2018年4月30日月曜日

神様のいる街


 吉田篤弘 『神様のいる街』 夏葉社 1600円+税
 

 
 なかよしの画家のツイートで出版を知った本。灘のワールドエンズ・ガーデンに予約して、受け取りに行く。家を出て神戸駅までの道、電車の中、降りてからお店までの道、わくわくしている。お店に入ってもすぐには受け取らない。棚を行ったり来たり何度も眺めて、別の本を手に取る。店主を焦らしているわけではなく、自分が喜び勇んでいる状態を他の人に悟られたくない。お客さんがいなくなったところで店主のもとに。支払いを済ませてもすぐ店を出ない。店主と世間話。駅のホームで本を開いて読み始める。早く家に帰って読むのが一番なのだけれど、買い物の用事があるので中断。
 前置きが長い。
 著者はクラフト・エヴィング商會のユニット名でブックデザイン、出版をしているが、吉田名で小説も書く。本書は若き日のできごとと《街》を綴ったエッセイ集。吉田が書く《街》は、神保町と神戸。
 吉田は二十歳のとき、ビートルズのレコード(従姉妹から譲り受けた宝物)を売ったお金で神戸に来た。到着したのは通勤・通学の時間帯、神戸は生活圏と仕事圏が近い。「生活と仕事が渾然一体となっていて」「生活をそのまま纏った人たち」が動き始めていた。普通の生活者ではなさそうなオジバ(オジサンかオバサンか不明)が外国タバコを二カートン買っていた。吉田は、タバコは誰の手に渡ってどこで煙になるのか、想像するだけで、「どこからか物語の声が聞こえてくるようだった」。

〈この街には無数の物語があった。小さな箱におさまった物語が街の至るところに並び――それはつまり小さな街に小さな店がひしめいている様そのものでもあったが、――本棚に並ぶ書物のように、ページをめくれば、そこにつきせぬ物語が隠されていた。〉

〈にしむら〉でコーヒーを飲んで、二匹の犬に「おはよう」の挨拶をして街歩きが始まる。でも、どうして神戸?

〈どうしても神戸に行きたかった。行かなくてはならない。(いま行かなくては駄目だ)と、どこからか声が聞こえてきた。〉

〈神戸にいると、僕は神様の声が聞こえるのだ。/(いいか、いまのうちに見ておけ)/神様は何度もそう云っていた。けしかけるような云い方だった。〉

 吉田は美術の専門学校に入ったものの、学校には行かず、神保町通い。居場所=生き方を模索していた。食費を削って本を買い、蔵書を売って本を求めた。本を手に入れること、読むことで、本の素晴らしさを理解していった。「本をつくりたい」と思うようになった。

〈僕は「神戸」という街の名を口にするだけで、あるいは、その文字の並びを目にするだけで嬉しくなってしまうのだが、あるとき、神戸駅の構内を歩いていて、駅名表示の文字の並びに、「神」の一字があることに気づいて、(そうか)と立ちすくんだ。/この街で神様の声を耳にするのは、きっと自分だけの妄想ではない。〉

 ちょっとした「偶然」を「運命」と受け取った。
 吉田は、いわゆる神戸観光をしない。歩き、電車に乗り、視界に入る景色や人を見、話し声を聞き、コーヒーを飲み、食事をし、買い物をする。
 神戸の街の「海側」「山側」という呼び方に注目する。JR線路が海と山の境界線で、「西欧風でありながらアジア的で、海の街でありながら山の街でもある。懐かしいけれど、すこぶるモダンで、華やかだけれどシック」。ふたつの文章を同時に書き進めていた。長篇小説と詩のようなもの。「ふたつの方角へ同時に進んで行くには」を考える街として、「神戸はうってつけだった」。
 神戸が「お洒落な街」と言われていることを、吉田は「本来、ひとつに収まらないものが、ぎりぎりのバランスで共存しているさま」と捉えた。「シュールレアリズムの思想」と。

