2015年2月26日木曜日

朝鮮と日本に生きる

 金時鐘 『朝鮮と日本に生きる――済州島から猪飼野へ』 岩波新書 860円+税

 1929年釜山生まれ、詩人。
 植民地統治下、立派な日本人になることが大事と思っていた少年は解放(日本敗戦)後、民族自立運動に参加する。祖国分断に反対した。19484月、済州島の「農民一揆程度の貧弱な武装」蜂起から「惨酷な五月」と言われる内戦になった「四・三事件」。暴圧側は警察、右翼ら日本統治下の中心勢力。米軍も加わる。
 父親の奔走で脱出。4日間無人島に隠れ、密航船に乗り、鹿児島沖回りで紀伊半島、大阪湾から瀬戸内海。夜更けに浅瀬で降ろされる。同乗客たちはあっという間に消えてしまった。

 船は何事もなかったようにゆるく向きを変えて、ポンポンポンと出ていってしまいました。いっときに涙があふれて、顔じゅうがぐちゃぐちゃになりました。私はまぎれもなく見知らぬ異国にひとり取り残された、天涯孤独の若者でした。……

 父母と永遠の別れ。
 後年、詩の友人に、着いたところは神戸の舞子だろうと教えられた。
 へたり込んで荷物の整理をすると、学生服の間から登山帽と『三太郎の日記』が出てきた。机の上に置きっぱなしにしていた本を父が入れてくれていた。線路をつたって駅に行くと、同乗者たちがいた。ひとりが大阪までの料金を教えてくれた。不審上陸者の通報があったのだろう。列車が来ると私服警官が乗り込み、同乗者たちを連れ出した。

 登山帽をかぶって『三太郎の日記』に目を落としている私の前を、私服の刑事もそれとなくのぞき見ながら行ったり来たりしていました。……

 ご本人も「運が良かった」と書いている。読んでいて、本当にそう思う。母国で生死の分かれ目が何度もある。親しい人が捕まり、行方不明になり、惨殺された。
 親戚のいる鶴橋に向う。空腹なのにただ眠りたいだけ。死んでしまいそうでふらふら歩いていると、すれ違った人が声をかけてくれた。同乗者だった。

「あんたクァンタル(無人島)から来た青年ではないか?!」。まさに闇夜で仏の声を聞いた思いでした。涸れたはずの涙がどっと噴き出て、私はただうなずくばかりでした。……

「金井さん」という人。寝泊りできて、めしが食える仕事場を探してくれた。ローソク作りの住み込み店員になった。決して良い労働条件ではない。休みは月に2回。給料も遅延して分割払い。でも、「拝むばかりにありがたい仕事」だった。休みの日にぼんやりしていると、懐しい済州島のアクセントのある物売りの声が聞こえる。同郷の見覚えのあるおじさん。

 私は「解放」(終戦)になるまでは、日本で暮らしている同胞たちは日本という赫々たる文明国に住んでいるのだから、さぞ文化水準の高い生活をしているものと思いこんでいました。……

「在日」で生きることの苦難、朝鮮戦争、民族活動、文学、民族教育……、辛く苦しいことを語ってくれる。それでもまだ明かせないことをかかえていると言う。

……四・三事件の負い目をこれからも背負って生きつづけねばならない者として、私はなおなお己に深く言い聞かせています。記憶せよ、和合せよと。

(平野)「海文堂のお道具箱」更新。本屋での“青木まり子現象”について。
http://www.honmani.net/

2015年2月21日土曜日

辻征夫詩集


 『辻征夫詩集』 谷川俊太郎編 岩波文庫 560円+税
 辻征夫(19392000)東京浅草生まれ。
「自筆年譜」より。
 高校時代詩作に熱中、雑誌に投稿。「文章クラブ」(「現代詩手帖」の前身)で入選するが、「このときから詩が書けなくなった」。二十歳の時、久々に「現代詩手帖」に投稿したところ掲載された。二十三歳、第一詩集『学校の思い出』を自費出版。「私の詩は、これで終わりと思った」。小学校事務職員、出版社アルバイトを経て思潮社で編集者。「三十歳になったのを契機に、詩の書き手の側に身を置くことを決意」、退社。第二詩集『いまは吟遊詩人』(思潮社)出版。32歳、公営住宅を修繕する公社に入り、「出版界からは離れた場所に身を置き、詩を書くことを決意」。
 表紙の図版は色紙に書いた「天使」

