2022年9月27日火曜日

正岡子規ベースボール文集

9.25 家人実家墓参りで、留守番ヂヂは本片付け続き。棚2本分を2階に持って行き、まさしく「積ん読」状態。あとは棚1本と机周り(これも多い)。

 





9.26 朝は夏布団では寒かったものの、昼間は暑い。

電車内読書は、塩見正道『「戦艦ポチョムキン」自主上映運動再考 「田中ファイル」の発見から』(風来舎、1300円+税)。旧ソ連映画「戦艦ポチョムキン」(1925年)はロシア革命での兵士反乱事件をテーマにする。本書は作品を論じるのではなく、その上映運動を振り返るもの。当時外国映画は自由に輸入できなかった。1959年の日本国内の文化団体、労働組合などが自主上映運動を展開した。敗戦から10年余り、60年安保を目前に全国で社会運動、市民運動、文化活動が盛り上がった。上映をめざした各地の団体の機関紙、ビラ、パンフ、ポスター、チケット、議事録や新聞・雑誌記事、活動家らの手紙など資料を発掘。作品が一般公開されたのは67年。

 


孫電話。妹は単語が増えた。絵本を指差して何やらしゃべる。キャラクターを説明してくれているらしい。姉は相撲のこと、図鑑が届いたことやパパとの遠出を話してくれる。姉妹共に大きな声、時に聞き取り不能。ご近所に迷惑ではないか心配。

 『正岡子規ベースボール文集』 復本一郎編 岩波文庫 

420円+税



 子規のベースボール好きはよく知られる。生来虚弱で運動嫌いだったが、ベースボールには熱中した。

子規が「野球(やきゅう)」と訳したという説があるが、事実は別の人物。子規は雅号に「野球」を使ったが、「ノボール」と読んだ。幼名「升(のぼる)」をもじった。他にも「能球」を使った。ゲームとしての「野球」を「弄球」と書いて「ベースボール」のルビ、また「野球」にも「ベースボール」のルビをふる。

 面白いのは、俳句の弟子・高浜虚子、河東碧梧桐の子規との出会い。文学・詩歌ではなくベースボールだった。

 碧梧桐が語る子規ベースボール引退の話には、潔さというか、一流選手の心境を感じる。1891(明治24)年3月のこと。これより前に結核の症状が現れていた。「子規」と名乗るのも喀血から。

〈ベースボールの球 ベースボールにはただ一個の球(ボール)あるのみ。そして球は常に防者の手にあり。この球こそ、この遊戯の中心となる者にして球の行くところすなわち遊戯の中心なり。球は常に動くゆゑに遊戯の中心も常に動く。されば防者九人の目は瞬くも球を離るゝを許さず(以上各文字に点)。打者走者も球を見ざるべからず。傍観者もまた球に注目せざれば終にその要領を得ざるべし(以上傍点)。(後略)〉

(平野)

2022年9月25日日曜日

芥川龍之介 枯野抄

9.22 また週末に台風。

 ギャラリー島田DM作業お手伝い、前回は労働日と重なり欠席したので2ヵ月ぶり。「神戸文化支援基金」(ギャラリーが事務局)の行事準備もありスタッフさんたち多忙。

「神戸映画サークル」塩さんから新刊著書届く。毎回ありがたく。

 孫動画。妹も姉に似ておしゃべりの片鱗。声出して会話しているつもり。食事シーンでは、姉の作ったぎょうざ手づかみでガブリ。姉はもちろんパクパク。家人にほしいものリクエストいっぱい。

9.23 図書館で栄町通3丁目にあった「西村旅館」のこと。

9.24 本日も午前中図書館。

 午後買い物。姉孫リクエストの図鑑購入、おまけ付き昆虫フィギア。

 花森書林に寄る。小磯良平の絵ハガキ3枚、「斉唱」「D嬢の肖像」「裁縫する女」。「斉唱」は松蔭女学院生徒がモデル。

同店顧客の山さんから「阪神鉄工所絵葉書」をいただく。ありがとうございます。1918(大正7)小曽根喜一郎が創立した船舶エンジン製造の会社。現在は阪神内燃機工業株式会社。昭和12年に20周年で刊行したモダンな「絵葉書」を100周年記念(2018年)に復刻。小曽根は家業の酒樽製造・金融業から不動産事業に進出。湊川付替えや鉄道など社会事業に参加。小曽根財閥を形成。福祉・慈善事業にも貢献し、光村弥兵衛と関係あり。山さんの家は光村利藻の印刷会社とご縁あり。

