2019年8月24日土曜日

一九三〇年代モダニズム詩集


 季村敏夫編 

『一九三〇年代モダニズム詩集 矢向季子・隼橋登美子・冬澤弦』
みずのわ出版 2700円+税 



装幀・林哲夫。付録の栞あり、執筆者は藤原安紀子、扉野良人、高木彬。
 季村は神戸の詩人。戦中の「神戸詩人事件」研究他、兵庫・神戸の詩史を発掘する作業を続けている。

〈かつてあったことは、後に繰り返される。殺戮、破壊、錯誤、懺悔、その重なりのなかで、身体を刻む詩的行為の火、花、火力は現在である。〉

 本書のきっかけは、「一冊の同人誌と映画との出会い」。小林武雄編集『噩神』創刊号(がくしん、1935年)と台湾映画『日曜日の散歩者』(2015年)。小林は1940年神戸詩人事件で逮捕された。映画は1930年代台湾の詩人たちの苦難。日本統治下、日本語で表現したが、戦争・内戦に翻弄された。

〈かつてあったことは、後に繰り返される。一九三〇年代後半、シュルレアリスムに関わった青年は治安維持法違反容疑で次々と獄舎に送られた。神戸詩人事件はそのひとつだが、現在である。今回編集した矢向季子、隼橋登美子、冬澤弦、初めて知る詩人だが、このラインにも、シュルレアリスムへの目覚め、総力戦、同人誌活動の終焉、モダニストの戦争詩という歴史がある。しかも三人は番外の詩人、一冊の詩集もないまま消えた。〉

 季村は彼らのゆかりの地を訪ねる。
 矢向季子は、ペンネームか本名か、読みさえ不詳。「やむき」「やこう」「やむかい」? 「としこ」「すえこ」「きこ」? 矢向は『噩神』同人。同誌には、1914(大正3)年119日神戸市生まれ、とあるが、区・町名・番地不明。発表時の住所は番地まで記載あり、神戸市林田区東尻池町(現在長田区)。没年も不明、一切の境涯がわからない。詩人・内田豊明が昭和10年頃彼女を訪ねたことを随筆に書いている。手紙のやり取り、封筒から水白粉の匂い、丸顔、ふくよかな体、わらうと金歯、リンゴをかじる、詩や絵の話をしてくれ……。彼女を訪問したことが内田の母親の耳に入る。近所の奥さんの妹だった。母親は家柄云々と、交際を禁じる。手紙は来なくなり(母が隠した?)、彼女の姉も転居してしまった。その後も雑誌で作品を見つけては一番先に読んだ。

「月」
青いヴェールをかけた水晶の泉/あたしはそのなかに裸体の天使たちの/白い蝶々のものがたりを聴く(後略)

 季村は彼女の内面に思いを寄せる。彼女は詩集出版など思いもしなかっただろう。

……何かに、激しく促されるまま、ことばを刻む。官能の火と花の軌跡、奇蹟といっていい行為の結晶がのこされている。だから、今回の詩集の上梓はある意味、暴力だろう。沈黙は厳と在りつづける。無粋だと自覚しながら、編集にあたった。〉

 隼橋登美子、「たかはし」と読むそうだ。生年不詳、本名富子、小林武雄の妻。19403月、小林は神戸詩人事件で懲役刑。同年817日登美子は差し入れの弁当をつくっていて切迫流産、出血多量で死亡。

「母性の祭」
夜毎の夢の胸内に祝祭の星よ降れ/翼も濡れてあたしの心だけは紅い//神々の嘘にあたしは疲れたが/あたしは剣(つるぎ)を恐れはしない(後略)

 冬澤弦はペンネームらしい。生年没年不詳、同人誌『新領土』に住所があった。「神戸市灘区高羽常盤木二 佐久間方」。

「断片」
大キナ傘ノ下ノ黴ノ生エタドーナツ――メリー・ゴオ・ラウンド 
夕焼ワ街オ黒焼ニシタ/鈴蘭ガ点灯サレタ/葉ガ月オカクシテイル/風ガ葉オ揺スルト/星ガ街オ攻撃シタ/軍隊ノ去ッタ街オ(後略)

冬澤は詩12篇、エッセイ1篇だけを残し、昭和14年消息を断つ。季村は彼の住まいを特定するべく高羽町を歩いた。「常磐木」の地名は残っていない。

〈日々坂道を下りながらまばゆい海港の光を浴びていたのか、銀行の窓からガントリークレーンの聳える港湾を眺めていたのか、あるいは、海岸通りの商社に勤めていたのか、学生時代にコミュニズムに一瞬ふれたのか(マルクス・ボーイ)、召集され外地を転戦、深海のそこに眠っているのでは、このおもいは消えない。〉

 季村には本書前段というべき著作『一九二〇年代モダニズム詩集』がある。東京の出版社に入稿ずみ。待ち遠しい。

 
(平野)余談、「矢向」に関連して。同級生に姓「東向」と「西向」がいた。読みは「ひがしむき」「にしむかい」。
 8.22 先日、須賀敦子のエッセイを読んでもイタリアに興味がわかない、と書いた。読む私の問題。ヤマザキマリの『プリニウス』続刊を待っているし、先日は詩人・作家・映画監督のパゾリーニの評伝、田中千世子『ジョヴェントウ ピエル・パオロ・パゾリーニの青春』(みずのわ出版)を読んだ。郷土言語での詩作、ファシズムとの闘い、レジスタンス組織の対立、戦後の若者たちやギリシア悲劇を題材にした作品など、ドラマティックな生涯だ。
 妹から神戸新聞8.11書評欄をもらう。高橋輝次『雑誌渉猟日録』(皓星社)紹介記事。
 元町の古本屋さんを覗く。店主に首の傷テープ見つけられた。職場で数ヵ所虫に刺された痕。お子さんとおんなじアンパンマンの絵柄で、また笑われた。もう一軒の古本屋さんに行ったら、イベント明けで臨時休業。先日もそうだった、自分を笑う。