2021年5月27日木曜日

風の便り

  5.27 かかりつけ内科診療。コロナワクチンはここで接種してもらえるそう。まだまだ先のこと。夕方市役所から案内と予約券が届いたけど、急ぎません。

 小山清 『風の便り』 夏葉社 1600円+税

 1911年東京浅草生まれ、1965年死去。太宰治に師事。新聞配達や炭鉱で働きながら執筆。51年から53年にかけて3度芥川賞候補。本書は随筆11編。生活は恵まれなかったが、文章は清々しい。

「夕張の友に」

〈君が所帯を持ったことも、子供が生まれたことも、風の便りに聞きました。この世の中には、風の便りというものがあって、こちらがべつに求めることをしないでも、消息を聞かせてくれるものですね。(中略、小説の中に友の故郷や名前を借用)大袈裟にいえば、それは僕の創作作法ですし、また生きて行く上の心のめど(、、)でもあるのです。僕はむかし、小説家を志願したときに、こんなことを思いました。「好きな人のことを褒めることで生涯を送りたい。」〉

「矢車の花」

〈(散歩の足をのばして太宰の墓に行く)私には改まって墓参をする気持はないが、ときたま散歩の途中でふと行ってみたくなり、墓のまわりをうろついて帰ってきたりする。こちらもなにか話しかけたい気にもなるし、また太宰さんの方でも、なにやらぼそぼそいうような気もする。〉

「風の便り」

〈僕が生きているとき、君も生きている。あんまりボシャボシャ雨が降ったり、あんまり夜がまっくらだったり、それに、生きているということがどんなことだか、僕にははっきりわからなかったり、今日もボンヤリ、僕はと云えば、しているだけだけれども。〉

 


(平野)本の写真、孫のおもちゃを借り、ついでに持ってもらう。



2021年5月25日火曜日

モダン語の世界へ

 5.23 図書館の本、書き込みや落書き、よくある。古い本だと複数の手によるものもある。「誤字」と思われる文字に重ねてボールペンで訂正していて元の文字が不明。「誤字」かどうかもわからないではないか。

 5.25 孫と公園。たくさん遊んで、帰り道の「あるけないー」はいつもどおり。帰宅しママの顔を見たとたん、すり傷が痛いと泣きべそ。昼ご飯食べ始めたら、痛みはどこかへ飛んでいった。

 買い物に出て、本屋さん、久しぶりに昔なじみの刈りあげ娘のレジにあたり挨拶。

 山室信一 『モダン語の世界へ――流行語で探る近現代』 岩波新書 1040円+税



 PR誌「図書」連載。著者は京都大学名誉教授、思想連鎖史。思詞学という方法をとる。

「浮遊する言葉を摑み取って、並べて、読んで、考えて、自分なりに関連づけて、いつでも連繋して引き出せるようにしておく」。すぐには役に立たない言葉の収集作業。

 本書のテーマは「……日常の衣食住や娯楽などの生活場面で使われる言葉がいかに世界的つながりの中で飛び交い、しゃれや語呂合わせ、こじつけや転借・転訛などを伴って言語文化として広がったのか、その時代的な意義とは何なのかを訪ね歩くこと(後略)」。

さらに、「モダン」は「近代」「現代」と訳されるが、「二つのモダン」はどこが、どう違うのか、を考える。

「モダン語の時代」を1910年から39年まで30年の時間で考える。約100年前の日本は、日露戦争、第一次世界大戦の「二つの戦後」、第一次世界大戦と日中戦争・第二次世界大戦の「二つの戦前」という時代にあたる。

モガ、モボなど新語、外来語、流行語。映画、音楽、風俗、エログロナンセンスに支那趣味。新たな文化が生まれた。「モダンガール」とそこから派生した多くの言葉の背景には女性の社会進出があり、あからさまに性の対象として表わし、蔑視がある。進歩的で、ユーモアがあるように見えても、差別、偏見に加担し、権力、暴力を内在する言葉がある。戦争景気、不況、革命など社会や世界情勢に関わる言葉も浸透した。グローバル化は始まっていた。

