4.7 JR六甲道駅前の灘図書館、元町原稿用の所蔵本閲覧。中央図書館で取り寄せをお願いするのは気が引ける。良い天気。用終わって、阪急六甲駅まで歩く。腹減った。
4.8 姉孫幼稚園年中進級。幼稚園でもおねえさんになれる、かな? 夜また電話でしりとり。
藤子不二雄A=安孫子素雄逝去のニュース。
4.9 装幀家・菊地信義逝去。井上ひさし未発表戯曲原稿発見のニュースも。
作り手たちは数々の名作を残してくれている。感謝と共に合掌。
家人が、あんた母親の誕生日忘れてるやろ! ときつく言う。そうだ、昨日8日が誕生日だった。ほんまに親不孝者。手を合わす。
新洗濯機到着。
4.10 「朝日俳壇」より。
〈新刊書のみの買物山笑う (三田市)橋本貴美代〉
本日、2月に亡くなった関西出版人のお参りを海文堂関係者でするはずだったが、私カゼ気味ゆえ不義理。お供え買い物係なので待ち合わせ場所で手渡して詫びる。小林さんには昨年末に会ったけど、福岡さんは2年ぶり。抱擁・長話を控え、帰宅。
家人は実家の墓参りに行き、ヂヂひとりテレビ野球観戦。阪神虎組応援はしないけれど、負けグセついて余りに気の毒。放映中速報で千葉水兵組の佐々木投手完全試合達成。
4.11 垂水の詩人・キムラさんから新刊著書いただく。1920年代神戸の若き詩人たちを発掘した選詩集。毎回ありがたいこと。紹介後日。
福岡さんから昨日訪問故人書斎の写真届く。整然とした書棚と氏の肖像写真が神々しい。拙著にもたくさんの付箋、熱心に読んでくださっていたご様子。改めて感謝と合掌。
今晩も電話しりとり。ちゃんりん。「ん」でヂヂ負け。
「みなと元町タウンニュース」更新。下記で読んでいただけます。
https://www.kobe-motomachi.or.jp/motomachi-magazine/2022/04/02/townnews356.pdf
■ 宮内悠介 『かくして彼女は宴で語る 明治耽美派推理帖』 幻冬舎 1700円+税
明治41年、隅田川沿いの西洋料理店に若き歌人・詩人・画家らが集まり芸術談義、「牧神(パン)」発足。木下杢太郎、北原白秋、吉井勇、石井柏亭、山本鼎ら。会によって平野萬里、石川啄木、ドイツの日本文化研究者も加わる。
食事、酒が進み、話がはずむ。参加者の身近で起きた謎の殺人事件・猟奇事件が披露され、推理合戦。事件の概要、状況説明だけで真犯人・真相を探り出すのだが、参加者たちは酔いもまわる。毎回答えを導くのは、料理屋女中「あやの」。彼らの給仕をしながら、話だけで彼らの見落としを指摘。頭脳明晰・論理明快・沈着冷静、さてその正体は?
最終回では昭和の作家のメッセージが登場。ストーリはフィクションながら、文学史、事件や料理など文化・社会・風俗について文献、関係者の日記などを精査。各話に参考文献をあげている。
当時杢太郎(太田正雄)は医学研究か芸術かで悩んでいた。友人たちも岐路にある。そして国家・社会も。42年3月の会(本書最終回)、宴が終わり、杢太郎はあやのに問いただされる。これまでの事件や杢太郎の言動から、「美のための美など、信じておられないのではありませんか」(原文傍点)と。杢太郎黙想。これまでの友人たちのことばが脳裏に。
〈――きみも医学者になれ。ぼくとて、普段はこんなことは言わない。
――杢太郎君、きみが観覧車になるというなら、ぼくはイルミネーションになるよ。
――ぼくが今日来たのは、青春の終わりの一つの記念のようなものだ。(中略)
ぼくは、いまのうちに楽しみたかったんだよ。もう少し、この時間を。美のための美を謳歌できるうちに、美のための美を謳歌する青春を。時代が、それを許してくれるうちに。が、いずれ芸術を捨てた場合はどうするか。そうだな。白秋、きみに託すとしようか。〉
杢太郎、白秋、勇、萬里は学生時代から与謝野鉄幹「新詩社」門下。明治40年、5人は九州南蛮文化探訪の旅をした。新聞にその紀行文「五足の靴」を連載。41年杢太郎、白秋、勇は「新詩社」を離れ、42年「スバル」創刊に参加。同誌に与謝野夫妻の援助があった。同年2月杢太郎が戯曲「南蛮寺門前」を、3月に白秋「邪宗門」と勇戯曲「午後三時」が発表し、皆好評を得た。7月鷗外「ヰタ・セクスアリス」を掲載、発禁。
(平野)