2017年10月18日水曜日

南蛮美術総目録

 『南蛮美術総目録』 市立神戸美術館 1955

『みなと元町タウンニュース』連載原稿のために図書館で借りた本。A5判、375ページ、美術目録なのに図版なし。紙は藁半紙。

 神戸兵庫の大地主で池長孟(18911955)という人がいた。先祖代々の財産を南蛮美術品蒐集につぎ込み、美術館を建て、公開した。神戸の年配の方なら葺合区熊内町にあった〈南蛮美術館〉を覚えておられるだろう。

池長は、植物学者・牧野富太郎を援助し、地元の考古学者の資料を保存するなど、芸術、文化を愛し、高貴なる者の義務を心得ていた人。戦災から美術品を守ったが、戦後莫大な税金を課せられ、コレクション散逸の危機に陥った。神戸市に委譲を決意、蒐集品を整理・分類して目録を作成した。51年、池長美術館は神戸市立美術館になる。現在南蛮美術品は市立博物館に収蔵されている。重要文化財がたくさんある。

表紙の絵は南蛮船。
 

 

 数年前に消えた本屋の書皮を思い出す。もう一枚あったが見つからない。
 
(平野)
『みなと元町タウンニュース』は元町商店街あちこちの設置ラックで配布しています。

 

2017年10月17日火曜日

昭和文学盛衰史


 高見順 『昭和文学盛衰史』 文春文庫 1987年刊

1956年から57年『文學界』連載、単行本(全2巻)は58年文藝春秋新社から。



30年前の文庫、よく焼けている。

 高見順(19071965)は福井県生まれ、作家・詩人。ダダイズムなど前衛芸術運動、社会主義思想の影響を受け、プロレタリア作家となる。治安維持法で検挙され転向、従軍。戦後は病を抱えながら作品を発表し、日本ペンクラブの活動や日本近代文学館設立に尽力した。70年、高見の遺志により詩人に贈る「高見順賞」が設立された。
 本書では高見自身の足跡と共に昭和文学史を回顧。
 大正末から昭和初め、全国で多くの文学同人雑誌が発行されていた。作家も既存の雑誌に発表するのではなく、友と同人雑誌を始めた。高見は島木赤彦の歌を紹介して、若き日の文学への思いを伝える。

《 我等の道つひに寂しと思ふゆゑにいよいよますます友を恃(たの)めり
  はじめより寂しきゆゑに相恃む心をもてり然(し)か思はぬか》

文学の友。

《この世に生を享(う)けて、ともに、文学の道を歩んで行く友である。》

高見は「寂しと思う心」に郷愁を覚えるが、礼讃するのではない。「偉大な文学こそ、我等の道ついに寂しと思う、強い孤独のなかから生まれる」と考える。
 しかし、資本主義社会では芸術・文学は商品である。プロレタリア文学が「文学を商品としてしか見ない資本主義社会の悪を衝いた」。
 同人たちが対立、抗争、分裂する。

《恃む友、相恃む文学の友と、いわゆるイデオロギーの相違ということで喧嘩別れをせねばならなかった。昨日までの友を今日は敵と呼ぶに至った。これは喜劇であったろうか。悲劇であったろうか。》
 プロレタリア文学の台頭は昭和文学史の重大事項だが、こちらも内部で対立、分裂が起こる。

(平野)

2017年10月12日木曜日

幕末明治人物誌


 橋川文三 『幕末明治人物誌』 中公文庫 1000円+税

解説・渡辺京二

 橋川文三(はしかわ・ぶんそう、192283)は政治学者、著書に『日本浪曼派批判序説』(未來社)など多数。
 
 

明治という時代を見ることなく倒れた人、権力から外れた人、思想家、軍人、文化人、政治家、結社主宰者ら。歴史の本流ではなく、どちらかと言うと敗者の側にいる人物たちを取り上げた論文集。吉田松陰、坂本龍馬、西郷隆盛、後藤象二郎、高山樗牛、乃木希典、岡倉天心、徳富蘆花、内村鑑三、小泉三申、頭山満。

