3.26 英文学・大狸教授から大学紀要をいただく。教授論文は先達・竹友藻風、寿岳文章らと英詩人エドマンド・ブランデンとの人間的な交流を探るもの。ぐうたらヂヂイには難しい。心して読まねば。
久々に孫(姉)とLINE電話。春休み、学童保育で元気に過ごしている様子。「あゆみ」(通信簿)の記載を読んでくれる。
3.28 朝刊で、3月3日漫画家・つげ義春さん死去を知る。88歳。ご冥福を。
3.29 「朝日歌壇」より。
〈進撃の巨人を百倍したほどの巨大な笑顔で孫やってくる (船橋市)藤本典裕〉
迎える方は千倍万倍、それ以上。
永井紗耶子 『青青(あおあお)といく』 KADOKAWA 1900円+税
『木挽町のあだ討ち』の著者。実在の人物を題材にした歴史小説だが、主人公は末弟子・弥兵衛という設定。
江戸時代後期の儒学者・海保青陵(かいほせいりょう 1755~1817)は京に住まい。父は元宮津藩家老で儒学者。青陵は俊才の誉れ高く、学問の道に進む。自由に生き、自由に考え、行動したい。尾張徳川家に召し抱えられるも、改革の意見を受け入れられずノイローゼ。弟が家と役を引き継ぐ。母方の遠縁の姓「海保」を名乗る。門弟に武家、医師の他、豪商といわれる商人も多い。諸国の産業育成・経済改革にも助言をする。
弥兵衛は弓師の跡継ぎ息子だが、不器用で弓職人は無理、弓術も上達しない。算盤勘定は得意ゆえ、母が青陵の『稽古談』(経世済民を説く)を読ませる。弥兵衛は商人として世の中の力になりたいと、青陵に弟子入り。伝統を受け継ぐ、親孝行する、店を守る……、弥兵衛はそれだけでは「心が躍らへん」。青陵は、若いうちは見聞を広めよ、と励ます。
〈「せめて、心だけでも、何の型にも囚われることなく、好きなだけ羽ばたきたい」/自分で口にして、弥兵衛は己がそんなことを考えていたことにはたと気付かされた。すると目の前の青陵は、嬉しそうにぱっと顔を綻ばせた。/「それを何と言うか知っているか。自由自在と言うのだ」〉
その青陵が急死。弥兵衛が弟子になってまだ4か月ほど。本書ではまだ18ページ、序章部分。遺言は、墓不要、遺灰は空に撒け。弥兵衛は兄弟子の暁鐘成(実在人物、大坂の醤油問屋の息子、戯作者。永井は「かねなり」とルビをふるが、資料によっては「かねなる」とも)とともに、諸国の門人・所縁の人々に青陵の死を知らせ、弔いの相談をするとともに、生前の思い出、業績などを尋ね歩く。実弟・彪(たけし)、絵師・司馬江漢、川越の商人、忍藩の元家老、加賀藩の元出銀奉行、各藩の若手の要職者たち。青陵の行動、思想によって大きく人生が変わった人たちだった。献策するも孤立し、心労から命を失った人もいる。それでも青陵の魅力が人を引きつけた。元奉行は青陵について、人にとても優しいし、情に厚い、だからこそ亡くなった者を案じたし、自分の考えを押し付けなかった、むしろ教えを受けた者が勝手に恐れたり、うろたえたり、心酔したりしてしまった、と語る。
弥兵衛と鐘成は門人たちに旅の成果を報告。納骨の場で、遺灰半分散骨、半分納骨となる。号「青陵」の由来は『荘子』の言葉らしいが、弟子たちは古詩の「青青陵上柏 磊磊礀中石~」が先生らしいと語り合う。
「……短い人生、大いに楽しもう。旅に出て、共に唄い、飲み暮らせば、邸宅なんぞなくとも、王の如く楽しいと、人生を謳歌する詩でございますな」
弥兵衛の母が青陵の本を持っていた訳(因縁)も明らかになる。
安政2年(1855年)、墓建立から37年。既に弥兵衛早世し、鐘成(名は変わって鶏鳴舎暁晴翁)ひとり青陵の墓参り。適塾で学ぶ若者がお参りにくる。後に英語のeconomy を「経済」と訳す福沢諭吉である。青陵の思いは受け継がれる、という鐘成の感慨。
(平野)