1930年の時点で、大宅壮一は「現代としてのモダン」を

〈「モダン」とは時代の尖端を意味する。しかもその尖端たるや、本質的生産的尖端ではなくて、末梢的消費的尖端である〉と総括した。

資本主義は、「広告宣伝によって次から次へと新奇な流行を造り出すことで消費の欲望を刺激し、モダンの尖端を永遠化する」。

 現代社会は環境問題、ジェンダー、新たな冷戦、格差と分断など多様な課題を抱える。コロナウイルスもある。インターネット上には無数の言葉があふれている。100年後の人はどう検証するだろう。

(平野)

2021年5月23日日曜日

チャリング・クロス街84番地

 5.22 パパさんから手紙、横浜ヂヂさんからワークブック届いて、孫ご機嫌。

晴れ久々。孫と公園から図書館行ってスーパーで買い物。公園でちょっとケンカ。図書館で仲直り。スーパーでまたケンカ。ダッコして和解、重い。

 ヘレーン・ハンフ編著 江藤淳訳 『チャリング・クロス街84番地 増補版』 

中公文庫 820円+税



 1949年、ニューヨークの脚本家ヘレーン・ハンフがロンドン・チャリング・クロス街84番地の古書店マークス社を新聞広告で知る。手紙で英文学、聖書、、歴史、思想書などを注文。初めは杓子定規な文面だが、次第にヘレーンが冗談を交じえ、苦情、督促、本の感想を書き送る。

〈フランク・ドエルさん、あなたは(、、)()なさって(、、、、)いらっしゃるのですか? (、、)()して(、、)いない(、、、)のではないのですか? ただすわり込んで(、、、、、、)いるだけなのでしょう。(中略)さあ、すわってばかりいないで、捜しにいってくださいね。まったく、おたくのお店、よくそれでやっていけますわね。〉

担当ドエルはあくまで真面目に返信、送品。

第二次大戦後、イギリス国民は食糧配給制で困窮していたよう。ヘレーンがたびたび食糧を寄贈。社員や家族が礼状を書く。ドエルは感謝を述べても対お客という立場を崩さない。社員・家族の手紙から、ドエルがヘレーンを大事に思い、彼女が選ぶ本から人柄を理解していることがわかる。ドエルの推奨本が増えていく。

 ヘレーンも古書店の人たちもロンドンで会える日を待ち望むが、叶わぬまま手紙と本と贈りものによる交流が20年続いた。

 原著は1970年刊。邦訳は80年講談社、84年中公文庫。本書では〈「チャリング・クロス街84番地」その後〉を増補。書店「Title」辻山店主のエッセイもあり。

(平野)

2021年5月20日木曜日

色川武大という生き方

 5.20 あめがふります。木曜は孫とヂヂ留守番。いっしょにゴミ出し、近所のなかよしおばちゃまおじちゃまに朝のあいさつ。

トランプ、絵本、運動。

トランプは彼女がルール、都合よく変わる。ヂヂはどんなゲームか理解していない。

 


 田畑書店編集部編 『色川武大という生き方』  田畑書店 1600円+税



 色川武大(192989年)。色川名で純文学、阿佐田哲也他の名で娯楽小説を執筆。ギャンブラーで難病を抱え、最後の無頼派と言われる。本年、33回忌。

 本書は全集全16巻(福武書店、199193年)の月報・解題をまとめる。執筆者33名、先輩、友人、後輩らが色川の魅力を語る。既に多くの人が鬼籍に入った(おひとり、長く色川の父と文通をした人が連絡先不明)。

