2022年2月27日日曜日

春来おかたづけ

2.22 続き。午前中、歯医者さん~税務署~銀行~郵便局行って、買い物すませてギャラリー島田DM作業。途中生田神社の前を通ると狩猟・森林環境のイベントでジビエ料理のお店が出ていた。

 ギャラリー地下では「コウモリ書林」開店中(32日まで)。社長の蔵書、美術展カタログ、ギャラリー所蔵の絵画作品など販売。拙著も並んでいる。私は『谷崎潤一郎家集』(湯川書房、1977年)『川西英回顧展』(小磯美術館、2014年)購入。

 


2.23 図書館で資料を繰っていると目的外のものも見つかる。先日は昭和戦前の女学校記事を探していて、小学校の古い校舎や山手のホテル写真発見。本日は幼稚園資料を見ていて大正時代の町並みの思い出と手描き地図。書き手は海文堂バイト君の曽祖父(たぶん)に当たる人。

2.24 「朝日新聞」神戸版にジュンク堂書店三宮店の「震災ブックフェア」記事。三宮・元町周辺で阪神淡路大震災当時から残る唯一の新刊書店。

 新刊書在庫なくなって、本棚の文庫。竹中労193091年)『決定版 ルポライター事始』(ちくま文庫 1999年)。フリーのルポライター=三文文士、貧乏を楽しみ、権力に屈せず、芸能と市井の人びとを愛した。

〈敗戦直後の一九四七年から四九年まで足かけ三年間を彷徨した浅草界隈を、いえば見納めに出かけたのだ。革命という狂疾に多勢の若者たちが捉えられていた。私もその一人であった。おまけに虚無という厄介な虫が、胸の底に巣喰っていた。生きていてもしかたがない。さりとて自殺は異男の仕業ではない、首吊りなどという醜悪な行為はまっぴら御免をこうむる、/「しねばええがなただは死なんぞ」/私は、共産党員であった。だがむしろ、アナキストにちかかったのである。(後略)〉

 19525月の昼すぎ、竹中は浅草に向かう地下鉄の中で「みすぼらしい風態の老人」を見かける。屈託した顔つきのように見えた。席をゆずる時に永井荷風と気づいたが、話しかけずにいた。荷風は先に降りた。竹中は浅草をあてもなく歩いた。荷風と同じ眼であったろうと思う。数日後、竹中は警察署を襲い逮捕される。

 


2.26 戦争が始まった。殺すな、傷つけるな、壊すな! 死んでいい人間はいない。

 図書館で元町調べ。学校めぐりはひととおり終わったけれど、元町駅北側の学校関連事業や幼稚園、県公館など。

 午後、家人から机周り片付け命令。おんぼろ机処分、娘が使っていた机をもらう。

 川口さん訃報にメール返信、ハガキ、電話あり。故人は交際範囲広く、いろいろな会の世話人を努め、面倒見の良い人でした。多くの人がお別れの挨拶をしたいと思っている。コロナ落ち着いたら、きっと。

2.27 洗濯物を干す時の手の冷たさが昨日までとまるで違う。確かに春はそこまで来ている。片付け続く。

(平野)

2022年2月22日火曜日

絵の旅人 安野光雅

2.19 周防大島みずのわ出版・みかん農家の一徳社主が出版の仕事で大阪・神戸に。夕刻、久々乾杯。今春、画家の本を出版予定。

2.20 午前中図書館。昨日元町原稿を送信するも不備あり、やり直して再送信。 

 午後、フェースブックを見たら東方出版・稲川兄さんから川口正さんの訃報あり。19日ご逝去。コロナでしばらく飲み会をできていないし、氏のメール通信も途絶えていた。出版営業のベテラン、関西出版界・書店界の相談役・まとめ役でした。雑誌の索引をこまめに作っておられた。飲み会仲間に連絡。時期が時期なので葬儀参列は叶わず、弔電を打つ。静かに献杯。ご冥福をお祈りいたします。

2.22 「御三家」西郷輝彦死去の報道。新聞訃報欄には、西野バレエ団創立者の名も。合掌。

 『絵の旅人 安野光雅』 思い出を語る人たち・伊藤元雄編 ブックグローブ社 2000円+税



 202012月に亡くなった安野光雅追悼文集と安野講演記録。執筆者は、国内外の編集者を中心に、教師仲間、画家、美術館館長、画廊主、テレビ局プロデューサーら、安野と共に仕事をし、彼を支えた裏方の人たち。

