2024年9月8日日曜日

断腸亭日乗(一)

8.27 大相撲9月場所、98日初日。新聞に新番付載ったので孫に写メール。

〈青山大介×とみさわかよの 二人展 鳥の目・猫の目〉(こうべまちづくり会館)最終日観覧。鳥瞰図絵師と剪画作家が描く元町商店街。

8.28 仕事は夏休み。週末、書店員先輩(現在は聖職者、遠方に赴任中)の帰省にあわせ飲み会予定。台風10迷走、開催危ぶまれる。

8.30 飲み会中止決定。それにしてもこの台風の動きは異常。

8.31 9.1 両日とも図書館入りびたり。作家のエッセイの一部を引用者の記述から孫引きしていたが、編集者に叱られる。「孫引きなどもっての外」。引用資料記載なし。 

作家が神戸の友人を訪ねる。散歩、坂上の公園へ向かう。友人が作家の多忙と疲労を気遣って声をかけてくれる。作家は司馬遼太郎、友人は陳舜臣。

〈かれは何度もふりかえっては、/「シンドイか」/と、くりかえした。〉

 見当をつけた本はハズレ。木を隠すには森の中。「こんなん見つかるか~?」。

さすがの神戸市立中央図書館、ありました~。

9.2 クッスーから残暑見舞い。古書愛好タカさんから著書寄贈。感謝申し上げます。

BIG ISSUE」販売員さんをまたしばらくお見かけしない。猛暑ゆえ無理は言えない。

9.3 野球観戦、燕対巨人。大阪京セラドームで巨人主催試合。観客の九割以上は巨人応援。最終回同点本塁打では球場全体歓声響く。延長の末、燕辛勝。

9.5 地域の資源ゴミ回収日。ゴミ出しに行かなワテがほかされますねん。

午後ギャラリー島田DM作業手伝い。地下閉廊による引越し終了。

9.6 週末、家人たちは旅行。ヂヂ留守番。それぞれが羽を伸ばしている。

 

 永井荷風 『断腸亭日乗 (一)大正六――十四年』 

中島国彦・多田蔵人校注 岩波文庫 1150円+税



 文人・永井荷風(18791959年)は38歳から41年間日記を書き続けた。簡潔だが、擬古文、漢語。ヂヂはチンプンカンプン、辞書引き引き読むけれど、同じ漢字を何度も引く。

 荷風は断腸亭から築地に仮住まいの後、偏奇館に移る。独居、母と行き来するが、親類縁者とは疎遠。

 天気、庭の草木・花、鳥声・虫語、月あかりなど季節の記録。体調不良、しょっちゅう風邪、腹痛、さらに歯痛の苦しみ。読書は漢籍、江戸文学、フランス文学原書。銀座、浅草を散歩し、友と語らい飲み食べる。演劇鑑賞、清元おさらい、句会、執筆と忙しい。ときどきガールフレンドや芸妓とデート。世の中の観察、文壇のことも。

 大正118月の記述から。演劇仲間との会合。会場の酒楼は主治医病院の隣。診察ではなく盃をあげるのは「頗意外の思ひあり」。

〈酔後欄干に倚つて河上を望むに数日前風雨の余波尚収まらず。濁浪岸を撲ち行舟亦稀なり。水風面を撲ち粟肌に生ず。十時半宴散ず。漫歩人形町に至り電車にて帰る。寓居の門を入るに月光廃園を照し虫声雨の如し。〉

 全9冊の第1巻。岩波文庫では『摘録 断腸亭日乗』(全2冊)が出ている。

 荷風さんは人気者。研究者も多い。先月「波」連載川本三郎「荷風の昭和」(全75回)完結。

(平野)

