2016年1月21日木曜日

桃源忌


 121日 陳舜臣さんのご命日 「桃源忌」

陳舜臣アジア文藝館で「密かに」1周忌の集まりがあると聞いたので、覗いてみた。セレモニーはなく、ボランティアスタッフの皆さんが歓談されていた。『ほんまに』〈陳舜臣特集〉に資料を提供してくださった前田さんとお会いできた。

(公財)神戸市民文化振興財団の月刊フリーペーパー『KOBE C情報』1月号が〈陳舜臣〉を特集。陳舜臣アジア文藝館の案内もあるのだが、残念ながらしばらく休館する由。
 
 

(平野)
さんちか古書大即売会 1/21(木)~26(火) 
会場:さんちかホール 
主催:兵庫県古書籍商業協同組合
 
 

2016年1月19日火曜日

偏愛ルネサンス美術論


 ヤマザキマリ 『ヤマザキマリの偏愛ルネサンス美術論』 
集英社新書 760円+税

 1967年東京生まれの漫画家。古代ローマの浴場設計技師が現代日本の風呂にタイムスリップする『テルマエ・ロマエ』が大ヒットして、映画にもなった。前作はギャグ漫画だったが、歴史人物評伝『プリニウス』を『新潮45』に連載中。
 本書は美術評論。ヤマザキはイタリア国立フィレンツェ・アカデミア美術学院で美術史と油絵を学んだ。テーマは「ルネサンス」、キーワードは「変人」。

《いまはもう、自分で絵筆をとり、カンヴァスに向かうことはなくなりました。でも私の中には、「売れない画家」だった時代の、美術に対する純粋な愛情と尊敬の気持ちが残っています。売れない詩人だったフィレンツェ時代の恋人と、泥水を飲むような最低限ギリギリの生活をしていたとき、私に生きる力を与え続けてくれたのは、ヨーロッパの各地で目にした美術作品、とりわけルネサンス期の絵画だったからです。》

ルネサンスといえば、三大巨匠のラファエロ、ミケランジェロ、ダ・ヴィンチは思い浮かぶ。ヤマザキはルネサンス絵画の幕開けを飾る人物として、フィリッポ・リッピという修道士を挙げる。

《聖母マリア(マドンナ)の絵を描かせると、彼はとてつもなく上手でした。ただしそのモデルは自分の愛する女性で、その人以外を描くと、言っては悪いけれど、まるで下手くそ。そう、彼は「自分の愛する人」しか綺麗に描けないという、当時の画家としては例外的な存在――つまり「変人」だったのです。》

『聖母子像と二天使』が代表作、宗教画の基本からはずれている。「キリストを意味する記号」とか、世俗的な女性を描かないという「お約束」より、モデルをよく観察して描いた絵。モデルは自分の妻と子。

《自分の愛する者たちをモデルにした「聖母子像」によって、フィリッポ・リッピは画家としての名を成したのです。(中略)
 恋する「お坊さん」が描いた『聖母子と二天使』には、本来の宗教心とはかけはなれた猥雑な気持ちが混ざっています。けれども、そうした猥雑さこそが、ルネサンスという「人間復興」の気運を駆り立てていく原動力でした。》

 では、三大巨匠は?
 ミケランジェロは「宗教的な頑固者」で「完璧主義者の変人」。ダ・ヴィンチは「人間嫌い」で「マルチな才能を持った変人」。ラファエロは先輩たちよりも社会性があり女性にモテ、膨大な仕事をなしたが、若死に。
《通常の人間にはかなわないフレキシブルさを持った「変人」の一人ではないかと思います。》
 17歳で単身留学したヤマザキ(いろいろ苦労があった)がユニークな視点でルネサンス「変人」たちの「人間復興」運動を解説する。
(平野)
『ほんまに』17号販売店追加
【神戸市中央区】 ギャラリー島田  078-262-8058
ほんまにWEB更新しています。

2016年1月12日火曜日

誤植文学アンソロジー


 高橋輝次編著 
『誤植文学アンソロジー 校正者のいる風景』 

論創社 2000円+税

 高橋は1946年生まれ、フリーの編集者。2013年に『増補版 誤植読本』(ちくま文庫、元版2000年東京書籍)を編集。作家・学者たちの「誤植」「校正」についての怨みやら編集者の失敗談などエッセイ中心だった。本書では、「校正者」が主人公であったり「校正」の仕事に触れた小説8篇、「誤植」体験などのエッセイ8篇を掲載する。
 小説篇、河内仙介、和田芳恵、上林暁、佐多稲子、倉阪鬼一郎、小池昌代、川崎彰彦、田中隆尚。
 エッセイ篇、木下夕爾、吉村昭、杉本苑子、杉浦明平、落合重信、宮崎修二朗、大屋幸世、河野與一。

