2018年4月22日日曜日

世界史のなかの昭和史


 半藤一利 『世界史のなかの昭和史』 平凡社 1700円+税 

 平凡社版「半藤昭和史」完結編。

〈八十年余も前の戦前の「昭和史」という時代を考えますと、皮肉をとおり越して非情そのものと思えます。その時代の日本の指導者のなんと無謀であり無智であったことか、驚くばかりなのです。彼らは自分勝手に進むことだけを知って、停まって周囲つまり世界の動きを冷静に見回して考えることをしなかったのではないか。民草もその指導者の煽動にあっけなく乗って流されていった。〉

 昭和史は動乱と戦争の歴史。戦争を仕掛けたあげくボロンチョンコテンパンの敗北。国土は焼け野原となり、自国も相手国にも大量の犠牲者を出した。
 日本の指導者たちはあまりに欧米の政略・戦略に無智だった。特に、ヒトラーとスターリン、彼らの冷酷・冷徹・凶暴な力を知らず、分析もできず、「夜郎自大な、自分勝手な、大いなる夢想」をしていた。
 半藤は1933(昭和8)年に注目する。日本は国際連盟脱退、「栄光ある孤立」。ドイツはヒトラー独裁政権樹立、国際連盟脱退。ソ連スターリンは第二次五ヵ年計画宣言、軍事に莫大な資金投入。アメリカ、ルーズベルト大統領誕生、ソ連を正式承認。イギリス、チャーチルが議会でナチスドイツの好戦的言動とユダヤ人迫害を警告。第二次世界大戦の主役が揃う。が、日本は代表する個人名がない。指導者、メディア、国民……、煽動し煽動され戦争に突っ込んだ。戦後、一億総懺悔。
 ヒトラーとスターリンの駆け引き。39年独ソ不可侵条約。ドイツはポーランド侵攻、ソ連はヨーロッパで戦争が起きれば英仏に存在感を誇示できる。彼らは将来敵になるのはわかっていても、握手し利用しあう。
 日本はドイツ一辺倒。ドイツにとって日ソは英仏牽制役。1941年春、日本の外相はヒトラーと会談し、すぐにスターリンに会い日ソ中立条約をスピード調印。ドイツにはソ連攻撃計画があった。ソ連もその情報を得ていたから、アジアで敵対している日本を押さえておきたかった。日本はドイツのソ連攻撃をアメリカから伝えられていたのに信じない。情報戦も後手。
 戦争末期、日本はソ連に講和の仲介を期待した。452月米英ソ首脳はヤルタ会談、この時点でソ連の日ソ条約破棄は決定的。4月ソ連は中立条約満了1年前に延長しないことを通告。それでもまだ日本はソ連を信じ、7月ポツダム宣言を通告されてもソ連にすがりついていた。

(平野) 半藤は繰り返し「昭和史」を書き、平和の尊さを訴える。そうしなければ私たちは愚かな歴史をまた繰り返しかねない。言わば、掃除仕事で、誰かがやらなければすぐゴミが溜まる。

 昨日の新聞から。「朝日新聞」4.21夕刊
「古本屋は町の保健室です」 大阪市天王寺区の一色文庫。
https://www.asahi.com/articles/DA3S13462231.html?iref=pc_ss_date

「移動図書館」 鹿児島県指宿市、山形県新庄市、岡山市他。
https://www.asahi.com/articles/ASL4C3JWGL4CPTIL003.html?iref=pc_ss_date

 本日の新聞から。「朝日新聞」4.22《朝日歌壇》に本の歌3首。
〈すべり台ちょっとすべるともどれない本の世界に引きずりこまれる (熊谷市)茂出木雪穂〉
〈「本棚は人生だ」なんてたぶんさう息子の私のそれぞれ偏る (埼玉県)大久保知代子〉
〈奉仕する職を離れて明日から私は私専属の司書 (佐渡市)藍原秋子〉