2017年11月25日土曜日

スリップの技法


 久禮亮太 『スリップの技法』 苦楽堂 1666円+税

 久禮は1975年生まれ、フリーランスの書店員。新刊書店の選書や業務の他、書店員研修を担当する。


「スリップ」とは、本11冊に挟み込まれている細長い紙。出版社名・書名・著者・コード番号などが記載されている。読者にはあんまり役立たないが、書店にとって重要な情報が詰まっている。売上の証拠・記録であり、これに店のハンコを押して取り次ぎ会社や出版社に発注する注文書として使う。現在はレジのPOSシステムで売上データが集積され、発注もオンラインで行うから、書店現場ではこのスリップはほとんど利用されていない。しかし、久禮はこのスリップを重要視して活用し、業務に役立てている。

〈売れた書籍のスリップを集めた束は、売れ冊数や売上金額といった抽象的な数字に化ける前の具体的な「売れたという事実」を、個別に、かつ大量に扱いながら考えるための優れた道具です。〉

 久禮はこのスリップを在庫管理や発注に使うだけではない。レジ業務をしながらスリップを整理し分析する。発注・関連書・陳列の手直しをするための備忘録、同僚書店員への業務連絡メモ(本の動き、関連本などヒントや注意事項)、他の本へのつながりを考え発注・陳列の参考。それに久禮の真骨頂が、スリップを見てどんな人が買ったのか想像をめぐらすこと。まとめ買いのスリップは輪ゴムやクリップでまとめておくようにしている。それらから想像が広がり、妄想もする。

〈具体的な読者像を描き出し、そのバリエーションを増やしていくことで、書店員ひとりの狭い視野では気づくことのできなかったさまざまな視点から発注や陳列ができます。〉

 まとめ買いの数冊から読者の職業・嗜好を想像する。その人が棚をどう回遊したのかを追うことで意外な本のつながりを読み取る。関連本、品揃えをさらに検証する。スリップは《次にやるべき仕事リスト》だ。

 久禮は頭の固いスリップ至上主義者ではない。スリップを検証したうえで、POSやWEBの情報と連携させる。

〈スリップに書き込むメモは仮説であり、ときに妄想でもあります。その頭を冷やすブレーキがPOSのデータです。ただ、ブレーキだけでは売上も僕自身のやる気も徐々に減速してしまいます。スリップを見て「次はこんな品揃えならお客様も喜んでお財布を開いてくれるんじゃないか」と期待感を高め、アクセルを踏み、本を実際に仕入れることで、売り場を新陳代謝させ、売上を伸ばしていくことができます。〉

久禮はこれまで培った《スリップの技法》を惜しげもなく披露する。誰でもがすぐにできることではないけれど、本を売ることの楽しさと喜び再発見につながると思う。

写真は、11.24神戸で開催された「勁版会第402回例会 『スリップの技法』著者・久禮亮太さんトークイベント」。実際の売上スリップを使っていつもの作業を見せてくれた。
 

 

(平野)私は現役時代スリップ主義者であった、と言ってもご大層なことではなく、POSレジなどない前近代的経営の店だった。働く者も、「そんなもんいらん!」と思っていた。お子さん連れのお客さんが「ピーしてもらおうね」と来られると、レジ担当者が「ピー」と言って手渡していた。

2017年11月23日木曜日

365日のほん


 辻山良雄 『365日のほん』 河出書房新社 1400円+税

荻窪《本屋 Title》店主。Webページで「毎日のほん」を毎日更新、それに新刊紹介も行っている。
 私は本書をそれらの情報をまとめたものと思っていた。たいへん失礼いたしました。すべて書下ろし。本屋経営に加えて、連載やらインタビューやら引っ張りだこなのに、一体いつ寝ているの?

〈毎日、書店の店頭には数多くの新刊が入ってきます。日々、それに触れることを繰り返しているうちに、「光って見える本」が自然とわかるようになりました。著者の内にある切実なものをすくい上げ、生まれるべくして生まれた本には、はじめて見たときでも「ずっとこの本を待っていた」という気持ちにさせられるものです。そうした強い必然性を持った本は、ぱっと見ただけで、他の本とは違う輝きを放っています。〉

 装幀もサイズも本文インクも、かわいい! 爺さんが手に取っていいものか、すこし戸惑う。《考える本》《社会の本》《ことば、本の本》《文学・随筆》《自然の本》《アート》《くらし・生活》《子どものための本》《旅する本》《漫画》など柔らかくジャンル分け(複数のジャンルになる本も)し、春夏秋冬を考えて配列。
 たとえば11月は《考える本》、國分功一郎『暇と退屈の倫理学』で始まる。
〈哲学は古くカビが生えたものではない。/哲学とはいつの時代でも、「どうやって人間らしく生きるか」を真剣に考えることだ。(後略)〉
 続いて、《アート くらし・生活》、『柚木沙弥郎 92年分の色とかたち』。
〈歳を重ねるごとに若くなる。自由に布のうえで舞い、踊る、色とかたち。/「芸術」や「民藝」といった大げさなことばのうえには納まらず、みずみずしい驚きを追いかけた人生。(後略)〉