 立川談志の表現が的確。

〈私の色川武大兄(アニ)さんは、先生は何ともいい人で……いい人とは露骨にいやあこっちにとって都合のいい人のことで、私の識りたいことを書いてくれて、聞きたいことを教えてくれて、行くとごちそうしてくれて、飲ませてくれて、相談に乗ってくれて、私の統(ひき)いる立川流落語会の顧問にもなってくれていた。/なにそれは私にばかりではない。色川先生を知る全ての人がそういっているのだから、早く死ぬ訳である。あれぢゃあ身体がいくつあったって持ちゃあしない。死んだほうが楽である。〉

 文学史上のスターを父に持つ作家と同時に文学賞を受賞したとき、祝いの会で酔った関係者がその人にしつこく絡んだ。父親に比べクズ云々と。見かねた色川が相手の男を諭した。

〈親への愛情は愛情として疑ってはいけないものだと思いますよ。他人がそれについて、言うべきものではありません。ねえ、そうでしょう。ぼくだってそうだし、あなただって、そうでしょう。だから、もうやめにしましょう。〉

 色川も父親のことをたくさん書いている。

年譜を見ると、戦後の5年ほど博打で喰いしのぎ、家出して各地徘徊、どこで何をしていたのか本人も記憶混沌、とある。さまざまな修羅場を経験しただろう、他人に助けられただろう、と想像する。

 私はギャンブルする度胸はないし、麻雀も知らない。人間の弱さや欲、どうしようもなさ、性というか業というか、は何となくわかる。『うらおもて人生録』で人生の「運」について考えたし、96敗を狙え、に納得した。私は負け越しだろうが、かけがえのない勝があると思っている

(平野)

2021年5月18日火曜日

曲亭の家

   5.16 薫風を感じる間もなく梅雨入り。外で遊べない。

 5.18 孫と散歩、元町5丁目の走水神社お参りして、スーパー買い物。アーケードにツバメ、巣作り中あり、子育てカップルも。

ギャラリー島田DM作業、先月は参加できず。今日伺ったら、WAKKUN展と上村亮太展が始まっていた。遅ればせながら紹介。

 WAKKUN展 もらった種とまいた種


 

 上村亮太展 前庭ヴァカンス

 


両方とも515日(土)~526日(水) ギャラリー島田

 

 西條奈加 『曲亭の家』 角川春樹事務所 1600円+税



 うすぼんやりと、馬琴の息子の嫁が馬琴晩年の「八犬伝」完結部分の代筆をしたことは聞いたことがある。

 主人公は曲亭馬琴(滝沢馬琴)の息子に嫁いだ女性・お路。

 舅は稀代の戯作者、その性格は横暴。お金に細かく万事うるさい、目下には厳しいが、人づき合いは苦手。本人、姑、夫も病持ち・癇癪持ち。この家に女中は居着かない。

お路も負けていない。あまりの理不尽に嫁入り3ヵ月半で家出する。そりが合わなくても家風に馴染むしかない。夫は肉体的にも精神的にも虚弱。彼も偉大な父の犠牲者。お路は夫の暴力で流産するが、次第に自分のやり方で家庭で確固たる立場を築いていく。

〈表向きは嫁として仕えているものの、その実、上でも下でもない。むしろこの家の扇の要となっているのは、いまやお路である。これはお路だけではない。世の嫁や妻は、おしなべてその立場にいる。〉

 夫病死。馬琴は眼を病み、お路に口述筆記を頼む。お路は固辞するが、版元が派遣する筆耕者は誰も務まらない。馬琴は何人も辞めさせる。彼らの誤字・誤記を確かめる術がない、と。他人を信用しない馬琴がお路を信頼した。難解な漢字、ふりがな、言い回し。馬琴の嫌味に説教、感謝の言葉もない。なかなか進まず、互いに苛立つ。

〈舅への不満ばかりではない。できないことが悔しく情けなく、人前で滅多に泣かないお路が、歯を食いしばりながら何度も涙をこぼした。目の前にいる舅には気づかれぬよう、嗚咽を堪えたつもりだが、馬琴も察していたに違いない。むっつりとした顔で、しばし黙り込み、そのような気遣いすら癪に障った。〉

