2019年5月30日木曜日

夢見る帝国図書館


 中島京子 『夢見る帝国図書館』 文藝春秋 1850円+税

 2018年、国立国会図書館は開館70周年を迎えた。源流は1872(明治5)年の湯島聖堂「書籍館(しょじゃくかん)」。東京書籍館、東京府書籍館、東京図書館となり、85(明治18)年上野に移る。97(明治30)年帝国図書館設立。1906(明治39)年新館が開館した。
 
 

「わたし」は小説家を目指すフリーライター。上野の国際子ども図書館取材の帰り、公園のベンチで白髪の「奇天烈な装い」をした女性・喜和子と知り合う。公園で再会して家に招かれる。上野の図書館のことを書いて、と頼まれる。喜和子は、自分で書こうと思ったが無理、図書館が主人公の小説みたいなイメージ、題も決めてある、と言う。喜和子は福沢諭吉の「ビブリオテーキ」から話し始める。

喜和子と会うたびに、過去が少しずつ語られる。間借りしている学生、元恋人の大学教授らが現れ、彼らも物語に関わってくる。喜和子は九州宮崎の生まれ育ち、東京に出て来たのは178年前だが、幼い頃に短期間家族と離れて上野界隈で元兵隊のおにいさん二人と暮らした。一人のおにいさんが本の話をしてくれ、図書館に連れて行ってくれ、図書館の物語を書こうとしていた、らしい。「ここは上野よ。いつだって、いろんな人を受け入れてきた場所よ」。

「わたし」は小説家デビューし、私生活も忙しく、喜和子と2年ほど疎遠になる。その間に喜和子は入院、施設に。つきあいが復活するが、ほどなく喜和子は亡くなる。上野の古本屋店主が喜和子の探していた本『としょかんのこじ』を国会図書館のサイトで見つけた。喜和子の『樋口一葉全集』が古紙回収業の友人に託され、そこから「わたし」宛の封筒が出てきた。古い喜和子宛て葉書になぞなぞの数字、自筆のルーズリーフには幼い日の上野のことが書き始められていた。おにいさんは「ゆめみるていこくとしょかん」という話を書いていた、とある。おにいさんは『としょかんのこじ』作者なのか? 数字の意味は?
 喜和子の孫を含め関係者たちが謎多き彼女の人生、幻の図書館物語を解明していく。

近代日本の図書館は国威発揚・富国強兵(西南戦争以来の戦費や博覧会)の国策に翻弄された。喜和子は「金欠の歴史」と言う。それでも開館・維持に奮闘した人たちがいた。火災、震災、空襲、占領を乗り越えてきた。ここに一葉、露伴、龍之介ら、若き日の文豪・学者たちが通いつめた。占領下の憲法草案作成にも一役買った
 
「わたし」は史実を忠実に書き、喜和子が提案した図書館が一葉に恋する話、文豪たちのエピソードも織り交ぜて、本と人の物語を仕上げた。最終章は上野の図書館前で喜和子が兵隊のおにいさんと出会うところ。

おにいさんの「いつかとしょかんであおう」のことばが喜和子をずっと支えてきた。娘の大学進学を機に宮崎を出た。帯の「本がわれらを自由にする」どおり喜和子は自由を得た。
国会図書館入口には「真理がわれらを自由にする」のことばが掲げられている。国立国会図書館法の前文にあるそうだ。
 
(平野)雨の日、用事すませて古本屋さんに入った。勘定場の女性の視線を感じる。怪しい奴とマークされているのだと思った。決してそんな、と本をはっきり見せるように持った。棚を一周して女性と目が合って、呼びかけられた。先日イベントで会った古本愛好者の奥様だった。そういえば、古本屋さんで働いているとおっしゃっていた。あーはずかし!
 
 
 

2019年5月23日木曜日

まど・みちおという詩人の正体

 
 本日のPR誌は『理(ことわり)No.50』(関西学院大学出版会)。特集は《神戸の出版社「苦楽堂」の本を読む》、人文演習ゼミ生が書評を書いている(拙著まで、すみません、ありがとう)。大手書店で無料配布。同出版会Webサイトでも読めます。
http://www.kgup.jp/news/nc1575.html

 大橋政人 『まど・みちおという詩人の正体』 未來社 
1800円+税
 

 大橋は1943年群馬県生まれ、詩人。詩集『まどさんへの質問』(思潮社、2016年)で第12回三好達治賞受賞。
 本書は、『ガーネット』(購読会員制詩誌)、『未來』(未來社)に連載した詩論集。まど・みちおを中心に、「アンイマジナブル」(「人間の知性には想像だにできない」)に挑戦し続けてきた詩人たち、山村暮鳥、宗左近、阪田寛夫らを取り上げる。
 大橋はまど・みちお(19092014年)の晩年に交流。まどは数多くの童謡詩で知られる。「ぞうさん」や「やぎさん ゆうびん」は多くの人に親しまれている。しかし大橋は、少年少女詩ばかりが有名になりすぎて「大人の詩」が評価されていないことに疑問を持つ。改めて、まどの詩の本質を考える。
 まず思いついたのは「シュールレアリスム詩人」。だが、まどの詩は「簡潔そのもの」、「人間存在の現実それ自身」を見ている。
 次いで「宗教詩人」。まどは、神や聖人を歌うのではなく、「身近な動物や植物の中にも神サマを見ている」。