〈神戸は自分にとってそのような街で、「どうして、これほど居心地がいいのか」と繰り返し自問していたが、「物語」と「詩」を選びきれない自分を、(それでいいよ)と無言で諭してくれる街なのだった。〉

「海側」「山側」に属さない高架下には本物の隣で偽物が売られている。「特筆すべきは、そうしたバッタもんが、どこかしらチャーミングに映ること」。吉田はたいていのものは神戸で買う。食べる物もおいしいと気に入った店に通い詰める。本も。

……古本は神保町で購めたが、新刊書店に並んでいる現役の本は神戸で買うことにしていた。具体的に云うと、東京でも買える本を、元町の〈海文堂書店〉で買っていた。それは、そうした決まりを自分に課していたのではなく、ひとえに〈海文堂書店〉が、どこか古本屋のような新刊書店だったからである。/本の並びの妙だった。二十四色の色鉛筆を、どんな順番で並べていくかという話である。(中略、古本屋の棚の「奇異」「妙」は暗号やパズルの楽しみで、誰かにはデタラメに見えても、別の誰かには脈絡が見える)/そうした絶妙さを小さな店構えの棚に見つけたのではなく、〈海文堂書店〉という、それなりの広さを持った二階建ての新刊書店の棚から感じとった。稀有なことだった。海にほど近い場所の力もあったかもしれない。海の近くの本屋で、刷り上がったばかりのあたらしい本や、見過ごしていた本を手に入れる喜び――。〉

〈ハックルベリー〉〈後藤書店〉〈元町ケーキ〉〈エビアン〉〈明治屋神戸中央亭〉など、「海側」で過ごす時間の独特な感覚を語っている。
 パートナーBさんのこと、結婚式、曽祖父のルーツ(関西らしいが、京・阪・神か不明)、父がかつて神戸で療養、阪神淡路大震災後のことなどなど、この街にまつわる様々な話を書いてくださった。

(平野)吉田さんが神戸好きであることは以前の著書で存じていたが、1冊の本になるとは想像もしていなかった。吉田さん、ありがとう。島田社主、感謝申し上げます。

《ほんまにWEB》、「しろやぎ・くろやぎ」「海文堂のお道具箱」更新。

2018年4月22日日曜日

世界史のなかの昭和史


 半藤一利 『世界史のなかの昭和史』 平凡社 1700円+税 

 平凡社版「半藤昭和史」完結編。

〈八十年余も前の戦前の「昭和史」という時代を考えますと、皮肉をとおり越して非情そのものと思えます。その時代の日本の指導者のなんと無謀であり無智であったことか、驚くばかりなのです。彼らは自分勝手に進むことだけを知って、停まって周囲つまり世界の動きを冷静に見回して考えることをしなかったのではないか。民草もその指導者の煽動にあっけなく乗って流されていった。〉

