2022年4月28日木曜日

神戸バンビジャンキー

4.26 (つづき)横山ホットブラザーズの次男さん亡くなった。長男さんも一昨年鬼籍に。中高年関西人は子ども時代絶対やっている、「お~ま~え~は~あ~ほ~か~」「きょう~ちょっと~さ~むいな~」。合掌。

4.27 昼休みに近所の公園で本を読んでいたら、通りがかったご婦人から、公園で読書いいですね、と声をかけられる。黙礼。前日の雨で空気さわやかだけど散歩の人少ない。

「みなと元町タウンニュース」357号着。一面「ウクライナに広がるひまわり畑」 元町映画館支配人・林さん、二面「海という名の本屋が消えた(102)」平野、三面「みなとMOTOMACHIケンチクさんぽ」畑友洋建築設計事務所・畑さん、四面「出来事ファイル」他お知らせ。Web版はもう少しお待ちを。

 


 南輝子 『歌文集 神戸バンビジャンキー』 ながらみ書房 2000円+税



 南は1944年生まれ、歌人・画家、神戸市西区在住。

 1960年代後半から70年代、三宮のジャズ喫茶「バンビ」に集まる若者たち、学生もいれば肉体労働者もいる。そして、おとなの芸術家たち。南もそのひとり「バンビジャンキー」。コーヒー1杯で何時間も入り浸る。店のおばちゃん(ママ)も許していた(後年時間制限性になった)。

〈バンビに巣食ってできそこないの詩のようなものを書きちらしジャズに溺れたはるかなわが青春放浪時代、バンビに溺れ、青春に溺れ。いま私は神妙に机にむかい昔の回顧にふけっているなんて。人生は不可解であるいきあたりばったりであるなりゆきであるインプロヴィゼーションである。(後略)〉

〈この地球激甚災害感染症 死者がささやく驕りについて〉

今も縁がつながっている友、逝ってしまった友。「バンビ」もなくなった。

……ジャズ、青春、ほんの一瞬、ピュアに輝く。君は、いまを、時代を、世界を、生きているかい? 青春が問いかけてくる、命尽きるまで。〉

 文化芸術の力を信じる、若者の声に希望を持つ。

〈変はる変はる時代は変はるよディラン唄ふ変へやう時代扉こぢあけ(「扉こぢあけ」にルビ「エポック ノック」)〉

(平野)海文堂書店にも一章。

〈セルリアンブルーに眠れ ひと夜ぢゆう青をむさぼる青に埋もれて〉

ありがとうございます。

2022年4月26日火曜日

小三治の落語

4.24 「朝日歌壇」より。

〈五十九で逝った母の本棚に「六十からの生き方」という本 (高松市)大友明〉

 雨。図書館、「光村弥兵衛」調べ。幕末周防国出身、江戸、下田、横浜を経て神戸に。西洋小間物屋から始め、海運で巨富を築いた。『従六位光村彌兵衞傳』(中西牛郎編・発行、1894年)という本がその後の「弥兵衛」に関する記述――長谷川伸の随筆や息子「光村利藻」に関する本――の種本。弥兵衛は一旗あげるべく奮闘努力、チャンスありピンチあり。知恵と行動力で事業を切り開いた。『傳』は面白エピソード満載ながら、神戸以前の半生は確かな証拠がない。

 知床観光船事故、また辛いニュース。

4.26 俳優・山本圭3月逝去のニュース。ドラマ「若者たち」は小学生だったか中学時代だったかに見ていた。大学時代に友人がノベライズ本を貸してくれた。学参出版社だったと思うけれど、はっきりとは思い出せない。ご冥福をお祈りする。

 私の家は図書館に近い。ゆえに私は図書館に甘えている。一度ですむ用事をすぐ忘れる。歯医者さんに行く前に、前回忘れていたコピーをさせてもらう。開館前、熱心な方たちが待っておられた。

 朝から雨が降りそうで、ちょっと降っては止んで、本降りにならないうちに用事すませる。閉店間近の本屋さん、棚がだいぶ空いてきている。

 元町原稿送信。

 