小池昌代「青いインク」
 雑誌で校正を担当する女性と、仕事仲間や執筆者たちとの「青いインク」の万年筆を通しての交流を描く。

 校正者は執筆者である学者から万年筆をプレゼントされた。
……そのときの教授の言葉をそのまま借りれば、毎回、わたしの校正に、大いに助けられたということなのだ。》

 小池の「校正」についての考えが書かれている。
《仕事というものには二種類あるのではないだろうか。守る仕事と推進する仕事。一つの仕事のなかに、この二つの側面があるともいえる。一人の人間が関わることで、プラス一、プラス二と価値が増大していく場合は、「推進」であり、地面をひたすら足踏みするように、地固めをするのは、「守る」仕事だ。
 そして校正は、限りないマイナスを、ただいっしんに、「ゼロの地点」に引き上げる仕事。間違いというのはなくて当たり前、そこからようやく内容の吟味が始まる。ゼロという出発点に、出版物をとりあえず並ばせるまでが、わたしの仕事だ、とわたしは思う。》

(平野)
『ほんまに』新規取り扱い店
【東京都杉並区】 Title(タイトル)  03-6884-2894
本年110日に開店したばかりの新刊本屋さん。ありがとうございます。

 

2016年1月9日土曜日

『新青年」趣味


 『新青年』趣味 ⅩⅥ  特集 江戸川乱歩 谷崎潤一郎
『新青年』研究会会誌 2015年10月31日発行 1500円(税込) A5判 354ページ
 同会は「192040年代に刊行された雑誌『新青年』を中心に、ミステリーやモダニズム、大衆文学、文化の研究」をする。
http://d.hatena.ne.jp/sinseinen/

 
 
江戸川乱歩未発表原稿「独語」 平井家から立教大学に寄託、原稿欄外に昭和11618日の日付けと、赤字で「発表せず」と記載

夢野久作未発表草稿「大下宇陀児・江戸川乱歩会見印象記」 福岡県立図書館所蔵、大鷹涼子解題

「明日の探偵小説を語る座談会」(『ぷろふいる』19371月号掲載分再録、海野十三、乱歩、小栗虫太郎、木々高太郎)
「曲線・陰影・プラとニズム」、「探偵小説としての『鮫人』」、「女優の創造」、「谷崎潤一郎における異常性愛趣味」、「江戸川乱歩と平林初之輔の見た上野動物園」「江戸川亂歩と同時代の作家たち」など会員の研究論文

 販売取り扱いは盛林堂書房 http://seirindousyobou.cart.fc2.com/ 
とアマゾン。


(平野)私はうみねこ堂書林で見つけた。
110日、東京荻窪に新しい本屋さん誕生。

http://www.title-books.com/
『ほんまに』新規取り扱い店
神戸市中央区  神戸大学生協医学部店  078-371-1435

2016年1月7日木曜日

酒と戦後派


 埴谷雄高 『酒と戦後派 人物随想集』 
講談社文芸文庫 1700円+税

 表題作ほか、戦後派文学者・文化人・芸術家たちとの交遊を語る随筆集。
「酒と戦後派」は『洋酒天国』に連載(195859、「酔っぱらい戦後派」)。

《一杯目の微醺が二杯目、三杯目と僅かに重なつていると思うまもなく、あなやもあらせじ、羽化登仙、量が質へ転化する弁証法的飛躍を一瞬の歴史の裡にとげて、忽ち、爛酔、泥酔の域に達してしまうのは、日本的酔つぱらいの特質らしい。(中略)飲みはじめれば必ず、原始の混沌か、それとも、未来の大破局のなかへ踏みこんで、記憶も消えいりそうな暗黒の奈落の底で、自分が自分でなくなつた確認をいちどしてみなければ気が済まないのである。(後略)》

 田中英光は焼酎を呑む合間にカルモチンやアドルムなど睡眠薬をかじる。「六尺二十貫」の巨体はよろけながら出版社をはしごして本を要求する。
《その頃、彼の根城になっていた新宿まで本をかかえ、アドルムを囓り、闇につつまれた原始の叢林を歩いてゆくゴリラのようにゆらゆらと揺れながら帰つてゆき、そこで最後の泥酔の決算をしてしまうのが一日の旅程なのであった。》

 武田泰淳は「敏捷型」で、呑んでいる間にどこかに消えて映画を見てきたりする。
《彼は深い洞察力をもつた鋭い批判者であると同時に、また、いささか照れる苦渋の陰翳を帯びた自覚者でもあるので、このような忽然たる消失へ走る自身の性向を反省して、なかばユーモラスになかば真面目に、生れ年の神秘について考察するところがあつた。ちよろちよろと何処かへ走り消えてゆくのは、彼が鼠どし生れのせいなのである!》

 堀田善衞は「緩慢型」、酔いがまわると歩き出す。深夜雨の中、埴谷邸を訪問したり、埴谷をあちこち引き回したり。
《一杯の酒が空虚な胃の腑に落下して行つて、極端にいえば、ナイヤガラ瀑布のような地響きをたてて鳴動しはじめると、彼は一人の充たされぬ詩人のように立ち上つて歩きはじめるのであつた。見渡すかぎりの街路の上を、これまた充たされぬ胃と心臓をもつた多くのひとびとが台風圏のなかの波のように無性に歩いているのであつた。》