 


「西村旅館」を調べ出していきなり横道にそれる。明治初め、創業者西村夫妻は神戸進出前に大阪天満で「花屋旅館」を開業。西村家は河内の旧家で、先祖は俳諧を嗜み、北村季吟、井原西鶴らと句集を出版している。「花屋」と俳諧から松尾芭蕉終焉の場所・大坂南久太郎町の「花屋仁左衛門」屋敷と結びつける歴史探偵者もいる。こちらは文字通りの花屋さんなのでこの推理は無理みたい。

ということで、

 芥川龍之介「枯野抄」『ちくま日本文学全集001 芥川龍之介』

筑摩書房 1991



元禄7年1012日、芭蕉臨終の場面。門弟たちが順に末期の水をふくませる。師匠の「死」の顔に不快を感じる者、看護を尽くした満足感と共にそう感じる自分を嫌悪する者、他の者の慟哭が哄笑に聞こえた者、涙を潔しとしないと思いながら涙あふれ嗚咽する者、次に死ぬのは自分だと思う者……。内藤丈艸は先ほど涙、嗚咽したのだが、

……芭蕉の呼吸のかすかになるのに従って、限りない悲しみと、そうしてまた限りない安らかな心もちとが、おもむろに心の中へ流れこんで来るのを感じだした。〉

「安らかな心もち」とは、「久しく芭蕉の人格的圧力の桎梏に空しく屈していた彼の自由な精神」が本来の力で手足を伸ばそうとする「解放の喜び」。

〈彼はこの恍惚たる悲しい喜びの中に、菩提樹の念珠をつまぐりながら、周囲にすすりなく門弟たちも、眼底を払って去ったごとく、唇頭にかすかな笑を浮べて、恭しく臨終の芭蕉に礼拝した。――

 丈艸にとっての芭蕉は、芥川にとっての夏目漱石。「枯野抄」は1918(大正7)年10月「新小説」に発表。漱石の死は16(大正5)年12月。

(平野)

2022年9月22日木曜日

図書館の日本文化史

9.16 孫電話。姉と相撲話。新入幕の力士の名前も覚えている。『しりとり』絵本勝負はヂヂの13敗。妹は姉の幼稚園バッグを肩にかけて帽子かぶって、手帳をめくっている。姉は絵本だと取り上げるのに、幼稚園グッズは貸してあげる。

9.17 「朝日新聞」別刷り「be on Saturday」の〈はじまりを歩く〉は日本の野球草創期のエピソード。米国人教師ウィルソン、正岡子規、夏目漱石ら登場。

 朝、台風を気にしながら墓参り。午後買い物。子規の野球文集。

 


BIG ISSUE439号。巻頭の「リレーインタビュー 私の分岐点」は作家・柳美里〈311後、求められるままに生きてきた「私」という布地はいつでも編み直せる〉。


 

9.18 早朝、家人は台風を気にしながら外出。いつもどおりヂヂ留守番。自分用の晩ご飯用意して、図書館。

9.19 「朝日新聞」〈声〉投稿から。中島俊郎「救われた 中井久夫先生の助言」。阪神淡路大震災で肉親を亡くした悲しみ。中井さんの助言は、「泣くときは涙がかれるまで泣きなさい。余裕ができたら好きな詩を何度も愛唱しなさい」。投稿者は英文学研究者。



 台風接近を恐れ、買い物は近所のスーパーのみ。

9.20 夜中目があく。いつもならすぐ寝てしまうのに、眠くならない。雨風静か。仕方なく本を開く。小一時間でまた寝る。

 

■ 高山正也 『図書館の日本文化史』 ちくま新書 920円+税



 著者は慶應義塾大学名誉教授、元国立公文書館館長。専門は図書館情報学。

〈図書館は知的精神的文化と密接に関連している。そこで、日本における図書館の発展の跡をたどることで、日本の文化や歴史の概要を把握するために僭越にも入門書となる書を執筆しようとした。〉

 本書は図書館そのもののことだけではなく、書物・出版・印刷術の発達、書物の内容としての文学・芸術・科学の歴史、書物の蒐集・保存、情報の伝達、そして教育制度、それらに関係した人物たちを論じる文化史。古代の漢字伝来から仮名の発明、公家・武家文化、江戸時代の商業出版、教育改革の歴史を経て、明治の図書館の成立になる。順調に公共図書館が整備されたかというと、まだまだ苦難の歴史があった。

 図書館は無料で本を借りられる場所、冷暖房完備の快適空間で時間つぶしできる場所、という利用も多い。受験生にとっては勉強できる場所。子どもの安心な遊び場かも。民間業者が運営している図書館もある。自宅で国会図書館の蔵書を読むことが可能になった。

無料貸本屋兼カフェでいいのか? デジタルが発達すれば紙の本はいらないのか? 司書や働く人の側の問題点は?

