2019年1月24日木曜日

小説集 夏の花


 原民喜 『小説集 夏の花』 岩波文庫 600円+税 
 


1988年文庫初版。手持ちは2018年第11刷。表題作他、原爆体験、空襲前後の生活を題材にした小説集。
 原は1905年広島市生まれ、詩人・作家。24年慶應義塾大学に進学。文学活動をしながら左翼運動、教師生活。妻を病で亡くし傷心、空襲激化もあり故郷に疎開。4586日原子爆弾被災。
 表題作は克明なメモをもとにその年の秋に書き上げた。原題は「原子爆弾」。受け取った『近代文学』同人たちは高く評価したが、GHQ占領下、原爆に関する記述は検閲で却下されることは確実だった。46年原上京。47年『三田文学』6月号に「夏の花」と改題して発表。悲惨な場面や激しい言葉を自主削除した。
 86日、「私」は8時頃に起き便所に入ったところだった。崩壊した家々を踏み越え、川岸まで避難した。避難者たち、顔を血だらけにした人、泣き喚いている人、うずくまっている人、消火活動をしている人……

〈長い間脅かされていたものが、遂に来たるべきものが、来たのだった。さばさばした気持で、私は自分が生きながらえていることを顧みた。かねて、二つに一つは助からないかもしれないと思っていたのだが、今、ふと己れが生きていることと、その意味が、はっと私を弾いた。/このことを書きのこさねばならない、と、私は心に呟いた。けれども、その時はまだ、私はこの空襲の真相を殆ど知ってはいなかったのである。〉

 自主削除の一部。

〈男であるのか、女であるのか、殆ど区別もつかないほど、顔がくちゃくちゃに腫れ上って、随って眼は糸のように細まり、唇は思いきり爛れ、それに痛々しい肢体を露出させ、虫の息で彼らは横たわっているのであった。〉
 
 原爆によって原は無傷であったが、甥ほか縁者3名が亡くなった。原も原爆後遺症の不安と飢えのなかで執筆していた。夏の花は妻の墓に供えたもの。原爆被災は墓参りの翌々日だった。
 削除部分が復元されたのは原死後の53年、『原民喜作品集』(角川書店)。
(平野)
梯久美子『原民喜』(岩波新書)、原『幼年画』(瀬戸内人)を読んでからだいぶ経っている。読もうと思ってからが長くかかる。