2018年8月29日水曜日

水中翼船炎上中


 穂村弘 『水中翼船炎上中』 講談社 2300円+税

 短歌328首。現在のこと、子供時代・思春期の記憶、母親の死、父親の老い、そして現在の日常のことを詠む。船の絵ハガキ、地図、船のロープ、旅行カバンなどを使った装幀(名久井直子、デザインは表・裏各3種類で9パターンあるそう)。時間を超えた旅がテーマ。

〈人間の心は時間を超える。けれど、現実の時は戻らない。目の前にはいつも触れることのできない今があるだけだ。(中略)私の言葉はまっすぐな時の流れに抗おうとする。自分の中の永遠が壊れてしまった今も、水中で、陸上で、空中で、間違った夢が燃えつづけている。〉(「あとがき」より)

 


〈ゆめのなかの母は若くてわたくしは炬燵のなかの火星探検〉

〈あ、一瞬、誰かわかりませんでした 天国で髪型変えたのか〉

〈クリスマスイヴの鮨屋に目を閉じてB-29の真似をする父〉

 


 「しもばしら しもばしら すきです」のサイン入り。

〈白い息吐いて坂道さくさくとしもばしらしもばしらすきです〉

 本によって違うのだろうと思う。「パンツ一丁できゅうりのキューちゃん」「五寸釘はどこへいった」だと困ったかもしれない。「ガリガリ君は夏の友だち」でもよかった。

 それぞれの歌。

〈パンツ一丁できゅうりのキューちゃんを囓るなんにもない夏休み〉

〈五寸釘はどこへいったと酔っ払いに訊かれる夜の新宿御苑〉

〈君と僕のあいだを行ったり来たりしてガリガリ君は夏の友だち〉

(平野)《ほんまにWEB》「海文堂のお道具箱」更新。海文堂と古書の話。

2018年8月26日日曜日

太宰治


 井伏鱒二 『太宰治』 中公文庫 900円+税


 単行本は1989年筑摩書房より。
 今年は井伏鱒二生誕120年、太宰治没後70年にあたる。

〈私と太宰君の交際は、割合に古い。はじめ彼は、弘前在住のころ私に手紙をくれた。その手紙の内容は忘れたが、二度目の手紙には五円の為替を封入して、これを受取ってくれと云ってあった。私の貧乏小説を見て、私の貧乏を察し、お小遣のつもりで送ったものと思われた。東京に出て来ると、また手紙をくれた。面会してくれという意味のものであった。(後略)〉

 井伏が返事をせずにいると、太宰は3度目か4度目の手紙で、会ってくれなければ自殺すると威かしてきた。出版社で会い、太宰の作品を読み、助言した。
 井伏には楽しい思い出がある。太宰と将棋を指し、酒を飲み、旅をした。辛い話もある。クスリ中毒の太宰を入院させ、同棲していた女性を家に引き取ったこともある。津島家の番頭役(使用人ではない)の人たちと共にこまごま面倒を見た。見合いの段取りをつけ仲人もした。
 戦後、太宰は古くからの友を避けるようになった。ある編集者が井伏に、太宰とひと月ばかり静かな山の宿に行ってくれと頼んできた。編集者には悪い予感があったのだろう。井伏は了解したが、それが太宰に伝わる前に彼は入水した。もし伝わっていたら、太宰は承知しただろうか。最後に会ったのはその年の初め、太宰は暗い顔で衰弱していた。井伏には悔いが残る。
 二人が親密だった頃、井伏が家で酒を飲んでいると、必ず太宰がやって来た。太宰は嬉しそうな笑顔で髪を掻き揚げ、文学仲間は井伏もまた嬉しそうな顔をしたことを覚えている。太宰は、森鴎外が「緩頬(かんきょう)」という単語を使っていることを発見。井伏に、頬が緩む、微笑に近いが微笑まではいかないなどと説明。小説に使おうと思うと話した。(小沼丹「あとがき」より)
 楽しい話をもうひとつ。太宰は「富嶽百景」で井伏が山で放屁したと書いた。井伏は身に覚えがなく訂正を求めた。太宰は、「いや放屁なさいました」「あのとき、二つなさいました」と敬語で反論。

……故意に敬語をつかうことによって真実味を持たそうとした。ここに彼の描写力の一端が窺われ、人を退屈させないように気をつかう彼の社交性も出ているが、私は当事者として事実を知っているのだからこのトリックには掛からない。「しかし、もう書いたものなら仕様がない」と私が諦めると、「いや、あのとき三つ放屁なさいました。山小屋の爺さんが、くすッとわらいました」と、また描写力の一端を見せた。一事が万事ということがある。〉

 井伏が言うには、山小屋の爺さんは高齢で耳が全然聞こえない、笑うはずがない。
 太宰は生前、井伏の選集を出すことを決め、全解説を執筆する予定だった。太宰の葬儀で井伏は声を上げて泣いた。(井伏節代インタビュー「太宰さんのこと」より)

(平野)太宰が井伏を悪人と書いたとか。それに関する事も本書にあり。でもね、それも太宰のトリックでは?

