2.22 続き。午前中、歯医者さん~税務署~銀行~郵便局行って、買い物すませてギャラリー島田DM作業。途中生田神社の前を通ると狩猟・森林環境のイベントでジビエ料理のお店が出ていた。
ギャラリー地下では「コウモリ書林」開店中(3月2日まで)。社長の蔵書、美術展カタログ、ギャラリー所蔵の絵画作品など販売。拙著も並んでいる。私は『谷崎潤一郎家集』(湯川書房、1977年)と『川西英回顧展』(小磯美術館、2014年)購入。
2.23 図書館で資料を繰っていると目的外のものも見つかる。先日は昭和戦前の女学校記事を探していて、小学校の古い校舎や山手のホテル写真発見。本日は幼稚園資料を見ていて大正時代の町並みの思い出と手描き地図。書き手は海文堂バイト君の曽祖父(たぶん)に当たる人。
2.24 「朝日新聞」神戸版にジュンク堂書店三宮店の「震災ブックフェア」記事。三宮・元町周辺で阪神淡路大震災当時から残る唯一の新刊書店。
新刊書在庫なくなって、本棚の文庫。竹中労(1930~91年)『決定版 ルポライター事始』(ちくま文庫 1999年)。フリーのルポライター=三文文士、貧乏を楽しみ、権力に屈せず、芸能と市井の人びとを愛した。
〈敗戦直後の一九四七年から四九年まで足かけ三年間を彷徨した浅草界隈を、いえば見納めに出かけたのだ。革命という狂疾に多勢の若者たちが捉えられていた。私もその一人であった。おまけに虚無という厄介な虫が、胸の底に巣喰っていた。生きていてもしかたがない。さりとて自殺は異男の仕業ではない、首吊りなどという醜悪な行為はまっぴら御免をこうむる、/「しねばええがなただは死なんぞ」/私は、共産党員であった。だがむしろ、アナキストにちかかったのである。(後略)〉
1952年5月の昼すぎ、竹中は浅草に向かう地下鉄の中で「みすぼらしい風態の老人」を見かける。屈託した顔つきのように見えた。席をゆずる時に永井荷風と気づいたが、話しかけずにいた。荷風は先に降りた。竹中は浅草をあてもなく歩いた。荷風と同じ眼であったろうと思う。数日後、竹中は警察署を襲い逮捕される。
2.26 戦争が始まった。殺すな、傷つけるな、壊すな! 死んでいい人間はいない。
図書館で元町調べ。学校めぐりはひととおり終わったけれど、元町駅北側の学校関連事業や幼稚園、県公館など。
午後、家人から机周り片付け命令。おんぼろ机処分、娘が使っていた机をもらう。
川口さん訃報にメール返信、ハガキ、電話あり。故人は交際範囲広く、いろいろな会の世話人を努め、面倒見の良い人でした。多くの人がお別れの挨拶をしたいと思っている。コロナ落ち着いたら、きっと。
2.27 洗濯物を干す時の手の冷たさが昨日までとまるで違う。確かに春はそこまで来ている。片付け続く。
(平野)