 お路は馬琴の叱声に精神的にも肉体的にも限界。これまで馬琴のために家族たちが犠牲になったのだ、と不満・恨み爆発。気晴らしに買い物に出ると、市井の読者たちが「八犬伝」の続きを楽しみにしている声を聴く。馬琴が半生を費やした作品を読者が待っている。

〈ふいに天啓のように、お路は悟った。/読物、絵画、詩歌、あるいは芝居、舞踊、音曲――。/衣食住に全く関わりのないこれらを、何故、人は求めるのか?/それは心に効くからだ。精神(こころ)にとっての良薬となり、水や米、炭に匹敵するほどの生きる力を与える。〉

 馬琴の物語を受け止め、書き留められるのは自分しかいない、とお路は家に戻る。

 (平野)

2021年5月16日日曜日

氏名の誕生

   5.13 ママ検診。ヂヂは孫と公園。遊具で背中を打って泣きみそ、「もう歩けなーい」。帰り道に図書館。遊び疲れて、児童書コーナーでこけまくる。図書館出て、「歩けなーい」。「じゃあごはんもたべられないね」「たべられるー」。食い気はくじけない。



  5.15 朝日新聞読書欄、小沢信男追悼コラム(津野海太郎)。



私事、元町原稿の久坂葉子関連で同人誌「VIKING」のことを少し取り上げる。小沢もかつて同誌「乗組員」だった。

 尾脇秀和 『氏名の誕生――江戸時代の名前はなぜ消えたのか』 ちくま新書 

940円+税



 著者は神戸大学経済経営研究所研究員、佛教大学講師、専門は日本近世史。本書は江戸時代から明治初めの人名の変化を見る。

江戸時代、「名前」と「姓名」は別の用途のもとで併存。また武家社会と公家社会では異なる常識があった。私たちが現在使う「氏名」の制度は明治政府によって作られた。

私たちは戸籍上の氏名が唯一絶対の「本名」。改名できるが容易ではない。私たちの「氏」は姓、苗字(名字)、家の名前。「名」は個人名。

武士は幼名、成人名、当主名、と改名する。世間では姓+役職名=「通称」で呼ばれる。

 歴史上の人物・松平定信という人名は「苗字+実名」だが、その時代には本人もまわりもそう呼んでいない。老中「松平越中守」=「苗字+官名」である。「越前守」「播磨守」「摂津守」など本来は朝廷が任命する地方長官だが、実態は失われている。将軍が朝廷に官位としての叙任を要請して、将軍が改名を許した。一般武士は「通称」に「擬似官名」(主膳、監物など)や「一般通称」(~郎、~衛門、~蔵など)をつける。父祖の名を継ぐことも。

公家社会では古代からの複雑な位階、官の規則・作法があった。称号+官名・通称に一族の「姓名+尸」=実名が続く。たとえば、「正二位行権中納言藤原朝臣光成」(じょうにい・ぎょう・ごんのちゅうなごん・ふじわらのあそん・みつしげ)。

明治の「王政復古」で朝廷勢力は人名の作法を政府、府県の役職にも広げようとした。武家・庶民の官員も従うのだが、日常生活に必要のない「実名」「本姓」を設定し、その「姓名」を人名の本体とする。わけがわからない。破綻する。新政府の目指す、国民の管理にそぐわない。管理の第一は徴兵のためである。明治55月、政府は官員、士族、華族に「通称」「実名」どちらかにせよと布告。平民も同様に適用した。「氏名」の成立である。

 文化・慣習は時代に応じて変化していくが、明治の「氏名」成立は、急激で特異な事情により上から政治的強制的におこなわれた。だからといって昔に戻すことはできない。

〈人名とそれをとりまく常識は、今後どんな形に、どんな理由で、どれほどの時間で変わっていくのか――それは誰にもわからない。/だが人名は社会を映す。これからもその事実は、変わることはないであろう。〉

(平野)