素直な こころで
聖ブノア教会の 鐘の音などを
遥かに思い お祈りなども
ギヨオム・ド・ヴィヨンのおっさんの
禿頭(あたま)にかけて すばやくすませ
ごく自然に お酒を飲む
これが 天使になる 秘訣です
……

6つ「註」をつけてある。詩人ヴィヨンについて、「禿頭であったという確証はない。どっちでもいいことではないだろうか」とある。

「かぜのひきかた」

こころぼそい ときは
こころが とおく
うすくたなびいていて
びふうにも
みだれて
きえて
しまいそうになる
 
こころぼそい ひとはだから
まどをしめて あたたかく
していて
これはかぜを
ひいているひととおなじだから
ひとは かるく
かぜかい?
とたずねる
 
それはかぜではないのだが
とにかくかぜではないのだが
こころぼそい ときの
こころぼそい ひとは
ひとにあらがう
げんきもなく
かぜです

つぶやいてしまう

すると ごらん
さびしさと
かなしさがいっしゅんに
さようして
こころぼそい
ひとのにくたいは
すでにたかいねつをはっしている
りっぱに きちんと
かぜをひいたのである

(平野)

2015年2月19日木曜日

兵庫神戸のなんどいや


 林喜芳 『兵庫神戸のなんどいや』 冬鵲房 198712月刊 B6203ページ 
カット 浅田修一  写真 大西匡輔

目次
和田宮ハンのだんじり  大仏前あたり  運河から新開地へ  神戸のド真ん中に雲雀囀る  須磨まで歩いた  内職・マチ貼り  へいしんかんのこと  福原百軒  デパート時代・三越誕生  モトマチ・ヘンな人たち  日本ではじめての画廊  私の南京町  なんどいやとはなんどいや ……

 新開地のこと、香具師のこと、自らの文学活動に続いて4冊目。兵庫のまちの思い出を語る随想集。
 書名は「大阪京都のなんどすえ」と対になる言葉。京・阪と比較すると言葉が荒っぽい。
「元町」ネタも多く、ありがたい本。

「マチ貼り」とはマッチ箱のレッテル貼りの内職。
「へいしんかん」は家主に代わって家賃を取り立てる会社「兵神館」。厳しい取り立てで借家人は日頃から反感を持っていた。米騒動では焼き打ちにあっている。
「日本ではじめての画廊」は元町の「画廊」という画廊。固有名詞だった。

 新開地で生まれて新開地で育った私が元町に近づいたのは大正十五年の九月、元町六丁目、宇治川の踏み切り近くの井上紙店印刷部に勤めはじめてからのことである。……

 同じ年、三越が6丁目に開店し、スズラン灯も完成。「元ブラ」の言葉が若者に浸透していく。
(平野)
いただいた本、冊子。

 神戸元町商店街連合会編・発行
『神戸の良さが元町に――生誕140年 神戸元町商店街のいま―― 201412

 

 大学生協東北ブロック・大学生協東北事業連合 『東日本大震災――そのとき、その後、これから―― 東北地区大学生協職員の手記』 20133月発行

 

 全国大学生活協同組合連合会 『季刊 読書のいずみ』No.141 2014.12

 スタンダードブックスの北村さん(アカヘル)が「図書新聞」のリレー連載で本を紹介している。
http://toshoshimbun.jp/books_newspaper/serially_description.php?shinbunno=3195&senddata=%E6%9B%B8%E5%BA%97%E5%93%A1%E3%80%81%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%82%B9%E3%83%A1%E3%81%AE%E4%B8%80%E5%86%8A

