2019年1月31日木曜日

愛の顛末


 梯久美子 『愛の顛末 恋と死と文学と』 文春文庫 
720円+税


 201415年日本経済新聞に連載。単行本は2015年文藝春秋、このときの副題は「純愛とスキャンダルの文学史」。
 梯による原民喜評伝で彼と妻の固い絆・愛を知った。
 まだまだ「愛の顛末」があるが、そこには作家たちの「隠しようもない姿」もあらわにされる。
 
〈恋の時間、結婚の時間の中では、美点も欠点も、可愛いところも困ったところも、崇高なところもずるいところも、余すところなくさらけだされてしまう。〉
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 小林多喜二は借金を抱えた酌婦タキを身請けする。タキは作家を志す多喜二のため、また家族を養うため身を引く。特高に追われ地下生活中の多喜二はタキを訪ね手紙を置いて帰った。多喜二最後の手紙。〈じゃ元気で! 幸福で!〉と締めくくられていた。
 戦中三浦綾子は教職にあった。自らの責任を問い、辞職。自暴自棄か、同時にふたりの男性と結婚の約束をしてしまう。結核にかかり、絶望のなかで自殺を図る。寝たきりの綾子は幼なじみの医学生・前川によって生きる希望を取り戻す。その前川も結核を病み、死を覚悟。前川は遺書で、綾子が人生を自由に生き、愛する人をみつけることを望んだ。やがて綾子は自分を支えてくれる夫と巡りあう。
 恋した女性の許嫁に「譲ってくれ」と懇願した中島敦。女性をめぐり先輩作家と決闘した梶井基次郎。乳房を喪失しても恋の歌を詠み続けた中城ふみ子。最初の妻と二人目の妻を病気で失い、三人目の妻に見送られた寺田寅彦。出会ってすぐ出征し、四年間戦場から手紙と歌を書き送った宮柊二。妻の前夫・八木重吉の詩を世に出した吉野秀雄。他に、近松秋江、鈴木しづ子、吉野せい。
 作家たちのさまざまな愛の姿とその死は、美しい、悲しい、激しい。
(平野)
《ほんまにWEB》、「海文堂のお道具箱」と「奥のおじさん」更新。

2019年1月27日日曜日

原民喜全詩集


 『原民喜全詩集』 岩波文庫 500円+税 2015年刊


 19449月、原民喜の妻貞恵は肺結核に糖尿病を併発して亡くなる。民喜は文学仲間と酒を飲むことはあったが、無口、内気、他人とうまくコミュニケーションできない人だった。貞恵は明るい性格で、献身的に民喜を支えた。率直に考えを述べ、読書を愛し、民喜の文学を理解した。民喜は結婚後の幸福な時代を書いた作品がある。

最愛の妻を亡くした深い悲しみの詩。

〈 「庭」
 暗い雨のふきつのる、あれはてた庭であつた。わたしは妻が死んだのを知つておどろき泣いてゐた。泣きさけぶ声で目がさめると、妻はかたはらにねむつてゐた。
 ……その夢から十日あまりして、ほんとに妻は死んでしまつた。庭にふりつのるまつくらの雨がいまはもう夢ではないのだ。

 「部屋」
 小さな部屋から外へ出て行くと坂を下りたところに白い空がひろがつてゐる。あの空のむかふから私の肩をささへてゐるものがある。ぐつたりと私を疲れさせたり、不意に心をときめかすものが。
 私の小さな部屋にはマツチ箱ほどの机があり、その机にむかつてペンをもつてゐる。ペンをもつてゐる私をささへてゐるものは向に見える空だ。〉

 解説で若松英輔が民喜の文章を紹介している。

〈もし妻と死別れたら、一年間だけ生き残ろう、悲しい美しい一冊の詩集を書き残すために……

 民喜はそのように詩を書き続けていた。4586日、原爆を体験してしまった。このことも書き残さねばならなかった。
 51313日、民喜は詩集原稿を清書し、近親者・友人に当てた遺書19通を残し、国鉄中央線の線路に身を横たえた。
 年少の友・遠藤周作に宛てた遺書に詩「悲歌」があった。詩集の最後に置くことを託したそうだ。「一冊の詩集」は同年7月細川書店から刊行された。

「悲歌」は本書で読んでいただきたい。
(平野)

