2021年3月30日火曜日

谷崎と汽車

 3.27 先週雨でさぼった高槻墓参。好天、JR沿線の桜爛漫。ターミナル駅は人出多。

「朝日新聞」別刷り「be on Saturday」に大阪の「隆祥館書店」二村さん登場。〈心を渡し、支える最強の本屋〉。

同紙連載、原武史「歴史のダイヤグラム」。谷崎潤一郎が東京・大阪往復に夜行列車愛用のこと。


 

3.28 ちょうど読んでいる本、小谷野敦『谷崎潤一郎伝 堂々たる人生』(中央公論新社、2006年)。谷崎が若き日神経症に陥り、10年ほど「汽車恐怖症」に苦しんだことが明らかにされている。本書は、谷崎の人間像に迫る。書簡、来簡、随筆などから谷崎の「実人生」を再現する。家族問題で苦労が絶えなかった。



〈弟妹に対してできるだけの面倒を見ながら、あまりの負担の大きさから音を上げる谷崎、友人としてつきあっていた者でも、小物だと思えば見捨てる谷崎、好色で神経質で、しかし豪胆で時に思いやりある谷崎、藝術家と実務家の両面を兼ね備えた谷崎先生。初期には自然主義に抗い、中年期にはプロレタリア派の攻撃に逢い、妻譲渡事件と人妻との密通で世間から指弾され、ようやく生活が安定すると今度は一転して軍部の弾圧に逢い、戦後は猥褻文学者として非難を受けながら、自己を信じぬき、時にはおそらく何らかの巧妙な策略を用いながら常に第一線の作家として生き抜いた谷崎先生を、文学者の端くれとして、あるいは人として、私は畏敬する。(後略)〉

(平野)

2021年3月27日土曜日

忘れ残りの記

3.23 朝日新聞折り込み「あさひGREEN FAMILY 377」特集「図書館・書店の本のプロに聞きました これが私の推し本!」。表紙は〈1003〉、栄町に移転してから行けていない。



三宮ブックスに役立たずヂヂ手伝い。日販・河さんから既に同社Webサイトで村田さんの訃報を発表していると聞く。私が発信することは控えていたが、当ブログにも掲載した。知人にはメールでお知らせする。

3.24 朝日新聞に訃報。装丁家・平野甲賀さん、22日逝去。享年82歳。

3.25 夢の話。三宮ブックス、村田さんが早朝から深夜まで働いている。竹さん、D君登場。私もチンタラしている。(終)

それにしてもオンボロの本屋だった。ちょっと強い雨だと雨漏り。浸水もあった。エアコンは冷房のみ、1~2時間で息切れして止まる。夏暑く、冬寒い店内。しまり屋の大家さんだった。常連さんは呆れながらも通って来てくださっていた。今となっては、わっはっは~の思い。

訃報をお知らせした方々から返信あり。ありがとうございます。時々思い出してあげてください。

ギャラリー島田のDM作業。島田社長も村田さんを悼んでくださる。作業早く終わり、三宮ブックスで少し手伝い。

3.26 孫のLINE電話。本日は図書館で借りた絵本6冊のうち5冊も読んでくれる。ねむいくせに、ちゃんと作者まで教えてくれる。


 

なかがわりえこ おおむらゆり 『そらいろのたね』 福音館書店 2007

きしだえりこ やまわきゆりこ 『どこでおひるねしようかな』 福音館書店 1996

キヨノサチコ 『ノンタン あわぷくぷくぷぷぷう』 偕成社 2008

ディック・ブルーナ まつおかきょうこ 『うさこちゃんのてがみ』 福音館書店 2010

同上 『うさこちゃんのおじいちゃんへのおくりもの』 同上

 

 半藤一利 『歴史探偵 忘れ残りの記』 文春新書 850円+税



「歴史探偵」は名エッセイスト。本書あとがきに、ゴルフも運転もせず、旅行も釣りも山登りもやらない、スマホもパソコンも縁なし、と。ところが、古典芸能・芸術など趣味を超えた愉しみを持っていた。「歴史探偵」余話、文学・作家こぼれ話、幼少時代、新米編集者時代のことなどを綴る。「あとがき」が絶筆となった。

〈それにつけても、わたくしのエッセイは、いくら好奇心の赴くままとはいえ、いわゆるエッセイの本道からは、ずいぶんとずっこけたものであることか、と深く感じ入った。(中略)大道を行くにあらず俺の楽しみは裏道よ、とあらためて納得した。(後略)〉