2018年8月23日木曜日

お江戸の本屋さん


お盆休みに子どもたちは帰省しないので、ここ数年はこっちから押しかける。孫もいるし。8.1114、ジジバカちゃんりん、お江戸本屋さん巡り。

1)パン屋の本屋 
 
 
 
 谷中墓参りの後に伺う。JR日暮里駅から徒歩7分くらい。パン屋さんと本屋さんが一緒にある商業施設。イートインコーナーほぼ満席。本屋さん入り口のガラス戸に注意の文言。
〈OKです ●ベビーカーでのご入店 小さなお客さまの泣き声や大きな声
NGです パンやコーヒーを手に持ったままでのご入店〉
 お子さん連れにやさしい。食の本、旅の本、児童書充実。来年も来ようと思う。

2)文禄堂荻窪店 
 
 
 
 家族との待ち合わせ時間まで荻窪に。JR荻窪駅南口から徒歩すぐ。入り口のオート三輪がフェア台。近所なら毎日通いたい街の本屋さん。歌集(サイン本)購入。

 
3)岩森書店


 
 JR荻窪駅南口。古本屋さん。時間に追われて、棚をゆっくり拝見出来なかったことを申し訳なく思う。山本周五郎随筆購入。書皮に感激。 

4)タロー書房



 東京メトロ銀座線三越前駅改札すぐ。店名ロゴは岡本太郎、店舗設計・ブックカバーは水戸岡鋭治。明るくて華やかなお江戸日本橋の本屋さん。

5)教文館
 
 
 銀座の老舗。毎回江戸の最後はこちらに寄る。一般書だけではなく、キリスト教書出版・販売、児童書「ナルニア国」でも知られる。毎月の「おすすめ本」も楽しみ。

(平野)渋谷東急の古書市も覗いたけど、孫と会う時間になった。本より孫。
 
 

2018年8月21日火曜日

無限の本棚


 とみさわ昭仁 『無限の本棚 増殖版 手放す時代の蒐集論』 
ちくま文庫 860円+税
 
 
 神保町の古書店「マニタ書房」店主。2016年アスペクト初版に加筆。

幼少時からさまざまな「物体」を蒐集。お酒のキャップ、切手、ヒーローカードに野球カード、映画のチラシ、コミック、レコード、ジッポーライターに、ダムカードというものもある。「物体」に取り憑かれ、情熱を傾けてきた。蒐集にはお金がかかるし、品を置く場所が必要。家族に迷惑をかける。所有者が亡くなれば処分されて消えてしまうだろう。
 著者は十分に楽しんで手放す。50年を超える蒐集生活から、「概念」を蒐集する境地に達した。名づけて「エアコレクション」。

〈何も集めないコレクター。溜め込むことからの解放。〉

詳しいことは読んでほしい。
 今、著者は古本を集め売り、そのお金で旅に出て、本を買い、レコードを買い、おいしいお酒を飲む。買った本は棚で編集して売る。レコードもDJ活動に活かす。店番しながら原稿を書く。

〈これらの経験はすべて、原稿仕事の肥やしになる。/そうしてまた、古本の売上げと原稿料を持って旅に出る。/隙間の開いた本棚を埋めるために。/マニタ書房は、僕がやっと見つけた、無限の本棚なのだ。〉

 帯に、「ぼくが『蒐集』の字を使うのは、文字に鬼が棲んで(、、、)いるからだとある。蒐集にはとな覚悟いる
《あとがき》で、奥さんのことに触れていて、ジーンときた。

(平野)

2018年8月16日木曜日

日本のミイラ仏をたずねて


 土方正志 『新編 日本のミイラ仏をたずねて』 
発行:天夢人 発売:山と渓谷社 1800円+税


 初版は1996年晶文社より。著者は仙台の出版社・荒蝦夷(あらえみし)社主。本書はライター時代の著作。著者の活動は災害現場取材が多く、出版時期も阪神淡路大震災取材と重なる。今回復刊にあたり寺院を再訪し、最新の状況を「25年目のメモ」にまとめる。
 取材した即身仏は現存が確認できる18体。東北の出羽三山を中心にほとんどが東日本に残る。寺院の秘仏もあれば個人蔵もある。
 私はミイラや怪奇に興味はない、と言うより怖い。本屋時代世話になった著者の文章を読みたい。
 空海の即身仏信仰がある。修行を積み、生身のまま成仏=悟りを得るというのが「即身成仏」。それならミイラになる必要はないように思う。一方、肉体を長期保存して弥勒菩薩がやってくる56億年ン万年後を待つという信仰がある。また、海に漕ぎ出す補陀洛渡海というのもある。
 僧や行人(ぎょうにん)と呼ばれる信仰者たちは、断食など難行苦行を繰り返し、不犯の誓を立て、法力を得て、貧民救済や社会事業(道路整備、井戸掘り)など功徳を積む。死期を悟ると穀物を断ち、山菜・木の実・木の皮など木食、さらに漆を飲む。餓死寸前で土中に入り読経しながら死に至る。ミイラ化するのに3年余り。そうまでして彼らは何を伝えたかったのか。民衆の救済のための自死なのか。
 著者の体験を見よう。阪神淡路の取材で、遺体とその周りに立つ家族、血痕、生き埋め者、救急車を待つ意識不明者たちを目の当たりにして、頭の芯がしびれ、疲労が身体の奥にたまる。その時、出羽の山並と即身仏のすがたが目に浮かぶ。取材が一段落して、時間の都合で行ける即身仏に会いに行った。ただその前でごろごろしているだけで、「すっと気持ちが晴れた」。

