2023年11月27日月曜日

新編 不参加ぐらし

11.22 「朝日新聞」夕刊に筒井康隆インタビュー記事。〈「最後の作品集」筒井康隆のたくらみ〉。

 


11.23 プロ野球セ・リーグ、パ・リーグ共に関西チーム優勝で盛り上がり、本日大阪と神戸で両チームパレード。大勢のファンが集まるでしょうから、繁華街には行かない。

11.26 「朝日俳壇」より。

〈案の定ランボー読めば風邪ひけり (栃木県壬生町)あらゐひとし〉

「朝日歌壇」より。

〈断捨離し残せし一冊携へてあの世で読まむ「悪魔の辞典」 〈沖縄県〉和田静子〉

〈多読より味読がだいじと言ひ訳し古るる眼(まなこ)と脳(なづき)いたわる (さいたま市)松田典子〉

〈『日本産ゴキブリ全種図鑑』とふ書名妖しき呪文のごとし (八尾市)水野一也〉

〈若者はやはりとやかく言われてる五十年前の「暮しの手帖」 (宝塚市)小竹哲〉

『日本産ゴキブリ全種図鑑』は本年8月、北海道大学出版会より。

https://www.hup.gr.jp/items/78971974

亡父の17回忌、お寺で法要。妹二人と姪、ヂヂババ、実家と墓のこと相談。

 

 富士正晴 『新編 不参加ぐらし』 荻原魚雷編 中公文庫 

900円+税



 富士正晴(19131987年)、徳島県出身、兵庫県立神戸三中(現県立長田高校)卒業、旧制三高中退。戦後島尾敏雄らと同人誌「VIKING」創刊。ここから多くの新鋭作家が巣立って行った。大阪府茨木市の竹林に住み、めったに外出しない。本に新聞、執筆、絵、それにウィスキー。世間から少し離れて暮らして、戦後の社会を見つめる随筆集。自分のことを、知恵も手腕もないオッサンが会合に出たり人に会っても迷惑になる、と言う。

〈だから、ふっと気の迷いから出て行くような気にならぬよう、自らを戒めて、この十年近く歯を磨かず、ひげを剃ることを怠り、外出ぎらいを極め、不参加ぐらしを信条としている。字を読んで、字を書いておればそれでいいだろうと思っている。自分を大して評価していないということらしい。〉

 自分は健康であっても長寿は嫌と言う。自死や治療拒否など死に方を選択した作家仲間もいる。「VIKING」の秘蔵っ子・久坂葉子のこと。

〈どうしても自殺しようと固く意志している者を自殺から遠ざけ断念させようとすることは、久坂葉子の時失敗してから、そのようなことは無用であり、いらぬおせっかいらしいという気がしてきた。(後略)〉

初版は1980年六興出版刊。今回荻原が新編集。初版とはかなりラインナップが異なる。荻原は富士の文章を読むと、「自分の正しさを前提にした思考が揺さぶられる」。「揺さぶられたいからくりかえし読む」。情報過多の現代、「精神をすり減らさずにいるには、多少は不参加の時間が必要なのではないか」。

 外出嫌いでも歯磨きとひげ剃りくらいはやろう。

(平野)

 

 

2023年11月22日水曜日

本の虫

11.19 「朝日歌壇」より。

〈硫黄島は東京都 本読みて知るいまも還らぬ兵士一万人 (町田市)山田道子〉

孫姉の相撲好きはたびたび書いた。今場所は妹も影響受けて、四股を踏む。ドスンドスン、階下の方に叱られそう。

11.21 歯医者さん行って買い物して宅配便送って図書館。忙しく過ごすこともなく、溜まっている落語録画見る。

BIG ISSUE467、インタビューは「奈良美智」。〈辺境に向かう、自分であり続ける旅〉〈美術だけじゃない。いま人生が楽しいんです〉

 本屋さん、家人の雑誌とヂヂ用コミック、それに戦争と地図をテーマにした真面目本。



 ヨソサマのイベント ギャラリー島田

https://gallery-shimada.com/

 石井一男展  1125日(土)~126日(水) 11001800

25日 1100から整理券配布。



● 冬・あたたかな部屋で  期間同上


 

 