 昭和史は動乱と戦争の歴史。戦争を仕掛けたあげくボロンチョンコテンパンの敗北。国土は焼け野原となり、自国も相手国にも大量の犠牲者を出した。
 日本の指導者たちはあまりに欧米の政略・戦略に無智だった。特に、ヒトラーとスターリン、彼らの冷酷・冷徹・凶暴な力を知らず、分析もできず、「夜郎自大な、自分勝手な、大いなる夢想」をしていた。
 半藤は1933(昭和8)年に注目する。日本は国際連盟脱退、「栄光ある孤立」。ドイツはヒトラー独裁政権樹立、国際連盟脱退。ソ連スターリンは第二次五ヵ年計画宣言、軍事に莫大な資金投入。アメリカ、ルーズベルト大統領誕生、ソ連を正式承認。イギリス、チャーチルが議会でナチスドイツの好戦的言動とユダヤ人迫害を警告。第二次世界大戦の主役が揃う。が、日本は代表する個人名がない。指導者、メディア、国民……、煽動し煽動され戦争に突っ込んだ。戦後、一億総懺悔。
 ヒトラーとスターリンの駆け引き。39年独ソ不可侵条約。ドイツはポーランド侵攻、ソ連はヨーロッパで戦争が起きれば英仏に存在感を誇示できる。彼らは将来敵になるのはわかっていても、握手し利用しあう。
 日本はドイツ一辺倒。ドイツにとって日ソは英仏牽制役。1941年春、日本の外相はヒトラーと会談し、すぐにスターリンに会い日ソ中立条約をスピード調印。ドイツにはソ連攻撃計画があった。ソ連もその情報を得ていたから、アジアで敵対している日本を押さえておきたかった。日本はドイツのソ連攻撃をアメリカから伝えられていたのに信じない。情報戦も後手。
 戦争末期、日本はソ連に講和の仲介を期待した。452月米英ソ首脳はヤルタ会談、この時点でソ連の日ソ条約破棄は決定的。4月ソ連は中立条約満了1年前に延長しないことを通告。それでもまだ日本はソ連を信じ、7月ポツダム宣言を通告されてもソ連にすがりついていた。

(平野) 半藤は繰り返し「昭和史」を書き、平和の尊さを訴える。そうしなければ私たちは愚かな歴史をまた繰り返しかねない。言わば、掃除仕事で、誰かがやらなければすぐゴミが溜まる。

 昨日の新聞から。「朝日新聞」4.21夕刊
「古本屋は町の保健室です」 大阪市天王寺区の一色文庫。
https://www.asahi.com/articles/DA3S13462231.html?iref=pc_ss_date

「移動図書館」 鹿児島県指宿市、山形県新庄市、岡山市他。
https://www.asahi.com/articles/ASL4C3JWGL4CPTIL003.html?iref=pc_ss_date

 本日の新聞から。「朝日新聞」4.22《朝日歌壇》に本の歌3首。
〈すべり台ちょっとすべるともどれない本の世界に引きずりこまれる (熊谷市)茂出木雪穂〉
〈「本棚は人生だ」なんてたぶんさう息子の私のそれぞれ偏る (埼玉県)大久保知代子〉
〈奉仕する職を離れて明日から私は私専属の司書 (佐渡市)藍原秋子〉

2018年4月17日火曜日

歴史のかげに美食あり


 黒岩比佐子 『歴史のかげに美食あり 日本饗宴外交史』 
講談社学術文庫 930円+税
  黒岩(19582010年)は『「食道楽」の人 村井弦斎』(岩波書店、2004年)で注目されたライター。本書は単行本『歴史のかげにグルメあり』(文藝春秋、2008年)文庫化。

 黒岩はブリア・サヴァラン『美味礼賛』を引用。

〈食事は政治の手段であり、外交には饗応がつきものだ。ブリア・サヴァランによれば、戦争か平和かでさえその最中に決まるのである。〉

 近代日本の外交交渉(接待、密談含め)のテーブルにどんな料理が並んでいたのか。その料理にはどんな意味があるのか、各国の代表はどんな駆け引きをしていたのか。黒岩は饗応のメニューから読み解いてみる。料理は文化であり、相手に対する威圧にもなる。おもてなし、懐柔、相手はそれを拒否することもある。
 ペリーは本膳料理に不満? 慶喜によるフランス料理饗宴。明治天皇ホストデビュー。鹿鳴館のダンスと美食。政商と帝国ホテル料理。大津事件と午餐会。日清戦争講和会議と河豚料理など。村井弦斎や幸徳秋水も登場。

(平野)
 PR誌『熱風(ジブリ)』(スタジオジブリ)4月号巻頭は《神田松之丞ロングインタビュー》。前半部は、4.15TOKYO FM『鈴木敏夫のジブリ汗まみれ』で放送。番組サイトで4.18朝まで視聴可能。後半は4.22放送予定。