2021年5月13日木曜日

感染症と経営

 5.11 孫と家から少し離れた公園。ご近所の子たち、保育園の子たち、みんな孫より少し幼い。顔見知りなのか、初対面なのか、ママ友たちの輪が自然にできている。これも子どもたちの力でしょう。孫はめいっぱい遊ぶ。ママから、泥んこ遊びはダメ、と言われていても、砂場があればしたい。すべり台はお尻だけではなくて全身ですべる。当然服は汚れる。汗もかく。ヂヂはいつまで相手ができるかわからないけど、今いっしょに遊ぶ。


 清水剛 『感染症と経営 戦前日本企業は「死の影」といかに向き合ったか』 

中央経済社 2200円+税



私たちは医学、医療技術、衛生環境が進歩している世界に生きている。もちろんまだ解決できないこともある。

昭和戦前・戦後、「死」は現在よりも身近にあった。人の寿命は短かった。病であっけなく死んだ。戦争もあった。結核は死病だった。「女工哀史」の女性たちは劣悪な衛生環境・労働条件のもと、感染し、解雇された。使い捨てだ。彼女たちは故郷に戻り、そこで感染を広げた。本書で、軍が兵力となるべき男たちの健康を危惧し、おかげで労働条件が改善に向かった、と知った。皮肉な話である。

著者は「死の影」の下で、当時の企業が労働者、消費者、株主に対してどのような行動をとったのか、を振り返る。そのことから現在の企業はコロナウイルスにどう立ち向かうか、「ウイズ・コロナ」「コロナ後」にどう対応していけばよいのかを考える。

 「死」が身近だった社会を小説・映画など文化の面からも紹介する。また、経営者にも、将来の不確実性に備えて支出を減らし貯金する人と、自己満足のために浪費する人の2種類に分かれる、という。企業スポーツ発展についての考察・分析もユニーク。

 コロナウイルスは現在進行中、さらに変異していく。現代社会も先行きは「不確実」、私たちも「死」の身近にいる。多くの人は事故や病気が突然襲ってくることを考えているだろうか。コロナによって思い知らされた。

企業は存続していかなければならない。利潤追求だけではいけない。社会貢献、文化・芸術支援も大切。労働者、消費者、株主と新しい関係を構築し、労働者が気持ちよく働けて誇りを持てること、株主が応援してくれること、消費者に信頼され尊敬されることが重要。

(平野)ニュースで、国内主要企業の決算が報道されている。国内過去最高の純利益を上げたところがある一方、有名企業が苦境に陥っている。

コロナ禍で破綻した会社、個人経営の商店もある。まだまだ増える。

2021年5月11日火曜日

神戸港内外商家便覧

 5.9 孫と遊んでいて、彼女もご機嫌悪い時がある。こちらもついつい怒ってしまう。ケンカする。で、また遊ぶ。おんなじラベル。

 先日花森書林で購入した本。旧家から出たそう。

 『神戸港内外商家便覧』 著述者兼発行人 廣川繁四郎 明治廿六年出版









当時の職業名鑑。全160ページ、広告16ページ。定価30銭。

茶商「放香堂」、牛肉「大井商店」、煎餅「亀井堂」、薬種「赤壁」(現在は写真材料)は今も続いている

工芸職人、医師、弁護士から寄席・芝居小屋など娯楽施設、柔術家、力士、水泳術家、詩人、文藝、浮世絵師、浄瑠璃などの項目も。紺屋、湯熨斗洗張、呉服かけつぎ師という職業も。

お相撲さん(11名、磯島久吉、長龍松蔵、玉ヶ関金次郎他)が神戸に住んでいた。詩人では「橋本海關」(儒学者。画家・橋本関雪の父)。

書肆は、「寳文軒吉岡支店」(のちの宝文館)、「久榮堂熊谷幸助」「船山堂郷國三」など5軒。新古書林では、「日東舘石丸書肆」(のちの日東舘書林)、「福音舎土井書肆」など13軒掲載。