2024年8月28日水曜日

吉本隆明詩集

8.22 早朝、家人と二人台車押して古い家具をゴミ収集所まで運ぶ。「ゴミほかしに行かな、ワテがほかされますんや~」(桂福團治)。

 本屋さんに取り寄せ依頼。遠方の出版社で担当さんにお手間をかける。ややこしいことでごめんね。

 本屋退職後しばらく現役時代の夢を見た。たいがい苦情処理か万引き。久しぶりに見たのはブックフェアで本をどう並べるかという場面。悩んでいるけれど楽しい夢。

8.23 今日は万引き犯を捕まえる夢。怒って目が覚める。

8.24 新聞で見つけた名言。「西瓜はマチスだ!!」。

〈緑色の地肌にタテに走るまっ黒なギザギザの線。/あのギザギザは、マチスが好んで描くギザギザによく似ている。/西瓜はマチスだったのだ。〉

「朝日新聞 be on Saturday 2024.8.24」〈東海林さだお まだまだ! あれも食いたい これも食いたい〉より。

8.25 「朝日歌壇」より。

〈にはか雨ついてないやと駆け込みし本屋のなかで友と再会 (京都市)五十嵐幸助〉

8.26 台風10号、当初の予報よりゆっくり進んでいて不気味。

 

 『吉本隆明詩集』 蜂飼耳編 岩波文庫 1110円+税



 吉本隆明(19242012年)は詩人、思想家。今年は生誕100年にあたる。

思想家として戦後の労働運動、安保闘争、大学闘争など、社会、読者に大きな影響力を持った。詩集も海賊版が出るほど読まれた。

「固有時との対話  

メカニカルに組成されたわたしの感覚には湿気を嫌ふ冬の風のしたが適してゐた そしてわたしの無償な時間の劇は物象の微かな役割に荷はれながらたしかに歩みはじめるのである………と信じられた   〈1950.12〉」

詩のなかに批評が導入され、評論集に詩が収められる。

〈ぼくはいつも批評家を自らの胎内にもつた詩人を尊重してきたのだ。〉「少数の読者のための註」(『固有時との対話』所収)

(平野)

2024年8月22日木曜日

戦争ミュージアム

8.18 「朝日新聞」〈まなび場 天声人語〉で1986818日付「天声人語」掲載。当時川柳人口が増え、新聞・雑誌他さまざまな誌紙にも読者投句欄が設けられる。が、川柳を駄じゃれ、ごろ合わせ、ことば遊びと考える人が多い。時事川柳については、怒りにまかせて作るだけ、スローガン的作品、という批判も。そこで執筆者は鶴彬(つる・あきら)という川柳作家を紹介する。「手と足をもいだ丸太にしてかへし」など反戦の句で知られる。執筆者は「戦争の非情さへの命がけの抵抗」と評する。昭和12年、鶴は治安維持法違反で逮捕され、翌年留置場で病死、29歳だった。鶴にはこんな句もある。「タマ除(よ)けを産めよ殖やせよ勲章をやらう」。鶴の警句どおり、この国の指導者は人の命を虫けらのように扱った。

8.19 久々の雨。西は日照り、東は雨続き、お米の不作が心配。スーパーでも在庫少ない様子。天候の影響はあるが、根本はこの国の農政。

8.21 仕事夏休み。孫電話、相変わらずのハイテンション。小鬼たち夏バテなし。

 

 梯久美子 『戦争ミュージアム――記憶の回路をつなぐ』 

岩波新書 920円+税



 戦争をテーマに執筆するノンフィクション作家。本書は雑誌「通販生活」連載(20202024年)「シリーズ 戦争を忘れない」をまとめる。

〈戦争にかかわる取材を始めてからおよそ二〇年がたち、直接お会いして話を聴くことのできる体験者が減っていく中、私は「もの」を通して歴史のディティールにふれることができるのではないかと思うようになっていった。時間が積み重なった「もの」たちの美しさに魅(ひ)かれたこともあり、あらためて「戦争を伝える、平和のための資料館や美術館」=「戦争ミュージアム」に足を運んでみることにした。〉

 ランドセル、お守り、白樺の樹皮に書いた日記、実物大の爆弾模型、数々の記録……、「もの」・資料が悲惨な歴史を証言する。各館の学芸員やスタッフたちが調査・研究・整理して、わかりやすく展示。彼らの学識と熱意が現在と過去をつないでくれる。

「大久野島毒ガス資料館」「予科練平和記念館」「戦没画学生慰霊美術館 無言館」「周南市回天記念館」「対馬丸記念館」「象山地下壕(松代大本営地下壕)」「東京大空襲・戦災資料センター」「八重山平和祈念館」「原爆の図丸木美術館」「長崎原爆資料館」「稚内市樺太記念館」「満蒙開拓平和記念館」「舞鶴引揚記念館」「都立第五福竜丸展示館」。

