2020年9月21日月曜日

がちゃがちゃどんどん

 9.19 孫と散歩して、買い物に付き合ってもらう。帰ってきて絵本読みするも、孫は疲れて途中でダウン。小沢正・佐々木マキ『きつねのホーシュ』(サンリード、1979年)。
 9.20 孫と絵本2冊、元永定正『がちゃがちゃ どんどん』(福音館書店、1990年)とヤノーシュ『おばけリンゴ』(やがわ・すみこ やく、同、1969年)を読んでから、散歩がてら図書館。入口近くで表紙見せて陳列してある本からさーっと5冊選ぶ。あれにしようこれにしようか、というのがない。話が早い。帰ってきて続けて3冊読む。読むヂヂも聴く孫もちょっと息切れ。
 毎日新聞・きださんから電話。先月取材してくださった「みなと元町タウンニュース」の宇野千代と元町の記事、21日朝刊兵庫県版に掲載のお知らせ。ごめんどうかけて、申し訳ない。ありがとうございます。  9.21 毎日新聞記事、こちらで読めます。 https://news.yahoo.co.jp/articles/33bd9e7e181c0bd0d0cd46f3f23f4fd975e08c28
(平野)

2020年9月20日日曜日

つるかめつるかめ

 9.13 ブログの仕様が変わってしまって、字体も色も思うようにできない。以前は元のやり方に戻せたけど、今回できない。何もわからんでやっているヂヂ。慣れたらなんとかなるでしょう。  9.14 有給休暇。お彼岸前後はお天気心配なので、早めに墓参り。仕事は代わりの人が入ってくれていて、15日は私が彼の仕事に入る。  9.15 臨時仕事の帰り道、本屋業界の先輩と遭遇。今は須磨地域の世話役さんで走り回っておられる。 英文学大狸教授からお手紙、海文堂のポップカードで著書の文庫化を知らせてくださる。コロナで飲み会をできていないから、もうずいぶんごぶさた。うれしいお便り。  9.18 埼玉の岩さんが還暦記念の著書をお送りくださる。音楽、本、それに亡くなった母上のこと。長く介護をしてこられた。大切な思い出だから、大切に読まなければ。  娘と孫が久々の帰省。にぎやかな生活がしばらくできそう。寝る前に絵本一緒に読む。ピーター・スピア『サーカス!』(福音館書店、1993年)、木下順二・初山滋『うりこひめとあまんじゃく』(岩波書店、1984年)。  仕事休憩時間用本、 吉田篤弘『遠くの街に犬の吠える』(ちくま文庫) 〈××になった×××××の××××は「音×××者」だった。(後略)〉  小型録音機で「遠吠え」の音を採取している男性、その左目の瞳は水色だった。
 睡眠導入本、 安野光雅『私捨悟入』(朝日新聞出版) 文学や数学の話、それに普段の生活での疑問、謎。ひらめいたこと、思い出したことをつぶやくエッセイ。鶴亀算が出てきて、暗算を試みるも撃沈。
(平野)

2020年9月13日日曜日

あきない世傳 金と銀九

9.10 閉店後もニュースになる。「毎日新聞」京都・三月書房記事。 https://news.yahoo.co.jp/articles/42593a49aad00c14fa14ae321f2875fbeabbb1d1  

9.11 通勤電車内でボーッと立っていたら、離れた席でちくま文庫を読んでいる男性が目に入った。カバー裏表紙しか見えない。何の本かなあ、残念ながら私の位置からは書名不明。すごーく気になる。  
 北村薫『雪月花』。雑誌掲載時に読んでいたけど、まとめて読んでさらに著者の力量に感嘆する。私の読書や知識でなんのかんの言うのはおこがましい。  
 特に「ゆき」は読後膝を叩き、ほっぺたをしばいた。三島由紀夫は賞に恵まれなかったという話から、「潮騒」の文学賞受賞を祝う集まりの話に。先輩の大物作家たちが悪趣味なプレゼントや連歌でいじりまくる。最後に三島が返すことになるが、それを紹介する前の段階、北村の探索が凄まじい、これぞ作家魂。山田風太郎の短篇から雪の日の句、その作者は従来ある殿様といわれているのだが、ほんとうにそうか、調べるほどに謎が深まる。編集者たちも巻き込み謎に挑む。その間、古典資料、テレビドラマ、映画、落語が出てくる。その俳句に関係あるのかというと、ある。7月に雪の探索が始まったそう。あっち行きこっち行きで、真の作者を探し出し、なぜ殿様の作になったのかまで追究していく。けど、謎は謎。雪=ゆきの不思議、「ゆき」のつく作家のエッセイを紹介し、それも見事な幻想短篇小説のよう。三島の祝賀会に戻る。さて、三島はどう返したか。三島の名にも「ゆき」がある。  