 広瀬和生 『小三治の落語』 講談社学術文庫 1230円+税



 柳家小三治の落語を、寄席で直に聴いた記憶、市販のレコード・CDDVD、テレビ放送の録画などから丁寧に分析。噺のあらすじ、昭和の名人の語り、小三治ならではのとらえ方、広瀬の好みも含め解説する。江戸落語近代史を振り返ることでもある。2010年広瀬が担当した単独インタビューも収録。広瀬は音楽雑誌「BURRN!」編集長、落語ファン、落語会プロデュースも手がける。落語本著作多数。

……言うまでもなく小三治の真価は、その落語の素晴らしさにこそある。小三治は「人間という存在の可愛さ」を描く達人だ。小三治の高座で演者が全面に出て客に語りかけるのは、「噺のマクラ」の部分だけ。いったん落語の演目に入れば生身の「小三治という演者」は消え、ただ噺の登場人物だけが現われて、生き生きと動き回る。そこで展開されるちょっとしたドラマに観客は共感し、「人間って、なんて可愛いんだろう」と思って、クスッと笑う。それが小三治の落語だ。〉

 客が感動して涙を流す人情噺があるが、小三治は、ぐうたら亭主と働き者の女房の他愛ない喧嘩の噺「厩火事」を、自分にとって人情噺だ、と言う。爆笑を誘うわけではなく、演説するのでもなく、高座で飄々と語った。

2014年単行本、16年講談社+α文庫『なぜ「小三治」の落語は面白いのか?』を改題、加筆、修正した増補改訂版。書き下ろしもあり。

(平野)

2022年4月23日土曜日

物語のあるところ

4.21 孫電話。妹が本棚からどんどん本を引っ張り出して、姉は文句言いながらお片付け。妹は姉が読んでいる本を取りに行く。ハイハイ速い。ヂヂバカちゃんりん。

4.22 朝電車内で本を読んでいて、降車駅の手前で本を閉じたつもりなのに、ひと駅乗り過ごしていた。私鉄普通電車のひと駅は近いから歩いて戻った。

 

 吉田篤弘 『物語のあるところ 月舟町ダイアローグ』 ちくまプリマー新書 

760円+税



 作者が自分の書いた「月舟町」物語に入って登場人物たちと対話し、登場人物同士も対話する。こちらの頭が混乱する。ファンタジーの世界に浸りましょう。

 作者と登場人物はイコールなのか? 一人称で書くのか、三人称か? そもそもどうして小説を書くのか? 即興とは? でたらめとは? 意図やテーマは必要か? ハッピーエンドか絶望か? 小説であり小説論でもある。

 吉田が小説を書き始めて20年、一人きりで小説と向き合う。「ずっと一人きりだったのか?」と自問する。

……現実的には一人きりで書いているけれど、精神的には登場人物たちと一緒に物語を考えてきました。(略、話し、冗談を言い、笑ったり泣いたり、そんな手ごたえがある)だから、この本も彼らと一緒に話し合って書くべきだと思いました。彼らがいなかったら、二十年間、小説を書きつづけていたかどうか分かりません。そしてもちろん、読者の皆さんが読んでくださったことが常に大きな支えでした。〉

「意図とテーマ」問題で悩む作者に古本屋の親方が語る。作品は食堂の皿と同じ、皿の上に載せているものは作者にも読者にもわからない、そのわからないものを届けようとする、その試みが書いたり読んだりすること、作者はその悪戦苦闘ぶりを書けばよい、と。

……アンタが懸命に苦闘すれば、かならず読者が喜んでくれる。読んでくれるっていうのは、アンタの苦闘をたすけてくれるってことだ。(中略)アンタは書け。俺は読む。書く奴がいれば、きっと読む奴がいる。そう信じていい。〉

(平野)読者はデザイナーの片手間仕事なんて思っていませんよ。

2022年4月21日木曜日

かれが最後に書いた本

4.19 朝のうちに家事すませて、ギャラリー島田DM発送作業。WAKKUN在廊中。女性ファンが続々入って来られる。

WAKKUN展「友達がいてよかった」上村亮太展「僕、ユニヴァース」開催中。4.27(水)まで。

 




 津野海太郎 『かれが最後に書いた本』 新潮社 2100円+税



 1938年生まれ、劇団「黒テント」演出、晶文社編集、大学教授、図書館長他歴任。病気に怪我、コロナで、「自発的自宅蟄居」。古くからの友、頼りにしていた人たち、自分より若い人たちの死が重なる。樹木希林、橋本治、和田誠、池内紀、古井由吉、加藤典洋、坪内祐三、平野甲賀、小沢信男……