「〆切」話。4.16朝日新聞文化・文芸欄の《語る 山藤章二(1)》より。
 長期入院で連載を休む。
〈半世紀以上、組織に属さずに働いてきましたが、あんなに長い間、休んだことはありません。世間から忘れられるんじゃないか。病院にいると、恋しくなったのは、締め切りのある暮らし。ホンネです。〉

2018年4月14日土曜日

〆切本2


 『〆切本2』 左右社 2300円+税
 

 原稿を依頼された物書き諸氏たち――作家、詩人、漫画家、学者、芸術家――の「〆切」との闘いの記録。言い訳、屁理屈、泣き落し、脅し、居直り、仮病、逃亡、失踪……。苛立って資料を捨てる人。突然妻出産をでっち上げる人。

 編集者も負けていない。催促督促、居座り、泊まり込み、出版社やホテルにカンズメ(軟禁だが、書き手にとっては監禁)も辞さない。それでも書かない・書けない作家には読者向け詫び状を書かせ、雑誌にその直筆原稿を掲載した。

きちんと〆切を守る書き手がいる。「締切りのお蔭で仕事をしている」と語る人。余命いくばくもない病の床で書き上げた人。臨終迫る夫のそばでペンを走らせた人。

週刊誌休刊で36年間続けた連載を終える文章は執筆者の美学そのもの。「悲しい事だ。然し、これも愛別離苦の一つなのだろう。耐えねばならない」と同社の他出版物での継続を断る。

 書き手はより良い原稿を書くために「〆切」を伸ばしたい。サボリではない(サボリかもしれない)。編集者は商業出版・同人雜誌に関わらず、締め切らなければ出版できない。まさに闘いである。

『同1』を紹介したとき、遅筆の代表として、井上ひさしと向田邦子を挙げたが、今回もご両所登場。井上の文章はファックスで数時間ごとに送った詫び状。向田は、原稿用紙を見ると眠くなる、というエッセイ。不謹慎ながら、読んで笑う。ここまでくると「芸」。

(平野)

2018年4月8日日曜日

みんな昔はこどもだった


 池内紀 『みんな昔はこどもだった』 講談社 1950円+税

 
 芸術家、作家、学者、俳優たち15人の評伝。「大きな、個性的な仕事をした人たちの幼少期」をたどる。

〈それぞれが生きた時代の出来事や世相や風俗が、まさに少年・少女のまなざしで受けとめてあるだろう。また受け手の背丈に応じて正確に縮小されている。小さないきものの小さな日常から見えてこないか――そこでは誰もが即席の詩人であり、即席の思想家であり、即席の科学者であって、何が自分にとって必要であり、何が無用か、よく知っている。必要以上は願わない。そんな幼い者たちの生理を、なるたけ損わずに写しとろうとした。〉

「手塚治虫 永遠のひとりぼっち」
 手塚治虫は宝塚育ち。代表作のひとつ「リボンの騎士」などから、宝塚歌劇に大きな影響を受けたと言われる。手塚自身もそう書いている。
 池内は手塚死後公開された手作りの図鑑に《手塚治虫》の芽生えを発見する。手塚少年は昆虫好きで、ペンネームも甲虫オサムシにちなむというのもよく知られる。並みの虫好きではなかった。克明に観察して写生し分類、自分で図鑑を制作した。息抜きのクイズのページもあった。
 手塚治虫記念館で上演される少年時代を描くアニメで、いじめられっ子の少年はオサムシに誘われて旅をする。池内は幼い頃から手塚マンガに親しんできて、主人公たちが《永遠のひとりぼっち》だと指摘。
 池内はドイツ文学者。ゲーテ「ファウスト」について、手塚治虫マンガ、手塚富雄の名訳、池内紀(おさむ)自身の訳の話も面白い。
 向田邦子《中廊下のある家》、稲垣足穂《飛ぶ機械》、宮本常一《金魚の島》、池波正太郎《ポテ正》、幸田文《紅い一点》、澁澤龍彦《のぞき眼鏡》、野坂昭如《道化志願》他、それぞれの幼少期に立ち入り、「最初の一歩」から「最後の一歩」までを探っていく。