 そもそも図書館とはどういう場所で何のためにあるのか。公共のため、私たちのためにある。未来のために保存し過去と現在を伝えるため。現在利用する私たちは本を大切に扱いましょう。

(平野)

2022年9月15日木曜日

超訳 芭蕉百句

9.10 下町密集地の月見。うちの庇とお隣の屋根の隙間から。

名月や狭い隙間も皓皓と (よ)

 


9.11 東京駅近くの八重洲ブックセンター本店が来年3月で休業とか。街区の再開発事業のため。再開はだいぶ先のこと。

「朝日俳壇」より。

〈緑陰は古本市の指定席 (京都市)名村悦武〉

 家人が家の模様替えを思い立つ。1階に置いている本を2階に移動命令。手始めに棚1本分(神戸本)と棚4本の上に重ねた文庫本。仕事並みに汗かく。確かにすっきりしたけど、落ち着かない。

9.12 新聞訃報、作家・神坂次郎。9.14にはジャン=リュック・ゴダール監督、スイスで認められる自殺幇助で。ご冥福を。

9.15 五輪汚職、角川書店会長逮捕。捜査が続く。

 花壇のオリーブが実をつけ、家人喜ぶ。食べられないだろうけど。


 

 嵐山光三郎 『超訳 芭蕉百句』 ちくま新書 940円+税


 

嵐山は掲載100句すべてを現場検証した。芭蕉の古典教養、感覚の鋭さ、表現・比喩の巧さ、それに現場力を解説する。

〈『ほそ道』を追う旅は、旅する者の力が問われます。夏草の原にはかつて藤原氏の一族が住んでいた。「兵どもが夢の跡」を見ても、寂として声は出ません。旅する者の力とは、風景に対峙する目玉であり、無常を嗅ぎとる鼻であり、風の音を聴く耳である。句の現場で、それまで抱いていた思いこみがバラバラに崩れ散り、それこそが自分の視線である。〉

キーワードは「幕府諜報員」と「衆道」。

芭蕉の「おくのほそ道」に同行した河合曾良は弟子で幕府巡見使。詳細な記録をつけている。芭蕉の「ほそ道」紀行文には虚実があり、隠密行動の用心、と言う。「ほそ道」は仙台伊達藩諜報の旅、深川の芭蕉庵は伊達藩蔵屋敷を見張る役目だった、と。

もう一つの「衆道」。立石寺で詠んだ「閑(しづか)さや岩にしみ入(いる)蝉の聲」。主役は「蝉」。そして若くして病死した主君藤堂良忠のこと。俳号を「蝉吟(せんぎん)」といい、芭蕉に俳句を手ほどきした。初恋の相手。

〈蝉の声を聞きながら、一段登るごとに亡き蝉吟への声が胸にひびいてきた。芭蕉は旅さきで句を詠みながらも、追悼の思いを重ねている。その二重の仕掛けを読みとくのは『ほそ道』の旅を追体験したときに気がついた。仙台・松島を経て平泉まで北上し、尾花沢から大きく南下して立石寺へ詣でたのは、蝉吟を追悼するためであった。蝉の声を聞いて、はっと気がつくことなのだ。〉

 正統派の芭蕉解釈ではタブーなのでしょう。蝉の種類論争とか当地の岩の分析をした人もいる。五・七・五の奥の奥を読み解く。解釈は読む者に許されている。

(平野)

2022年9月11日日曜日

北帰行

9.8 英国エリザベス女王逝去。あちらでは国葬に大きな反対論は出ないでしょう。

 知り合いの家の玄関ドアは風通しのために物を置いて少し開けたまま。その物は西洋人の胸像(高さ30cmほど)で、誰だかわからない。ご本人に会ったので尋ねたら「ピョートル大帝」、ロシアで買ったそう。皇帝がドアボーイ?

