2026年10月13日火曜日

火山 旅への試み

10.6 「BIG ISSUE 日本版」創業者の佐野章二さん逝去、84歳。

https://www.bigissue.jp/2026/10/35191/

「BIG ISSUE」536号、特集〈オンライン化する「ギャンブル問題」〉。オンライン化で24時間365日賭博場開帳状態。

 元町駅前の販売員さんに佐野さん逝去のお悔やみを申し上げる。

 


10.7 ノーベル化学賞、硤合憲三(そあい・けんそう)さん受賞。テロップの漢字読めないからテレビニュースを静かに聴いた。

10.8 10日(土)三宮で出版学会主催の公開イベント、ジュンク堂創業者トークあり、11日(日)は大阪難波で同学会がジュンク堂の重鎮ふたりにインタビュー(非公開)予定。ところが、重鎮のおひとりが体調悪くて、このヂヂイがピンチヒッターに。たとえて言えば、ロサンジェルス・ドジャースのMVPトリオ登場なのに、ポンコツが代打指名されたみたい。知人からは、「人前でしゃべるな、アホがばれる!」と言われているのに、恥さらし。

10.10 三宮の喫茶店でジュンク堂書店創業者・工藤恭孝さん講演会。ジュンク堂書店創業50周年を記念して出版学会が主催。書店・出版社・図書館関係者、一般読者ら会場満員の盛況。懐かしいお顔の皆さんにお会いできた。お互い年取った。工藤さんのお話は記憶力抜群で人名や数字がスラスラ。創業時のご苦労を改めて知った。私は最初から順風満帆でスタートして、書店業界に旋風を巻き起こした、と思い込んでいた。開店時は書店組合の反発もあり、出版社から本が思うように入荷せず、入口に週刊誌を積み上げていたそう。他都市の大型書店のアドバイスあり、協力してくれる出版社あり、社員の皆さんの努力あり、で地歩を固めてきた。

 私は故村田耕平さんから工藤さんの書店組合でのご苦労をよく耳にしていたけれど、経営については初耳のことばかり。工藤さんは現場を離れておられるが、出版業界・書店業界だけではなく、神戸の将来についても気を配っておられる。

 夕刻の懇親会にも参加。顔なじみの方や出版学会の方々(ほとんどが海文堂書店閉店後の入社)とお話でき、楽しい時間でした。

 

大江健三郎 『火山 旅への試み 大江健三郎デビュー前小説集』 講談社 1800円+税



 大江が東京大学在学中に下宿した大家さん宅から小説原稿2篇「暗い部屋からの旅行」(1955年)と「旅の試み」(1957年)が見つかり、東大文学部大江健三郎文庫により本人直筆原稿と確認された。本書では、単行本未収録の「火山」(教養学部学友会機関誌『学園』1955年9月)と「黒いトラック」(『学生生活』1956年7月号、学園評論社)と合わせ収録。いずれも政治運動、平和問題、ヒューマニズム、若者の閉塞感がテーマ。大江の執筆活動スタート地点。後の作品の習作であり、大江が生涯実践してきた「書きなおし」の原点。

「火山」

ユマニスト党の党員だった従妹L子は同志に不信を抱いていた。L子は自殺。その当日、僕はS火山に向かう。途中鉱山技師と一緒になり、登ると、火山は外国軍の基地になっていた。二人は地元民からスパイの嫌疑をかけられる。火山が噴火しはじめる。L子が火葬される日だった。僕は彼女に対して傍観者だった、彼女の死に責任を負うべきでは、と悔いる。技師は新物質を探るため、また地元民を避難させるため、山に登る。

〈……僕は愛情に満ちた畏怖を彼に感じた。しかし僕は彼に協力する勇気を持っていないし、それが何か愚かな腹立たしいことのようにさえ感じる、この分別が僕をいつも駄目にした、L子の場合もそうだ、と僕は思った。空を炎やす火の流出を見詰めながら僕は技師に対して畏怖を感じているのか、L子に対してかわからなくなっていた。〉

 大江逝去から3年。作家はまだ読者を驚かせてくれる。

(平野)

