2019年7月28日日曜日

我らが少女A

 髙村薫 『我らが少女A』 毎日新聞出版 1800円+税
 
 

 201781日から2018731日まで「毎日新聞」に連載。
 髙村作品の名刑事・合田雄一郎の未解決事件が12年経ってまた動き出す。と言っても、現場を離れて警察大学校教授の身、捜査はしない。
 12年前、200512月武蔵野の公園で起きた老女殺人事件。2017年春、池袋のアパートで28歳無職男が同棲相手27歳風俗嬢を殴り殺してしまう。彼女は12年前の重要参考人(老女の水彩画教室生徒、孫の友人)だった。男は、彼女が老女の絵の具を拾ったと話していたと供述。再捜査になり、情報は当時の担当者・合田にも知らされる。大学校は事件現場の近く。今も関係者たちが周辺に住み、仕事に通っている。
 殺された女性はかつて女優志望だった。体型もかなり違っている。歳月は関係者たちの生活も立場も様変わりさせているし、故人もいる。12年前の事件と池袋の事件がつながり、関係者たちの忘れ去っていた時間が逆戻りしていく。
 犯人は彼女なのか、彼女と老女に何があったのか、別件逮捕された少年は何を見たのか、他の関係者たちは……
 捜査員は複雑なパズルのピースをはめるように、事実を積み重ねて空白部分を埋めていく。関係者たちそれぞれも否応なく記憶を整理せざるを得ない。当時の少女の顔と名前が合田の心臓に刺激を与える。

〈当時は十五歳の少女だった朱美が、何かしら言いたげな表情をして、どこからか立ち上がってきたかと思うと、驚いた? 十二年間隠れたふりをしていただけよとささやき、口角をきゅっと上げて微笑んでみせる。否、ほんとうは何か気に入らないことがある不機嫌のサインかもしれない。子どもでも大人でもない異形の生物が、その潤んだ昏い眼に、一瞬舌を刺すような柑橘類の鋭い甘さを湛えてこちらを凝視してくる、その独特の雰囲気のある目鼻立ちや声やしぐさは、どれもこれもいましがた会ったばかりのように鮮やかで、合田はいまも知らぬ間に息を呑む。そうだ、十二年前に被害者栂野節子の葬儀の席で初めて本人を見たときも、自分はこんなふうだったのかもしれない、と思う。こちらが三十年若かったら、間違いなく惚れていただろう、あのときの少女A。〉

(平野)
 本書の挿絵画集も発売。連載時、毎日挿絵画家が代わったそう。画家・写真家、計24名。『髙村薫 我らが少女A 挿画集』(1800円+税)。
 私はゲームの種類やストーリーはチンプンカンプン。SNSの使い方もよくわからない。ゲームおたくの少年が重要人物だし、合田もゲームをする。SNSで関係者が連絡取り合い、昔Aと関わった男も絡んでくる。現代の若者を描くには欠かせないでしょう。髙村さんも各種ゲームにかじりついたのでしょう。
 
 7.23 元町で古本愛好家・輝さんとお茶。このたび神戸に引っ越してこられた。これまでも関西文学のことを教えていただいている。なおいっそうお世話になれる。GF記者に輝さん新刊をそれとなく(?)推薦メール。
 7.25 元町原稿、「山本周五郎の3」持参、これがちょうど第70回(8月末発行)になる。「WEBほんまに」用も準備してるんですよー、と関係者に呼びかけるが、見てくれるか?
 7.27 ギャラリー島田で9月開催「大竹昭子写真展」関連書籍の打ち合わせ。テーマは、阪神間にも縁のあるイタリア文学者。近々ギャラリーのサイトで発表あり。昨年秋、同ギャラリーで開催した「林哲夫 父の仕事場」展が本に(私家版、1000円+税)。下記サイトで注文可能。
https://thworks.thebase.in/

「ひょうご部落解放 2018冬」(季刊専門誌、刊行遅れ)届く。私が本の紹介をしている。「おじさん読書ノート」、原民喜『夏の花』(岩波文庫)。これは第15回。
 GFクッスーから明日本飲み会召集要請あり。会員諸氏はしばしお待ちを。