 本を読むこと、選ぶことが楽しくなるよう提案してくれている。
《Title》店内を回遊している気分。
 
 

(平野)著者のお店で購入すると特典あり。

2017年11月21日火曜日

戦争育ちの放埒病


 色川武大 『戦争育ちの放埒病』 幻戯書房 4200円+税

 単行本・全集未収録の随筆86篇。


「本が怖い」

〈本屋にはわりに頻繁に出入りする。びっしり並んだ本を、ただ黙っていつも眺めている。ああいうときの、ふわッと自分が軽くなっていくような、とめどなくぼんやりして眠くなってしまうような気分が悪くない。〉

 本はあまり買わないが、あれこれ買ってしまう。でも、読まない。買って家にあるとページを開いて読んでしまう。本は読まないようにしたい。買って置いておくだけでも健康に悪いのに、読んでしまったらどうなるかわからない。作家になってから、「本を開けるのが怖い」。読み出したら萎縮して書けなくなると思う。

〈情けないが売文しなければ生活がおぼつかない。したがってできるだけ毒にも薬にもならぬことを記して、社会のお邪魔にならぬよう隅っこでお茶を濁している。が、ほかの人はそうではあるまい。本というものはそれなりに著者の力の結晶であって、そういう力感に私は出遭いたくない。私は何も見ず、何も聞かず、何も読まず、このままなんとかごまかして手早く一生を終えてしまいたい。〉

 色川は戦争ですぐ死ぬと思っていた。どんな死に方をするか、死ぬまでどう生きるかしか考えなかった。戦争が終わって生き延びた。歓喜と同時に、死んでいった人たちのむなしさを思う。

〈一度あったことは、どんなことをしても、終らないし、消えない、ということを私は戦争から教わった。〉

 色川の「戦後」は終らなかった。

(平野)

2017年11月18日土曜日

個展


ヨソサマのイベント

 竹内明久「モトコー切り絵展 犬の記憶。人の眼差し。」

11.142620日休み) モトコー2 プラネットEartH

故成田一徹のお弟子さん。元町高架下の人と店を描く。モトコーはJRの線路の下、再開発計画で存続の危機にある。


 


ギャラリー島田、毎年大人気の二つの展覧会、同時開催。

 石井一男展

11.2512.6 11001800 (最終日は17:00まで)

25(土).26(日)は930より整理券配布。


 

 須飼秀和展

11.2512.6 11001800 (最終日は17:00まで)

 

(平野)
 

2017年11月14日火曜日

港の人


 北村太郎 『港の人 付単行本未収録詩』 港の人 2200円+税

〈荒地〉の詩人・北村太郎(192292)の『港の人』(1988年、思潮社)を復刊。
 解説・平出隆、ケースの絵・岡鹿之助「古港」。

……家庭を捨てた北村太郎が、彼を労わる者たちの圏内からもやがて離れて、みずからを横浜という固有の都会の中へ解き放とうとする姿をとどめた詩集である。(後略)》(平出)

 


《むかし船員になりたいとおもったことがあった
いちばん下っぱの水夫がいいなとおもった
ペンキくさい底のほうで
労働するのはわるくないぞとおもった
そのころのぼくの愛読書はコンラッドで
なかでも『台風』とか『青春』とかの海の小説が気にいっていた
そんなのんきな夢は
とおいとおい昔のこと(後略)》
 QE2を見にやました公園に行く。船は「ごく静かに」「遅いような早いような速度で」出港していった。
「人生の一日はいつもあっという間に終わってしまう」
 帰り道、あの作家は船長の資格を持っていたことを思い出す。

(平野)
北村の詩集を社名にした出版社、本年創立20周年。

2017年11月12日日曜日

詩人なんて呼ばれて


 谷川俊太郎 尾崎真理子 
『詩人なんて呼ばれて』 新潮社 2100円+税


 谷川俊太郎評伝+インタビュー+詩21篇(書下ろし1篇)。

〇詩人になろうなんて、まるで考えていなかった
〇詩人は、全世界を引き受けようとするんだ
〇意識から出てくる言葉じゃない
〇滑稽な修羅場もありました
〇運がいいと、それを詩に書けるかもしれない

 尾崎は読売新聞編集委員、3年かけて谷川にインタビュー。谷川の生い立ちと詩人としての歩みに、時代と社会の動きを重ねて構成する。
 1962年から63年、谷川は週刊誌で社会世相を題材にした詩を連載していた。当時、高度経済成長が始まり、消費社会、土地、教育、労働、環境問題など現在につながる課題が芽生えていた。

