2024年4月14日日曜日

キャラメル工場から

4.12 編集工房ノアPR誌「海鳴り 36が届く。毎年送ってくださり感謝。著名なフランス文学者のエッセイ、校正刷りができているのに書名が決まらない、ということがあった。その原稿のなかに、雑誌の誌名を頼まれて「ぽかん」と「こないだ」を提案したことを「霊感のごとく」思い出す。誌名に「ぽかん」が採用された。本人の書名は『こないだ』となった。

 


4.13 図書館から公園を抜けて川沿い桜花見。もう葉桜。

 

 『キャラメル工場から 佐多稲子傑作短篇集』 佐久間文子編 

ちくま文庫 880円+税



 佐多稲子(さた・いねこ、190498年)、長崎県生まれ。7歳のとき母死亡、一家上京。稲子は小学校を5年生で辞めて働く。その労働体験が表題作「キャラメル工場から」(1928年発表、筆名・窪川いね子)。さまざまな職業を経験。料亭勤めで芥川龍之介・菊池寛を知る。丸善勤務時に結婚するが破綻。カフェに勤め、同人誌「驢馬」に参加。同誌は室生犀星と芥川が援助し、同人に堀辰雄、中野重治、夫となる窪川鶴次郎らが集まる。中野、窪川との出会いからプロレタリア文学、共産党活動に入る。

 ひろ子は父親に小学校を辞めさせられ、働く。工場まで電車で40分、日給から電車賃を出せばいくらも残らない。電車賃がないときは歩く。始業開始は午前7時。遅刻すればその日は休まされる。寒さより遅刻がおそろしかった。

〈まだ電燈のついている電車は、印袢纏や菜葉服で一ぱいだった。皆寒さに抗うように赤い顔をしていた。味噌汁をかきこみざま飛んでくるので、電車の薄暗い電燈の下には彼らの台所の匂いさえするようであった。〉

 以前紹介した『疾走! 日本尖端文學撰集 新感覚派+新興藝術派』(ちくま文庫)に窪川いね子「東京一九三〇年物語」(1930年発表)が収録されている。内容は労働争議だが、レポ役の少女が街を明るく表現する。

〈薄日だった太陽が幕を上げるように鮮明になっていって、風呂敷を包ながら歩く少女のセルの袖口の蔭でニッケルの時計が反射した。少女は電車通りへ出ないで、古着屋の並んだ裏通りを先へ進んだ。〉

〈夕方の道玄坂は勤人の帰りや、夜店の店開きの支度で、混雑していた。古本屋が本を並べている。しゃつ屋が電燈を引っぱっている。バナナ屋が隣の古道具屋と大きな声で話している。駅から帰ってくる男女の勤め人の中を、これから出かける酒場(バア)の女やダンサーが、人形のようにふん飾(原文「ふん」に傍点)をほどこして視線を集めながら歩いてゆく。〉

 苦悩を抱え、権力の監視から逃れ、そんな生活にも一瞬のきらめきがある。

(平野)