2018年6月21日木曜日

雲と鉛筆


 吉田篤弘 『雲と鉛筆』 ちくまプリマー新書 680円+税

 若い人向けの教養新書シリーズ、300点突破。著者と相方さんによるユニット、クラフト・エヴィング商會が全点の装幀を担当している。

 本書は小説。「ぼく」は新聞印刷工場跡の建物の屋根裏に住んでいる。ところどころ崩れた180段の石階段を登る。風呂も台所もない、炊事場は1階まで行かなければならない。部屋にあるのは小さな本棚と古い寝台と子供用の机・椅子、父の遺品の旅行鞄。この部屋で本を読んで絵を描いて暮らす。姉が遠くの国にいる。仕事は鉛筆工場で鉛筆つくり。
 ある日曜日、姉に手紙を書きジューサーミキサーを送り、〈コーヒーが飲める店〉(正確にはコーヒーしか飲めない店)で「人生」とコーヒーを飲み、語る。「バリカン」に髪を切ってもらっていると「ジュットク」がセールスに来た。「アクビさん」の店で眠気覚まし用のお茶を買って「ジュットク」のことを聞き、もういちどコーヒーを飲みに行くと「人生」がいて、また話す。
 本を読むこと書くこと、絵を描くことは著者にも重要なこと。
〈読むことは書くことだと思う。読まなければ書くことは生まれてこない。〉
「ぼく」は子供のために書かれた本を好んで読む。
……すべての本は、子供たちのために書かれるべきだと思う。〉
〈ぼくはたくさんの本を読み、そのおかげで、たくさんのことを考え、ときに徒労とも思える回り道をいくつも重ねて、「本当のこと」を探してきた。
 時は流れ、人もモノも永遠ではない。「思い」を継承するため、次の誰かに託すため、絵・文字・言葉は生まれた。
〈だから、人の「思い」は手で書かなければ意味がない。〉

「ぼく」は17種類の鉛筆で雲を描く。
〈僕の技術が追いつかないせいもあるが、十七本の鉛筆を駆使しても、雲が織りなす微妙なあわいを再現するのは難しい。/風の強い日の雲は刻一刻と、ほとんど秒単位でその姿を変えてゆく。/まさに流転していた。流動していた。〉
 
「人生」は哲学と詩だろう。「バリカン」は手仕事、実直、頑固。「ジュットク」は合理主義だが隠れた人間味もある。「アクビさん」は記憶、郷愁か。
 住まいの新聞工場跡は意味深。
……その新聞には本当のことが書かれていたので、「もうやめなさい」と偉い人にしかられて刷ることをやめてしまったのだ。〉

(平野)地震後にもかかわらず、大阪の方から拙著『海の本屋のはなし 海文堂書店の記憶と記録』(苦楽堂)の感想をいただく。お見舞い申し上げます。ありがとうございます。

2018年6月19日火曜日

安野光雅


 安野光雅 『旅の絵本 』 福音館書店 1400円+税

 安野光雅 『かんがえる子ども』 福音館書店 1000円+税

『旅の絵本』は1977年以来シリーズ9冊目、今回はスイス。これまで13ヵ国・地域の言葉で出版されている。字のない絵本だが、最近は安野の解説がある。
 だまし絵や隠し絵を探そうと、つい目を凝らし、肩に力が入る。リラックスして楽しまなければいけないのに。

 
 


『かんがえる子ども』は、学ぶこと・考えることをテーマにしたエッセイ集。
 私たちは「自分で考える」ことをせずに、テレビやインターネットですぐに答えを得ようとする。失敗しても間違っても、自分で考え判断することが大切。自分で見つけることが楽しい。

〈「考える」ということは、「数学の問題を考える」場合のように、出された問題の答えを考えることだけではありません。「考える」ということは、普通に暮らすことです。(中略)たとえば「晩ご飯のことを考える」だけでもたいしたことですし、「子どもを育てることを考える」としたら大事業です。〉