 ほかに、三島由紀夫の「俺は血が見たくて仕方がないんだ」発言、「酒のみの典型」梅崎春生、「くどかれの典型」中村真一郎、「宇宙最後の酔つぱらい」島尾敏雄らのエピソードなど、ユーモアを込めて語る。

《酒をのむということは何かを傍らによりそわせてのむことである。痴愚から悲哀に至るあいだの長い暗い列がつねに酒のみの傍らによりそつている。(中略)私達は酔つぱらつている本体をかついでそこから何処かへ帰ることはできる。しかし、その傍らによりそつている透明なものについては、窮極的にはどうすることもできないのである。》
 ある詩人が太宰治と呑むたびに「あいつにはデーモンがある」と、埴谷に繰り返し言った。
(平野)できることなら「天使」か美女に寄り添っていてほしい。
 元町商店街WEB更新。

2016年1月3日日曜日

オリヴィエ・べカイユの死


新年おめでとうございます

皆様のご健勝をお祈り申し上げます。
 不精者の言い訳です。私は年賀状をずっとやめています。中田カウス・ボタンの漫才で、年も明けないうちから「おめでとう」と書くのはおかしい、よって「新年 明けましたら おめでとうございます」、というネタがありまして、納得したものです。
 後ほど寒中見舞い状を書きます。
 さて、新年1冊目。

 エミール・ゾラ 『オリヴィエ・べカイユの死/呪われた家  ゾラ傑作短篇集』 光文社古典新訳文庫  1120円+税

 フランス文学は久しぶり。私がフランス文学と言うと、「フランス書院文庫」と思われるのは承知のうえ。
 私がエミール・ゾラ(18401902)の名を知ったのは学生時代の「政治史」講義。19世紀末フランスを揺るがした「ドレフュス事件」――軍事情報がドイツに漏洩し、ユダヤ人のドレフュス大尉がスパイ容疑で終身刑を受けた――で国内は二分された。真犯人を隠す冤罪事件です。既に著名作家だったゾラはドレフュスを擁護し、軍の不正を糺す。そのゾラにも有罪判決が下され、彼はロンドンに亡命。後に事件は再審、ドレフュスは無罪になるが、ゾラは判決が出る前に一酸化中毒で急死してしまう。

 本書は表題作他5篇収録。
 訳者は國分俊宏、1967年生まれ、青山学院大学教授。

「オリヴィエ・べカイユの死」 
 主人公は妻とパリに出てきたばかり。ある朝、意識はあるのに体が動かず、死んだと思われる。棺桶に入れられ埋葬されてしまうが、墓の中で体が動くようになり、自力で這い出した。医者に助けられ静養。妻と暮らした下宿屋に向かうのだが……

「ナンタス」 
 ナンタスという青年、能力があり社会で成功する自信もあるが、チャンスと資金がない。絶望して死を選ぼうとしたとき、見知らぬ婦人がある提案を持ってくる。ナンタスがワケありの裕福な家の娘と偽装結婚すれば立身出世を見込めるし、婦人は報酬を得られる。ナンタスは才能を発揮し富を築き、国家を動かす地位にも就くが、結婚相手を本当に愛してしまう。

「呪われた家――アンジュリーヌ」
「私」は自転車でパリ郊外を散策中、謎の荒れ屋敷を見つける。幽霊が出るという噂。数十年前にアンジュリーヌという幼い娘が家族に殺されたらしい。「私」は真実を探るべく、資料を調べ、関係者をまわる。ロンドン亡命中に執筆した作品。

「シャブール氏の貝」
 シャブールは金持ちの商人、20歳以上離れた良家の令嬢と結婚するが、子どもができないのが悩み。かかりつけの医者に相談すると、海水浴に行って貝類を食べるのがよいと勧められる。夫人と海辺の町に。そこで純朴な美青年と出会い、彼が案内役をしてくれる。だいたいの展開が読める。落語の艶話のよう。

「スルディス夫人」
 夫は天才肌の画家、妻は絵の技術と財産がある。夫は絵を描き成功して妻に栄誉をもたらす、妻は夫を支える「契約」。夫の絵は認められ「巨匠」となるが、私生活は自堕落で酒と女に溺れる。それでも妻は献身するというか、夫が間違いを犯すたびに妻の力が強くなっていく。夫は次第に肉体的・精神的に衰え、妻が絵に少しずつ手を加えだす。そのうちに夫は着想と構成とサインをするだけ。世間の評価は変わらないが、専門家にはわかる。力強さや独創性が失われていく。妻は夫の才能・名誉を守り、夫は妻に負い目を感じる。互いに依存している。ついに絵は妻が描き、夫はそばで子どもの落書きのような絵を描いて過ごすようになる。ゾラは美術批評家でもあった。

(平野)