2026年10月4日日曜日

夜の太鼓

9.30 近畿はようやく晴れ。「やっと晴れました」が朝の挨拶。関東はまだ雨が続く。

福岡アリスから飲み会の誘い。フランス文学・そう様が六甲道降臨の由。都合つかず欠席返事。

 海文堂書店閉店から13年。ヂヂイはあの店に10年と半年勤めただけだ。マンション仕事のほうが長くなった。

10.3 「朝日新聞 オピニオン&フォーラム 耕論」〈「紙の本」生き残るには〉。研究者、ジャーナリスト、製本所経営者が語る。出版社・取次・書店だけではなく、物流を担う業者、製本など関連業種にとっても危機。

プロ野球セントラルリーグ、虎組優勝。終盤少しもたついたけれど、強かった。おめでとうございます。

我らの燕組は出だし成績良かったが、次第に減速。長年の功労者・石川雅規(まさのり)投手引退式典がテレビで放映。せめて勝利で送り出してあげたかった。球界現役最年長、「小さな大投手」、お疲れ様。

10.4 「朝日歌壇」より。

〈図書館に貸出し予約六十人老い方を説く本の人気よ (町田市)村田知子〉

〈震災に残りたる本も本棚も残らず水は攫つてゆきぬ (羽咋市)北野みや子〉

〈かはいいを前面に出し編まれたるクマの親子の写真集見る (相馬市)根岸浩一〉

「朝日俳壇」選者の大串章さんが10月1日急逝。ご冥福を祈ります。

 

石垣りん 『夜の太鼓 新版』 ちくま文庫 900円+税



 詩人のエッセイ集。銀行を定年退職して以降のもの。ひとり暮らしをはじめた。

〈私は一日中アパートの六畳一間で、新聞を読んだり少しばかり物を書いて暮らしているので、夕方になると世間の人に立ちまざる喜びと、運動を兼ねて買物に行く。ひとり暮しに必要な品はごくわずかで、立ち寄る店も限られていて、出費も少ない。〉(「商店の目」)

 日常の買い物、行きつけの店やなじみの店ができる。当然通り過ぎるだけの店もある。ある日冷たい言葉を投げられた。その店からすれば自分は「ケチな客」なのだろう。「通りを行く人間は見られているのだ」と思い知らされる。

社会問題、戦争の記憶、家族や友人、飼い猫、詩のこと。日々の暮らしのなかで大きな波が立ち、小さな風に揺られる。

 表題作、房総半島日帰り旅で昔聞こえた太鼓の音を思い出す。若き日帰郷、船で東京から伊豆大島を経由して南伊豆に向かう。既に戦争が始まっていて、航路も安全ではない。海上、房総半島から太鼓が響いてくる。トコ、トントン、トン、トコトン。祭だろうか。

〈あの辺りはまだ安心というものがあるのかという驚き。心の底から湧いてくる羨しさと喜びに打たれていました。〉

 房総の海辺で、もしかしたらあの夜の太鼓はこのあたりで打っていたのでは、と考える。何十年の時を隔てて太鼓の音が響いてくる。

〈汽船で夜の海を渡って行った若い日の私は、翌朝まちがいなく伊豆に着いたけれど、その先の人生行路には空襲も、飢餓も、病気も待ち構えていたのでした。/胸のあたりで軽く腕を組み、沖の方を見つめていたら、音ともいえない小さな鼓動、心臓の音がトントン、コトコトと手のひらに伝わってきました。〉

(平野)

2026年9月29日火曜日

志記二 瑠璃と玻璃

9.25 ヂヂイが書店員引退して13年になろうとしている。なのに、東京の出版営業さんから三宮でのイベントのお誘いをいただく。10月、神戸の書店創業者のお話会。せっかくなので参加申し込み。10月は大阪でも大きなイベントがある。こちらはまだ考え中。

9.26 朝晩過ごしやすくなった。日中は汗ばむものの、着替えるほどではなくなった。

 六甲の古書愛好・タカさんから新刊書届く。感謝いたします。Xで精力的に発表している古書ばなしに加筆。

9.27 「朝日歌壇」より。

〈亡き兄がまとめし妣(はは)の短歌集読者独りの我が愛読書 (横浜市)瀬古修治〉

 