 ヨソサマのイベント
 ダッシュ――藤本由紀夫展 ギャラリー島田 3.314.25 
テーマは稲垣足穂。
詳細はこちら。 http://gallery-shimada.com/

(平野)
《ほんまにWEB》「奥のおじさん」更新。

2018年4月3日火曜日

本屋という「物語」を終わらせるわけにはいかない


 松本大介
『本屋という「物語」を終わらせるわけにはいかない』 
筑摩書房 1500円+税

 著者は宮城県盛岡市の本屋さん《さわや書店フェザン店》店長、1977年生まれ、盛岡出身。
《さわや書店》の書店員さんたちが見つけ出して売り上げを伸ばし、全国に波及してベストセラーになった本がたくさんある。一昨年は《文庫X》が大きな話題になった。一冊一冊の本と真剣に向き合い、その本を売りたい、多くの人に読んでほしい、という熱量が高い本屋。地域の読者に信頼されているということでもある。
 本書は《さわや書店》関係者による4冊目の本になる。

 松本は、入社事情と書店員経験、《さわや書店》仲間たちの活動、新店舗立ち上げ作業、自店と本の今後についてアイデアと覚悟を綴る。
 トイレットペーパー補充の話から始める。たとえ話。トイレと本にどんな関係があるのかについては本書を読んでください。トイレットペーパーを補充するということは、「次の人のために」「誰かのために」日常生活で当たり前にやるべきこと。松本はそのことを《さわや書店》で学んだ。
 本屋閉店廃業、売り上げ減少、ネット通販拡大、雑誌の休刊、取次会社も出版社も、業界全体がしんどい。ベテラン書店員は本来の仕事以上に雑務が増えている。一方、若い書店員たちは将来への希望があるだろうか、本を買って読む余裕はあるだろうか。松本は、「本屋に未来があるのだろうか」と自問する。

〈それでも後進を育てるしかない。そう自らに言い聞かせる自分がいる。僕たちが、受け継いできたものを伝えなければならない、と。まだ本屋という「物語」を終わらせるわけにはいかない、と。年のせいか、そんな使命感を持つようになった。〉

 今は「負け戦」で、松本の世代はその「しんがり」だと自覚している。「反転攻勢」の「先陣」を切る心構えもできている。彼らだけではなく、多くの書店員が現場で日々奮闘している。

(平野)
 私は《さわや書店》を本で知るだけ。同店・田口さん(『まちの本屋』ポプラ社、2015年)の大阪トーク会に行った。
 お気楽な本屋引退者は、近頃現場のことを夢に見る。いちいち覚えていないが、苦情やトラブルで、毎回「なんで~!」と思って目を覚ます。

2018年4月1日日曜日

海の本屋アーカイブ


 神戸元町「海の本屋アーカイブ」 公開


神戸元町の海文堂書店(20139月閉店)のPR誌紙、社内向け通信を公開できることになりました。

小林良宣(19762000年在職)が制作してきた冊子・誌紙の数々です。

ここには、本を読むこと、販売すること、探すこと、その喜びと楽しさ、いろいろ書いています。

〈……書店の仕事を「本を通して人と人をつなぐ仕事」と考えていた私にとって、これらの刊行 物や書店誌・紙もまた、読者であるお客様に喜んでもらいたいとの一心で作ってきたものです。〉

 なにせ古い資料です。海文堂書店の歴史の一部分としてご覧ください。

このアーカイブは、海文堂閉店後多くの皆様から《100年誌刊行会》にお寄せいただいた寄付金により制作することができました。改めてお礼を申し上げます。
今後も掲載誌紙・冊子を増やしていく予定です。

(平野)