 1980年、安野は『野の花と小人たち』版元創業者の告別式で弔辞を読む予定だった。安野は泣けて読めない、と出席せず。参列者に印刷したものが配られた。当日、安野は故人との思い出の場所=山小屋でひとり弔辞を読んだ。

〈一二日のあなたの式の日、私はあの山に行っておりました。山はもう秋で、紅葉した木々はなぜか水かさの増した高麗川に枝を浸しておりました。(中略)山は満天の星です。あなたの庭のなだらかな芝生には思ったより雑草がありませんでしたよ。あの庭の石の上には、当分鳥が来ませんでしたが、春が来てあの花が咲くまでに、また、小鳥たちが来てくれるように餌付けをしなければいけませんね。/その頃までに悲しみが消えましょう。神ではなく、あなたに祈ります。〉

 版元夫妻と安野の墓は同じ墓園内すぐ近くにあるそうだ。

(平野)

2022年2月19日土曜日

あきない世傳 金と銀(十二)出帆篇

2.15 さんちかタウンは市営地下鉄からの動線をよくするためにリニューアルするそう。3月末で1番街と2番街は完全閉店、ラジオ関西のスタジオもなくなる。他の区画でも既にジュンク堂は撤退し、結納用品の老舗には閉店の挨拶状が貼られている。私が子どもの頃は国鉄・阪急・阪神各駅と市電停留所をつなぐ地下道だった。戦中は防空壕と聞いた記憶あり。

 元町駅で会社用の証明写真、「BIG ISSUE424号と425号購入。本屋さんで注文品と髙田郁文庫新刊。



2.17 朝、新聞を取りに出ると、ご近所さんが愛犬の散歩に出かけるところ。私よりずっと早く起床しておられる。「今日は寒いよー」。

コロナ予防接種券届いて、診療所に予約。来月中旬予定。

確定申告準備。

2.18 仕事、もうそろそろ帰り支度と思ったところに鍵のトラブル発生。会社提携のレスキュー職人さんに来てもらう。

 

 髙田郁 『あきない世傳 金と銀(十二)出帆篇』 ハルキ文庫  640円+税



五鈴屋は再び呉服(絹)を商えるよう精進。商売仲間、奉公人、職人、支援者、お客、みんなが共に知恵を絞り、協力する。幕府の冥加金、因縁の商売ライバル、自然現象などなど困難が続々。その大波を乗り越え、客層が広がる。また新しい問題が出てくるが、理想の商いに向けて「出帆」。

 衣裳とは何か、女性の自立とは、主人公・幸は根源的で先進的な問いを自らに課す。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                

(平野)

2022年2月15日火曜日

第一藝文社をさがして

2.12 孫写真・動画着。荷物あけて、姉は絵本かかえる。妹は『はらぺこあおむし』のソックスを口に入れる。あおむし食べるな!

 



2.14 電車内と休憩時間に「みすず 読書アンケート特集」を少しずつ読む。毎年のことながら自分が読める本は少ないけれど、たまに読んだ本や読もうと思っている本があるととうれしいというか、安心する。日本人研究者が外国語で執筆した本が何冊も紹介されていて、そういう時代と認識。回答者に年末急逝された方がいらっしゃるし、同誌で連載されていた作家も昨年亡くなった。改めて合掌。

 孫電話。姉が『これはのみのぴこ』を読んでくれる。ページが進むにつれてどんどん早口になっていく。息つぎしろ!

 


 早田リツ子 『第一藝文社をさがして』 夏葉社 2500円+税



 早田は滋賀県在住、女性史研究家。友人の図書館司書から「第一藝文社」について問い合わせがあった。滋賀出身の詩人・北川冬彦(190090年)の書誌作成でその名があった。所在地は大津市。

1934(昭和9)年、発行人・中塚は大津で出版社創業。のち京都に移る。いけばな本、映画本、詩集などを出した。発行人の名は「悌治・道祐・勝博」と替わっているが、どんな関係か。早田は図書館のレファレンスを手がかりに調査に乗り出す。遺族を訪ね、各地の図書館・古書店で本を探す。