2015年2月14日土曜日

神戸文芸雑兵物語


 林喜芳 『神戸文芸雑兵物語』 冬鵲房 19864月刊 B6 189ページ 
表紙 岡本唐貴「或る日のカフェ・ガス」  カット 浅田修一


目次
初めに貧乏ありき  詩は炸裂する赤いインキの迸り  ダダは駄々っ児  街頭で立ち売り進メ  「カフェ・ガス」あたり  大衆文芸の季節  昭和四年頃の詩人たち ……

 大正末から昭和。林は少年雑誌に投稿。作品が活字になると、次は自分で雑誌を出したいと思う。小遣い銭を工面して、ツテをたどって中古の謄写版を譲ってもらう。

 作品は容易に書けないけれど、働いているのだから金銭を捻出することは出来る。まだその方が容易である。小心な私は、まずやり易い方から片付けようとする。

 譲ってくれる相手・板倉英三は林の了見を間違いだと言う。

 やりにくい事から仕上げて行くのでなければ大成はおぼつかない。安易に狎れて満足するようでは将来がない。道具があるから作品が書けるというものではない。視野が狭い、そもそも君は生きているのか? ……

 林より2歳上、弁が立つ。
 小学校を出て働いてきて、生きんがために働いている、と反論するが、「動物的生き方」と一蹴される。

「ところで君は詩をどう思うんや」
「どおって、詩は詩でしかないなあ」
「そうや、それでええんや、詩以外の何物でもないんや」
(赤インクの壺を床に投げつけ、一面真っ赤になる)
「これが詩なんだよ。よく見ておけ、詩は驚き、怒りだよ。爆発だよ。生きている証拠だよ」

 別れ際、板倉が本をくれた。高橋新吉『ダダイスト新吉の詩』。
 板倉と街頭でアナキズムの雑誌を売ったり、同人誌を作る。本屋にも置いてもらう。「戦線詩人」「裸人」(「らじん」。警察から呼び出し、発行停止になる。警察は無理に「レーニン」と読んだ)、「街頭詩人」(これもダメ)。喫茶店で話をしているだけで交番に連れて行かれるし、左翼運動家捜査で家宅捜索もされる。一度目をつけられると徹底的にマークされる。
 さて、当時の神戸文壇。稲垣足穂や今東光ら東京で名が売れた者がいるし、横溝正史をはじめ探偵小説で売り出した者がいる。神戸の作家を中心に探偵小説雑誌「ぷろふいる」創刊、「神戸大衆文芸」というグループもできた。「サンデー毎日」(大阪毎日)が懸賞小説募集を拡大し、作家志望者は張りきった。神戸からも入選者が出た。詩の仲間から上京して認められた者がいる。彼らが「カフェ・ガス」(三宮神社境内)、「オアシス」(元町5丁目)、「三星堂」(同6丁目の薬局の喫茶部)を根城にした。板倉と林はこの人たちの仲間とは言えない。板倉は飯を追いかけ、私は食うことに不安を感じ思い悩んで……という生活だった。

 板倉は私と共にここで言う「雑兵」である。

 やがて戦争が若者を召し上げる。昭和13年、林は印刷工をやめ露天商人になるのだが、それも物資統制で廃業せざるを得なくなる。

(平野)
【海】の階段踊り場に飾ってあった絵「シャンテ」【1936年、角野判治郎(かくのばんじろう、18891996)】が神戸ゆかりの美術館で展示。



 角野は長田の網元の生まれ。画業に専念し、生涯作品を売ることはなかった。フランス留学中は画学生の面倒をよく見たそうだ。

2015年2月12日木曜日

プリニウス


 ヤマザキマリ とり・みき

『プリニウス』  新潮社 各660円+税

雑誌「新潮45」連載中のコミック。古代ローマの博物学者プリニウス中心に描く歴史ドラマ。


(プリニウスは古代ローマの精神を丸ごと体験するような存在(ヤマザキ
 ヤマザキは『テルマエロマエ』(古代ローマ人がローマの浴場と現代日本の風呂をタイムスリップするコメディ、映画にも)で大ヒット、イタリア在住。とりもギャグマンガの人だったと思うが、日本神話や民俗学をテーマにした作品もある。その二人が合作する歴史人物評伝。物語の舞台は皇帝ネロ統治下。
 プリニウスは政治家で軍人。海外領土の総督を歴任し、土地土地の森羅万象を記録に残した。天文学、地理学から動植物、鉱物、さらに人間の技術、芸術まで。怪獣、魔術もある。真実と幻想・空想が入り混じっている。