髙田郁 『志記 二 瑠璃と玻璃』 ハルキ文庫 角川春樹事務所 820円+税



江戸文政年間。医者を志す蔵源美津(くらもと みつ、播州生まれ)と刀匠を目指す高越暁(たかこし ぎょう、備前出身)は同年同月日の生まれ。ともに封建的な男社会で修業する。暁は次第に兄弟子たちの信頼を得ていく。一方、美津は先輩たちに比べて知識も技量も劣るし、診察見習いで患者から拒否される。優秀な後輩も入塾。暁と親交したいが、暁は関心なし。

美津が悩んでいる最中、海外からコレラが侵入。じわじわと国内に蔓延していく。被害の情報に江戸の医師たちは戦々恐々。美津は郷里の父を心配する気持ちを暁に打ち明けるが、暁は修業の覚悟を語り、突き放す。美津も自分を問い直す。コレラは江戸まで来ぬうちに収束した。

刀匠家のお手伝い・節が大出血し、暁が連れて来る。節が男性医師を拒み、美津が一人で診察する。的確な診断と治療を行い、師匠から励ましを受ける。美津もようやくスタート地点に立つ。

副題の「瑠璃と玻璃」は仏教の七宝。江戸いろは歌留多の「る」は「瑠璃も玻璃も照らせば光る」。美津の父(暁の火傷を治療)と暁の師匠がふたりのことを話題にする。

〈たとえ石ころに埋もれていたとしても、瑠璃も玻璃も、光を当てれば自ら輝きだす。(中略)「瑠璃と玻璃、見た目は全く別物だが、どちらも同じ宝の石さね。さながら、瑠璃は美津さん、玻璃は暁ってとこでしょうかねぇ」〉

『みをつくし料理帖』の「つる家」がちらちら登場。

(平野)

2026年9月24日木曜日

歌・句・諺のはなし

9.19 家人は孫のお守りに向かう。台風25号と小型孫台風に突っ込んでいく。ヂヂイ留守番。

9.20 「朝日歌壇」より。

〈来るたびにわが書棚から数冊の本を持ち去る本好きの孫 (魚沼市)磯部剛〉

 数か月前に元同僚にパソコンメールしていた。パソコンはあまり使わないとはわかっていたが、連絡方法それしか知らない。今日返信来た。元々たいした用事ではなかったので、「お元気?」で話終了。

「BIG ISSUE」534号、535号。表紙、前者はタイの漫画家・ウィスット・ポンニミット「マムアンちゃん」。本誌で19年連載中。後者は俳優・松たか子、主演作「ナギダイアリー」の話。



9.21 敬老の日。銀行に記帳しに行ったら、隣のATMでご老人が、引き出し画面にならない、とお困り。余計なお世話だけど、個人情報を見ないようにして最初からやり直したら、解決。

 

『歌・句・諺のはなし』 柳田國男 折口信夫 高浜虚子 中公文庫 1000円+税



 原本は1930年出版〈日本児童文庫〉シリーズの『歌・俳句・諺』(アルス)。折口が短歌、高浜が俳句、柳田が諺について児童読者のために書き下ろしたもの。1927年の柳田講演から「諺と謎々」を追加。

 歌。古代神様の言葉として、「称え言(となえごと)」=祝詞とそれから進んだ「ものがたり(原文傍点)」の二つの言葉が信じられてきた。「称え言」のある部分は諺となり、「ものがたり」の肝腎な部分が歌となる。諺は、命令の意義から変化して社会的訓戒、また人間としての心がけというふうに変化してきた。

〈さて歌は、どこまでも、自分の心を詳しく、相手の心を牽(ひ)くようにいい出すものであります。そして、低い神様、或は位置の高い人間から、神様に申し上げる言葉が、次第に、人間どうしのいいかけいいあわせる、かけあい(原文傍点)の言葉に利用せられて来ました。そうして、神様の言葉すらも、やはり、歌で現されることになりました。それは大方、三つの句の形になったものらしく考えられます。〉