……私の頭に神秘主義詩人という言葉が閃いた。これで全て、つじつまが合うと感じた。〉

大橋は、ワーズワースやウイリアム・ブレイクら「キリスト教の用語を使わないで宇宙や自然についての深い思想を語る人」を神秘主義者と考える。また、欧米の知識人に大きな影響を与えた鈴木大拙のエピソード(サルトルが足元の底知れぬ深淵の恐怖を語っているが、なぜ飛び込まないのか、飛び込めば新しい世界が拓けると叫んだ)を紹介。キリスト教の神と人間(無限と有限)の仕切りを外して「渾然一体となった状態から言挙げする人々のことを神秘主義者」、と言う。
 大橋はこれまでの人生で大きな激変を2度経験。最初は高2、自我の目覚め。「無限」というものに気づき、「世界は狂っている」感じた。2度目は50歳を過ぎて見えた花の生長の瞬間。高2のときははるか彼方のだった「無限」が目の前に下りてきた。

……一回目の激変は狂おしく苦しいものだったが、二回目の激変は逆に心を落ち着かせてくれるような種類のものだったので助かった。それから全ての生きもの、全ての自然が花と同じ不思議さを持っていることに気づいた。私がまど・みちおさんの「リンゴ」という詩にであったのはそんなときだった。
 「リンゴ」
〈リンゴを ひとつ/ここに おくと//リンゴの/この 大きさは/この リンゴだけで/いっぱいだ//リンゴが ひとつ/ここに ある/ほかには/なんにもない//ああ ここで/あることと/ないことが/まぶしいように/ぴったりだ〉

(平野)ニューヨーク帰り和さんと飲み会して1週間経つ。忙しいでありましょうに、還暦記念図書カードとを飲み会写真を送ってくださる。図書カードは和さん人脈著名人写真が並ぶオリジナル。飲み会写真は皆何の偶然かグーチョキパーしていて、私だけパーであった。記憶にない、やっぱりパーチクリン。


2019年5月21日火曜日

落語の種あかし

《朝日歌壇》5.19より。

〈文庫本一冊持って釣りに行く(さくら)(がれい)は粘りが肝要 (福山市)武 暁〉

 文芸評論家・加藤典洋さん死去のニュース。ちょうど読んでいたPR誌に加藤の文章があった。
 加藤は小学5年生の時、家を飛び出て軽トラックにはねられた。切手収集に夢中で、何かそのことで急いで友だちの家に向かったのだろう。下駄が砕けて道路に残った。運転手が抱いて病院に連れて行った。「一人の女性が狂ったように走って」病院に向かった。

〈事故の報に帰宅した警察次長の父は、大事をとって布団に寝かされた私を見て警官の息子がと呟き、苦い顔をした。正直な感想だろうが、横たわる私には、母に愛されて居ることの幸福感と、父に対する齟齬の感覚が残った。〉(加藤典洋「大きな字で書くこと 私のこと その4 事故に遭う」『図書』2019.5月号所収)

 中込重明 『落語の種あかし』 岩波現代文庫 1540円+税



著者(19652004年)は近世・近代文学研究者。本書は落語の元になった話や類似の話を探し出す論文集。2004年、岩波書店より単行本。

〈伝統的に言って、落語が落語として出現することは少なかった。落語の多くがもろもろの先行文芸に材を求めている。つまり、落語ではない作品を、ないしは作品の一部を落語化したものが、現在我々が落語として認識するもののほとんどである。噺本をはじめ狂言・浮世草子・随筆・滑稽本・黄表紙・読本(よみほん)講談・歌舞伎・昔話・外国の物語など。あるいは、昔話や噺本などには落語からの輸入もあろうが、おおむねこれらが落語の材源になっている。(後略)〉

 元の話から無駄をはぶき、肝心なところをふくらます。それだけでは時代小説と変わらない、落語の重要な工程は「噺の普遍化を心がけること」、と中込は言う。
 落語『桃太郎』では昔話を聞かされる子どもが父親に逆に教える。「むかしむかしあるところに~」というのは日本中どこでもゆうずうがきくよう、地名・人名などを明らかにしない。人物を題材にする講談と比べると、「いい加減」である。