《歴史は主役だけで動くものではなく、蔭には無数の脇役の働きがある。後藤象二郎は準主役であっても、いまの人には耳遠い存在だろうし、小泉三申も知る人ぞ知るにせよ、いまとなっては無名に等しかろう。松陰や龍馬のような超有名人にまじって、今日忘れられたような人物に光が当っていることも、本書の今日的有用性ということになろう。》(渡辺)

 西郷隆盛は維新の英雄として現在も人気がある。しかし、歴史家の評価は芳しくない。「征韓論」が侵略思想の源流とみなされること、大久保利通らに比べて近代国家建設に貢献していないこと、を理由にされる。

 西郷下野、西南戦争は、明治新政府が西郷の理想と離れた結果という意見も多い。

《しかしそれなら西郷が維新にいかなる夢を託していたかといえば、直接にはわかりにくいところが多い。ただもし幾分の飛躍をおそれずにいえば、西郷はそこにもっとより(、、)徹底した革命を、もっとより(、、)多くの自由と平等と文明(、、)をさえ夢想していたかもしれないのである。》

(平野)

2017年10月3日火曜日

幕末  非命の維新者

 村上一郎 『幕末 非命の維新者』 中公文庫 1000円+税   

解説・渡辺京二



初版は1968年角川新書。

村上一郎(192075)、評論家、小説家、歌人。三島由紀夫事件後、自刃。本書には日本浪曼派・保田與重郎との対談も収録されていて、思想的には〈右〉の人だろうが、簡単に言えない。渡辺の紹介では、「英国流市民主義思想」「土着的ナショナリズム」「農本主義」のことばが並ぶ。戦後、村上自身が指針に、「米国的資本主義勢力駆逐」「共産主義革命」と書いている。渡辺は村上の思想を、《……日本の農村社会の生んだ精神の高潔、生の哀れを知る情緒のゆたかさ、仁義の二字に表わされる共同的正義感、……》と表現する。

書名にある「非命」とは、「天命でないこと。特に、意外な災難で死ぬこと」(『広辞苑』)。
 明治維新の後、国を指導した元勲たちのことではなく、志半ばで倒れた〈草莽〉9人の評伝。村上は、明治維新を文化・文政(1800年代初め)から始まると考える。登場するのは、大塩平八郎、橋本左内、藤田三代(幽谷、東湖、小四郎)、真木和泉守、三人の詩人(佐久良東雄、伴林光平、雲井竜雄)。教科書に出てくる名もあれば、初めて目にする名もある。吉田松陰、坂本龍馬、西郷隆盛(村上は「最大最高の維新者」と言う)は研究書が多いこともあり、本書では取り上げていない。収めきれなかった人たちもいる。

……維新者は、本質的に、涙もろい詩人なのである。維新者は、また本質的には浪人であり廟堂に出仕して改革の青写真を引くよりは、人間が人間に成るというとき、そのような設計図は役にたたぬことを知っているのである。維新者は、若々しい情熱を政治にそそぐこと、人後に落なかった。が、とど時務・情勢論の非人間性を知る者でもあった。だから、岩倉具視や大久保利通のようにはあり得なかった。友を失い、恋人を捨てて、やむなく政治に身を挺することはあっても、そのむなしさを知っているのである。彼は、時にニイチェのごとく哄笑する。が、その時も、こころは涙にぬれているのである。》

〈維新者〉の一基準として、村上は大塩平八郎の乱(1837年、天保8年)についての評価を挙げる。大塩は大阪奉行所与力を辞任して学者生活だった。大飢饉なのに、大阪奉行は将軍代替わり式典費用のため米を江戸に回す。豪商は米の値をつり上げる。大塩は困窮する庶民救済を訴え、幕政の腐敗を糾弾し、乱を起こす。

《たしかに、大塩の乱ははかない行動であった。そして、その思想は尊幕の範囲を出なかった。しかし、命を賭けてする行動というものは、かならず何かを残す。大塩の哀れな行動が、藤田東湖や吉田松陰に何を残したかは、それこそ、すこぶる見るものありであった。》