9.12 目当ての本があって本屋さんに行って、思わぬ本に出会うことがある。喜びである。シリーズ本で、ああ出てたんや、というのもうれしい。 
  髙田郁『あきない世傳 金と銀(九)淵泉篇』(ハルキ文庫)
 早速開く。次々困難が主人公を襲うのは小説だから仕方ないが、今回は実の妹が浅はかにも敵側に行ってしまう。それでも主人公主従と仲間たちは今できる最大限の努力をする。深い絶望の淵の底から知恵を泉のように湧かせる。以前登場した儒学者が「菜根譚」のことばを説き、励ます。その学者が早世した兄・雅由の学友であるとわかる。超個人的に私は雅由が気に入っている。  
 ヤマザキマリ、とり・みき『プリニウスⅩ』(新潮社)も。
(平野)

2020年9月10日木曜日

雪月花


9.3 まちづくり会館「倉掛喜八郎」展。私が倉掛さんのことを知ったのは海文堂閉店が決定してからだった。何度もギャラリーで個展を開催し、PR誌の表紙を描いてくださっていた。著書で、阪神淡路大震災後の生活再建のため絵から離れたことも知った。

セ~ラ編集長、キダ記者、花森さんと倉掛さんの絵の変遷(帆船、神戸港の船、瀬戸内の島々の人と暮らし)に感嘆。

9.5 台風続けて九州来襲。近畿はさほど影響なし。買い物に出ると多少風あるものの、日光が強くシャツ下の皮膚を刺す。図書館行って、あとは家にこもる。「ひょうご部落解放」本紹介と「みなと元町タウンニュース」の原稿。

9.9 汗の量が減る、早朝布団を手繰り寄せる、確かに秋が近づいている。私の場合はもうひとつ、トイレの回数が増える。
 
 北村薫 『雪月花 謎解き私小説』 新潮社




私小説といえば、自らのドロドロ生活を題材にするものを思い浮かべる。私なりに本書を紹介すれば、読書エッセイ『ユーカリの木の蔭で』(本の雑誌社)、詩歌エッセイ『詩歌の待ち伏せ』(ちくま文庫)の小説版。語るのは、本への愛。春から北村本続けて出て、各社お互い帯にお知らせ。

〈私小説の方法は、情痴小説や家庭の葛藤を描くことにのみ適用されるものではなかろう。/人間の愛や情熱は、さまざまなものに向かう。文字を表現の手段とするものなら、その対象が本を指すのは、いたって自然だ。愛の小説には、そういう形もある。〉(北村薫「愛の小説」新潮社PR誌「波」2020.9月号所収)

(平野)

2020年9月3日木曜日

宇野千代と神戸元町2


 9.1 中央図書館。2階のふるさと本コーナーでよく閲覧している本がある。一見旅行ガイド本なので、「地理」の棚にある。でもね、ちゃうねん。
 若杉慧『須磨・明石・六甲の旅』(秋元書房、1961年)
 作家が自らの神戸生活を振り返りながら、歴史・文化・文学を語る。著名詩人の蔵書が寄付されたのだろう。作家の贈呈サインがある。
 もう1冊、別の作家が戦後まもなくの神戸風景をルポしている本も発見。私にとってはお宝ざくざく。
 
 

 午後、晩飯買い物ついでに本屋さん。家人は、どっちが「ついで」か、と毎回呆れる。最重要必需品を買い忘れていた。

 孫の写真でヂヂバカちゃんりん。先日送った雑貨を少しずつ開けて喜んでくれている。「プーさん出ました!」。
 
 