……社主の中塚道祐が出版社をおこした経緯や、映画書が多い理由、著者とのかかわりなどを調べる過程は、未知の世界を手探りで歩くような心もとないものだったが、新たな疑問や関心のおもむくままに旅を続け、結果的に彼の生涯を記録することになった。(後略)〉

 中塚はひとりで10年間(戦前・戦中)出版社を運営し、いけばなの機関誌をつくり、歌を詠んだ。彼の私家本歌集や家族への文章から、生い立ち、家のこと、いけばなのこと、書き手たちとの出会い、古本屋経営、北九州での暮らしなど実生活が浮かび上がる。早田はそこから彼の思想・精神を読み取る。

同社の映画書では伊丹万作、今村太平、詩集では北川、杉山平一、中江俊夫、天野忠らの名がある。織田作之助の小説の計画もあった。 

解説は京都の「古書善行堂」店主。ずっと「第一藝文社」に注目してきた。本書出版にも尽力。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   

(平野)

2022年2月12日土曜日

黛家の兄弟

2.8 姉孫とLINE電話。絵本『これはのみのぴこ』(谷川俊太郎・和田誠、サンリード、1979年)を見せろと言う。こっちに来たとき読んでいた。地元の図書館で借りた本に「のみ」が出てきて思い出したらしい。次の宅配便で送る約束。

2.10 臨時出勤。ふだんの勤務より規模が大きいので、ドギマギ。トラブル、宅配ボックスが開かなくて右往左往、スマホ紛失騒ぎも(すぐに交番から拾得の知らせあったそう)。

 夜、姉孫としりとり絵本。妹はママに抱っこされて就寝。

2.11 娘と息子に荷物送る。孫リクエストの絵本も。

 

 砂原浩太朗 『黛家の兄弟』 講談社 1800円+税



 時代小説。藩主後継問題で藩を支える漆原・黛両家老が対立。漆原は娘(側室)の子をお世継ぎにと企てる。漆原長男と黛次男喧嘩沙汰で、前者死亡。漆原は喧嘩両成敗を盾に黛次男切腹を求める。藩主は漆原・側室の言うまま。黛家老は抵抗できず。

13年の時が経ち、漆原が藩政を握る。黛長男は家老職を継ぎ、反漆原の立場。三男は大目付、今や漆原派。兄弟は関係を断っている。三男が頼みとするのは家族、友。

権力に屈するのか? 倒すのか? 誰を信じる? 誰が裏切る? 血が流れる。

兄弟の絆は取り戻せるか? ご政道は正されるか?

 健気な女たちが支える。

(平野)        

2022年2月8日火曜日

幕末社会

 2.6 芥川賞作家氏急死の報。まだ若い。死因は不明らしい。先週は1956年芥川賞作家で政治家が亡くなった。私は彼らの読者ではないけれど、ご冥福を。

「朝日俳壇」より。

〈福寿草子の教科書を妻の読む (市川市)をがはまなぶ〉

 寒い。歯磨き・洗顔の水は冷たい。洗濯物を干す手はかじかむ、痛い。でもね、お日さまの光はまぶしい。立春を過ぎた。あとひと月くらい辛抱。

2.7 前回紹介の『明治東京畸人傳』は単行本。本棚をいじっていたら文庫本も発見。どちらも古本屋さんで購入。気づかないまま「並べ読」になっていた。

 孫とLINE電話。姉としりとり絵本。ときどき妹が声あげる。食後の団欒、ヂヂバカちゃんりん。

 

 須田努 『幕末社会』 岩波新書 940円+税



 幕末・維新の時代。幕府はなぜ崩れ、誰が壊したのか。歴史に名を残す偉い人ではない庶民はどのように激動の社会を見ていたのか、どんな行動をしたのか。キーワードは「仁政と武威」崩壊、「百姓一揆・騒動」という抵抗運動。

民衆運動研究学者・須田は、集合体「衆」とそのネットワーク、時代を象徴する「個」の生き方に注目する。地域社会のつながり、思想学問や剣術つながり、博徒、悪党ら、「衆」のエネルギーは政治の動きにどう反応したのか。「衆」に影響を与えた魅力的な「個」たち(国定忠治、吉田松陰、緒方洪庵ら著名人。三浦命助、菅野八郎、松岡小鶴、竹村多勢子となると、誰?)。彼らはどう考え行動したのか。