 大塩の乱で町民・農民たちは焼け出されたにもかかわらず、彼らによって大塩の思い=「社会正義の怨念」が語り伝えられた。

《ところが、大塩をほとんど評価しなかった明治維新の成功者たちはどうであろう。彼らが、大塩の乱の結果のはかなさを笑ったのは、彼らが時務情勢しか解しなかった者であることを、いみじくも示している。彼らのほとんどが、大塩、東湖、松陰のもっていた社会正義の念を置き忘れてしまったのである。(後略)》

(平野)「非命」「こころは涙にぬれている」、尊いことだろう。でも、やっぱり生きていてほしい。

2017年9月27日水曜日

落語と私


 桂米朝 『落語と私』 文春文庫 1986年 

初版は1975年ポプラ社。本書、古書うみねこ堂書林で購入、値段は鉛筆書き。最近は古本屋さんオリジナルのスリップが多い。
 
 

米朝師匠、お若い。芸を磨き、噺を発掘し、後進を育て、そのうえ〈落語〉という芸能を評論できる人。本書は中高生向けに書いたそうだが、内容は濃い。

〈話芸としての落語〉〈作品しての落語〉〈寄席のながれ〉〈落語史上の人びと〉
 落語の成り立ち、古典芸能のなかで他のジャンルとの違い、話芸としての特徴、噺の中味、歴代落語家のこと、などなど。

落語が、庶民の娯楽として山あり谷ありの時代を経て、現在は黄金期と言ってもいいかもしれないほどの人気を得ている。今、40数年前の本を読んで、落語の面白さを再認識する。

《落語は、古典芸能のはしくれに入れてもらいましても、権威のある芸術性ゆたかな数々の伝統芸能と肩をならべるのは本当はいけないのだと思います。「わたしどもはそんな御大層なものではございません。ごくつまらないものなんです」という……。ちょっとキザな気どりに思われるかもしれませんが、本来そういう芸なのです。》

米朝の師匠米団治の言葉。

《芸人は、米一粒、釘一本もよう作らんくせに、酒が()えの悪いのと言うて、好きな芸をやって一生を送るもんやさかいに、むさぼってはいかん。ねうちは世間がきめてくれる。ただ一生懸命に芸をみがく以外に、世間へお返しの(みち)はない。また、芸人になった以上、末路哀れは覚悟の前やで

 反骨、洒落。世間の常識におもねらない。廓噺や艶噺、酒飲みの噺、与太郎噺、嘘つきや不良の噺が堂々とできる。

(平野)
 先日、東西の人気落語家が近所のホールに来演。昼・夜二部制で、出演者が一人入れ替わる。私は昼席に。隣のご婦人二人連れが、お目当ての人気者が昼席に出ないと怒っている。どうもご招待できたらしい。良いメンバーです。楽しんでいただきたい。本音は「黙って聞けい!」ですが。

2017年9月26日火曜日

遅れ時計の詩人


 涸沢純平 『遅れ時計の詩人 編集工房ノア著者追悼記』 
編集工房ノア 2000円+税

 著者は大阪の出版社〈編集工房ノア、1975年創業〉社主。文芸書、詩の本を中心に出版している。本書は、涸沢が物故文人たちに贈った追悼の文章を集める。ただ文も年表も2006年まで。

……本書は、還暦の時、まとめたのですが、出版の決心がつかず、校正刷りのままほこりをかぶっていました。》

 書名の「遅れ時計の詩人」は清水正一(本書カバーの詩、19131985年)。市場で蒲鉾を作りながら詩を書いていた。ノアから、1979年に『清水正一詩集』(79年)、死後『続清水正一詩集』(85年)を出版。涸沢はたびたび清水を訪ねて、最終電車まで長居をしてしまう。清水は話し好きで時間が経つ。そのうえこの家の時計は常に遅れている。その時計をなおすことなく清水夫婦は暮らしている。

《この大幅遅れの時計が清水さんの詩であったのかも知れないと、今は思う。蒲鉾屋の時間を、詩人の時間にする時計であったのかも知れない。それと話し相手がついつい長居をする時計。》