2019年1月24日木曜日

小説集 夏の花


 原民喜 『小説集 夏の花』 岩波文庫 600円+税 
 


1988年文庫初版。手持ちは2018年第11刷。表題作他、原爆体験、空襲前後の生活を題材にした小説集。
 原は1905年広島市生まれ、詩人・作家。24年慶應義塾大学に進学。文学活動をしながら左翼運動、教師生活。妻を病で亡くし傷心、空襲激化もあり故郷に疎開。4586日原子爆弾被災。
 表題作は克明なメモをもとにその年の秋に書き上げた。原題は「原子爆弾」。受け取った『近代文学』同人たちは高く評価したが、GHQ占領下、原爆に関する記述は検閲で却下されることは確実だった。46年原上京。47年『三田文学』6月号に「夏の花」と改題して発表。悲惨な場面や激しい言葉を自主削除した。
 86日、「私」は8時頃に起き便所に入ったところだった。崩壊した家々を踏み越え、川岸まで避難した。避難者たち、顔を血だらけにした人、泣き喚いている人、うずくまっている人、消火活動をしている人……

〈長い間脅かされていたものが、遂に来たるべきものが、来たのだった。さばさばした気持で、私は自分が生きながらえていることを顧みた。かねて、二つに一つは助からないかもしれないと思っていたのだが、今、ふと己れが生きていることと、その意味が、はっと私を弾いた。/このことを書きのこさねばならない、と、私は心に呟いた。けれども、その時はまだ、私はこの空襲の真相を殆ど知ってはいなかったのである。〉

 自主削除の一部。

〈男であるのか、女であるのか、殆ど区別もつかないほど、顔がくちゃくちゃに腫れ上って、随って眼は糸のように細まり、唇は思いきり爛れ、それに痛々しい肢体を露出させ、虫の息で彼らは横たわっているのであった。〉
 
 原爆によって原は無傷であったが、甥ほか縁者3名が亡くなった。原も原爆後遺症の不安と飢えのなかで執筆していた。夏の花は妻の墓に供えたもの。原爆被災は墓参りの翌々日だった。
 削除部分が復元されたのは原死後の53年、『原民喜作品集』(角川書店)。
(平野)
梯久美子『原民喜』(岩波新書)、原『幼年画』(瀬戸内人)を読んでからだいぶ経っている。読もうと思ってからが長くかかる。

2019年1月22日火曜日

山之口貘 詩と語り


 『山之口貘 詩と語り』 
琉球文化研究所編 (株)Ryukyu企画(琉球館)2013年刊
 
 

 山之口の詩39篇とインタビュー2篇収録。プラス「解説にかえて 琉球人として日本語を生きた詩人 後田多敦(いしただ あつし)」。

 1957年のインタビューで結婚のエピソードを語る。見合いの席、貘には金子光晴夫妻同行、相手側は世話人と親戚兄弟も来て、両方で10名以上集まった。そこで結婚が決まった。金子が家賃や衣類、座布団などを工面してくれた。貘の荷物はトランクひとつ、原稿しか入っていない。貘は世話人に無一文で布団もないことを伝えていたが、奥さんはびっくり。自分のお金で所帯道具を揃えた。

 畳
なんにもなかった畳のうえに 
いろんな物があらわれた
まるでこの世のいろんな姿の文字どもが
声をかぎりに詩を呼び廻って
白紙のうえにあらわれて来たように
血の出るような声を張りあげては
結婚生活を呼び呼びして
おっとになった僕があらわれた
女房になった女があらわれた
桐の箪笥があらわれた
薬罐と
火鉢と
鏡台があらわれた
お鍋や
食器が
あらわれた (1940年)

(平野)東灘区岡本《まめ書房》で購入。沖縄の新刊・古書専門書店、工芸品、食品もあり。
https://mameshobo.weebly.com/

2019年1月19日土曜日

伯爵夫人


 蓮實重彦 『伯爵夫人』 新潮文庫 460円+税 
 
 単行本は2016年新潮社より。刊行時、元東大総長によるポルノと話題になった。2016年三島由紀夫賞受賞。三島らしい学生もチラリ登場。

戦前昭和、帝大をめざす二朗の屋敷に住まう「伯爵夫人」。亡くなった祖父の妾腹か娼婦か偽夫人か、謎の女性。二朗に手ほどきしながら、波瀾万丈「蝶々夫人」時代(娼婦となり、技を身につける)のこと、「伯爵夫人」の由来、さらに祖父との間に二朗と同い年の子がいることを告白する。
 ついつい性愛シーンに目がいってしまうが、読後は忍び寄る戦争・暴力が強く残る。繰り返される戦闘シーンは、最前線の塹壕。糞尿、ぬかるみ、ねずみの死骸、負傷兵たち。将校たちは休戦が近いと知らされても、