『明烏』、堅物の若旦那が父親の策で遊び人に吉原に連れて行かれる。一夜空けると若旦那は花魁に夢中。先行文芸や同型の話はどうなっているのか、講談、大岡政談などを見る。話の終わり方(サゲ)の違いから、落語家たちの試行錯誤創意工夫を読み解く。どうすれば客に受けるかである。
 先行話や類話では、堅物が遊女に溺れ放蕩、勘当、遊女と再会、ハッピーエンド、という人情噺だ。『明烏』では若旦那と花魁の名前は誰でもいい。サゲは、若旦那の価値観が一夜で変わる、変心。「男なら誰しも一様に持つ、女性への好奇心」、これで笑いになる。
 人情噺から艶話まで、中込の落語成立過程考察、文献探索はまさしく「種あかし」。
 さらに明治の西洋翻案モノ。三遊亭円朝『蝦夷錦古郷の家土産』について、円朝が北海道のみやげ話と言ったが、中込は類話を発見していた。一昨年ヴィクトリア朝文学研究者によってその原作が明らかになった。本書解説者・延広真治がその瞬間に立ち会った。
(平野)

2019年5月16日木曜日

橋本関雪

 アマゾンの誘惑
 9日、山口県周防大島みずのわ出版ネコ社長が所用のため来神。ふだんメールやハガキだから、3年半ぶりの対面。農家兼業で忙しい。
 地方弱小零細一人出版社にまでアマゾンの誘いがある。ネコ社長が中国新聞にその顛末を寄稿。こちらで。
https://mizunowa.hatenablog.com/entry/2019/05/12/085227

 13日、ニューヨーク帰りの和さん来神。毎年この時期こっちで仕事あり、年1回の飲み会。小林さん、福岡さん、ゴロウちゃん、ののさまと赤松酒店。

 西原大輔 『橋本関雪 師とするものは支那の自然』 
ミネルヴァ書房 2007



 図書館本。
 橋本関雪(18831945年)は明治、大正、昭和戦前に活躍した日本画家。日本古典、漢籍をテーマにした歴史画、それに動物画、戦争画で知られる。横山大観や竹内栖鳳と比べると忘れられている画家かもしれない。京都銀閣寺近くの邸宅「白沙村荘」は現在「橋本関雪記念館」、作品・美術コレクションを公開。
http://www.hakusasonso.jp/

 関雪は神戸出身、当時は坂本村(現在の中央区楠町、橘通、多聞通)。大倉山に記念碑がある。
 儒学者の家に生まれ、幼少時から漢学の伝統の中で育ち、家には清国、朝鮮の高官・文人、東洋趣味の西洋人たちが出入りした。生涯で中国を訪れること60回以上、大陸の文化を理解し、自然を愛した。そのうえでヨーロッパの古典や力強い絵に魅了された。熱烈な愛国者でもある。画壇の権威に従わず、群れず、独自の道を歩んだ。洗練より野生・豪放を好んだ。
 私の興味は、同時代を生きた文学者との関わり。坂本村のことも含め、改めて。
(平野)

2019年5月14日火曜日

雑誌渉猟日録

 栗もっと仕入れてもろうた

 5.1112 子どもたちと孫に会うため夫婦でお江戸。行きの電車内、名古屋を過ぎたところで、高橋輝次『雑誌渉猟日録』を読み終わる。久々富士山見える。

上野東京都美術館『クリムト展 ウィーンと日本1900』。金ピカの女性像の印象が強いが、生と死も重要なテーマ。壁画「ベートーヴェン・フリーズ」(原寸大複製)は迫力あり。

日本橋で家族6人待ち合わせしてランチ、孫と手つなぎ散歩。娘一家とはここでお別れ、息子と東京ドーム、スワローズ・ジャイアンツ戦。主力故障のなか、石川踏ん張り、若手頑張り、燕勝利。彼は小学生の時、スワローズが負けるとふくれっ面だった。

翌日は新国立美術館「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」。絵画、建築、デザイン、それに都市計画も。今年は日本・オーストリア外交樹立150年、クリムト没後150年だそう。

新橋に出て、パナソニック汐留美術館「ギュスターヴ・モロー展 サロメと宿命の女たち」、こちらはフランス世紀末。展覧会にしては珍しく男性客多数。サロメの官能美に惹かれてか。そう、私も。

 
 高橋輝次 『雑誌渉猟日録 関西ふるほん探検』 皓星社 2000円+税



 古本愛好者、編・著書多数。今回は書名のとおり関西の雑誌(同人誌、展覧会図録など)から埋もれた在野の人たち・作品を探し出す。大阪の文芸同人誌『茉莉花』、神戸の詩同人誌『航海表』、書物雑誌『書彩』などなど、さらに母校校内誌も。
 自らの足と勘で本の森を探検、まさに「本が本を呼ぶ」(装幀・林哲夫の帯のことば)のだが、書友・古書店主の存在が大きい。彼らは情報交換だけではなく、資料提供・贈呈、原稿整理、ネット検索までしてくれる。年齢層も幅広い。これも高橋の人柄。過去の目録を繰り、文学館・図書館に問い合わせ、同人に連絡し、古書店巡りの日々。