(平野)


2021年3月24日水曜日

訃報

  このところはっきりしないことを書いていました。

出版取次会社日販のサイトで既に発表になっています。

https://note.com/nippan_tsushin

 

悲しいご報告をいたします。

316日早朝、三宮ブックス社長村田耕平さんが脳出血のため亡くなりました。享年85歳。去る12日、配達先で倒れ救急搬送されましたが、意識不明のまま16日永眠されました。18日にご家族で葬儀を終えています。

もともと本年3月末で本屋を廃業し、他の本屋さんに外商を引き継いでいただく予定でした。村田さん自身高齢であり、ちょうど5月末で事務所ビルが取り壊されることを節目にしておられました。ただ、官公庁の年度末にあたり、大量の注文、伝票整理など、残務はたいへんです。一人残った竹林さんを、日販さん、井戸書店さん、川池書房さん、家族の方々が協力して助けてくださっています。

個人的には村田さんのことを語り出せばキリがありませんが、ひとつだけ。ちょうど海文堂閉店が決まった頃でした。村田さんは家事・炊事もしなければならない状況になりました。

「わしなあ、料理してて思うねん。フライパン持って死にたない。本持って死にたい、とつくづく思うねん」

 本屋仕事を去る私に向けて、「わしはまだまだ現役」という決意表明でした。配達先で倒れたことは村田さんの本懐でありましょう。

私は117日にギャラリー島田でお会いして、食事を共にしたのが最後になりました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

(平野)

2021年3月23日火曜日

『細雪』とその時代

 3.20 新聞折り込みに「花森書林」宣伝チラシ。なかなかおじゃまできない。




 3.22 編集工房ノアの「海鳴り 33届く。

夜、孫からLINE電話、ヂヂに絵本を読んでくれる。池谷陽子『じいじとぼく』(こどものとも年少版 2020.9月号、福音館書店)。ヂヂバカチャンリン、大喜び。

 




 川本三郎 『細雪』とその時代 中央公論新社 2400円+税

 私は谷崎を、変な性嗜好の爺さん、と思う。でもね、『細雪』に「性」表現はない。「女性たちのたおやかな物語」「つねに女性の優しさ、美しさ(時にはその残酷さも含めて)愛し続けた女性の讃美者、谷崎ならではの女性たちへのオマージュ」。

〈『細雪』は、いまは没落した大阪、船場の旧家の四姉妹の行く末を見つめた家族小説である。政治家も軍人も登場しない昭和の物語である。女性が主人公だから、家庭が主たる場になり、日々の暮しが丁寧に描かれてゆく。見合い、結婚、あるいは子育て、子供の病気。女性を通して昭和の暮しが浮かびあがってくる。(後略)〉

船場に代表される商都大阪、京都の雅、ハイカラな芦屋・神戸、関東大震災から復興する東京など、近代都市の文化を背景に旧家の栄華と没落を描く。

谷崎は昭和の戦争を直接には書いていない。脇役たちに語らせる。主人公たちは戦争とは無縁のところで生きている。

谷崎は他の著名作家たちのような戦争協力をしなかった。戦争反対とも叫ばなかった。ただただ己の文学・芸術にこだわった。その『細雪』でさえ雑誌に掲載できなくなる。戦時中も執筆を継続した。

著者は、脇役たち、都市、女性とモダニズム、災害、病など、谷崎が散りばめた細部から解説してくれる。

(平野)

2021年3月20日土曜日

『海の本屋のはなし』補遺2

 3.17 山中剛史『谷崎潤一郎と書物』(秀明大学出版会)に出版社「賀集文楽堂」の名が出てきた。「海文堂」につながる出版社だが、その前に谷崎本のこと。

谷崎『鬼の面』(須原啓興社、大正59月初版)が版を重ね、翌63月に6版発行。ところが、71月の7版から発行者、発売所、印刷所が代わっている。発行者「永島常造」、発売所が「若月書店」と「加集文楽堂」(正しくは「賀」)。

著者は、6版奥付の検印が「須原」になっていることから谷崎が版権を売却した、と考える。お金が必要だった。さらに「須原」が廃業して、版権を「永島」に譲り、「永島」が「若月」と「賀集」に発売を依託した、と推察する。