……こんな役立たずの新兵や負傷兵どもが群れをなしてここから撤退したって、そんなことでこの陰惨な塹壕が世界から消滅しようとはとうてい信じきれずにいる。〉

第一次世界大戦終了間近、ドイツ軍将校「素顔の伯爵」は新兵の手榴弾操作ミスで下半身負傷。許嫁との婚約を解消し、親戚づきあいも絶ち、隠退生活。彼女は彼を愛し、晩年生活を共にした。
 彼女は二朗に過去を打ち明け、姿を消す。  
 二朗が家に戻ると、従妹(幼い性の秘密を共有)から婚約者と一夜を過ごしたと手紙があり、長くいた女中が出奔。新しい女中(やがて彼女も去る予感)が持ってきた新聞に「帝國・米英に宣戦を布告す」の文字。二朗は「伯爵夫人」の置き土産ココア缶(尼僧の図柄)を改めて見つめる。

〈すると、謎めいた微笑を浮かべてこちらに視線を向けている角張った白いコルネット姿の尼僧の背後に、真っ赤な陰毛を燃えあがらせながら世界を凝視している「蝶々夫人」がすけて見え、音としては響かぬ声で、戦争、戦争と寡黙に口にしているような気がしてならない。〉

 女たちは去り、男は戦争に。
 著者は性愛話で読者(私だけではないと思う)を引き込み、得意の映画・文学の話をちりばめ、戦争のきな臭さと現代を重ねる。

 ココアの缶はこれ。http://ilgufo.shop-pro.jp/?pid=61436771
(平野)

2019年1月7日月曜日

井伏鱒二『人と人影』


 井伏鱒二 『人と人影』 講談社文芸文庫 19902月刊 

随筆集、初版は1972年毎日新聞社より。
〈人生の途上巡り合った人々の、心に残る鮮烈な記憶と忘れ難いその風貌を、温もりのある自在の筆に綴る。〉

 兵庫区の古書片岡で古本初買い。文庫棚で見つけてめくっていたら、海文堂書店のレシートが出てきた。年月日〈90-02-08〉の印、元の所有者は出てすぐに購入。
 レシートが挟まっていたのは「旅中友人の災難」(『オール読物』昭和151月)のページ、「平野」が出てくる。丹波出身の作家「平野零児」。当時「平野」は新聞記者。共に旅した数々の思い出を書く。「平野」が様々おかしな災難に遭う。
 
 

 この「平野」、1921(大正10)年川崎三菱大争議の頃には毎日新聞神戸支局に在籍して取材していた。
 私が持っている文学史関連の本で調べる。
 宮崎修二朗の『神戸文学史夜話』(天秤、1964年)。

〈作家の平野雰児(引用者註、原文ママ)が「毎日新聞」の神戸支局へ赴任して来たのもこの年(引用者註、大正7)です。丹波の篠山に生まれた彼は、明治三〇年に御影(引用者註、現在神戸市東灘区)の平野家に養子として入籍したのでした。いわば彼は幼ないころからの神戸っ子だったのです。〉

 同じく宮崎の『環状彷徨』(コーベブックス、1977年)は他の作家と並べて、

……戦後中国から帰国して、『中共虜囚記』『人間改造』などで話題となった作家平野零児も篠山藩士の家に生まれた。〉

「平野」は井伏『ジョン万次郎漂流記』に資料を提供した人物。
Web「直木賞のすべて 余聞と余分」http://naokiaward.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/612193747-c4bd.html

(平野)

2019年1月6日日曜日

書店ガール7


 碧野圭 『書店ガール7 旅立ち』 PHP文芸文庫 700円+税

 新刊書店を舞台に書店ガールたちの活躍を描くお仕事小説、ついに完結。出版・書店業界の問題は現場の彼女たちを直撃する。業績不振、閉店、吸収合併、異動……

 学生時代書店でアルバイトし司書教諭になった愛菜(まな)。チェーン書店を辞め故郷でブックカフェ開店を決めた彩加。大手書店店長兼東日本エリア・マネージャーとして傘下書店閉店を担当する理子。本部勤務から現場店長に復帰する亜紀。本シリーズでお馴染みの書店員たちが登場、新しい道を進む。