(平野)私は毎日晩ご飯のことを考えている。赤ん坊と半月暮らして子どもを育てることも考えた。私は大事業を二つもこなしているではないか。昨日の地震後、途中停止した電車内で読んでいた。

2018年6月17日日曜日

国体論


 白井聡 『国体論 菊と星条旗』 集英社新書 940円+税


白井は『永続敗戦論』(太田出版)で、日本の対米従属体制は戦前の軍国主義支配から連続している、と提起。支配層は「敗戦」を「終戦」と言い敗北を認めず、それゆえにアメリカに従属、国民はその構造を経済成長と東西冷戦のおかげで見ずにきた。

「戦前の国体」は、〈万世一系の天皇を頂点に戴いた「君臣相睦み合う家族国家」を理念として全国民に強制する体制〉。反対者・批判者を倒し、破滅的戦争をやめることもできず、多大な犠牲者を出し、〈無惨きわまる敗戦〉と改革を経て、日本は「国体」と無縁になった。しかし、白井は〈現代日本の入り込んだ奇怪な逼塞状態を分析・説明することのできる唯一の概念が、「国体」〉と考える。「国体」は再編されて生き残っている、と。それは日本とアメリカとの関係。アメリカが頂点にいる。

〈……戦後の天皇制の働きをとらえるためには、菊と星条旗の結合を、「戦後の国体」の本質として、つまり、戦後日本の特異な対米従属が構造化される必然性の核心に位置するものとして見なければならない(後略)〉。

 白井は日本近代史を前半・後半に区切り、明治維新から敗戦までの「戦前の国体」=天皇と国民の関係と、敗戦から現在までの「戦後の国体」=アメリカと日本の関係、それぞれの形成・発展・衰退の過程を見る。「戦後の国体」も「崩壊」の局面に差し掛かっている、と説く。

〈「戦前の国体」は、その内的矛盾を内側から処理することができず、解決を体外膨張に求め、そして破滅した。「戦後の国体」は、無論今日では単純な体外膨張など、あらゆる意味で不合理で不可能なものとなっているがゆえにかたちは異なってくるが、やはり同様に内的矛盾を内側から解決する力を欠き、破滅へと向かっている。〉

 原発事故、政権による民主主義無視、市民レベルではヘイトなどの差別、貧困など、私たちは既に「崩壊」の予兆を実感している。
 では、日本、日本人に希望はないのか。
 白井は、冒頭で今上天皇生前退位の「お言葉」に衝撃を受けたと告白。最後に天皇の決断に「人間としての共感と敬意」を表明し、応える。民衆の力、民主主義を信じる。

(平野)
《ほんまにWEB》「奥のおじさん」更新。

2018年6月7日木曜日

あること、ないこと


 吉田篤弘 『あること、ないこと』 平凡社 1800円+税

〈エッセイでも小説でもなく、そのどちらでもあって、どちらでもない本〉
〈詩のようであったり、物語の一部のようであったり、事典のようであった、身辺雑記のようでもあり――。〉



 百科事典形式の小説、タイトルだけ並べて本文のない小説集など。
 私は作り話とわかって読んでいるのだが、それでも読んでいて一体どうなっているのか、読解できない。自分の頭がおかしくなったのか、とも思ってしまう。特に「まっさかさま」は、接続詞で文章が続くのに話がつながらない。別の話が次々出てくる。ひょっとして前出のタイトルだけの小説の本文がここで出現したのか、と何回もページを戻る。というのも、少し前のページに【申し分のない料理に胡椒をかけた男】という章があり、タイトルだけの小説のなかに似たタイトル「申し分のない料理に胡椒をかけた私」があったから。でもね、話と内容の合うタイトルがありそうでない。
 混乱、錯乱して読み終わる。「あとがき」を読んで少しほっとする。吉田は子どもの頃、一人で壁新聞をつくって、ニュース、コラム、小説、まんが、広告、レイアウトもデザインも全部やっていたそう。