2019年7月20日土曜日

化物蠟燭


 木内昇 『化物蠟燭』 朝日新聞出版 1600円+税

 表題作他、江戸を舞台にした、ちょっと怖い話、妖しい話、切ない話7篇。「小説現代」「小説トリッパー」に掲載した作品。
 悲しく辛いことだけれど、人はいつかこの世を去らなければならない。病だったり、事故だったり、テロがあるし、「誰でもよかった」もある。自分の意思ではどうにもできない。
 恋しい人、幼い子を思いやって、成仏できない者がいる。一方、あの世の者とこの世を繋げる者がいる。
 ほんとうに怖いのは生きている人間の欲、嫉妬、怒り。

 


「化物蠟燭」の主人公は影絵師・富右治(とうじ)。菓子屋の番頭から店の後継問題で奇妙な依頼を受ける。大旦那は腕の良い職人に店を継がせ、実子を独立させていた。番頭は、実子を戻したい、職人を影絵で脅かせて追い出してほしい、と言う。富右治は影絵師のプライドで断るが、挑発に乗って請けあってしまう。富右治は怖がり、影絵で怪談はしない。仕掛けに困り、「化物蠟燭」(蠟燭に妖怪や幽霊の切り抜き影絵を取り付けたもの)の目吉に相談。

ほぼ毎晩職人を脅かしていた。ある夜、編み笠姿の老人が訪ねて来た。「多賀谷」と名乗って、苦言。化物蠟燭を使う前によく考えよ、と。

〈「……影絵というのは、人を楽しませ、浮き世を忘れさせるのに用いる芸です。使い方を過つと、芸というのは次第次第に下火になって、いずれ滅びてしまいます」(中略)「あなたは当代一の影絵師だ。それだけの腕を持つものは、よくよく心得て技を使わなけりゃあなりません」〉

 翌日実子の店に行くと客の行列ができていた。後継問題は大旦那の算段、実子と職人の技量・商才を見極めていた。両方の店が繁盛した。番頭はそこまで見通していなかった。

職人は富右治の仕業を知っていた。幽霊から御伽草紙のような話になって、楽しみにしていた、と打ち明けられる。さらに、いつも富右治の隣に仲間がいて、その人が言うには、気を休めるよう番頭に頼まれた、伝統は常に新しいことをしていかないと繋がらない、富右治も技を継ぐ者だ、と。もちろん富右治には何が何やらわからない。菓子商の騒動はそれぞれ良かれと思っての考え・行動で、一件落着。

……一番みすぼらしいのは、ものごとを一方からしか見ずに金に釣られて動いた俺だ――。〉

 職人に、誰が悪いのではない、影絵が同じ形でも向きによって見え方が違ってくるようなもの、と諭される。
 目吉が、「多賀谷環中仙(かんちゅうせん)」(享保年間、実在の人物)という影絵の基礎を作った人物に思い当たる。

(平野)
 7.20は私66歳の誕生日。孫が電話(家人のライン)で「ハッピーバースデイ」を2回、その他レパートリー3曲歌ってくれた。ヂヂ、うれしい。

 

2019年7月18日木曜日

いやな感じ


 高見順 『いやな感じ』 共和国 2700円+税

 高見順(19071965年)最後の長篇小説、『文學界』(6063年)連載。
 
 

 大杉栄の仇討ちを誓うアナキスト・加柴はテロリストとして死に場所を求めながら、同志・砂馬(すなま)、丸万とリャク(企業恐喝)。商売女に惚れてしまって足抜けを企てたら性病をうつされる。民権運動から中国革命に協力した支那浪人・慷堂(こうどう)に青年将校・北槻を紹介され意気投合。朝鮮でのテロ計画がばれて、宿の女・波子に助けられる。東京に戻って、衝動的か仕組まれたのか、無関係の人間を殺してしまう。ブタ箱仲間のアビルに助けられて、波子と北海道に逃げる。砂馬と丸万は満洲のアヘンで稼ぐ。二・二六事件で北槻は死刑、慷堂も連座。加柴も中国に渡る。

 アジア主義者、支那浪人、右翼、皇道派、統制派、アナキストにボル派、テキ屋、死の商人、慰安婦、従軍記者、兵士、中国の民衆……。書かれているのは大日本帝国の侵略の歴史だ。その裏側には名もなき者たちがいた。性を売らざるを得ない女たち(彼女たちにもランクがある)、労働者たちの汗と工場の熱、無残に流れる血と体液、人殺しを強要される兵士、その兵隊に踏みにじられ虐げられる中国民衆たちの生活力。テキ屋や犯罪者の隠語と共に裏の歴史も語られる。