 著者・碧野圭さんはシリーズ執筆に当たって、書店で実習研修をした。その時の書店スタッフさんが本書の解説を担当。

碧野さんは書店訪問記録をブログにしている。「めざせ! 書店訪問100店舗」。しばらく休止していたが、本書刊行に合わせ再開。こちらを。


 以下、ごくごく私的で思い込みの強い感想。

「理子」の章で、仙台の老舗書店「櫂文堂書店」(かいぶんどうしょてん)が閉店の危機に。シリーズ第3巻で経営悪化から大手新興堂書店の傘下に入ったが、店名はそのまま残されていた。取次を含む業界再編で新興堂も新会社になり、仙台を含む全国五都市で千坪規模の書店一斉開店計画。店を、店名を残したい現場書店員。理子はスタッフの雇用を守り新店舗に移転させたい。本部と現場の狭間で苦悩する。

 碧野さんは書店への熱い思いを書いてくれている。ひとつだけ紹介。理子が沢村店長になぜ名前にこだわるのかと問う。沢村が、店の名前は働く者の誇り、と答える。

「どこで働くにしても、人は何かしらその意味を求めたがる。書店業界が小売業で最低賃金と揶揄されても……それでも本屋で働きたいというのは、お金だけではない何かを人は求めるからなのでしょう。そして、本屋はいくつもあるというのに、売るものはほかと変わらないのに、あえて櫂文堂で働きたい、それだけここの店は仙台の人間に取って意味のある本屋なんです」

(平野)
 
 

3巻は海文堂閉店の後だった。碧野さんが作品中で海文堂を惜しんでくださった、と私は勝手に解釈した。長く書き続けてくださったことも合わせて、改めてお礼を申し上げたい。

余談、名前だけだが「山形店の平野」が出てくる。意味はないでしょう。

2019年1月3日木曜日

ことばの生まれる景色


 辻山良雄 文  nakaban 絵 
『ことばの生まれる景色』 ナナロク社 2300円+税

 本書は、東京荻窪の本屋「Title」店主が選んだ本のイメージを画家が描いた展覧会をもとにする。2017年から18年にかけて同店ギャラリーで3回開催された。書籍化にあたり、新たに店主がエッセイを加える。画家は同店ロゴマーク制作者。

 店主は、この画家の絵を「宝物のようにして」飾りたかったから、と言う。画家は、なかなか描けなかった、と告白する。「言葉からこぼれてきた映像を描くことは楽しいけれど、ちょっと安易すぎないか」と考えた。しかし、展覧会題名の「景色」を、「本の書き手の意志を超えたところで書かれた『眺め』のこと」と理解した。

〈本を読むということは、その景色に近づく過程であり、それこそが忘れずにいるべき大切なことなのかもしれない。その景色は、孤独の野に置かれた机で言葉を書いたその人すらも知らない。誰にもたどり着けない。ただ、心配しなくてもその(、、)景色(、、、)()ほんとう(、、、、)()あるということだけは僕たちにもわかるのだ。〉

〈本は遠いそのどこかからまるで鳥のように羽ばたいて、僕たちの窓辺にやって来る。そしてその故郷の言葉を(しら)せてくれる。ページをひらいたフォルムはほんとうに似ている僕はただ、本になったたちの肖像描くことに夢中になった。

 表紙カバーの絵は、星野道夫『旅をする木』のイメージ。展示での店主紹介文は、星野が古本屋でアラスカの写真集を見つけた一節。画家の絵を見て新たに書いたエッセイ、

〈星野道夫のことを考えたとき、決まって思い浮かぶ二つの姿がある。一つは極寒の北極圏の夜、一人きりのテントのなかで灯りを頼りに一冊の本を読んでいる、探検家となったのちの姿。そしてもう一つは神田の古本屋街で、偶然手にしたアラスカの写真集を何度もながめながら、まだ見ぬ遠い大地を思い浮かべる若かりし日の姿だ。その二つの姿を並べたとき、自らの生を全速力で駆け抜けた、この写真家であり探検家の一貫した人生があざやかに浮かんでくる。(後略)〉

(平野)「Title」(ウエブショップ)で購入、特典冊子いただく。

2019年1月1日火曜日

年賀


 新年おめでとうございます

二〇一九年 平成三一年 己亥 元旦

皆様のご健康をお祈りいたします

本年もよろしくお願いいたします

 
年々投稿が少なくなっています。こうして世の中から消えていくのでしょう。もう少しお付き合いください。
年末から読み越しの本あり、積ん読本も数多あり。ネタはあれどもやる気が付いてこない。
 
 

家人作成ブログ用年賀状、私のアホ顔とチラリ美人妻、小さな写真は横浜アイドル孫。
 
 


 横浜の孫、新年挨拶特訓中の様子。くまもん踏んづけています。

(平野)