(平野)

2024年8月17日土曜日

神戸文芸文化の航路

 8.11 ブログをさぼっていいる。宮崎地震あり、パリオリンピックの悲喜交々あり。

家では孫一家帰省してドンチャカ。姉は落ち着いてきたけど、時々爆発。妹は悪ガキぶりに拍車。孫中心生活は楽しいけれど、ヂヂババ体力もたない。

 ヂヂは空いた時間に図書館。

「朝日歌壇」より。

〈居場所なき人の居場所の図書館に淡きひかりがさしこんでゐる (西条市)村上敏之〉

〈廃校となりし礼文(れぶん)のまなびやに金次郎一人本を読みおり (つくば市)山瀬佳代子〉

「朝日俳壇」より。

〈パリ五輪サルトル再読する真夏 (横浜市)飯島幹也〉

8.14 原稿ミス多発でみずのわ一徳からメール。怒声が響く。

首相退陣ニュース。

8.15 敗戦から79年。

島根の牧師さんから帰省予告あり、緊急集合の指令。関係者に連絡。

台風接近、東日本は交通混乱。

 

 大橋毅彦 『神戸文芸文化の航路――画と文から辿る港街のひろがり――』 琥珀書房 2800円+税



 関西学院大学文学部教授の論文集、「神戸の足下を掘り下げて鉱脈を発見する、神戸という窓が何に向けて開かれていくかを眺望する、神戸に集い、神戸で育つ諸芸術にはどんな相互浸透の動きがあったかを見定める」9編。

 竹中郁ら関学関係者の活動や同人雑誌隆盛。その影とも言える詩人たちの存在。鯉川筋の「画廊」。海港都市から広がり、繋がり、交わる芸術活動。異なるジャンルの芸術家たちの協同作業など。

(平野)

2024年8月4日日曜日

大石誠之助の生涯

7.27 みずのわ一徳と打ち合わせ、原稿にミスいっぱいで総点検。

7.28 「朝日俳壇」より。

〈これからも読まぬ全集曝書(ばくしょ)せり (東京都世田谷区)百瀬俊夫〉

〈遺句集の栞(しおり)を若葉風とする (さいたま市)岡村行雄〉

7.29 パリオリンピック、競技白熱。柔道詩ちゃん敗北、号泣。きっと批判する意見が出るだろう。

7.30 しばらく本紹介できそうもない。通勤電車、休憩時間読んでいる本は

ジョセフ・クローニン著 中尾ハジメ訳 『大石誠之助の生涯 紀州の医師と大逆事件』(編集グループSURE

 買った本、

大橋毅彦『神戸文芸文化の航路――画と文から辿る港街のひろがり――』(琥珀書房)



8.1 すっかり忘れていた「ひょうご部落解放」本紹介原稿送信。

8.3 小型台風=孫二人来神。

 

(平野)

2024年7月23日火曜日

つげ義春が語る マンガと貧乏

7.18 芥川賞・直木賞決定。受賞者3人みんな関西ゆかりの方々。ヂヂ推し(候補作で唯一読んだ)『われは熊楠』は残念。

 内科診療所に行くと、受付の人が「○○先生(主治医)のことはご存知ですか?」と真剣な表情でおっしゃる。ヂヂは一聞いて十知る賢者ではないが、三くらい先は想像できる。早い話が「早合点、あわてもん」。ヂヂより年上の先生だから覚悟を決め、次に発せられるであろう最悪のことばに身構えた。「自転車でこけて骨折して休診です」。

 海文堂時代のバイト君への連絡、ツテをたどるが、なかなか困難。

7.19 久々孫電話。妹は晩ご飯お腹いっぱい食べて、既に就寝。姉が夏休みの宿題や学校のことを教えてくれる。本を見ながらあやとりの新技披露。

7.20 ヂヂ、71歳誕生日。旧知の人たちからSNSでメッセージいただく。ありがとう。家人とワイン飲んでごきげん。

7.21 「朝日歌壇」より。

〈一時間紀伊國屋前で待っていた携帯など無き半世紀前 (高岡市)梶正明〉

 