須田は幕府崩壊の起点を天保期(183043年)と見る。

……天保期、幕藩体制を支えていた政治理念である仁政と武威が揺らぎはじめ、幕藩領主がそのことを自覚し始めたからである。〉

天保の改革失敗、百姓一揆、大塩平八郎の乱、欧米軍事力の接近、「内憂外患」情勢だった。幕末まで30年ほど。

……天保期以降、若者のエネルギーと、として結集した社会的ネットワークとが、既存の社会秩序を日常レベルから、じょじょに崩していったといえるが、その動きはじつに遅々としたものであった。幕藩体制が崩壊するまで約三〇年もかかったわけである。彼らの意識は日常にあったが、ゆっくりとした変化の歴史的蓄積に、大きな政治変動が作用して社会は変わっていった、と理解できる。〉                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       

(平野)

2022年2月6日日曜日

明治東京畸人傳

2.2 PR誌継続申し込み。複数年にするか、1年にするか、あんまり長期にするのも考える年頃である。

「みなと元町タウンニュース」354号着。拙稿やっぱり校正見逃しあり、ヂヂの目は節穴か! 前号の誤記訂正文入れたけど、まだ恥ずかしい。

2.5 Web「みなと元町タウンニュース」更新。

https://www.kobe-motomachi.or.jp/motomachi-magazine/2022/02/03/townnews354.pdf

 図書館、女学校続き。

 指先のカサカサ・ひび割れ・アカギレキ・かすり傷、消毒液がしみる。じっと手を見る。保湿クリームや水絆創膏は必携。ついでに顔面、テッカテカに。

 

 森まゆみ 『明治東京畸人傳』 新潮社 1996



 本棚の古い本。上野・谷中・千駄木・根津・本郷の地域史・文化史。森の「谷・根・千」本はどれも労作。史料を探索、町を歩き、人を訪ねる。町の歴史・人物が当時の住民たちや現在暮らす自分たちとどんな関係があるのかを探る。

〈本書はかつてこの町に姿をみせた、気になる人たちの路上の肖像である。本の少し町をかすめた人、町に何かを置き忘れていった人、足早に通り過ぎた人、町の人がいまだにその名をささやく人、一時大変に町の話題になった人……。ふっと現れ、ふっと消えた、そんな人たちのことを書きとめてみた。〉

「畸人」=〈「変わり者」という意味ではなく、尋常ではない、素敵な面白い生き方をした人〉を取り上げる。文学者、芸術家、お雇い外国人、商人、芸人、冒険家、健康術実践家、動物園の園長。有名人もいるが、無名人多数。貧しくても楽しく生きた人、芸・技を追求した人、飄々と学問や趣味に生きた人、縁あってこの町に住み暮らした「畸人」たち。

 兵庫・神戸関連では、サトウハチロー、建築家・山口半六、渡辺財閥一族。

(平野)

 

2022年2月1日火曜日

藤村のパリ

1.30 「朝日俳壇」より。

〈初雪や古書肆の猫の落ちつかず(多摩市)吉野佳一〉

〈しづかなる活字にとまる冬の蠅 (安曇野市)望月信幸〉

 新刊本がなくなって、棚の古本をめくる。いつか読むのだから。いつ読めるかわからない本もあるけど。

 

2.1 図書館、女学校調べの続き。

本屋さんで積ん読本補充。申し訳に孫の絵本とキャラクターグッズ。

 

■ 河盛好蔵 『藤村のパリ』 新潮社 1997



 本棚の本。

 島崎藤村パリ滞在。1913(大正2)年5月神戸港出航。藤村自身が新聞社に送った随筆や記録、同時期の滞在者・旅行者ら交流した人たちの文章から藤村のパリ生活を克明に追う。限られた費用で、フランス語レッスンに通い、劇場に足を運び最先端の文化に親しんだ。藤村の周りに人が集まる。友人たちと散歩、食事。2年目に第一次世界大戦勃発。下宿の女主人のツテで疎開。河盛はその村を訪ねて女主人の縁者に取材。

 藤村は文壇で地位を確立していた。なぜ3年ものパリ遊学に出たのか。16(大正5)年7月帰国。18(大正7)年、姪との関係を小説『新生』で告白する。

誰も幸福になっていない。

(平野)