 古田一晴  劉永昇 『本の虫 二人抄』 ゆいぽおと 

1600円+税



 劉は人文社会書出版「風媒社」編集長。古田は7月に閉店した「ちくさ正文館」店長。朝日新聞名古屋本社版連載のリレーコラムは10年続いている(連載ではもう一人、古書店主も執筆。本書には収録せず)。お二人とも名古屋市生まれ。名古屋・東海の文化・芸術・書籍について時事問題を絡ませて四方山話。

 それにしても「ちくさ正文館」の閉店は残念なこと。本書カバー写真に「古田棚」と呼ばれる古田選書の一部が撮されている。劉は閉店を知って、「去来するのは寂しさよりも無念の思い」。

〈中学生の時、サリンジャーの新刊がどうしても読みたくて、塾の月謝を使い込んだことがあった。(略、親に叱られた)その本を見つけたのがちくさ正文館だった。人文書のぞろえに引かれて、学校帰りによく立ち寄り、小遣いではとても買えない本たちを眺めていたのだ。〉

 古田は本書刊行作業中に閉店が決まり、「業務に追われ、身の置き場のない状態がつづいた」。作業に慣れ、本屋の「遺品整理的モードの作業」も始めた。

 巻末に紹介した本のリストあり、ありがたい。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       

(平野)名古屋は大都市だけど、神戸に住むヂヂには身近ではなく、なんも知らない。本書で少し知る。もちろん九州も中国も四国も関東も東北も北海道も知らない。土地土地には素晴らしい文化が根付いている。

2023年11月19日日曜日

命の家

 12.13 先週暑い暑いと言っていたのに、一気に秋を飛び越えて冬。外の仕事は身体にきつい。

 昨日明日本飲み会案内送付、女性陣の回答早い。ひと月後を楽しみに。

12.14 ギャラリー島田DM作業を少し手伝って、神戸市文書館。阪神大水害資料閲覧。事前にメールで訪問と希望図書の予約が必要で、窮屈なところかと思ったが、学芸員さんは親切。今後もお世話になる。

12.17 孫電話。妹は姉のお遊戯会の演目を覚えていっしょに踊り歌う。自分も当日出演するつもり。姉妹で歌うのはアリスの「遠くで汽笛を聞きながら」。パパさんが教える。でもね、小さい子が「なにもーいいことがなかったこのまちで~」とは……

 

 上林暁 『命の家 上林暁病妻小説集』 山本善行編 中公文庫 1200円+税



 上林暁(190280年、高知県出身)は私小説で知られる。心を病んだ妻のことを繰り返し赤裸々に書いた。妻は戦争中(昭和14年)から8年間入院生活を送り、戦後(昭和21年)に亡くなった。本書は病妻小説12編。

〈「僕はこの後書を、都下町の聖ヨハネ病院の一室で書いている。入院中の妻の附添いのため、寝泊りを始めてから十余日になる。妻は、最後の宣告に近きものを受けている。僕は、書く作品書く作品に、病める妻を題材として、読者を倦ましめて来た。(中略)思えば僕は、妻が何も知らぬを奇貨として、臆面もなく、秘すべき妻の宿業を切売りの種にして、我が作家生活を樹てて来た。長じて子供達が、父の作品を読む時の心事も思わぬではない。その罪、万死に値しよう。しかし、この妻あるがために、我が文学精神が支えられ、言い得べくんば、高く保たれたこと、如何許りであったろう。若し妻亡き後を思えば、我が文学精神は萎微し尽すやも計られない。それを思えば、我乍ら不安に堪えられない。(後略)」〉「聖ヨハネ病院にて」

 妻が亡くなった時、子どもたち3人は高知に疎開したまま。上林は一人ひとりに宛てて手紙を書く。

〈お母さんの病気の間、お前達は事毎に肩身の狭い思いをしたにちがいない。人前で言える病気ではなかったからねえ。(中略)しかしお父さんは、小説の中には、包み隠さず、あからさまに何も彼にも書いたよ。小説を書く以上、そこまで突き詰めて書かなくては承知出来なかったんだ。嘘や隠し立てをして、自分の境遇をごまかしては、作家の道がすたれるとさえ思ったのだ。そこで、この八年のお父さんの作家生活と言えば、お母さんの病気と取組むことで一杯だった。苦しかった。けれどもそれが、どんなに救いになったことか。そのためお母さんの病気に堪え抜くことが出来た。(後略)〉「庭訓」

