2018年2月24日土曜日

白き瓶


 藤沢周平 『白き瓶 小説長塚節』 文春文庫 1988

初出「別冊文藝春秋」(198284年)。単行本、文藝春秋(1985年)。


 藤沢周平と言えば時代小説、海坂藩など武家物、商人や職人を描く市井物などがまず思い浮かぶ。本書は人物評伝、明治から大正の歌人・作家、長塚節のこと。結核で37年の生涯を終えた。藤沢と長塚節がすぐに結びつかないが、藤沢は短歌・俳句に詳しい。結核闘病体験も大きいと思われる。

 節は22歳の時、正岡子規に面会し門下に入った。2年後、子規死去。葬儀の最中、伊藤左千夫が節に言う。

〈「俳句は虚子と碧梧桐にまかせておけばいいんだ」(中略)
「しかし歌は長塚君、君と僕だ。二人でやって行かなきゃならん」〉

 左千夫を中心に子規門下は活動するが、左千夫は「野菊の墓」のイメージとは違う豪腕というか、唯我独尊。門人たちと衝突、盟友・節、斎藤茂吉ら新世代の人たちまで批判。一門に波風が立つ。

 節は生来虚弱体質、中学に首席で入学するも中退。家は豊かな農家だったが、県会議員の父は金銭感覚なし、多額の借金あり。節が農家経営・借金返済の算段。縁談は結核宣告であきらめる。節の生きがいは歌と健康のためと信じる旅。亡くなったのは九州大学病院。無理な旅から戻って、直前まで高熱を出しながら歌の推敲と整理をしていた。

 表題は節の歌、
〈白埴(しらはに)の瓶こそよけれ霧ながら朝はつめたき水くみにけり〉より。秋海棠の花の絵に添えた歌。

……聖僧のおもかげがあるといわれた清潔な風貌とこわれやすい身体を持っていたという意味で、この歌人はみずから好んでうたった白埴の瓶に似ていたかも知れないのである。〉


(平野)旅の友に選んだが、読みきれず。全485ページ、びっしり。藤沢は文献・資料を読み込み、歌人の生涯に向き合った。藤沢の執念というか、長塚節に取り組む姿勢に圧倒される。

2018年2月22日木曜日

金子兜太


金子兜太

〈朝はじまる海へ突込(つつこ)む鷗の死〉

金子は復員して日本銀行に復職。1953(昭和28)年から神戸支店勤務。〈こころの世界に入る〉と肚をくくった句。

港のカモメが海に飛び込み魚をくわえて出てくる。

……私はそれを見ながら、トラック島の珊瑚の海に突込んで散華した零戦搭乗員の姿をおもい浮かべて、〈死んで生きる〉とつぶやいたものでした。
『わが戦後俳句史』(岩波新書、1985年)

「朝日新聞」2018.2.21
 
 

(平野)

2018年2月21日水曜日

ゴッホ展


《ゴッホ展 巡りゆく日本の夢》 京都国立近代美術館 
34日まで(月曜休館)

テーマはゴッホと日本。ゴッホはじめ印象派の画家たちは日本の浮世絵に大きな影響を受けた。ゴッホ作品に触れた日本の文化人たちはゴッホゆかりの地を訪れた。

「寝室」(1888年、ファン・ゴッホ美術館蔵)という絵が出展されている。アルルでゴーギャンと共同生活をした家。ゴッホは同じ構図で3枚描いた。1921年、松方幸次郎がその3枚目(現在オルセー美術館蔵)を買い取った。松方のコレクションは様々事情があってパリで保管されていたが、第二次世界大戦中にフランス政府に没収された。戦後、日仏政府間で交渉がまとまり、ほとんどが日本に返還されたが、「寝室」はそのリストに入らなかった。フランスにしても手放せない至宝である。言うて詮無いことながら、様々事情がなければ、上野の美術館に所蔵されているはずだった。

バージョンが違うにしろ、会場や図録でその経緯について説明があってもいいのではないか、と思う。


 

 写真、上が1枚目(会場で購入した絵ハガキ)。下が3枚目(『オルセ美術館 絵画』みすず書房、1989年より)。

 当時松方の絵画購入に付き添った美術史研究者の証言。

〈私がもっともひどく松方さんをじりじりさせたのは、たしか画商のローザンベールのところであったか、ヴァン・ゴッホのすばらしい「寝室」のほかマネー、ルノアール等の優品が34点売りに出て、私がまるで興奮してしまった時であった。殊にこの「寝室」は稀代の傑作で、これはどうしても日本に買って行って下さいとせがんだ。ヴァン・ゴッホはアルルで、この同じ「寝室」はたしか三枚描いていたと思うが、私はこの「寝室」が一番よいと信じている。ガラス窓に当る南フランスの陽の輝き、それが床に反射し、壁にかけた自画像に反射し、すべて黄色の光焔になって燃え立っているような狂熱的な画で、誰だってこれを一目見て夢中にならざるを得ない。〉
(矢代幸雄「松方幸次郎」、1989年《松方コレクション展》カタログ所収)

 松方は画商と丁々発止の交渉をする。矢代は真っ正直にこれを買うべき、あれはダメと言うので、交渉の邪魔。この時も松方は取り合わず、矢代は失望。しかし、松方はちゃんと購入していた。
(平野)複製画と絵ハガキ購入。

