌とせしめ、ひとびとを潑剌とさせるためだということがわかってくる。そういう欲求に根差した行為だということが……。〉(1959.5.22)

9.1 朝図書館、ハーンさん。午後買い物。本屋さん、メモを書き間違えていて、文庫探すのに右往左往。帰り道、おにぎり持った古書店主にバッタリ。

 

中澤信幸 『漢字の音読みの謎を解く 呉音・漢音・唐音の奥深い世界』 中公新書 920円+税



 日本の漢字には読みがたくさんある。音読み、訓読み。漢字は中国伝来だから、音読みは中国語。その音読みに、呉音・漢音・唐音という3種類ある。本書表紙にあるように、「行」は、呉音「ギョウ」、漢音「コウ」、唐音「アン」。なぜ日本の漢字の読みはこれほど複雑なのか。文字によっては慣用音というのもある。

「音」それぞれ伝えられた時期や経緯が異なる。漢音は飛鳥時代から平安時代に遣唐使などを通じて。呉音はそれ以前に仏教経典とともに。唐音は鎌倉時代禅宗によって。

新しい読みが伝わってきても従来の読みがそのまま使われてきた。それはなぜか。

 日本人が外国語である漢字を文字として使う、その積み重ねのなかで、先人たちは読み書きを整備してきた。その整備で、たとえば「明」は漢、慣用音という枠を作った。

 著者は1971年生まれ、山形大学人文社会科学部教授、日本漢字音韻研究。難解複雑な学問の成果を体系づけてわかりやすく解説してくれる。ヂヂイには音韻論や中国語諸方言の話は難しい。

(平野)

2026年8月26日水曜日

茨木のり子全日記Ⅰ

8.18 歯科定期診療。20数年通っているのに、院長以外のスタッフさんの名前まったく知らないできた。皆さん名札つけていない。長く担当してくださった衛生士さん何人もいらしたのだが(最長5年)……。インターン研修(?)の人が何度か名前を呼ばれていて、初めて知ったのが○○君。

8.23 「朝日歌壇」より。

〈本好きの意地を感じる絶やすまいと本屋のあとに本屋ができて (東京都)白河清〉

8.24 残暑と言うにはあまりに暑い。日本の暦とはますますかけ離れる。若い時は、流れる汗は仕事終わってビールで補給、だったが、もうガブガブ呑めない。

 

『茨木のり子全日記Ⅰ 1949-1952/1955-1962』 katsura Books 5000円+税



 詩人・茨木のり子(1926~2006年)の日記全3巻の第1巻。本年は生誕100年、没後20年にあたる。

第1巻は詩人23歳から35歳の頃。三浦安信と結婚し、大岡信、谷川俊太郎らと同人誌に参加、「茨木のり子」のペンネームで詩作。ラジオドラマの台本や書評記事を執筆。有名な「わたしが一番きれいだったとき」は57年(昭和32)発表だが、日記には言及なし。私生活では新婚生活(献立、家計のやりくり、甘い生活も口喧嘩も)から家族・親戚・ご近所付き合い、本や演劇・映画の感想、それにマイホーム建設までの苦労も綴られる。

 婦人雑誌編集者から詩を依頼されて原稿を渡すが、ダメ出しされて。

〈……字数を揃えることや、こまごましたこと、きいていると馬鹿らしくなってきて、しまいにはムカムカしてきた。マスコミというか、ジャーナリズムというか、そういうものが「詩」をどう考えているのかが、歴然とわかった。ツマミ程度にしか考えていないのだ。よくよく注意して引きうけねばならない。〉(1958年1月の記載)

(平野)

2026年8月16日日曜日

世界の書店を旅する

8.10 「NR出版会新刊重版情報」着。1969年、人文・社会科学系の小出版社8社が集まり、「NRの会」を結成。名称は「NR出版協同組合」を経て「NR出版会」。増減しながら現在7社が加盟して、営業活動などを共同で行っている。70年から「NRの会新刊・重版情報」を発行。このたび通巻600号となった。出版情報に加え、出版人・書店人による連載コラムがあり、ヂヂイも何度か書かせてもらった。本号にも2017年イチさんイトさんと並んだ写真が掲載されている。