高橋の文章は、原稿を書き終えたあとに新資料が見つかったり、蔵書の存在を思い出したり、書く事がどんどん増えてくる。特に「渡仏日本人画家と前衛写真家たちの図録を読む」の章は本文10ページなのに、追記16、補遺14、「図録蒐集のすすめ」をはさんで、番外篇14、註、そのうえ付記で63ページ。追加ができることを喜んでいる。「以上の追記で完全に打ち止めにするはず~」「もはや、くどいと思われそうだが~」「舌の根もかわかぬうちから~」「もう一つおまけ」「さらにもう一件~」「厚かましくあと一つだけ~」「その後、どうしても読者に伝えたい、重要な文献を入手~」「いくらなんでも、これで最後にしたい~」「つくづく往生際のわるい私ですが~」「最後の最後に~」、まだまだ続く。
本探し、原稿書きが楽しくて仕方がない様子。

(平野)

2019年5月5日日曜日

古書古書話


出版目録&PR誌『海鳴り 31』(編集工房ノア)、本屋店頭でいただけるところは少なく、貴重。版元さんが送ってくださった。ありがたい、と言いつつ、本やコピーの小山に埋もれさせていた。刊行予定の石塚明子『神戸モダンの女』が気になる。

 荻原魚雷 『古書古書話』 本の雑誌社 2200円+税


 フリーライター、読書エッセイの著書他、埋もれている作家・作品を掘り起こす。《Web本の雑誌》で「街道文学館」連載中。本書は『小説すばる』連載プラス『本の雑誌』連載のエッセイ。

 龍膽寺雄(190192年)という作家がいた。昭和初期モダニズム文学の作家だが、文壇から去りシャボテン研究。魚雷は龍膽寺の『シャボテン幻想』(北宋社、1983年)を入手。
「シャボテンは、――この不思議な植物は、それが生えていた砂漠の、人煙絶えたはるかかなたの世界の孤独を、一本々々影ひいて持って来ている」
 漫画『孤独のグルメ』(久住昌之、谷口ジロー、扶桑社)の第16話で昔の流行作家がシャボテンの話をする。名前は出てこない。魚雷は、モデルはあの作家と確信する。

魚雷の読書専門科目(?)は私小説と大正の世相・思想史だろう。でもね、古本ライターとしての興味は果てしない。稀覯本、100円均一、純文学から外国文学、漫画、スポーツ、音楽、家事、オカルト本、昔のベストセラー、庶民の日記帳、それに古本業界のことや本イベント。

〈わたしはねてもさめても古本のことを考えている。/いつも読みたい本がある。その本を読みたい気持が強ければ強いほど、古本屋に行く回数が増えるから、それだけ見つかる可能性は高くなる。〉

 本から本、一人の作家から別の作家へ次々つながる。家には、読むための本、仕事の資料など、本の山脈ができる。古本屋さんに買ってもらい、イベントに出店もする。買って売り、売っては買い。

〈本の置き場がなくなるにつれ、本を買うことがつらくなってくる。新刊書店や古本屋に行っても、消沈した気分で棚をながめてしまい、「この本はおもしろそうだ」という勘も働かなくなってくる。/だったら、在庫の本を処分すればいいとおもわれるかもしれないが、売れるとおもって仕入れた本をそのまま古本屋に売るのは、自分の失敗を認めたのも同然だ。〉

『小林秀雄対話集』(講談社文芸文庫、2005年)で坂口安吾が小林に突っかかる。小林が文学世界から離れ、骨董趣味にのめり込んでいた。小林曰く、骨董趣味は「女出入りみたいなもの」だが、徹底的に経験する人は少なく、「狐が憑くようなもの」、経済的にも精神的にも家庭も滅茶滅茶になる。魚雷、納得。

〈もともと仕事のための資料集めもかねていた古本屋通いが、完全に仕事に支障をきたすようになった。なんで本業をおろそかにしてまで、副業に精を出すのか。/そうか、狐が憑いていたのか。〉

 古本病は狐のせい?
 カバー写真は、東京高円寺の古本酒場「コクテイル書房」。

(平野)
 巻末に取り上げた書店、本イベント。「海文堂書店 神戸[P90] 二〇一三年閉店。」の表記が悲しい。

《ほんまにWEB》「しろやぎ・くろやぎ」最終回。しろやぎさん、書店員卒業。お疲れ様。

《朝日歌壇5.5》より。
〈きっちりと古新聞に本を包み返してくれた戦後の昭和 (武蔵野市)中村偕子〉