「若月書店」と「賀集文楽堂」を国会図書館サイトで検索する。「若月」では戦後の出版物しか表示されず、大正時代の出版社と同じ社かどうか不明。「賀集」では〈岡田をみなへし作・画『鳥啼く里 をさな絵物語』(大正67月発行)〉など数冊出てくる。発行者「賀集忠三郎」、住所「東京市神田区表猿楽町二番地」、『鬼の面』7版奥付住所と同じ。海文堂は谷崎潤一郎とかすかな縁があった。

大正9年「賀集文楽堂」発行の書籍『機関科船員試験問題解答集』では、発行者「賀集喜一郎」になり、住所は「神戸」に代わっている。一方、発行所「東京」とした出版も続いている。喜一郎と忠三郎の親族関係、事業承継については不明。

拙著『海の本屋のはなし 海文堂書店の記憶と記録』(苦楽堂2015年)に書いた。喜一郎が神戸で「海文堂」の前身「賀集書店」を創業したのは1914年・大正3年。書誌研究者が資料で確認している「賀集」最古の出版物は『摘要産婆学』(文楽堂賀集書店、1916年・大正5年)だが、現物は確認できない。写真は同書『第二版』(大正10年、神戸市立中央図書館蔵)のコピー。




 

3.18 買い物して、三宮ブックスにおじゃま。今月末で廃業。竹さん一人奮闘。日販の河さん、外商を引き継ぐ本屋さんたちが忙しいなかお手伝い。私ができることは少ない。配達はできないし、パソコン操作して伝票作成もできない。心身ともに本屋ではなくなっている。何しに来たのやらの役立たず。

3.19 ふだん統一したテーマで読書していないけど、このところ谷崎本が続く。川本三郎『「細雪」とその時代』(中央公論新社)。昭和初期「大大阪」「阪神間モダニズム」の時代。日中戦争も。

 


(平野)

2021年3月16日火曜日

春の雨

 3.14 午前中、三宮から元町買い物。家族連れ、グループなど固まって歩いていて人出多い。入試すんだ方もおられるでしょう、天気はいいし。

 元町こうべまちづくり会館「地形図・鳥瞰図・空中写真で見る中央区周辺~明治以降の変遷~」観覧。貴重な古地図展示、青山さんの鳥瞰図も。係の方が説明してくださる。16日まで。

午後は落語「桂米朝一門会」(神戸文化ホール)。去年の春はコロナで中止だった。

3.16 朝、小雨。墓参りに行くつもりで、日曜日に花を買っておいた。天気予報は雨じゃなかったと思うのだけど。墓地は降っておらず。

墓から戻って、恩師の逝去を知る。涙雨だったのか。私の個人的感覚。

 春の雨泣くな泣くなと小降りなり (よ)

私にとっては恩人であり師匠。仰げば尊し、海よりも山より、の人。

詳細は後日お知らせいたします。

(平野)

2021年3月14日日曜日

谷崎潤一郎と書物

   3.111.17も毎年ダラダラ過ごしてしまう。ごめん、と言うしかない。

 3.12 福さんから友人還暦お祝い会の案内。めでたいことだけど、会食は見合わせ。

 夜、三宮ブックス竹さんから連絡。事務所訪問約束。外は春の嵐。

 「熱風(GHIBLI)」3月号。特集は「奈良美智インタビュー」、2年間表紙を担当、最終回。特別収録として「追悼半藤一利」。



 3.13 朝、竹さんから続報。事務所訪問延期。夜、竹さんに電話。事務所16日に。

 山中剛史 『谷崎潤一郎と書物』 秀明大学出版会 2800円+税



 著者は1973年生まれ、中央大学大学院ほかで非常勤講師。専門は谷崎潤一郎と三島由紀夫研究。

 谷崎は明治末に作家デビューし、大正、昭和戦後まで数多くの書物を刊行。画家たちとのコラボ、限定本、豪華本から廉価版、文庫本もある。著者は文学作品と書物という作品両面から研究。

〈谷崎文学がいかような書物として形となり、流通し、受容され、いまあるような「谷崎文学」として形成されていったのか。否、むしろ谷崎本のそれぞれがいかに流通し、買われ、読まれ、「谷崎文学」が「谷崎文学」として広まっていったのかを古書から辿り直すこと。(後略)〉

 本体写真は著者の書棚かな。読むのはこれから。

(平野)