 「米穀並肥料商」に「北風正造」の名がある。北風家は歴代豪商として知られる兵庫津の廻船問屋。幕末から明治初め、当代「正造」は国家事業や神戸の開発事業に多額の資金・財産を提供した。大番頭の死、当主の病もあり、次第に没落。本書刊行の年、名門「北風商店」は倒産する。

 付録に官公庁幹部、議員、学校、寺社、居留地外国商の名もあり。「神戸商業学校 校長」は平生釟三郎(のち経済界に転身。甲南学園創立者のひとり)。「貴族院議員」川崎正蔵(川崎造船所創立者)。

 以前紹介した『豪商神兵湊の魁(ごうしょう しんぺい みなとのさきがけ)』(明治15年刊)は会社・商店名鑑であり観光案内。店舗風景、街並みの銅版画が豊富だった。掲載に広告料を取ったようで、有名店でも登場しないところがあった。1975年神戸史学会が復刻。2017年に神戸史談会が解説付きで復刻、『明治の商店 開港・神戸のにぎわい』(神戸新聞総合出版センター)。

それと比較すれば、本書は純粋に職業名簿。神戸市立図書館には所蔵されていない。国会図書館にはある。

(平野)「みなと元町タウンニュース」345号、Web版更新しています。拙稿は「諏訪山界隈8」西東三鬼後編。

https://www.kobe-motomachi.or.jp/motomachi-magazine/2021/05/02/townnews345.pdf

 

2021年5月8日土曜日

「本のある場所」のいま

   5.3 孫のパパさんから本のプレゼント。パパさんが編集した本をわざわざ本屋さんで買ってくれた。読んでから紹介。

 5.6 ママが産科検診、ババは仕事、孫とヂヂ留守番。コープさん受け取って、散歩に出る。おもちゃの双眼鏡持って湊川神社一巡りして、地下街から神戸駅。長い階段を登って降りて。孫は途中から、「疲れて歩けな~い」。パン買って帰る。



午後、元町事務局原稿届けて、買い物。途中セ~ラ編集長に出会う。

BIG ISSUE406号、特集「コロナ禍で考えた民主主義」。インタビューは映画「HOKUSAI」主演二人、田中泯・柳楽優弥。



デパート阪急は平日のみ地下食品売り場だけ営業。連休明けで混雑。

本屋さんで「ダ・ヴィンチ」6月号、南陀楼綾繁が〈「本のある場所」のいま〉東日本大震災被災地を取材。



〈本を書く、本をつくる、本を売る、本を残す、本を伝える。震災から10年、被災地の人たちはそうやって「本の世界」を築いてきた。その世界は本当に多様で、深く、豊かだった。あの震災は多くの悲しみと禍根を残したが、本がああることの大切さや本というメディアの強さを認識させる機会にもなった。〉

花森書店で本を買ってもらう。ワンパターンの泣き落し、「孫のおむつ代(二人目)お恵みを~」。兵庫津の旧家が処分したと思われる本多数あり、詩集などを選ぶ。手元不如意につき、取り置きお願い。

 5.7 村田耕平さんご家族から納骨法要終了挨拶状届く。村田さんからいただいたご恩を忘れず、ご冥福をお祈りする。

(平野)

2021年5月3日月曜日

日々スムース

 4.30 仕事先の居住者さんから大型冷蔵庫搬入のお知らせ。私の勤務日ではないので入口自動ドアを広く開ける鍵を貸し出し。「大型冷蔵庫」と聞いて、思わずチュートリアルの漫才のように食いついて雑談しようと思ったけれど、自重。コロナ前なら絶対やっていた。