 『つげ義春が語る マンガと貧乏』 筑摩書房 2300円+税



 つげ義春1415歳くらいのこと。そば屋で働いていて、赤面癖が進行、人に会うことが苦痛になる。マンガ家になろう、一人で空想し好きな絵を描いていられる商売、と思った。手塚治虫に会いに行った。昭和30年頃(つげ18歳くらい)貸本マンガを描きだす。

……月に一冊のペースで、長篇一二八ページですかね。五、六冊はそんなふうで、やがて三ヵ月に一冊とか……。(略)読者に受けようとかいうより、自分のことを考えていましたね。それで食えるか食えないかになるわけですから。(略)〉

 娯楽ものを描くことが苦しくなった。ペンが進まず、半年に一冊のペース。食べていけない。マンガをやめようと思って、履歴書持って歩き回る。青林堂の社長が水木しげるの手伝いを世話してくれた。 (19724月のインタビューより)

 貸本マンガ以来のマンガ家生活。娯楽マンガか、我が道を行くか。つげは、我が道、を選んだ。ファンがたくさんいて、作品を待っているけれど、あくまでマイペース。

 戦後マンガ出版の歴史も語られる。私の世代は週刊マンガ雑誌創刊だが、少し上の世代は「少年」「冒険王」など月刊誌。昭和27年「少年」で手塚治虫「鉄腕アトム」連載開始。その上の世代では「漫画少年」が人気、手塚の「ジャングル大帝」連載。同誌には読者が自作マンガを投稿。篠山紀信、筒井康隆、横尾忠則、黒田征太郎らの名があるそうだ。

(平野)

2024年7月18日木曜日

随筆上方芸能ノート

7.13 夜中、夢の中で私が怒って飛び起きたとたん近くの家具に頭ぶつける。「いたあ~、なにすんの~?」。夢の原因は職場のゴタゴタ。関係会社の人に言い慣れない叱言を言ってしまった。反省。

 朝、コンビニで孫に送る大相撲名古屋場所番付をコピー。ヂヂ唯一のコンビニ用事、買い物はしない。

 図書館で新聞調べ。先日正しい掲載年を教えてもらって、連載記事見つかった。でもね、疑問解決にたどり着かない。

7.14 「朝日俳壇」より。

〈ゆるぎなき兜太語録や夏の山 (東京都文京区)片岡マサ〉

「朝日歌壇」より。

〈幼子のでっかい笑顔思い出すドクターイエローの絵本買いし日 (さいたま市)鈴木俊恵〉

7.15 みずのわ一徳編集作業着々進行の様子。暑い中、雨の中、農作業と集落の用事しながら、ご苦労様。

7.17 本に海文堂時代のレジ風景写真を掲載する。バイト君二人とヂヂが写っている。彼らに許可を得ないといけないが、連絡つくか?


 戸田学 『随筆 上方芸能ノート 落語・漫才・興行』 

青土社 2400円+税



 上方演芸を中心に著作活動。本書は新聞連載、雑誌寄稿などをまとめる。「上方芸能に関しての執筆は、考えもあってひとまず本書でキリとしたい」由。

 落語家、漫才師ら芸人さん、芸事のことに加え、興行・興行師のこと、作家のこと、研究者のこと、著者が幼い頃から見てきた映画・映画館のことも。

 表紙写真は、六代目笑福亭松鶴と桂米朝。50歳代だろうか、ええ顔。松鶴は五代目を父に持つサラブレッドで職人肌。米朝は落語研究を志したインテリ。育ちも芸風も違うが、上方落語を支える盟友だった。昭和61年(19869月、松鶴亡くなる直前のこと。

〈入院先の病院を見舞った桂米朝に対して、松鶴は「(あとは)頼むで」といった。訃報を聞いた米朝は「えらいことになった……えらいことになった……」と呟いていたという。/米朝はある時に筆者にポツンといった。/「今、わしが大阪落語の本流みたいにいわれるけども、ホンマは松鶴なんや」(後略)〉

 著者ならではの「芸」の話をもっと読みたい。

(平野)