9.9 みずのわ一徳社主来神、ビール乾杯。社主笑い話、悪口を書いたら本人に伝わった。

相手「犬よりバカと書いたそうやな?」 

社主「ちゃう、犬の方が賢い、と書いたんや」 

相手納得。

 孫に宅配便。大相撲番付表もコピーして入れる。

 

 外岡秀俊 『北帰行』 河出文庫 990円+税




 外岡秀俊(19532021年)は東京大学在学中の1976年に本作品でデビュー(「文藝」同年12月号)。同年12月河出書房新社より単行本。第11回文藝賞受賞。77年朝日新聞社入社、文化部や海外特派員、編集局長を経て、2011年退社。ジャーナリスト、作家として活動。21年心不全で急逝。

 主人公・二宮は北海道の炭鉱町で育つ。炭鉱ガス事故で父死亡。中学卒業後、東京の町工場に集団就職。「事故」(工場での事故ではなく喧嘩)で左手の指欠損して、失職。飯場で大学生になった親友・卓也に出会う。彼は「爆弾」という言葉を口にする。二宮は故郷に帰る。卓也から恋人・由紀(二宮の初恋の人でもある)への手紙を託される。

 二宮は愛読する石川啄木の歌・日記を辿り、盛岡、渋民村、函館を訪ねる。由紀の住む札幌から小樽、釧路、そして故郷に。

〈私は明治四十年に妹を連れて海を渡った啄木という一人の青年と、敗戦直後に同じ航路を辿った父の姿を重ね合わせてみた。そして今、同じその航路を、ありふれた二十年を閲(けみ)した一人の男が辿りつつある。明治、大正、昭和と三代の男を結びつけるものはほとんど何もない。共通点と言えば、若く貧しく、食い詰めて職を求めるために北海道へ向かうということくらいだろうか。〉

 二宮は卓也に手紙を書く。自分の5年間のこと、旅のこと、由紀の現在(不明瞭に)。母と暮らす二宮のもとに卓也から手紙が届く。由紀の気持ちが自分から離れたことで計画に後腐れなく没頭できる、と。「計画」とは「爆弾」か? 二宮は東京に向かう。

 本書は若者を主人公にした小説であり、啄木評論。素晴らしい能力を持つ人なのでしょう。改めてご冥福をお祈りします。

(平野)

2022年9月8日木曜日

山之口貘全小説

9.3 家人はタカラヅカ。ヂヂ図書館で「光村利藻」調べ。1909明治42年利藻印刷事業破綻、神戸区北長狭通5丁目の豪邸は三菱・岩崎家所有となる。その後経緯は不明だが、料亭「菊水楼」に。27昭和2)年発行の『神戸市商工年鑑』(市役所商工課)には記載あり。肉料理と座敷の造作・調度品の豪華さで知られた。谷崎潤一郎が『細雪』で、海野十三が『敗戦日記』で言及。神戸空襲で焼失した。利藻は、「俗悪なる造作」「趣味低き人の間に評判」と厳しい。お客の意見も様々あったようで、「菊水楼」はPR冊子『菊のかをり』を発行(出版年不明)。店名の由来、経営方針、座敷意匠を説明。写真は、表紙(変態仮名)と玄関、見取り図。

 




午後買い物。「BIG ISSUE438号、家人の雑誌、食料。仕事より大汗。



NR出版会「新刊重版情報」583号着。連載「本を届ける仕事」は磯前大地さん(くまざわ書店八王子店)「二項対立をずらし、『応答可能性』を探る」。

http://www.nrpp.sakura.ne.jp/top.html

「みなと元町タウンニュース」361号、Web更新。拙稿は光村利藻の雑誌「智徳会雑誌」のことなど。

 https://www.kobe-motomachi.or.jp/motomachi-magazine/townnews/

9.4 「朝日歌壇」より。

〈人間ものせたらいいのかもしれないきけんゆうどく生物図かん (奈良市)山添聡介〉

周防大島から農作物いただく。でっかいナスとカボス。

9.5 新聞広告に前日紹介の聡介くん一家の本が出ている。山添聖子・葵・聡介『歌集 じゃんけんできめる』(小学館)。母、小学生姉弟、430首収録。

9.7 姉孫がヂヂババに、どうして電話に出ないのか? と怒る。何回もかけていたよう。ヂヂババ気づかず、あやまる。でもね、ほとんど妹が発声、叫ぶ(本人は会話しているつもりらしい)。姉は本を読んでいる。ヂヂババ放置。

 

 山之口貘 『山之口貘全小説 沖縄から』 河出書房新社 

2900円+税



 沖縄返還50記念刊行。山之口貘(19031963年)は沖縄県那覇区出身、本名重三郎。中学を退学して、1922年上京。美術学校入学、すぐに退学。23年筆名「貘」使用。さまざまな職業を経験し、貧乏、借金生活。