〈この自分の気持ちの動きに、説明はつかない。だが、生と死が交錯する現場で、私はいつも即身仏さんたちを思い浮かべるようになってしまった。/きっと、即身仏さんたちは、死そのものをひとつの具体的なかたちとして生者である私たちに見せてくれているのだ。人は死ぬとこうなるんだよ、と。だから人の死にゆく場所に身を置いたとき、いつも彼らのすがたが目に浮かぶ。〉

 東日本大震災では著者自らが被災者になった。即身仏に知人の無事を祈った。
 
 それぞれの伝説や縁起、明治維新後の墳墓発掘禁止や廃仏毀釈による弾圧、それでも入定した僧、戦後の学術調査・保存修復話など、即身仏たちのドラマの数々。それに宗教学者の即身仏信仰考察も。
(平野)《ほんまにWEB》「しろやぎさんくろやぎさん」「奥のおじさん」更新。

2018年8月5日日曜日

古本乙女の日々是口実


 カラサキ・アユミ 『古本乙女の日々是口実』 皓星社 1000円+税
 
 1988年生まれの古本乙女、元は高級ファッションの販売員。本好きの母親・祖母(父親は本屋巡りのアッシー役)の影響で、小学生時代から古本愛好。古本行脚の奮闘ぶりと喜びを4コママンガで表現、エッセイもあり。

 自身を、「本との出会いを求め、本を探し、本を見つける作業が大好きだ」が、コレクターでもマニアでもなく、「常にユルい気持ちで古本に対面している、永遠のビギナー的なスタンス」と言う。
 ビジュアル・アート系がお好み。
 買い込んだ本を背中のリュックに入れ、両肩から下げ、両手で持ち、ふらふらになりながら家路をたどる姿は涙ぐましい。古本屋を見かければ入らずにいられない。電車の窓から見える「古本」の文字(たとえ苗字でも)や「売ります、買います」も見逃さない。普通人から見れば、狂の世界の人。

〈世間一般の常識なんか関係ない、枠なんか決めずに自分の好きなように好きなだけ楽しむ、そのために頑張って働いて軍資金を作って好きな事に投資する。》

 古本の世界もネット販売が当たり前になった。確かに便利で効率よく、しかも24時間無制限。

〈だが、私は直に書棚を見て手で触りページをめくり買うか買わないかを一瞬の時間で判断する行為にこだわって自分の足を使って古本行脚をするようにしている。そもそもこれといって名指しで探している本がない。ある日偶然に出会った琴線に触れた一冊こそが私の求めている本だからである。だからネットの検索ワードに入力が出来ない。本のタイトルはじめ全てが未知だからだ。〉

 さて、マンガには相方さんが登場する。本好きという共通点がスタートだったそうだが、あちらは「理性の塊」「本制約推進派」。当然衝突もある。「今年晴れて夫婦となった」の言葉になぜか他人がホッとする。

(平野)皓星社は「ハンセン病文学全集」で知られる。硬い本のイメージだった。同社の新刊でもう1冊ほしい本があり、本屋さんの棚で見つけてある。いっしょに買えばええやん、ですが、次行く楽しみに置いてある。残っているかな。

2018年8月4日土曜日

雑誌・PR誌から


雑誌・PR誌から
 
 

 『ビッグイシュー 日本版 VOL.340』 ビッグイシュー日本

 巻頭《私の分岐点》はブックデザイナー・名久井直子。

〈本は孤独な子ども時代の拠り所だった。だから、本のために何かをしたい〉

 ブックデザインの仕事は、「自分の仕事が最終形ではなくて、次の時代に引き継ぐ仕事、大切に読みついでもらうためのお手伝い」。

 『人文会ニュース NO.129』 人文会

15分で読む》は倉本一宏「天皇の歴史」。

……15分で天皇の歴史を理解するのは不可能である。ましてや、15分で天皇の歴史を理解させる文章を書くのは、さらに不可能である。〉

 それでも毎回専門家は執筆してくださる。読む方も専門家のたいへんさを知る。人文書担当者には大きな手助けになる。

 『波 8月号』 新潮社

 新連載、大塚ひかり「女系図でみる日本争乱史」。第1回「乙巳(いっし)の変と大化の改新」。

〈危機的状況で妻の数がはね上がる。〉

(平野)