〈そうしたものを、毎日のようにつくっていたのが自分のルーツなので、自分がなんとなく目指している創作のかたちは、そうした様々な文章がひとつの紙面に集められたものなのです。〉

 冒頭の「あの灯りのついているところまで」で、語り手が買った古本『ビスケット・コント』著者の言葉を紹介している。
「この取るに足らない話の集まりを、ぼくは〈ビスケット小話〉と呼んでいる。子供たちにビスケットのおやつを配る心持ちで書いたのであるが、その境地に至るまでには長い紆余曲折があった」

 素直な気持ちで読めばいいのだ。

「あの灯りの~」に表された吉田の思いを、「あとがき」で知る。

(平野)
 本を読みながら居眠りして、それでも目は字を追っているのだけれど、ガクンときて目が覚めると、本とまったく違うストーリーを読んでいたことに気づく。今の話なに? と思うのだが、もう内容は思い出せない。そういうことがしょっちゅうある。

 

2018年6月5日火曜日

おなか福福日記


 『佐藤ジュンコのおなか福福日記』 ミシマ社 1500円+税


 仙台イラストレーターの「お腹いっぱい、胸いっぱいのコミックエッセイ!」。ミシマ社のウエブマガジンに連載。

 著者はただうまいもの食ってぐうたらしているのではない。表紙の絵はそうとしか見えないが、彼女の名誉のため申し上げる。仕事、ご近所づきあい、買い物、呑み会、旅、帰省……、多くの人との出会いと共においしい食べ物がある。各地の古本屋さん書店員さん登場。神戸ではワールドエンズ・ガーデンと1003

(平野)
 本書を買った日は大雨。おまけに自分のドジで長時間雨中歩行して、服も靴も靴下もびしょ濡れ。本は無事。本のおかげで身も心もすっきり乾く。
《ほんまにWEB》「海文堂のお道具箱」更新。

 ヨソサマのイベント
 神戸・もとまち古本市

日時 621日(木)~24日(日) 10001730
(最終日は1600まで)
会場 こうべまちづくり会館 元町通4丁目
 

2018年5月27日日曜日

夢の口


 宇佐見英治 『夢の口』 湯川書房 1980

 前回告白、画家さんにいただきながらほったらかしにしていた本。函入り、「定価 弐阡円」の表示。
 
 
 随筆と小説。表題作は、夢の考察。

〈朝、誰かによび醒まされるとき、ついいまのいままで見ていた夢が断ち切られてその切口がいたましく感じられることがある。また別の場合には夢の推圧力が急に強まって、おのずと夢の口がひらいたというように、ぽっかり眼がさめることがある。〉

 夢の残像は光に耐えられず消えてしまう。不思議な夢のときは追いかけるが、「あっというまに夢の口に逃げこんでしまう」。

私たちは、《私が夢を見る》と思っているのだが、荘子「胡蝶の夢」のように、「夢を見ている私が実は他の何者かによって夢見られている」と考えることもできる。荘子は、「大いなる目覚めがあって始めて人生が大いなる夢であることがわかる」とも言う。

今私は夢を見ているのか、目覚めているのか、誰かの夢の中なのか。

敗戦直後に書いた幻想小説「死人の書」収録。悲惨な戦争体験と戦後生活の不安を描く。

(平野)

湯川書房といえば京都のイメージだが、本書出版時は大阪市北区西天満。
 PR誌『季刊湯川 1977 VOL.1』発行当時は同老松町。この号の執筆者は、宇佐見他、加藤周一、壽岳文章、小川国夫、肥田晧三、生田耕作。刊行案内には、塚本邦雄、寺山修司、金子兜太、高橋睦郎らの名が並ぶ。

2018年5月20日日曜日

言葉の木蔭


 宇佐見英治著 堀江敏幸編 

『言葉の木蔭 詩から、詩へ』 港の人 3200円+税
 
 宇佐見英治(19182002年)、大阪市生まれ。詩人、フランス文学者。
 本書は生誕100年記念出版。戦中の短歌「海に叫ばむ」、ジャコメッティ(彫刻家)の思い出や宮沢賢治論など代表作の他、詩論、矢内原伊作(哲学者)、辻まこと(詩人、画家)、志村ふくみ(染色家)ら友との交流を綴る散文を収める。書名は「隻句抄 言葉の木陰」より。
 