 

プリニウスの記述をあまり真面目に受けとると、とんだ苦労を味わわされる羽目になることがあるから用心しなければならない。(略)しかし、それではプリニウスの記述の大半は信用ならぬ空想的なものばかりかというと、決してそうではなくて、ふと洩らされた片言隻句のうちに、なかなか意味ふかい民俗がとらえられていたりする。……澁澤龍彦『私のプリニウス』(1986年青土社、現在河出文庫)
 
 とり 『博物誌』は、それこそ何世紀にもわたってヨーロッパの多くの知識人が参照し、引用した「古典中の古典」ですが、近世ごろから化学が」発展してくると、「ちょっとここの記述は怪しい」と、非科学的な部分がどんどん切り捨てられていく。でも澁澤や我々のような人間にとっては、その部分こそが……
 マリ 面白い。だからイタリアの文学者や研究者に「『博物誌』がいかにすばらしいか」を語っても、「え、あんなのもう読まないよ」と半笑いで言われます。

(平野)

2015年2月11日水曜日

美貌帖


 金子國義 『美貌帖』 河出書房新社 2600円+税  装幀・著者
 画家の自伝。


1936年埼玉県生まれ、生家は織物工場を営んだ。家屋は谷崎『陰翳礼讃』の雰囲気。家族は芸事好きで、西洋文明にも理解があった。國義少年も茶道、花道、書道、謡曲を習い、自然に書画・骨董、着物、料理、器など日本文化に興味が広がった。叔父に連れられ、少女歌劇を観て「西洋の薫りの洗礼」を受ける。
 ミッションスクール時代、授業中に絵ばかり描いていることで、母親は先生に呼び出される。母は言った。
「教科書に描くのは止めさせますが、この子は絵描きにさせるつもりですから……
 友人と映画館のはしご。アメ横の外国製品のデザインに憧れ、銀座の洋書売り場で雑誌や画集を見た。
 大学在学中に舞台美術家・長坂元弘(六代目尾上菊五郎の弟子)に師事。絵は独学。65年澁澤龍彦の『O嬢の物語』の装幀・挿絵を担当。67年画壇デビュー(個展)。

帯の言葉「絢爛たる美貌の軌跡」の「美貌」には「エレガンス」とルビがある。家庭環境、家族、友のこと。好きな舞台、映画、音楽、バレエ、文学の話。文学者、俳優、芸術家たちとの交友。絵は海外の芸術家にも認められ、さらに交友が広がる。

芸術は遊びの精神からでてくるものだと今でも信じて止まない。(略)
 明日はどうなるのかとよく聞かれるが、明日はわからないというのが僕の主義。だから若い時代にも、こうなりたい、ああなりたいと意識したことはなかった。ただ遊んでいるうちに勉強して、結果的にそれが返ってきたというだけ。(略)
(出会った人たち)各々成熟の度合いにばらつきがあるとはいえ、そのひとだけの個性をもっていた。極度に病的すぎず、涼しさを飄々と纏った、悪くて清らかな魂たち。彼や彼女らが取り巻く身辺は、穏やかな表情を見せながら、次々に光の粒が弾かれつづけているようで、いつも華やかでにぎにぎしかった。……
(平野)

2015年2月8日日曜日

勝手に関西遺産


『勝手に関西遺産』 朝日新聞大阪本社 非売品(新聞購読者は申し込めば新聞と一緒に届けてくれる) A423ページ

「朝日新聞大阪本社版夕刊」名物コーナー「関西遺産」。関西ならではの言葉、風習、名所などを「勝手に遺産として認定」している。連載10年を記念して冊子を刊行した。
 
 
 