……あの頃、詩を書いている人間の一種の敏感さみたいなものがはたらいて、自分の周囲の物事、とくに言語化されたものを全体的に引き受けようとしすぎて、それで疲れてしまったところもあった気がしますね。ふつうは皆、自分に関心のある、一部分だけ引き受けてるんだけど、詩人は全世界を引き受けようとするんだ。少なくとも、僕はそういうところがあるから、そうすると言葉にするのがもっと難しくなっていく。そのためのタクティクス、戦略みたいなものを自覚的に考えて切り開いていかないと書き続けられない。僕はその頃から時事的な詩を引き受けたり、歌詞を書いたり、脚本を書いたり。口語体の詩とかひらがなの詩とかいろいろな方向で、意識的に自分をオールラウンド・プレーヤーに鍛えようとしてきたって感触はありますね。》

「詩人なんて呼ばれて」
本当は呼ばれたくないのです
空と呼ばれなくても空が空であるように
百合という名を知る前に子どもが花を喜ぶように
私は私ですらない何かでありたい (後略)

(平野)詩人は私(1953年生)が生まれる前から詩人であり続けている。『鉄腕アトム』の主題歌でこの人の名を知った。「たにがわ」とずっと思っていた。

2017年11月6日月曜日

銀河鉄道の父


 門井慶喜 『銀河鉄道の父』 講談社 1600円+税

 宮沢賢治の生涯を父・政次郎の視点で描いた作品。
 

 政次郎は花巻の裕福な質屋の主で地元の名士。熱心な浄土真宗檀家であり、経典を読み込み、賢治が日蓮宗系の団体に入会して論争を挑んでも受け止めた。
 私は賢治の父に、封建的、わからず屋というようなイメージを持っていたが、この小説ではまったく違う。真面目で頭脳優秀、文化に理解があり、厳格であるが子どもたちに優しい。特に賢治は政次郎の大きな愛に包まれて育った。
 賢治は学校を出た頃から、飴を製造するとか、人造宝石を研究するとか、夢ばかり追っていた。政次郎は賢治に質屋を継がすことはあきらめたが、堅実な道を歩んでほしかった。教師になることができて、息子が「ふつうの、大人になれた」と思った。
 賢治も自分が「甘ったれ」だとわかっている。経済的にも精神的にも独立できない自分を責めた。俗物的野心はあるが、父の望むような生活は嫌なのである。家出して東京の印刷屋で働いていたとき、現実の自分に悲観し、将来の展望もないことを宗教者に相談したが、たいした応えはない。たまたま見つけた文房具屋で原稿用紙が目に入った。

《「あっ」/声が、家々の壁にひびいた。/胸腔内の熱い岩漿(マグマ)がガスを吹き出し、頭蓋を割った。/(これだ)/思うまもなく、頭蓋から、噴水のように溶岩がほとばしった。/溶岩とは、ことばだった。手でつかまえなければ永遠に虚空へ消えてしまうだろう一瞬の風景たち、どうぶつたち、人間たち、せりふたち、性格たち、比喩や警句たち、話の運びたち。》

 賢治は店にあるだけの原稿用紙を買い、下宿で万年筆を走らせた。1日で300枚の塔ができていた。内容は童話。走り書きだし、消した箇所も多いが、「質的にもこれまでで最高」だと思った。なぜ童話だったのか。小学校で先生が『家なき子』を朗読してくれたこと、妹に童話を書いてとせがまれたこと、自分が大人と良い関係を作れなかったこと、それは大人の世界からの「逃避」だったことなど、さまざまな考える。何よりも根本的だったのは、

《「お父さん」/賢治はなおも原稿用紙の塔を見おろしつつ、おのずから、つぶやきが口に出た。/「……おらは、お父さんになりたかったのす」/そのことが、いまは素直にみとめられた。/ふりかえれば、政次郎ほど大きな存在はなかった。自分の命の恩人であり、保護者であり、教師であり、金主であり、上司であり、抑圧者であり、好敵手であり、貢献者であり、それらすべてであることにおいて政次郎は手を抜くことをしなかった。》

 賢治は父のようになれないことはわかっている。健康不安もある。それでも「父」になりたいのなら方法はひとつ、「子供(わらす)のかわりに、童話を生む」、活字になれば読者もまた、「おらの、わらす」になる。花巻に帰らず、父とも顔を合わせず、東京でやってみようと決意した。ところが、妹の病状(結核)が悪化し、賢治帰郷。まもなく妹は死去。
 賢治も肺を冒され、またも政次郎が看病する。賢治が机に向かえないと嘆くと、政次郎は「あまったれるな」と叱咤。

(平野)M&J書店文芸担当者の推薦帯付き。
 賢治の死後、政次郎は孫たちに賢治の詩を読んで聴かせる場面、感涙。