「戦地へ携えて行った一冊――山本書店版『立原道造全集 第1巻 詩集』」
 宇佐見は出征のとき、万葉集と立原道造詩集を携行した。選んだ理由。
〈万葉集はいまなお通時的な意味で日本語の格調と力感の宝庫である。戦争が何度起きようと私が死のうと(実際今次の戦争で二百三十万人が戦死したが)万葉集が蔵している古代日本語の韻律と魅力は毫も損なわれまい。/しかし人はそれぞれの時代に生まれ、その時代の言葉で夢見、考え、その言葉のなかで死んでゆくものだ。立原の詩集は彼より四年遅く生まれた私の青春の日々を、その翳りと光を、他のどの詩人よりも、密かに私の心に語りかけてくるように思われた。それは私にとって最も身近な詩集であった。〉

 戦後50数年たって、宇佐美は詩集を読み返し、立原道造論を書く。
〈私は始めて読んだときに劣らず、いやそれ以上に立原の詩を新鮮に感じた。比類のない純真さ、優しさ、若々しさに心をうたれた。〉

 戦地に持っていた本と同じ本――友人から借りた昭和16年刊の詩集を机の上に置く。岩波文庫の万葉集とともに戦地でなくした本だ。
〈私は身の置きどころがないほどに一瞬狼狽し、机上に積みかさねてあった他の本の上にそっとその本をさりげなく置いた。さて数刻おいてその本を開いて読もうとしたが詩行とともに五十年前のさわめきが聞えてくるようでとても読めない。それでも数ヶ月の間に一度は通読し、数度覗いてみた。しかし元の位置にもどすと、本がいつしか視線を持ち、過去が私の所作を見つめているようでまことに落ちつかない。かつてこの本を外地で捨てたという思いが罪障のように五十数年わたしの脳裏に住みついているからであろうか。(後略)〉

 行軍の最中、なくしたのか捨てたのか、今となっては思い出せない。1996年、宇佐見は戦中に作った短歌をまとめ「海に叫ばむ」を出版。
……万葉集についてはあの歌集の出版で、いわば菩提を弔ったといえるかもしれぬ。/してみればたまたま立原道造の詩について寄稿を需められたとき、自分が応じたのは無意識に同じ思いがはたらいて、この小文も、あのときなくしたもう一冊を弔うためにここまで書いてきたのだろうか。そんな思いがわが胸を掠めた。〉

 敗戦間近、宇佐美はコレラにかかる。奇跡的に生還した。短歌とは絶縁する。

「海に叫ばむ 後記」
……戦争の衝撃があまりに強烈だったので、戦争と言葉、毎朝歌わされた「海行かば」の曲調、また先輩詩人や歌人が戦中にかけて次第に理性を失い、鬼畜米英というような語を詩人と称する徒が用いるようになったこと、韻律が蔵する魔力の放擲、定型詩のもつ本来の秩序と転結等について、反省し、なぜ日本の詩歌だけが非人間的戦争謳歌に向ったかを究めねばならぬと思ったからである。そのためには集団的狂気に抵抗しうる知的で高貴な、明澄な日本語を築きあげること、詩よりもまず散文を確立すること、それが先決であると思われた。〉(原文旧漢字)

(平野)宇佐見は兵庫県武庫郡精道村(現芦屋市)育ち、旧制神戸一中卒。
 新刊案内を見てメモしていたが、著者の本は初めて。本屋時代、みすず書房の棚に何冊かあったなあ、くらいの印象で恥ずかしい。で、思い出した。画家・古書愛好家からこの人の本をいただいて、本棚に入れたまま。奥の方にあった、重ねて恥ずかしい。