……書き手の思い入れと愛情がつまったものばかりである。神社仏閣から劇場、店舗、看板、食べもの、言葉や習慣、個人に至るまでジャンルは多岐にわたり、商品名もバンバン登場して、いずれも関西ならではの関西人精神が繁栄されている。言い換えれば、他の土地の人が欲しがるか欲しがらないかにまったく関係なく、「他にはないもの」。……(島﨑今日子)

10年の全491編から担当記者とイラスト担当のグレゴリ青山が投票で選んだ傑作10点、佳作5点を収録。

1位は京都大学の折田先生像2012.2.22)。旧制三高校長で、生徒をさんづけで呼び、一人一人の人格を重視した。京大の「自由」を象徴する像だが、学生が勝手に創作を施し出した。化粧したり焼きそばを頭に載せたり、セーラームーンやウルトラマンにもなった。97年、同窓会が「いたずらにも限度」「批判精神がない」などの理由で像をキャンパスから撤去した。しかし、学生はハリボテの像を作り創作を続ける。ナウシカやゴルゴ13、てんどんまんも登場した。

本物はない。制作者が名乗り出ることも、ない。なのに、この情熱。「変なことが起きている」。

驚いたある助教授が「折田先生を讃える会」というサイトを作ると、学内外から写真や情報が寄せられた。折田先生の業績を紹介するサイトもできた。
 毎年入試日にハリボテが登場する。折田先生の一族も「自由な気風の伝統」と見守っている。

 2位は「飛び出し坊や」(滋賀県の交通安全看板)、3位は「ワレ」(河内弁)。神戸ものでは「モロゾフのプリンカップ」(震災で高級食器は全部壊れたのに、カップだけは残った)が同票3位に。

(平野)

2015年2月7日土曜日

独特老人


 後藤繁雄編・著 『独特老人』 ちくま文庫 1500円+税 20151月刊 
カバーデザイン 横尾忠則
 単行本は01年筑摩書房より。
 後藤は1954年大阪生まれ。編集者、クリエイティブ・ディレクター、京都造形大学教授。
http://gotonewdirect.weblogs.jp/news/profile/

 各界第一級の老人28人に聞き書き。作家では、森敦、埴谷雄高、山田風太郎、芹沢光治良、堀田善衞……。芸術家、学者、漫画家、棋士、裏千家執事という人も。
 現在ご健在は4人になった。「もう二度と聞くことができない貴重な発言の数々」。

 人の魅力とは何だろうか? 今の世の中のように、社会に飼いならされながら歳をとっても、それはその人を少しも魅力的にはしない。
 逸脱、気まぐれ、思いつき、狡猾、諧謔、軽み、快活、色気。
 人は魅力的でありながら、かつ、やっかいなものだ。逆にやっかいだから魅力的だ。いったい何を言い出すかわからない。しかし、顔を、その目を見ただけで、一言も交わすことなく、その人のとりこにされることもある。人の力、それがすべてではないか。(略)
 小僧である僕は、彼らのことを「独特老人」「独特の人」と呼ぶ。独断、独走、独学、独想……独り楽しむと書いて独楽。独特とは、「独り」で「特別」、光速で回転する独楽のような人。

 会った人は53人超になった。
 神戸関係者では俳人・永田耕衣19001997)。

 人生ってやはり出会いだと、出会いは絶景だということを私は言っている。あの石川五右衛門が「ああ絶景かな」と言ったろ。あの絶景だ。これ以上立派なものはないと。出会いは絶景だと言ったって、誰と会っても絶景だとは言えない。だけど、今日あんたと会うたのは絶景かも知れん。そういう出会いによって人間は個別に、自己の環境を広げていって、その環境を広げるだけじゃなくって深めていって、その人の影響というかな、仏教で言う「善縁」というものを得る。つまり、そういう感覚が絶景感覚よね。出会いの絶景。
(昭和三十年頃句集『吹毛集(すいもうしゅう)』のその「あとがき」で、出会いは絶景と書いた)自然が絶景であるとも言えるけれども、それよりも人間の方が絶景だと。そういうことを言ったんで、私の名前が出ると「出会いの絶景」ということを口癖のように人が言ってくるわけだね。……