……そのせいで『かれが最後に書いた本』などという、当初は思いもしなかったタイトルになってしまった。それにしても、なんで私がこのリストに入ってないのだろう。なんだか落ち着かない気がするぞ。〉

 逝ってしまった友たちの本を開く。

〈若いころは親しい友人が死んだりすると、じぶんが被った喪失感もだが、それよりも死んだやつがかわいそうで、そのたびにジタバタしていた。/でも、いまはちがう。たしかにジタバタはしなくなったが、それでいて、死んだかれらとのつながりは、いまの方がつよく感じられる。動くかれらがいなくなり、私もまた、ほどなく動きを止める。三途の川をはさんでの、そんな人間同士のさしのつきあい(「さし」原文傍点)。ともあれ、案外、さっぱりしたものなのですよ。〉

 

(平野)


2022年4月19日火曜日

一九二〇年代モダニズム詩集

4.16 ずっとカゼ気味。かかりつけのお医者さんに診察してもらうにはPCR検査を受けなければならない。結果陰性だったので、本日ようやく診てもらえた。

 閉店が決まっている本屋さん、落語文庫本と新書など。目当ての本1冊なし。仕入れを抑えているのでしょう。元町駅で「BIG ISSUE429号。

 


4.17 午前中図書館、「光村弥兵衛」調べ。明治20年「神戸幼稚園」創立時に多額の寄付をした海運業者。息子が財産を使い尽くす。父子ともども波瀾万丈の人生。

 

 『一九二〇年代モダニズム詩集 稲垣足穂と竹中郁その周辺』 

季村敏夫 高木彬 編  思潮社 2000円+税



 1920年代に同人誌発表の詩を集める。詩人50名(別に児童の詩10編)のうち表題にある稲垣足穂と竹中郁は日本近代文学史の本に必ず出てくる。私の手持ち本だと伊藤整『近代日本の文学史』(夏葉社、2012年復刊)には衣巻省三と小野十三郎の名もある。神戸の詩史(君本昌久・安水稔和編『兵庫の詩人たち』1985年、同編『神戸の詩人たち』1984年、共に神戸新聞出版センター)だと、福原清、山村順、坂本遼、水町百窓、井上増吉、林喜芳、能登秀夫の名がある。他にも足穂研究書や季村の詩史著書に登場する人はいるが、ほぼ無名。50名のうち18名が関西学院出身者。

竹中が北原白秋に認められ、足穂が佐藤春夫門下に入る。ふたりがモダニズムの光の中を歩んだとすれば、日陰の詩人がはるかに多い。足穂は戦前放浪生活を送るが、戦後再評価される。

 竹中・足穂に挑むように詩作した人、彼らに新しい息吹を与えた人、戦争・貧困の中に沈んだ人、コミュニズム・アナーキズムに傾斜した人、挫折、獄死、病死、中毒死、行方不明……ほとんどの人が詩史に埋もれた。生年、没年不明者は計18名。

 季村が巻頭に置いた詩人は受川三九郎(うけかわ・さんくろう、1896年~没年不明)。1921年関西学院神学部入学。23年竹中と共に白秋主宰「詩と音楽」の新進11人に選ばれた。25年同人誌「横顔」(編輯・発行人は関学生・犬飼武)に参加。ちょうど同誌から竹中が抜け、入れ替わるような形。「……第五号から第九号(二五年九月)まで関わるが、突如消息は絶たれた」。季村は受川の作品から竹中に「挑む姿勢」を読み取る。

 二人目は足穂。三人目が猪原一郎(いはら・いちろう、本名太郎、生没年不詳)。足穂と関学時代からの親友と言っていいだろう。2年留年して年上。今東光とも親しい。掲載作品はお月様ショートショート。以下、石野重道、近藤正治、田中啓介、平岩混児……、「稲垣足穂という月のまわりの星座である」。