 古代の歌、万葉集、古今和歌集、中世の和歌集、江戸時代の和歌を鑑賞する。優美という趣味、無名の人が詠んだ歌の情感など、読者の目線で解説する。

 虚子は落葉を題材にして俳句と文芸の面白さを説く。落ち葉掃除という面倒な仕事から落ち葉の考察、落ち葉の景色、落ち葉の絵や文章などその深い趣を見出す過程を具体的に語る。落ち葉を詠んだ俳句をさまざま分類して見せる。

 柳田は、諺はダメな人を責めたり励ましたりすることが目的ではない、と説明。

〈……噂に上る当の相手よりも、黙って傍らに聴いている大勢に、なるほどよくいった、うまいことをいうものだと思わせる方が主であって、それがまた直接に本人を叱るよりも、もっと大きなききめがあったからであろうと思います、(中略)仲間どうしの悪口はもと一つの練習でありました。世間すなわち知らぬ人の中にはいって、あまり大きな恥をかいて来ぬように、前から少しずつ笑われる辛さを覚えさせ、またなるたけ笑うことのできる人に早くしようとしたのであります。〉

(平野)

2026年9月19日土曜日

大江健三郎を読む

9.13 「朝日歌壇」より。

〈図書館のやたらごっつい貸眼鏡秋の光の大活字めく (東京都)牧田涼子〉

〈原爆を描きし本を十五冊八月六日の教室に置く (上田市)笠井淳〉

〈薄給の息子が行くたび本を買う個人経営の小さな本屋 (名古屋市)百々奈美〉

 高槻の親戚法事。大学生も帰国。

9.14 孫から敬老メッセージ届く。大事にしているシールを目いっぱい貼ってくれている。

9.15 新聞に著名人訃報が続く。ご冥福を。

9.17 長雨からようやく晴れて墓参り。

 

『大江健三郎を読む 文学と歴史の複眼的視点から』

小森陽一 成田龍一  長瀬海構成 集英社新書 1350円+税



 小森は日本近代文学研究者で「九条の会」事務局長。1982年成城大学文芸学部に職を得、近所に住む大岡昇平と立ち話。ちょうど大江健三郎親子の姿が見えて、大岡が「光さん」と「大江くん」と教えてくれる。「さん」「くん」の理由を訊ねると、

〈「光さんの音楽は完成の域に達しているけれど、大江くんの小説はまだまだだからね」と、ニヤリとされました。小説家同士の相互評価がどれだけ厳しいものなのか、ということを、このとき私は突きつけられたように思いました。〉

成田は近現代日本史研究者。

〈大江を取り上げるのは、大江が「戦後社会」の全体に目配りし、長きにわたって発言を続けたとともに、いま一つ、二〇二〇年代の危機があるからです。世界史は冷酷に、目の前で新しい危機を発生させています。二〇二二年二月のロシアによるウクライナ侵攻、それが収束しないなかでのイスラエルとパレスチナの衝突。そうした現在、世界のなかで起きている危機をどう捉えればよいのか。一九七三年の時点で、すでに「新しい戦前」という言葉を用いて核時代の危機を指摘し、時代と向き合ってきた大江健三郎の営みを手がかりに答えを探っていこうというのが、この対談の趣旨です。〉(成田)

 大江の初期短篇、エッセイ、晩年の作品まで読み直して、大江が書いた「戦争」「戦後」「『戦後』後」を考える。それは文学作品研究だけではなく、国際政治・社会問題・歴史を考えること。

 小森は個人的体験=文学的語りで話を進め、成田が文学=フィクションと歴史学=科学を区別し、広い視野で作品を読む。

(平野)

2026年9月12日土曜日

流砂

9.8 近畿も大雨。

 先日紹介した『本とねこと青い自転車』の著者は大学入学まで須磨で暮らした。地元の本屋さんのことを書いている一文があるので、元店主さんにお知らせ。いらぬおせっかいかも。