 9.2 「みなと元町タウンニュース」337号が届く。
拙稿「海という名の本屋が消えた(82)宇野千代「神戸元町風景」(その2)」
 
 

(平野)

2020年9月1日火曜日

待ち伏せに遭う前に


8.29 朝日新聞読書欄で、片岡喜彦『古本屋の四季』(皓星社)紹介。

……神戸市のバス停前で7畳の広さの店を営むこと10年、もうけは考えないという著者が、常連や思わぬ客との折々の交流をやわらかい筆致でつづった。……

 8.31 前夜の雨で、朝は幾分過ごしやすい、と感じたが、日中はやっぱり猛暑。

休憩時間、北村薫『詩歌の待ち伏せ』を開く。一首、一節の解釈に疑問・謎が広がる。それらを丁寧に探っていくと、突如答えやヒントが現れる。まるで「待ち伏せ」していたかのように。
私は北村が「待ち伏せ」に遭う前にヨダレくって居眠りしている。

■ ヨソサマのイベント

倉掛喜八郎「神戸のまち・港・渚」「タコとミカンの島」原画展
~震災前の神戸、瀬戸内を歩いて~
 93日(木)~8日(火) 10001730
(初日は1230から、最終日は1600まで)
 こうべまちづくり会館



(平野)

2020年8月29日土曜日

詩歌の待ち伏せ


8.25 午前中、歯医者さんから散歩。元町駅で「BIG ISSUE」を買って、鯉川筋~城ヶ口~諏訪山公園・諏訪神社。諏訪山公園金星台に登ったのは30年ぶりくらい。だいぶ荒れている。酷暑だし、コロナ禍のせいもあるだろう。私以外では、ベンチに1人、ジョギング姿の人2人。こどもの国(動物園跡)、神社には誰もいない。麓のグランドには子連れママさんたちや走っている人がいた。帰りは掘割、西へまっすぐ行けば平野。かつて稲垣足穂、今東光、田宮虎彦らも歩いた道。再度筋で南へ下る。元町から家まで山回りで1時間。帰宅後、お茶飲んだとたんに大汗。

8.26 夏休み2日目。
朝日新聞「文芸時評」で小野正嗣が小川洋子のニューヨーク・タイムズ寄稿エッセイ「死者の声を運ぶ小舟」を紹介している。

〈戦争体験者が減少し、記憶の継承が困難になっている。だがそんなときこそ文学が力を発揮すると小川は言う。「文学の言葉を借りてようやく、名前も知らない誰かの痛みに共感できる」と。〉

 小川のエッセイはこちらで。
https://www.nytimes.com/ja/2020/08/06/magazine/atomic-bombings-japan-books-hiroshima-nagasaki.html

 図書館で次回元町原稿を仕上げる。

 同日朝日新聞夕刊に「京都・三月書房」閉店後の記事。
https://news.yahoo.co.jp/articles/49c72f14f63f0219e98f78e4b897c6a87607ed1a

 8.28 日吉ミミはベッドで泣いて涙が耳に入ったそうだ。私は額の汗が目尻に入る。眉毛が役目を果たしていない。本屋時代より労働で汗をかく。福岡さんとメールしていたら、彼は本屋時代の方がきつかったそうだ。責任ある立場だったからなあ。
 首相辞任表明。責任ある立場だが。

 本は、北村薫『詩歌の待ち伏せ』(ちくま文庫)。初版は文藝春秋単行本3冊(200205年)、のち文春文庫3冊シリーズ(200609年)。今回3冊を合本。1冊目だけ読んだ詩歌を紹介するエッセイ、だれもが知る詩人だけではなく、無名の人の歌や子どもの詩も。北村の読書、教養によって、詩から詩、歌から歌に、演劇や古典、ミステリ、時に野球へと繋がっていく。

「はじめに」で石垣りんの詩について。前の文庫版で1行空白にしなければならないところが繋がってしまった。「失われた一行の空白」を今回取り戻せたことを、「それだけでも、生きて来た意味を感じます」と告白する。律儀である。別の章でも、「空白も作品のうち」と書いている。ずっと重荷にしてきたのでしょう。改めてことばを紡ぐことの大切さを思う。
 
 

(平野)