 季村による本書解題より。受川の詩を引用して、

……「私はここで死者であり/かつ、生者」「生きつづける聖者」であり、「狂人」、これらの言葉は二十一世紀の現在に確実に届いている。阪神・淡路大震災に出会ってから、なにものかに促され、死者を生者として、一人ひとり招来することを試みてきた。詩史に記されることのなかった存在が、こうして一冊に収められた。書物のなかから、言葉が羽ばたくことを願っている。〉

 彼らは光を浴びることなく時代を駆け抜けて行った。季村はその足跡をたどり、積み重なった詩の地層を掘り返す。

季村は前著『一九三〇年代モダニズム詩集』(みずのわ出版、2019年)で、3人の神戸モダニスト詩人を取り上げた。季村でさえ初見の詩人たち。生没年、名前の読みも不明。古い同人誌のわずかな情報から見出した。

『一九三〇年代モダニズム詩集』については本日記(2019.8.24)を。

http://hiranomegane.blogspot.com/2019/08/blog-post_24.html

 

(平野)私は作品一つひとつを評価することはできないけれど、季村の発掘作業に敬意を表する。

猪原のこと。足穂の「弥勒」に登場する「I」。足穂に佐藤春夫という作家を教えたのは猪原。共に上京して春夫宅に寄宿するが、猪原は精神的に不安定になり行動が危なくなる。今東光が猪原を評価し、「かかる境地を開拓した最初の人」と紹介した。足穂がこれに抗議し自らの独自性を主張する一方、療養中だった猪原支援に感謝した。

足穂の小説「或る小路の話」は猪原の短歌「キネマの月巷(ちまた)に昇る春なれば遠く声して子らは隠れぬ」へのオマージュ。生前足穂は、文学碑一切ご免、勝手に建てるなら猪原のこの歌をローマ字で旧トーアホテル近辺に、と語っていた。


2022年4月16日土曜日

古本食堂

4.13 『一九二〇年代モダニズム詩集』(思潮社)を少しずつ読む。ダダとかシュールとか難解。居留地、メリケン波止場、六甲山などが出てくると安心する。

 

4.15 連日孫電話。姉が自分で書いたお話を読んでくれる。おひめさまが死ぬけど生き返る。よかったよかった、めでたしめでたし。死と再生がテーマか?

 姉は画面を独り占めしようとするけれど、妹も負けずにグイグイ出てきて叫ぶし、グッパグッパして、イイコイイコできる。ヂヂバカちゃんりん。

 元町原稿校正、いきなり日本語になっていない文章あり。大丈夫か、ヂヂ?

 

 原田ひ香 『古本食堂』 角川春樹事務所 1600円+税



 北海道帯広から上京した鷹島珊瑚(たかしまさんご)。次兄滋郎(じろう)が神保町で「ちょっと有名な」古書店を経営していたが、急逝。店をどうするのか、とりあえず引き継いでみる。元介護ヘルパー、本屋経験なしだが、本好きで、積極的に接客。滋郎は全共闘世代、独身だった。珊瑚はその6歳下というと、私と同年代。

もうひとりの主人公美希喜(みきき)、珊瑚の長兄の孫、国文学科院生。珊瑚を手伝う。

一人暮らしだった滋郎の私生活の謎と古書店への思い、珊瑚が帯広に残してきたこと、美希喜の進路。古書店の今後とそれぞれの人生。

実在の書店、本、料理店・喫茶店も登場して、本と料理の街・神保町の町並みや雰囲気もわかる。

(平野) 私、初めて読む著者。名前の読み方から戸惑う。

2022年4月12日火曜日

かくして彼女は宴で語る

 4.7 JR六甲道駅前の灘図書館、元町原稿用の所蔵本閲覧。中央図書館で取り寄せをお願いするのは気が引ける。良い天気。用終わって、阪急六甲駅まで歩く。腹減った。

4.8 姉孫幼稚園年中進級。幼稚園でもおねえさんになれる、かな? 夜また電話でしりとり。

藤子不二雄=安孫子素雄逝去のニュース。

4.9 装幀家・菊地信義逝去。井上ひさし未発表戯曲原稿発見のニュースも。

 作り手たちは数々の名作を残してくれている。感謝と共に合掌。

 家人が、あんた母親の誕生日忘れてるやろ! ときつく言う。そうだ、昨日8日が誕生日だった。ほんまに親不孝者。手を合わす。

 新洗濯機到着。

4.10 「朝日俳壇」より。

〈新刊書のみの買物山笑う (三田市)橋本貴美代〉

 本日、2月に亡くなった関西出版人のお参りを海文堂関係者でするはずだったが、私カゼ気味ゆえ不義理。お供え買い物係なので待ち合わせ場所で手渡して詫びる。小林さんには昨年末に会ったけど、福岡さんは2年ぶり。抱擁・長話を控え、帰宅。