2018年2月17日土曜日

あきない世傳 金と銀(五)


 髙田郁 『あきない世傳 金と銀(五) 転流篇』 
ハルキ文庫 580円+税

 江戸時代中期大坂天満の呉服商を舞台に、主人公・幸(さち)が苦難を乗り越え、商いに精進する物語、第5巻。
 商いは幸が繰り出す企画で順調。しかしながら、幸の身辺にまたもや災厄が起こる。あんまり書くと未読の方に怒られるので、このくらいに。

 悲しい出来事や悪口に負けず働く幸に対して、妹・結(ゆい)は「心がない証」と女衆(おなごし)に不平を言う。女衆は、幸が人前で気丈に振る舞っているが、人知れず悲しみに耐えている、とかばう。

〈「古手を解いたら、縫い手の心が見えますのや。心ない者は心ない仕立てをするもんだす。たとえ見えるとこ、目立つとこは綺麗に繕うてあっても、解いてみたら一遍にわかります」
(中略)
「ひとも同じだすやろ。目ぇに見えるとこだけで、心のあるなしを判断できるもんやおまへん」〉

 それにしても、髙田郁という著者はどこまで幸と読者をいたぶるのか。このサディストめ! 
 
 

卯月みゆき描く表紙の絵が美しい。帯は著者の漫画チックイラスト。

(平野)『みをつくし料理帖』特別巻の予告がある。
《ほんまにWEB 奥のおじさん》更新。

2018年2月15日木曜日

こんにちは


 谷川俊太郎 『こんにちは』 ナナロク社 1800円+税

 東京オペラシティで開催中の《谷川俊太郎展》関連書籍。詩22篇(新作含む)、俳句、写真(谷川撮影もあり)、対談(会場の音楽・映像担当者)、「3.3の質問」(著名な回答者)に、特典冊子とポストカード付き。

「自己紹介」
私は背の低い禿頭の老人です
もう半世紀以上のあいだ
名詞や動詞や助詞や形容詞や疑問符など
言葉どもに揉まれながら暮らしてきましたから
どちらかと言うと無言を好みます
(後略)

会場売店で購入。レシートに詩人のメッセージが印字されている。

《詩・ポエムには稿料などの値段がつくことがありますが、元になる詩・ポエジーはお金に換算できません。いまあなたが手に入れた詩的なsomethingの価値を決めるのは、お金ではなくてあなたの感性。俊》

 豆本ガチャガチャもあり、ピンクの詩集が出た。
 
 
(平野)本の表紙、赤と黄もあった。表紙の絵は詩人の古い落書き。

2018年2月14日水曜日

玄鳥さりて


 葉室麟 『玄鳥さりて』 新潮社 1500円+税

連休、孫の食べ初めで上京。

新幹線内の友は、年末に亡くなった葉室麟の遺作『玄鳥さりて』。
師弟愛を超えた男と男の愛。陰陽、日陰でしか生きられない剣の達人・六郎兵衛と陽の当たる立場の圭吾。
圭吾にとって六郎兵衛は、《どれほど悲運に落ちようとも、ひとを恨まず、自らの生き方を棄てるようなこともなかった》人で、《闇の奥底でも輝きを失わない》人。しかし、圭吾は権力中枢に近づくにつれ六郎兵衛の腕を利用しようとする。さらなる権力が襲いかかり、二人は対決しなければならない。全てを見通した六郎兵衛は大きな愛で圭吾を守る。自らを犠牲にしても。
慈愛と献身。衆道までには行かないが、六郎兵衛はまさに漢(おとこ)。

玄鳥とは燕のこと。軒先に巣を作る燕はいつか旅立つ。死を覚悟した六郎兵衛は姿を消し、圭吾のために闘う。
本書は時代小説の先達・藤沢周平への思いが込められている。



(平野)葉室の本は『銀漢の賦』(2007年、文藝春秋)を読んで以来。

2018年2月3日土曜日

近代日本一五〇年


 山本義隆『近代日本一五〇年――科学技術総力戦体制の破綻』岩波新書 940円+税
 
 

 日本近現代史を科学技術史から考え直す。19世紀中頃に西洋は蒸気と電気でエネルギー革命を達成。日本の近代化はそのエネルギー革命と共に始まった。国家挙げて西洋の科学技術を吸収して、富国強兵・殖産興業を目指した。戦争に突き進み、原子爆弾を落とされ、ボロボロの敗戦。経済大国として復興したが、高度成長の影で公害が発生した。平和利用の原子力開発は福島原発事故を起こす。これは近代科学技術の破綻。一貫して「総力戦体制」。そして、人口減少。

《大国主義ナショナリズムに突き動かされて進められてきた日本の近代化をあらためて見直す決定的なときがきていると考えられる。》

 科学技術の進歩は無条件に良いものだろうか? 日本の原子力開発の歩みを読むと、恐ろしい事柄ばかり。戦犯総理大臣がかつて「潜在的核武装論」を唱え、現首相はその考えを踏襲しているようだ。現在日本には6000発のプルトニウム爆弾を作れる材料がある。原発事業はまさに国家総力戦体制で、関連産業は「国策会社」として保護され、政・官の利権構造が維持される。ほとんど語られることのない原発事故後の「決死隊」。あらためて指摘される原子力発電の商品としての完成度の低さ。

「アンダーコントロール」なんて嘘。

(平野)