 雨の中、歯医者さんに向かう。外出を待っていたかのように大粒が降ってきた。

9.11 昨日は台風一過、青空も見えたが、今日は雨模様。

9.12 朝、図書館。ハーンさん調べ。神戸の新聞社勤め時代の論説(1894年=明治27年10月)「地震と国民性」。相次ぐ自然災害(91年濃尾地震、93年中国地方台風による洪水、94年山形県地震)と日本人の国民性について。「災害の後に見られる日本人の素晴らしい回復力、あるいは苦難に際しての見事な忍耐力」を称賛している。

 

黒川博行 『流砂』 新潮社 2500円+税



 著者得意の犯罪小説。今回は「匿名流動型犯罪」=トクリュウ。首謀者は綿密な計画があるようだが、実行役は闇バイト募集の寄せ集めで暴力も辞さない。高齢者を狙う詐欺犯罪から近年は暴力強盗に様変わりしている。監督役、リクルーター、受け子に出し子、ケツ持ちの暴力団、金主など階層があり、情報屋に偽造屋などもある。実行犯が捕まっても上まで及ばない仕組み。

宗教二世・青木(偽名)は闇バイトに応募しては報酬を得ていた。彼は獲物をすべて分捕るため冷静に計画・準備。証拠・証人を残さないためターゲットを殺害して、死体を処分する土地まで用意した。簡単に実行してしまう。上層部も黙っていない。裏切者・反逆者を追い詰める。こちらも暴力は当たり前。青木も殺される。大阪市内・府内から奈良、神戸、名古屋、東京、犯罪者と捜査陣が走り回る。

殺伐とした事件。捜査する刑事たちは地道に確実に犯人たちに迫る。常に前向き、ジョークをはさみながら汗を流す

表紙カバーの絵はヒキガエル。青木が購入した古民家の庭に棲息。青木は小学生の時に遠足から持ち帰って飼育したことがある。

〈……ヒキガエルはいつもじっとしているが、獲物を見つけたときは頭を向けて間合いをはかり、長い舌を一気に出して食いつく。……〉

現場にたどり着いた刑事たちもヒキガエルを見つける。

〈「あいつは験(げん)がええらしいです。犯人(ホシ)を引く、いうてね」〉

スマホで人が集まり、凶悪犯罪を起こす。実行犯はわずかな報酬で使い捨てとわかっていて加害者になり、被害者にもなる。首謀者もバイトも際限なく現れ、消える。

(平野)

2026年9月7日月曜日

本とねこと青い自転車

9.3 東京荻窪の書店Titleから店主の随筆到着。独立開業して10年、多忙のなか、著書何冊も出版していているが、雑誌などにもエッセイ・書評を多数寄稿。それらをまとめる。

辻山良雄 『本とねこと青い自転車』 装画・挿画 坂本千明 

信陽堂 2000円+税


 

〈彼は西の港町にある真珠屋の次男として生まれ、格別な利発さもなく、ぼんやりとした子ども時代を過ごしたのち上京した。本に囲まれていると安心するという理由から本屋の仕事を志し、家では妻一人猫三匹とともに暮らす。身の丈一八〇cmにて細身、腹のまわりには贅肉が少々。大人しい性格だが現状に満ち足りているわけでもなく、齢五十を過ぎ、鏡に映る自らのつるんとした顔を見て狼狽(うろた)えた今日。〉[履歴書]

 表題作の「自転車」は、須磨海岸での補助輪付き自転車から現在の相棒まで。自転車たちと過ごした日々を思う。

9.5 台風は九州南部に停滞して、あちこち豪雨。近畿は幾分過ごしやすい気温。

朝、ヂヂババ内科診療。午後買い物。

花森書林、8月は出張販売多くてお店は長期お休みだった。10日から〈永田収写真展~思い出の古本屋~〉開催。

https://hanamorishorin.com/2026/08/info/event/1239/

 

キャベツを切っていてわが指先まで切ってしまう。ちょっと出血。家人、不注意を叱りながら手当てしてくれる。

9.6 「朝日歌壇」より。

〈下読みで泣かぬ練習くり返し子らに読み聞かす「かわいそうなぞう」 (山口県)庄田順子〉

 

(平野)