家人は実家の墓参りに行き、ヂヂひとりテレビ野球観戦。阪神虎組応援はしないけれど、負けグセついて余りに気の毒。放映中速報で千葉水兵組の佐々木投手完全試合達成。

4.11 垂水の詩人・キムラさんから新刊著書いただく。1920年代神戸の若き詩人たちを発掘した選詩集。毎回ありがたいこと。紹介後日。

 福岡さんから昨日訪問故人書斎の写真届く。整然とした書棚と氏の肖像写真が神々しい。拙著にもたくさんの付箋、熱心に読んでくださっていたご様子。改めて感謝と合掌。

 今晩も電話しりとり。ちゃんりん。「ん」でヂヂ負け。

みなと元町タウンニュース」更新。下記で読んでいただけます。

https://www.kobe-motomachi.or.jp/motomachi-magazine/2022/04/02/townnews356.pdf

 

 宮内悠介 『かくして彼女は宴で語る 明治耽美派推理帖』 幻冬舎 1700円+税



明治41年、隅田川沿いの西洋料理店に若き歌人・詩人・画家らが集まり芸術談義、「牧神(パン)」発足。木下杢太郎、北原白秋、吉井勇、石井柏亭、山本鼎ら。会によって平野萬里、石川啄木、ドイツの日本文化研究者も加わる。

 食事、酒が進み、話がはずむ。参加者の身近で起きた謎の殺人事件・猟奇事件が披露され、推理合戦。事件の概要、状況説明だけで真犯人・真相を探り出すのだが、参加者たちは酔いもまわる。毎回答えを導くのは、料理屋女中「あやの」。彼らの給仕をしながら、話だけで彼らの見落としを指摘。頭脳明晰・論理明快・沈着冷静、さてその正体は? 

最終回では昭和の作家のメッセージが登場。ストーリはフィクションながら、文学史、事件や料理など文化・社会・風俗について文献、関係者の日記などを精査。各話に参考文献をあげている。

当時杢太郎(太田正雄)は医学研究か芸術かで悩んでいた。友人たちも岐路にある。そして国家・社会も。423月の会(本書最終回)、宴が終わり、杢太郎はあやのに問いただされる。これまでの事件や杢太郎の言動から、「美のための美など、信じておられないのではありませんか」(原文傍点)と。杢太郎黙想。これまでの友人たちのことばが脳裏に。

〈――きみも医学者になれ。ぼくとて、普段はこんなことは言わない。

――杢太郎君、きみが観覧車になるというなら、ぼくはイルミネーションになるよ。

――ぼくが今日来たのは、青春の終わりの一つの記念のようなものだ。(中略)

 ぼくは、いまのうちに楽しみたかったんだよ。もう少し、この時間を。美のための美を謳歌できるうちに、美のための美を謳歌する青春を。時代が、それを許してくれるうちに。が、いずれ芸術を捨てた場合はどうするか。そうだな。白秋、きみに託すとしようか。〉 

杢太郎、白秋、勇、萬里は学生時代から与謝野鉄幹「新詩社」門下。明治40年、5人は九州南蛮文化探訪の旅をした。新聞にその紀行文「五足の靴」を連載。41年杢太郎、白秋、勇は「新詩社」を離れ、42年「スバル」創刊に参加。同誌に与謝野夫妻の援助があった。同年2月杢太郎が戯曲「南蛮寺門前」を、3月に白秋「邪宗門」と勇戯曲「午後三時」が発表し、皆好評を得た。7月鷗外「ヰタ・セクスアリス」を掲載、発禁。

(平野)