8.11 図書館でハーンさん調べ。2階のふるさと文庫コーナーで海文堂書店の書皮とチラシ展示中。11月末頃まで。ありがとうございます。

https://www.city.kobe.lg.jp/a09222/kosodate/lifelong/toshokan/event/exhib2f.html

 

8.12 地球温暖化、日本亜熱帯化。関東地方に台風上陸して西に進んできた。あちらは被害大きい。台風のあと線状降水帯発生して豪雨。お見舞い申し上げる。

8.15 敗戦の日。図書館でハーンさん調べ。

 

ホルヘ・カリオン 野中邦子訳 『世界の書店を旅する 増補新版』 白水社 3800円+税 2013年原書初版、2019年邦訳初版。2025年原書版を反映して改訳、解説追加。



 著者はスペインの作家・文芸批評家。各地を旅して、書店を訪問し、佇まいや品揃え、歴史、ゆかりの作家・芸術家、お客と書店人たちの姿を紹介する。国・地域によって本の流通や書店の形態は少し異なる。著名な書店は、新刊・古書を併売し、出版もし、お客たちにコーヒーやワインを提供し、サロンとなる。世界中の読書人に名を知られる書店、最古の書店、最大の書店、世界の果ての書店……、本の歴史、印刷・出版の歴史をからめながら、いろいろな書店とお客、文化人とのエピソードを綴る。

世界レベルで書店がなくなっている。その大きな要因は言うまでもなく、書籍のオンライン販売の普及。画面で在庫がわかり、注文すればすぐに届く。都市部の繁華街は家賃高くで書店の収益では営業できない。書店が減ることでますますオンラインが増える。何より読書人口が減っている。それでも著者は紙の本と書店・書店人の力を信じている。

〈都市を再訪するたび、私はお気に入りの書店へ足を運ぶことにしている。とくに興味を引かれる店、感情や知識と強い絆が結ばれた店。時にはすでに閉店していることを知ったりもするが、ひどくがっかりはしない。というのも、たいていの場合、別の書店がオープンしているからだ。それらがやがて私の人生にとって大事なものとなり、なによりも書店が存在するその街にとって重要になる。都市や図書館や肉体と同じように、書店も層を重ねてゆく。そしてその層は存在と不在の両方でできている。〉

 閉店で「鋭い痛みを伴う」こともある。各地で独立系書店が増え、カフェやホテル、工房など多様な形態を備えて連携している地域もある。進展する通信情報技術、流通ネットワークは一人ひとりの人間とつながって、書店・書店人とも共生して力を発揮する。

〈……紙の本――あの完璧なテクノロジー――はデータベースに登録され、たぶん植物や猫たちに囲まれ、同じく共生関係にある書店員たちに付き添われ、さまざまな存在論をもつ関係性のシステムを構成する。それはやがて読者、支援者、大勢の常連客からなるコミュニティへと広がり、その相互作用は個人に影響を与え、あるいはワークショップや読書会を促し、ソーシャルメディアを通じてデジタル空間にも波及する。紙の本にしか手を出さない読者――私もそのひとりだ――にとってさえ、現代の読書はつねにサイバネティックである。(中略、書店は、21世紀のハイパービューイング・プラットフォーム=視野が広く対応速度の速い環境基盤であり、情報を理解するための中心)だからこそ私たちは書店をつねにアップデートし、大切にするべきなのだ。書店に去られたくなければ、書店を見捨ててはいけない。〉

 本書文中に登場する日本の書店は、リブロ(村上春樹がウェブ上でファンと交わしたやり取りが本になっていて驚く)、丸善(若き日の黒澤明が立ち寄ったが店は閉まっていて、その2時間後に関東大震災で焼け落ちた)。写真、「蔦屋書店」「SHIBUYA Publishing&Booksellers」「ロス・パペロテス」。

著者の回想。〈子供時代、とりわけ思春期に、人は書店と恋に落ちる。〉

私が購入した書店で、小冊子「紙はどこで終わり、ディスプレイはどこから始まるのか?――疑問符に満ちたソウルへの旅」をいただいた。

本との偶然の出逢い、などというロマンはもう通用しないのか。私は書店という空間にいることだけで楽しかった。

(平野)