 小説を書くとは、なんと業の深い、罪なことか、苦しいことか。

 選者は京都の「古書善行堂」店主。上林の作品集を編むのは五作目。上林作品を読み続けて、「上林の見つめた世界に包まれ」てきた。

〈この目なんですよね。上林が人を見る目、自然を見る目、病に侵された妻を見る目、この目が一番の魅力かもしれない。何度も私はこの目に救われた。(後略)〉「編者解説」

 読む方も辛い。でもね、上林は不幸・悲しみから逃げず受け入れ、正直に書き続けた。

(平野)

2023年11月12日日曜日

カーテンコール

11.11 何回目かのけつこんきねんび。

 孫に大相撲番付表コピー他宅配便送る。

 赤松さんに忘年会の予約。連絡はおっていたします。

 戦争で多くの命が失われているというのに、この国の政治屋共は嘆かわしい。差別主義者に色ボケに法律違反に税滞納。国民のレベルに合っているらしい。

11.12 「朝日俳壇」より。

〈またひとつ本棚増やす冬隣 (いわき市)佐藤朱夏〉

〈施設にも小さき図書室秋灯(あきともし) (合志市)坂田美代子〉

〈丸善の檸檬一個と戦争と (東京都)吉竹純〉

「朝日俳壇」より。

〈「罪と罰」「戦争と平和」「赤と黒」シンプルだったな我らの青春 (大和郡山市)四方護〉

 朝図書館。神戸の歴史に関わる写真を探すうち、今東光の中学時代のを見つける。

 

 筒井康隆 『カーテンコール』 新潮社 1700円+税



 帯〈「これがわが最後の作品集になるだろう。」「信じていません!」担当編集者〉

 まあ誰も信じないわなあ。

 本書は2020年以降の掌篇25作品。表題作は映画作品、俳優、監督それに評論家、映画ファンに捧げるもの。

「プレイバック」は代表作の主人公たちが登場して物申す。唯野仁教授の言。

〈「言うの忘れてた。あんたさあ、最近掌篇ばかり書いているけど、あれ、あまりよくないんじゃないの。だってあんた掌篇集を最後に出して儲けるつもりだろ。そりゃまあ短いものばかり集めた本ってよく売れるけどさ、魂胆が見え透いてるんじゃないかな。あっ。ご免ご免。老婆心老婆心あはははは」彼はちょっぴり痛いことを投げかけて消えた。〉

 先に逝ってしまったSF作家たちも出てくる。あんただけは長生きだ、と言われる。

〈「知りませんよ」泣きそうになりながら、おれは先達たちに向かって訴えかける。「だってあんたたちがあまりにも早く死んだんだ。最長老なんて言われて、あんたたちのことを書いたり言ったりするSF作家がおれしかいなくなって、いろいろと対応することがたくさん出てきて、だから長生きするしかないでしょうが。長生きするしかないでしょうが」〉

(平野)長生きしてください。

2023年11月9日木曜日

永瀬清子詩集

11.6 野球終了。虎組は強かった。おめでとう。選手並びに関係者の皆さん、応援の皆さん、38年分お喜びください。猛牛組も強かったけど、残念。

 本屋さんのレジ。隣のお客さんが店長さんと何やかや。途中から聞いたのだけれど、お店の万引き対策が一般客にとっては失礼、ということらしい。ヂヂは本を注文するのに時間がかかってしばらくの間そばにいた。お客さんは常連のようで、ヂヂも何度かお見かけしたことがある。口出しする立場ではないけれど、本屋にとって万引き被害は大きい。

11.8 4年ぶりに会社の管理人たちが集まる研修会議。海文堂元店長・こばさん、福さんはたまに会っているけど。休憩時間に明日本会飲み会相談。何の会議や? 終了してから福さんに「タイガースおめでとう」を言うのを忘れたことに気づく。

 岩波書店「図書」11月号〈追悼 大江健三郎さん〉。筒井康隆、尾崎真理子ら7名寄稿。

 