 最初の「出会いの絶景」は戦争中、加古川の禅寺の和尚・宮崎奕保。家が近所でたびたび訪ねた。会社で座禅会を作って、招いた。耕衣は李朝の水滴が欲しかった。分相応に欲望を満たしていけばある点で、その欲望はなくなるだろうと言った。和尚に叱られるかと思ったが肯定してくれた。

……求める。それは喜びを求めること。ただ生きておるだけじゃなくて、何かそこに手応えのある、これこそ人生だというような、立体的なものに突き当たっていく。あるいはそういうものに埋もれていくというか、掘り出していくというか、どう言ったっていいんだけど、そういう世界を求めている。

本書では触れていないが、ちょうどこの時期、耕衣は俳句を中断している。「京大俳句事件」で西東三鬼ら親しい俳人が逮捕され、「執筆禁止」になっている。耕衣は自粛する。

(平野)
 ギャラリー島田から情報。2月11日テレビ朝日「報道ステーション」内で加川広重さん「フクシマ」が取り上げられる予定。

2015年2月3日火曜日

百円均一本蒐集日誌


 大屋幸世 『百円均一本蒐集日誌』 日本古書通信社 2000円+税

 おおやゆきお、1942年前橋市生まれ、元鶴見大学教授、日本近代文学研究。著書に、『大屋幸世叢刊』(1~7、本書が7になる、日本古書通信社)、『蒐集日誌』全4巻(皓星社)など。
 本書は研究者としての蒐書や書誌学ではなく、古書店めぐりで集めた本について。それも全国チェーンの新古書店の100円均一本ばかり。1軒だけ専門的大学近隣の「多少専門的な古書店」もある。

……この一年半強で手にした100円本を掲示した。四、五十年後には、これらの書籍、雑誌が百円均一であったのかと、あるいは驚くことになるかも知れない。言うまでもなく、現在、古書業界はある曲角にあると言ってよい。すべてが値下がりしている。初版本というのをいまだにこだわっている人の数は、ずい分と減っているのではなかろうか。三島由紀夫の初版本など、かつては考えられないほど値が下がっている。一番目につくのは、全集の類の値下りである。ある個人全集が一万か、二万円かという値で、もし私の家の書庫がもっと広ければ、購っておいてもいいのではないかとも思う。しかし、老いつつある私としては、いまさら全集でもない。無職、年金生活者となった私には、何でもいいから、読み逃している本、あるいは好奇心が向けられる本、そういうものを手にして、ただやたらと読みたいだけである。……

 2013428日購入の本は、西村賢太『苦役列車』(2011年、新潮社)、福島泰樹『蒼天 美空ひばり』(1988年、デンバー・プライニング)、木村虹雨『辞世の一句』(19921年、角川書店)、三國隆三『鮎川哲也の論理――本格推理ひとすじの鬼』(1999年、展望社)、大下英治『トップ屋魂――週刊誌スクープはこうして生まれる』(1992年、KKベストセラーズ)、『季刊 本とコンピュータ』1998年春版(トランス・アート)。

 小説、近現代史から映画・美術雑誌、美術展図録、戦記、新選組にUFO本も。
 読んでそれぞれの感想も書く。
 確かに古本なのだが、著者は読んで、現在の社会や文学の問題を考えている。
 例えば、NHKスペシャル取材班『ワーキングプア――日本を蝕む病――』(2007年、ポプラ社)を熟読して、

……ここに描かれた事態はリーマンショックの不況以前のものだ。今はもっと深刻なのではないか。ずっと以前、吉本隆明が日本総中層化ということで、〈転向〉論を書いたが、その中流化ということが、まったくの幻想でしかなかったということだ。親子四人で年収二百万円以下がプアの規準らしいが、自分の現在の事態で心配するのは、老夫婦二人の年金プアだ。……

 戦記を一度に何冊も買って、あの戦争を侵略戦争ではなかったと主張したい人に、

……その向きの人たちには、こういった戦記を読んで欲しい。この戦争で死んだ、というより殺された人たちがどれほどいるか、よく考えて欲しい。

(平野)
 本書、人に頼んで東京で買ってもらった。
 元町商店街HP更新。
 http://www.kobe-motomachi.or.jp/