2022年4月7日木曜日

思い出す人々

4.4 花冷えの日々。

 積ん読が高くなって来たのはいつものことだが、PR誌まで増えてきた。

 夜、孫と電話。姉としりとり。妹はヂヂババの顔覚えてくれて画面に手を伸ばしてくる。

4.5 図書館で元町原稿調べ。次回は明治海運業の傑物とその子息シリーズの予定。

 元町でBIG ISSUE428、表紙とインタビューは歌手のAI。姉孫がこの人の歌を上手に歌ってくれる。ヂヂバカちゃんりん。

5月初旬閉店予定の本屋さん。レジの人に話しかけるのは辛い。


 

4.6「みなと元町タウンニュース」356着。神戸駅から元町地域のまちづくり構想、建築散歩、元町商店街と地域のニュースなど。拙稿は元町学校史、パルモア学院と啓明女学院。


 

 内田魯庵 『新編 思い出す人々』 岩波文庫 1994年初刷 手持ちは20012

 解説 紅野敏郎 



 魯庵(18681929年)。文芸評論、翻訳、小説執筆。書誌学者でもある。「その最大の仕事は、丸善の『学鐙』の編集」と明治文化史回想。

 本書では、二葉亭四迷、坪内逍遥、尾崎紅葉、山田美妙、鷗外、漱石、露伴ら明治の文人たち、明治初期の画家・淡島椿岳、新聞人で政治家・島田沼南、それにアナキスト大杉栄との交遊。江戸文学・滝沢馬琴も。

特に二葉亭四迷(18641909年)と親交が深く、彼の死を悼んだ。両人初対面の場面。まず四迷が魯庵訪問するも留守。魯庵が四迷の自宅を訪ねた。部屋は暗い土蔵、テーブルあるが椅子なし、薄暗いランプを置いた小汚い本箱。

〈風采は私の想像と余りに違わなかった。沈毅な容貌に釣合う錆のある声で、極めて重々しく一語々々を腹の底から搾り出すように話した。口の先で喋べる我々はその底力のある音声を聞くと、自分の饒舌が如何にも薄ッぺらで目方がないのを恥かしく思った。〉

 四迷と本の話をし、文章論、文体論を聴き「千丈の飛瀑に打たれたような感があった」。

……それまで実は小説その他のいわゆる軟文学をただの一時の遊戯に過ぎないとばかり思っていたのだが、朧ろ気ながらも人生と交渉する厳粛な森厳な意味を文学に認めるようになったのはこの初対面に由て得た二葉亭の賜物であって、誰に会ったよりも二葉亭との初対面がもっとも深い印象を残した。〉

(平野)

2022年4月3日日曜日

ギュットバイ

4.2 朝の新幹線で娘と孫ふたり帰って行った。家人が同行、ついでに息子の顔見に行く。玄関先で姉がギュッてしてくれて、「ギュットバイ」。

 ヂヂは留守番、洗濯、掃除。図書館に孫の絵本返しに行って、自分のご飯を作る。のんびりのびのびは久しぶり。いつでものんびりしてるやん! ポッカリ空いた時間、ちょっと昼寝。

 小島貞二 『高座奇人伝』 ちくま文庫 2009年 元版は1979年立風書房



 明治・大正・昭和の落語家はじめ芸の世界の名人・人気者を紹介。

 鼻の円遊、ヘラヘラの万橘、ラッパの円太郎、テケレツの談志は落語界の「珍芸四天王」。高座で歌って踊って大人気。三味線漫談の三亀松、爆笑王・歌笑、それに今日の人権意識では不適切表現のキャッチフレーズを持つ芸人たち。

芸は一流だが、私生活は破天荒・自由奔放・奇人変人。一般社会の常識やら行儀良さを求められても、無理。飲む・打つ・買うは芸の肥やし。貧乏、借金なんか気にしない。稼いだ金は使ってしまう。他人のお金も気にしない。遊びがすぎて身体を壊した人、気が狂ってしまった人もいる。

 六代目三遊亭圓生の芸談・芸人回顧にも登場する人たちだが、小島は個々の芸人の面白く哀しいエピソードを語る。

 小島(19192003年)は愛知県豊橋市生まれ。漫画家を目指して上京するが、体格の良さを見込まれて相撲部屋にスカウトされた。相撲で出世できなかったが、当時から雑誌に寄稿。戦後、芸能記者から放送作家、演芸評論家に。

 解説、岡崎武志。

(平野)