「詩人便所を洗う」

 貘さんはビル管理をしている「佐藤さん」のおかげで空室に住まわせてもらっている。「佐藤さん」は貘さんが「食えない詩人」であるのは、貘さんが詩人だから、と言う。詩人をやめろ、と。貘さんは、詩人をやめると僕は死にますよ、詩人をやめると食いたくもなくなるんですよ、と言い返す。

……これは嘘みたいにきこえるかも知れないが、なんでこれが嘘だろう。佐藤さんに限らず、世間のあるところ至る所でかような目にあって、恥を浴びるにはすっかり馴れてしまったこの僕が、嘘でこんなに詩人顔して生きているもんか、とにかく僕には、詩人をやめてまで食わねばならない理由がないのであった。〉

「佐藤さん」は詩人をやめろといいながら、貘さんが食えるように仕事を回す。食えなければ何でもするだろう、と。俐巧というか、ずるい。それが「おわい屋」。ビルのトイレ浄化槽清掃。本編で貘さんは浄化槽の構造、清掃法を詳しく描写。

〈くさいと思えば、切りもなくくさいのであったが、生きねばならぬ人間のつもりで生きるんだから、生きると言うことさえも既に遅いくらいで、それと同じく、くさいと言うにも既に遅すぎる食えない詩人のことだと思って見れば、さほどくさい思いも僕はしなかった。(後略)〉

「佐藤さん」は貘さんたち作業員が仕事をすればするほど儲かった。

 貘さんは戦前の沖縄人差別を経験。戦後沖縄祖国復帰を訴え、復帰運動として沖縄舞踊の会を実施。

……戦禍であらゆる文化財を失くしてしまった沖縄に、たった一つ生き残っているのが、舞踊というこの無形文化財なのだ。〉

貘さんは大きな借金をしない、その日必要なお金のみ。なのに娘を私立大学の付属小学校に入学させ月謝を滞納するのには呆れる。詩人として名を知られるようになっても質屋通い。楽天的で、それが愛される。家族はたいへんだろうけど。

(平野)貘さん、貧乏なのに女性が寄ってくる。写真を見ると、確かにハンサム。

2022年9月3日土曜日

懐かしき文士たち 大正篇

8.31 台風11号は沖縄の南から西に向かうと思っていたら北上して九州に近づくらしい。

9.1 臨時出勤、明石西部。重そうな雲が空を被う。雷鳴ゴロゴロ。

 黒鉄ヒロシ『マンガ猥褻考』(河出新書)



 芸術表現と猥褻の境目は? そもそも猥褻とは? 

〈一度迷い込むと、このからの脱出は困難――というよりも不可能。〉

 老いれば悟りの境地に達する、わけではない。

 黒鉄マンガはB5サイズで読みたい。新書では小さい。

9.2 神戸は青空広がる。夕方のニュースでは大阪府内に土砂災害警報。

 ひさしぶりに孫電話。妹がスマホの前で陣取る。後ろをぬいぐるみ抱えて叫びながら走り回る姉。

 今週も内外著名人訃報。ミハイル・ゴルバチョフ、稲盛和夫、古谷一行。ご冥福を。

 

 谷大四 『懐かしき文士たち 大正篇』 文春文庫 1985



 初出は「別冊文藝春秋」133号から137号(197576年)。単行本『物語大正文壇史』(文藝春秋、1976年)。

 巌谷大四(19152006年)は編集者、文芸評論家。父は巌谷小波。

 明治天皇崩御にはじまる大正文学史。

天皇崩御を知って、漱石(45歳)は「明治の精神が天皇に始まつて天皇に終わつたやうな」気がした。鷗外(51歳)は乃木将軍殉死に触発されて「興津五弥右衛門の遺書」を数日で書き上げた。

明治の文豪の死、新鋭作家の活躍、女性作家の登場、詩人たち・作家志望者たちの青春、人気作家のスキャンダル、関東大震災などなど、エピソードを年代順に紹介。

昭和21927)年7月芥川龍之介自死。葬儀で菊池寛が弔辞を読んだ。「君が自ら選み自ら決したる死について我ら何をかいはんや、(中略)友よ、安らかに眠れ!(後略)」。夫人、子どもたちを支える決意を伝え、さらに友の死を悼む。参拝者たちは涙、涙。

〈そのすすり泣く声は、大正文学への挽歌のようであった。〉

(平野)