 清水の一周忌に合わせ「偲ぶ会」が開かれた。後日涸沢が奥さんに写真を届けた。

《「お父さんがいたら、(会の後で)皆さんにここへ来てもらいましたのに……」/と奥さんは言われた。/奥さんはまだ、遅れ時計のまま暮らしているのだった。》
 


《さまざまな著者に出会った。たくさんの人が亡くなられた。/まず最初に出会ったのは港野喜代子。港野の人脈をたより、詩集『凍り絵』をだした。が半月後に突然死した。私はこの人のことを母とも思った。/十三の蒲鉾屋の詩人・清水正一のことは、父以上に父と思った。/桑島玄二、東秀三は、年の離れた、兄という思いであった。(後略)》

「やさしいおおきな伯父さん」足立巻一。「豪放磊落を装いながら、細かい気づかい」の富士正晴。「君といると気楽でいいわ」と言った庄野英二……

涸沢がゆかりの人たちを語ることは、そのまま〈編集工房ノア〉の記録である。

(平野)同社のPR誌『海鳴り 29』(2017年)では、一昨年亡くなった詩人・伊勢田史郎を追悼。

2017年9月12日火曜日

中原中也 沈黙の音楽


 佐々木幹郎 『中原中也 沈黙の音楽』 岩波新書 900円+税


著者は詩人、『新編中原中也全集』(全5巻・別巻120002004年、角川書店)責任編集委員。
 中也の最初の詩集は『山羊の歌』。死の直前、小林秀雄に託した第二詩集は『在りし日の歌』。「朝の歌」「言葉なき歌」という詩があるし、「歌」が多く登場する。音楽集団〈スルヤ〉の活動に参加したこともある。
 佐々木は、中也の自筆原稿、日記などから、推敲の様子、影響を受けた詩や哲学についての論考を読み解き、詩の創作過程を明らかにする。

《生きていた中原中也をこの手でつかむように目の前に浮かび上がらせたい》

中也の詩「雪が降つてゐる……」が1929年のノート(第一次形態)にあり、未発表のまま37年に加筆訂正(最終形)されている(詩集には入っていない)

「雪が降つてゐる、(改行、2字下げ)とほくを。」を繰り返し、後半「それから」を繰り返す。本書158~159ページ。


《……一人称以外の別の「声」が響き、詩の行が進むにしたがって、「とほくを」と「それから」が二重唱になり、三重唱になり、「声」が多重になるような効果を生み出している。最後に「喇叭」の音が響いてきても、それは一時的な響きで、無音のまま降る雪の、その沈黙の深さに吸い込まれるように、すべての音はかき消されてしまうような構造になっている。/最終形の二字下げの「とほくを」「それから」そして最後の「なほも」は、「雪」が降り積むさまであると同時に、「雪」そのものの「声」と言ってもいいだろう。同じ「声」が重なることによって、圧倒的に「雪」の無音(沈黙)が浮かび上がる。》

 最終形完成の前年、中也は愛息文也を病で亡くしている。日記帳に毛筆で、「戯歌/降る雪は/(1字下げ)いつまで降るか」と書き、大きく「」を書いた。あとのページは破られている。佐々木は中也の「明瞭な意図」と言う。

《「雪」は中原中也にとって比喩でもなんでもなかった。「雪」が宿命のように、あるいは不幸をも授ける恩寵のように中也のもとに降りてくるのは、詩のなかだけではなく、その詩を書く彼自身の生活にも及んだということ。》

詩集『在りし日の歌』の題名案は37年春までは「去年の雪」だった。他にも「過ぎゆける時」「消えゆきし時」「消えゆく跫音」なども考えられた。
その後の中也。
8月から9月にかけて『在りし日の歌』清書。
915日中也訳『ランボオ詩集』(野田書房)刊行。
16日関西日仏学館からフランス語教科書届く。
23日『在りし日の歌』「後記」執筆、15年の詩生活を「長いといへば長い、短いといへば短いその年月の間に、私の感じたこと考へたことは尠くない。一寸思つてみるだけでもゾツとするほどだ」と書いた。
26日、『在りし日の歌』清書原稿を、友であり恋仇である小林秀雄に手渡す。
佐々木はふたりの「沈黙の光景」を想像する。
《愛憎に満ちた長い友情の底にある「言葉なき歌」を思う。》
 