 5.1 連休前半天候不安定、雨、風、寒い。孫と遊ぶ。口が達者、憎まれ口・イジワルも言うが、とっても楽しいヂヂバカちゃんりん。

 山形梢編集 『赤ちゃんと百年の詩人 八木重吉の詩 神戸・育児篇』 

ほらあな堂 500円+税



 八木重吉(18981927年)は29年の短い生涯で4年間を神戸で暮らした。結婚して、二人の子どもが生まれた。

重吉が神戸在住中に詠った子育ての詩を紹介する。

4は、妻のお腹に第一子が宿っている時の詩「幼い日」。西宮市の夙川公園にこの詩碑があるそうだ。

本書編集者も子育て真っ最中。重吉の詩に自身を重ねる。育児中の親たちにもエールを贈る。

 

 林哲夫 『日々スムース daily-sumus 2006-2008』 書肆よろず屋 頒価1000

 画家、古書愛好家の林哲夫のブログ〈daily-sumus〉開設15年を記念して、初期3年分から選んで書籍化。個展、著作、装幀、講演や古本イベント、本に関するウンチク、書友との交流、見聞きした世間噺。古書市・即売会に力が入るが、ガツガツしない。混雑している場所は避け、遠くから眺める。知人の買い物や情報は気になるけれど、自分の収穫をほめられたら、「単純によろこぶ」。海文堂と福岡店長の話題も出てくる。

表紙の写真は065月に古書即売会で入手した本、西條八十『砂金』(尚文堂書店、19205版)。

限定500部、サイン入り。

 



(平野)孫の手を借りる。

2021年5月1日土曜日

かんさいはぎゅうすじやでー

  4.29 ハマッ子の孫がどんどん関西弁に馴染んでくる。絵本『おでんのおうさま」(山本祐司、ほるぷ出版)に出てくるおでんのセリフ、「かんさいはぎゅうすじやでー」がお気に入り。

 雨の中ひとり買い物に出て、乙仲の〈1003〉。昨年末に移転。ますますヂヂは不似合いなおしゃれな本屋さんに。商売の邪魔にならないようにしましょ。『赤ちゃんと百年の詩人 八木重吉の詩 神戸・育児篇」(ほらあな堂)購入。



 田中優子 小林ふみ子 帆刈基生 山口俊雄 鈴木貞美

『最後の文人 石川淳の世界』 集英社新書 880円+税



 なぜ今、石川淳か? キーワードは「自由」。

 現代社会はグローバリズム、新自由主義と言いながら、人びとの自由はむしろ制限され、格差、分断が拡大。執筆者たちは、自由と不服従の精神を体現する石川淳の文学を読むことを提案する。

 1938(昭和13)年、石川が「文学界」に発表した「マルスの歌」は反戦的という理由で、雑誌まるごと発禁処分になる。「反戦」小説ではなく、戦時下の同調圧力への違和感、不服従を表現したもの。

〈戦時下の言論統制で自由な執筆がままならないなか、石川淳は(江戸)に留学した。これはまず第一に同時代への〈不服従〉の実践であったが、その留学先で〈知的自由〉を体験し、江戸人の〈精神の運動〉に触れることになる。〉

 戦中は江戸文化評論執筆。戦後すぐに小説再開。1971年から80年、〈江戸〉研究の成果を小説に活かし、長篇『狂風記』を完成させる。

  私は本屋新米時代石川について、〈無頼派〉というくらいの知識しかなかった。岩波の『石川淳選集』を読んでいる先輩が、江戸の香りを残す最後の文人、と教えてくれた。

 

■ 『隣町珈琲の本 mal”02』 合同会社 隣町珈琲(トナリマチカフェ)

1400円+税



 東京都品川区の荏原中延にあるカフェ「隣町珈琲」が発行する文芸誌、第2号。「mal」はフランス語で不良とかワルの意味。本号特集は「記憶の中のと街」。

関口直人・島田潤一郎・平川克美鼎談 『昔日の客』が残したもの

岡崎武志・荻原魚雷対談 安い古本と高円寺がオレたちの青春ダ!!

山本善行 『善行堂』は「街の灯」になれるか

平川克美 町から本屋が消えた日

 他に、内田樹、森本あんり、春日武彦、佐々木幹郎、小池昌代、三砂ちづる、小田嶋隆ら。

 

(平野)