2021年3月11日木曜日

谷崎潤一郎 性慾と文学

 3.7 「朝日歌壇」より、

〈書店から消えた海外ガイド本空っぽの棚に表示残して (札幌市)はづきしおり〉

留守番の日曜日、確定申告書類作り。

 

3.8 「朝日新聞」朝刊に小沢信男さんの訃報、享年93歳。ご冥福をお祈りします。


 

3.9 税務署に書類持参。納税。

 

 千葉俊二 『谷崎潤一郎 性慾と文学』 集英社新書 860円+税



 谷崎は一貫して女性の美、女性崇拝、自らの性嗜好を描き続けた。私生活でも永遠の女性を求め続けた。戦中、『細雪』連載は中止したが、書き続け私家版として出版した。

 著者は決定版『谷崎潤一郎全集』(全26巻、中央公論社、1917年完結)の編集委員。

〈谷崎の生涯はまさしく、私たちにとって根源的な欲望である〈性慾〉との格闘で、それをいかに藝術的に昇華させるかの歴史だったことに気づかされる。〉

 谷崎の草稿「恋愛と色情」(1930年「中央公論」原稿、妻譲渡事件のどさくさで続稿が書けなかった。早稲田大学図書館蔵)を翻刻し、掲載。

(平野) 

2021年3月7日日曜日

センチメンタルジャーニー

  3.6 「花森安治『暮しの手帖』の絵と神戸」展、神戸ゆかりの美術館(314日まで)。

花森は1911年武庫郡須磨村(現在神戸市須磨区)生まれ。

花森が描き続けた表紙原画の他、神戸・大阪に関する記事・写真展示。73年私的旅行で撮影した神戸港周辺の16ミリフィルムを上映。関連する同美術館所蔵の神戸風景絵画も。

 図録は展示ほぼ全点紹介。本誌1世紀71号(63年)の「KOBE 日本紀行 その1 神戸」(全21ページ分)がありがたい。

 


 北村太郎 『センチメンタルジャーニー ある詩人の生涯』 草思社文庫 

900円+税



 北村太郎(19221992年)、詩人。47年、鮎川信夫、田村隆一、黒田三郎らと「荒地」創刊。本書は自伝。生い立ちから詩のこと、詩友との出会い、戦争、結婚、妻子の死、恋愛……

 単行本は1993年同社より。90年出版企画の時点、既に北村はガン発症。北村はシャイ、詩人・正津勉が長い時間をかけて話を聞き、その速記原稿に北村が筆を入れる。原稿が少しずつ編集者に渡される。928月その編集者がガンで急逝。10月北村も息を引き取る。残った北村自筆原稿100枚と速記原稿400枚、未完のまま出版した。

 戦争中、北村は海軍で暗号解読の任務にあった。アメリカの暗号は複雑で解読できなかった(むこうは日本側の暗号を全部解読した)。暗号通信の解析で敵艦隊の動きはわかったそうだが、情報をあげても日本は攻撃するにも守るにも飛行機も爆弾もなかった。いまさらながら呆れる軍国。

それは別にして、北村は詩に暗号のような言葉遊びを施している。ある詩には恋人への愛の言葉を組み込んでいる。56歳の恋、相手は少年時代からの友の妻。この恋愛については関係者たちも本に書いている。

 書名は北村の詩「センチメンタル・ジャーニー」にちなむ。

〈もともとぼくは「センチメンタル・ジャーニー」と題をつけるくらいだから、そのようなタイプの詩を書いているけれども、感情的と感傷的とでは日本語としてずいぶん違うと思うんです。センチメンタリストというのは感覚的な人間であるということです。それでいえば、老年の入口に入って、感覚なんてものが新鮮になりようもないのだけれども、自分としては若い人とつきあっておもしろいし、街を歩いていても我ながらおもしろい感覚で街を見ているなという気もしたんです。(後略)〉

 夜、テレビの何度目かわからない寅さん映画で、家庭ある者同士の恋を歌う島唄が流れた。恋は熱く燃えても、辛い。想像だが(関西では断言しておいて、しらんけど! と言う)。

(平野)

 

2021年3月4日木曜日

江戸問答

 3.2 朝から雨、強風、さくらんぼの花、まだ散らないで。ヂヂは雨にも風にも負けずに図書館。午後、元町事務局原稿持参。

 夕飯、ヂヂババ、ひなまつり祝う。LINE電話で孫が、自分がいないのにパーティーしてズルイ、とダダこねる。



 Web元町マガジン343号更新。拙稿は、諏訪山と漱石・子規。

https://www.kobe-motomachi.or.jp/motomachi-magazine/townnews/

 