 加柴は右翼の親玉を殺す。砂馬も殺そうとするが果たせず。日本に残した幼い娘事故死の知らせがあり、丸万は警察に捕まり自殺、アビルも射殺された。加柴は中国捕虜処刑現場に立ち入り、日本兵の軍刀を手に取り、捕虜の首を斬る。近しい者の死に逆上したのか、大杉栄が言った「われらの反逆は生の拡充なのだ」の実現か、哀れなテロリストの成れの果てか、ただの狂気か。
 一太刀目は頸骨で止まった。「いやな感じ」が手に伝わる。もう一度軍刀を振りあげた。

……このとき、奇怪な恍惚感を伴った戦慄が俺の肉体を貫いた。俺は射精をしていた。/(いやな感じ!)〉

 栗原康は解説で、加柴は反権力で一貫している、と書く。権力・国家がつくったものなどどうでもいい、と思っている。アナキズムにニヒリズムをもちこんで、「ニヒリズムをこじらせている」。人殺しを肯定する。現代でも「ニヒリズムをハンパにこじらせているやつらがめっちゃおおい」。どこかの国の権力者たち、それを喜んで支えている人間がいる。

 高見は自らの青年時代と戦後晩年の時代を物語にこめたのだろうが、現代にも通じている。多くの人が「いやな感じ」をもっている。でもね、人殺しはいけない。

(平野)
 本書を買ったとき、レジによく知る書店員さんがいた。冗談か本音か、「いやな感じ!」と言われた。
 7.15海の日、神戸海洋博物館。「青山大介×谷川夏樹 海へ届ける絵画展」。21日まで。
 7.16 元町映画館、「ニューヨーク公共図書館」。座席満員で私は敷布貸してもらって通路すわり、最後部で立ち見の人もいた。顔見知りの方々数名。平日昼間とはいえ、鑑賞者は95%女性。

2019年7月13日土曜日

ベストセラー伝説


 本橋信宏 『ベストセラー伝説』 新潮新書 760円+税

 1956年生まれ、ノンフィクション作家。
 ベストセラー本、ロングセラー学習参考書、100万部突破雑誌など、昭和の出版物ヒットの秘密・裏話を関係者たちに取材。創業者たち、歴代の編集者たち、独自の営業戦略など。



目次
1章 「冒険王」と「少年チャンピオン」
2章 「少年画報」と「まぼろし探偵」
3章 「科学」と「学習」
4章 ポプラ社版「少年探偵シリーズ」
5章 「平凡パンチ」と「週刊プレイボーイ」
6章 「豆単」と「でる単」
7章 「新々英文解釈研究」と「古文研究法」「新釈 現代文」
8章 「ノストラダムスの大予言」

「はじめに」で著者が、なぜ手塚治虫「ブラック・ジャック」は「少年チャンピオン」で連載されたのか、と疑問を呈していて、その答がある。「漫画の神様」に向かって罵声を浴びせられる編集者がいた。70年代初め、手塚は極度のスランプ状態だった。虫プロの倒産があった。小学館、集英社、講談社の雑誌に作品が掲載されなくなった。
「おいっ! 手塚先生の死に水は俺たちがとってやろうじゃねえか!」
 鬼編集長の一声で決まった。彼が起用したのは手塚だけではなかった。「過去の人」「失速しているベテラン」に発表の場を与えた。
 8章には予言本「ノストラダムス」と関係ないような女性週刊誌や出版元誕生、カッパブックス・ノベルスベストセラー連発のドラマがある。小松左京「日本沈没」(光文社カッパノベルス)も同じ年のベストセラー。五島勉は「女性自身」のライター、その彼がなぜ「ノストラダムス」を書いたのか。五島にもインタビューしている。五島も小松も、両者を担当した編集者も昭和一桁世代。

……この世代は10代の思春期のときに、親や教師が815日を境に180度主張を反転させた姿を目撃してきた。国家、体制に対してどこか不信感を持っている。/1973年の2冊の大ベストセラーも、いまの泰平を信じるな、という昭和一桁世代からのニヒルな覚醒の書ではなかったか。〉