 『永瀬清子詩集』 谷川俊太郎選 岩波文庫 1050円+税



 永瀬は1906(明治39)年岡山県生まれ。父の仕事により金沢で育つ。幼稚園で中原中也と一緒(のちに知ったそう)。名古屋の女学校時代に「次第に詩を書くことを自分の仕事」と思う。結婚して大阪に住み、24歳の時最初の詩集『グレンデルの母親』を出版。戦争の時代を経て、戦後岡山で農業に従事し、子どもらを育て、ハンセン病施設で詩作指導。アジア諸国会議、母親大会、原水爆禁止世界大会、世界連邦、女性史研究会など社会活動にも参加。1995(平成7)年脳梗塞のため死去。

「流れるごとく書けよ」(『諸国の天女』河出書房 1940年)

詩をかく日本の女の人は皆よい。

報はれること少なくて

病気や貧しさや家庭の不幸や

それぞれを背負つて

何の名誉もなく

何年も何年も詩をかいてゐる

美しいことを熱愛しながら

人目に立つ華やかさもなく

きらびやかな歌声もなく

台所の仕事にもせいだして

はげしすぎる野心ももたず

花を植ゑたり子供を叱ったり

そして何年も何年も詩をかいてゐる (後略)

 選者・谷川の「はしがき」より。

〈永瀬さんは現実生活では苦労の連続であったとしても、そういう日常的現実だけに生きてはいなかった。娘、妻、母、農夫などの役割を果たしながら、永瀬さんは役割だけでは捉えられないグローバルな存在、もっと言えば無限定な宇宙内存在として自分では気づかずに生きたと思う。〉

(平野)

 

2023年11月5日日曜日

親密な手紙

10.31 午前図書館。午後買い物して本屋さん。家人雑誌と文庫2冊、書店人の本と筒井康隆新刊。

 孫写真とビデオ。妹ハロウィン仮装、ふっくらオバケ、上手に化けました。姉ピアノ教室で演奏と歌。緊張していたけれど、上手にできました。

11.2 天気良し、昼間はまだ暑い。半袖半ズボンの人多い。

 仕事6連休、図書館通い。午後買い物。BIG ISSUE466。表紙の人知らず、販売員さんに訊いたら「元タカラヅカの人らいしいです」と教えてくれた。ヂヂは表紙の人、たいふがい知らない。

 


11.4 NR新刊重版情報」589着。連載〈本を届ける仕事〉は7月閉店した名古屋「ちくさ正文館」の古田一晴店長。「やりたいことは、山ほどある」。

 


「みなと元町タウンニュース」紙版届く。拙稿は「西村旅館(12)」、191819(大正78)年に西村貫一が参加した雑誌「アンティーク」のこと。神戸で発行された美術・文芸誌。Web版も更新。

https://www.kobe-motomachi.or.jp/motomachi-magazine/townnews375.pdf

 どちらも註に編集ミスあり、前号とごっちゃになっている。正しくは以下。

1 西村貫一「元旦」(「アンティーク」1918.9月号)

2 「朝」(同上)

3 「感想」(同上)

4 「爛語長語」(同上)

5 週刊朝日編『値段史年表 明治・大正・昭和』朝日新聞社1988

6 「反古片々」(「アンティーク」1918.10月号)

7 西村貫一『西村旅館年譜』自費出版1980

8 西村貫一「夢」(「アンティーク」1919.1月号)

9 「姉」(「アンティーク」1918.8月号)

10 「倫敦での或る日」(「アンティーク」1918.10月号)

11 「断片録」(「アンティーク」1919.5月号)

写真「大阪朝日新聞」1918(大正7)年724日神戸附録欄、アンテイク社主催「7.25慶應マンドリンクラブ演奏会」案内記事。

引用文は適宜新字新かなに直し、句読点も直した。

 

 大江健三郎 『親密な手紙』 岩波新書 880円+税



 雑誌「図書」連載(20102013年)。

 一冊の本、本、本……、数々の友、友、友……。師、詩、家族、そして「不思議な少年」。大江はたくさんの「親密な手紙」を受け取ってきた。

 高校時代に巡り会った「不思議な少年」が後の師となるフランス文学者の本を教えてくれ、東大に進めと勧めた。大江だけ進学し、小説家となった。師の没年齢を越えて、「晩年の仕事」を続けた。

〈その道筋を振り返ると、私は入り込んでしまう窮境を自分に乗り超えさせてくれる「親密な手紙」を、確かに書物にこそ見出して来たのだった。〉

本を通した交友、読書体験であり、そのまま読者への案内である。

(平野)