 田中優子 松岡正剛 『江戸問答』 岩波新書 1000円+税



本書の柱は、「見立て・やつし・俳諧化・連・もどき」。江戸は「もとの存在」を見立てる、やつす、俳諧化する、もどくことを中心に次々と「デュアル(二重)」な表現を生み出した。

「この対談は、江戸時代をめぐる、いわば文明論です。(中略)ひとまとまりの文明である以上、事実は相互に関連し合っており、それらは複雑な編み目のなかに明確な価値観をにじませていて、それが崩壊していくときには、相互の連鎖が断ち切られながらも、何かしらが受け継がれていくのです。/明治は何を受け取って何を拒絶したのか、そのことが、私たちの近現代に大きな意味をもったことは、まちがいありません。その近現代の価値観を、俯瞰的に見ることによってしか、今の行き詰まりは乗り越えられそうにありません。(後略)」(田中)

「江戸問答とは、あらためて江戸を問いなおすということであり、江戸の社会文化から今日に響きうる問答をおこそうということだ」(松岡)

 思想、伝統芸能、文芸、浮世絵、ファッション、粋、鎖国と開国……、現代につながる問題を問答。

古代や中世に比べ、江戸はあんまり重要に見られてこなかったのかも。たとえば「鎖国と開国」。「開国」に価値を置きすぎて、「鎖国」が敗戦の原因という意見もあるよう。「鎖国」といっても、外国人は来ていたし、貿易したし、世界の情報は入っていた。

 

 ヨソサマのイベント

ギャラリー島田

http://gallery-shimada.com/

 


 「加川広重巨大絵画が繋ぐ東北と神戸」の記録 

36日~31日(1819日休み)

フランス・ペルシュからの贈り物――10年目の“11/3/11 FUKUSHIMA”

 震災の街、厄災の今――ギャラリー島田コレクションより 

36日~17

 加川広重展 3.11 夜が明けるまで

320日(土)~31日(水) 11001800(最終日は1600まで)

トークイベント、211500~ 「加川広重:巨大絵画を語る」 要予約・無料

 2013年から2015年まで3回にわたって、神戸KIITOで文化支援活動「アートエイド神戸」「アートエイド東北」は加川広重の巨大震災絵画を展示した。16年にはフランス在住の日本人美術家が奔走し、南ノルマンディーのペルシュで縮小版レプリカを展示、海外の作家11人も「フクシマ」をテーマに作品を制作した。今回は巨大絵画ではないが、ギャラリー地下空間全体を使って加川展を開催。フランスとKIITOの展示の様子も紹介。

(平野)

2021年3月2日火曜日

ジャックポット

 2.25 ギャラリー島田DM作業。3月の予定は、阪神淡路大震災、東日本大震災とアート。詳細後日。

  2.27 図書館。トーア・アパート・ホテル創立者「西川荘三(しょうぞう)」のこと。神戸新聞(1993530日)は「港都の立志伝中の人物の一人」と書いていたけど。もうちょっと調べてみる。

 PR誌「波」3月号届く。表紙は、筒井康隆筆、子息・伸輔画。昨年2月子息逝去。文は子息を悼んだ「川のほとり」冒頭部分。新刊『ジャックポット』(新潮社)収録。本の絵も子息。

「ジャックポット」というのは賭け事で大当たり、らしい。「波」の松浦寿輝との往復書簡で、

……「大当たりの年」などと言う中に他の多くの不幸も含ませているつもりでした。今となってはすべてを大当たりと、改めて笑い飛ばすつもりもあったと思います。(後略)〉

人は皆悲しみ苦しみを抱えている。でもね、作品は筒井パワー全開。

 


 2.28 「朝日歌壇」から。

〈卒論が終わり私は人になる本を読み時間を食べる人 (富山市)松田梨子〉

〈秋田から本をありがとう百歳の元気な歌人のひいおばあちゃん (藤枝市)石塚文人〉

  3.1 春だ3月だ。関西は緊急事態宣言解除だが、浮かれてはいけない。ヂヂの生活は変わりない。黙々働くだけ(?)と言いつつ、今日は仕事休み。陽気いいので元町に散髪行って、BIG ISSUE402、特集は「ふくしま 10年という時間」。



(平野)