(平野)
 私は著者よりつ3歳上だが、取り上げている書籍・雑誌体験が違う。「冒険王」「少年画報」は私より少し上の学年の人が読んでいた。私は「マガジン」「サンデー」世代。「まぼろし探偵」は連載ではなくテレビドラマと漫画単行本だ。「少年探偵」は確かに学校の図書室にあった。「パンチ」「プレイボーイ」も年上の雑誌だ。学参だと「豆単」「でる単」は使ったが、7章の3冊は触りもせず。「ノストラダムス」は読んだ。

2019年7月11日木曜日

これからはソファーに寝ころんで


 岡崎武志 
『これからはソファーに寝ころんで 還暦男の歩く、見る、聞く、知る』 春陽堂書店 1800円+税
 文筆家、書物愛好家、書評家。同社のWebサイトで「オカタケな日々」連載中。
 
 
 まえがきを読んでいて、いつもの著者と違う、と思った。
「もう若くなくて幸せだ」という歌・言葉を噛みしめる。青春時代をふりかえる。老化を自覚し、持病もある。あれもこれもダメとあきらめるようになる。成功者は「最後まであきらめるな!」と言うが、「まあ、いいんじゃないかこのあたりで、と私は考えるようになった」。地下のマイルームにこもる時間が多くなる。
……赤いソファーに寝ころんで、豆皿のピーナッツを食べ、ウィスキーのソーダ割りをなめながら、大好きなアン・サリーの天上的至福の声を聴いていると、月の夜に湖に浮かべた小舟に揺られているようで、別にこのまま死んでもいいやと思うのだった。〉
 ちょっと心配したが、読書・仕事以外の楽しみを披露する内容だった。都内・近郊散歩、古本イベント、音楽ライブ(プロと共演までしている)など日常エッセイ。撮りためた写真も掲載。
 
(平野)歩こう、坂を登ろう、高いところへ上れ。ついでに、へそ曲げろ。
 図書館で「橋本関雪」本。昭和の文豪たちとの関わりを調べている。井伏鱒二、井上靖、谷崎潤一郎。直接会っているのは井上だけなのだが、それぞれいろいろある。

2019年7月1日月曜日

ふるほんのほこり

 週3日勤務日の休憩時間は私の貴重な読書時間。弁当を食べ終えそのまま部屋で。たまに徒歩数分の須磨寺公園に出かける。大きな池があり、四阿に鳩が10羽近く先客、私が入っても逃げない。名前のとおり須磨寺の敷地。
 1926(大正15)年、山本周五郎が「須磨寺附近」を発表して文壇に登場。親友の姉をモデルにした恋愛小説だ。周五郎は関東大震災で被災し、神戸に来たが、神戸生活は約5ヵ月だった。

須磨寺境内には周五郎文学碑他、縁の古今文人の碑、源平合戦の遺蹟がたくさんある。須磨寺のWEBサイトをご覧ください。http://www.sumadera.or.jp/

須磨寺公園は花の名所で、かつては池にボートを浮かべ、動物園や人形館のある遊園地だった。水鳥や小動物だけではなく、狸に狐、豹もいた。その豹が脱走したことがあり、周五郎はそれも題材にしている。遊園地は兵庫電軌鉄道(現在の山陽電鉄)の経営、大正時代は繁盛したが、昭和の初めには衰退した。

 梅雨に入り、私の戸外読書は叶わない。それにすぐ夏、猛暑は必至だろう。本を読めない言い訳を先にしておく。写真は池から須磨寺を望む。

 


 林哲夫 『ふるほんのほこり』 書肆よろず屋 頒価1000
 
 

 画家、書物愛好家・林哲夫の古本エッセイ。限定500部、「天井扇ページをゆらす書店あり」とサイン。京都の古書善行堂で購入できる。
 2009年から2年間、筑摩書房PR誌『ちくま』に連載をまとめ、「ふるほんは宝物だ」を加える。連載では表紙絵を飾り、表2にエッセイだった


〈古本は足で探す。これが基本。基本中の基本である。/探すというのは何か決まった探求書があっての場合ばかりではない。自分は何を探しているのだろう? それが分からないから探すということもある。いや、これこそ古本探しのいちばんの面白さではないだろうか。(後略)〉
 
靴を減らして古本屋・即売会を廻る。無駄足も遠回りも、古本者は「それが楽しい」。私はまだその境地には達していない。
 
 8年以上前の原稿だから、閉店してしまったり移転した古本屋さんがある。店主には故人もいらっしゃる。

(平野)私は連載当時の『ちくま』24冊を持っている。揃っていることが自分でも信じられない。