 10月22日中也死去。

(平野)今年は中也生誕110年、没後80年。《中原中也記念館》はこちら。
http://www.chuyakan.jp/

2017年9月7日木曜日

十五歳の戦争


 西村京太郎 『十五歳の戦争 陸軍幼年学校「最後の生徒」』 集英社新書 760円+税

 ミステリー作家が自伝的に戦争と戦後体験を語る。1930年生まれの作家(本名・矢島喜八郎)は陸軍幼年学校出身だった。

第一章   十五歳の戦争
第二章   私の戦後
第三章   日本人は戦争に向いていない

 昭和202月から中学生は軍需工場に動員された。食糧は不足し、空襲が激化。腹を空かした矢島少年はいろいろ考えた。19歳になれば皆兵隊にとられる、初年兵はやたら殴られるらしい、早くから兵隊になった方がトク、少年飛行兵募集の栄養補給十分・500キロカロリー多いの宣伝に惹かれるがすぐに戦場行き、陸軍幼年学校なら大将になれるかもしれない。
 310日東京大空襲、41日東京陸軍幼年学校入学。49期生で、これまでよりも人数が増えて360名。この49期生から学費免除、逆に給料月5円支給されることになった。

《私は、てっきり、エリートだから厚遇されたのだと、単純に喜んだのだが、全く違っていた。/本土決戦が近づいたので、私たちも、兵籍に入れられたということである。(中略)学生ではなく、兵士になったのである。》

 本土決戦、天皇を守る決意だったが、沖縄戦、広島、長崎……815日玉音放送、矢島少年が帰宅したのは829日。学校(兵隊)生活は5ヵ月だった。

 第二章では戦後まもなくの世相を紹介しながら、公務員生活、いろいろな仕事をしながらの懸賞小説応募生活を語る。新人賞、江戸川乱歩賞を受賞しても売れない時代が続いた。トラベルミステリーでの活躍が始まるのは乱歩賞から13年後、48歳。

 第三章は、体験から得た戦争・平和論〈日本人は戦争に向いていない〉。
 第一次世界大戦以来、戦争は巨額な戦費、戦車・航空機など大量の新兵器など国家総力戦にならざるを得ないのに、日本は精神論で作戦を立てていた。兵站(前線にいかに無事に食糧・兵器を補給するか)も真面目に考えていなかった。
 戦争に向いていない理由をまとめている。国内戦と国際戦の違いがわからない。現代戦では死ぬことより生きることが大事なのに、日本人は死に酔ってしまう。戦争は始めたら一刻も早く止まるべきなのに、日本人はだらだら続けてしまう、などなど。

《勝算なしに戦争を始めた。/敗戦が続いたら、和平を考えるべきなのに僥倖を恃んで特攻や玉砕で、いたずらに若者を死なせてしまう。/終戦を迎えたあとは、敗戦の責任を、地方(現場)に押しつけた。/戦後は、現在まで戦争はなかったが、原発事故があった。/その時も、虚偽の報告を重ね、責任を取ろうとせず、ひたすら組織を守ることに、汲々としていた。/これではとても、現代戦を戦うのは、無理だろう。/良くいえば、日本人は、平和に向いているのである。》
 
 

(平野)矢島少年はどうすれば一番トクか考えたが、指導者は最後まで精神主義だった。
 森村誠一、内田康夫、赤川次郎は新聞に投稿して、反戦・平和について持論を述べる。西村を含め皆ミステリー作家。殺人事件を扱うことは、証拠・証人など事実を論理立てて積み重ねていく作業が必要。被疑者は国家権力に拘束される。全体主義国家なら権力によって罪と罰が決められてしまうだろう。ミステリーは民主主義のもとで成長・発展すると言われるが、彼らはそのことを意識し、理解している。日本でもミステリーが発禁・絶版になった時代があった。
 西村の本名・喜八郎は当時日本一の金持ちと言われた大倉喜八郎にあやかった。神戸では「大倉山公園」の名が残る。

2017年9月4日月曜日

埴原一亟古本小説集


 『埴原一亟 古本小説集』 山本善行撰 夏葉社 2200円+税

 埴原一亟(はにはら・いちじょう、1907~1979年)は山梨県生まれ。
 私は初めて目にする名で読めなかった。戦前3度芥川賞候補になった作家。善行堂と夏葉社の発掘力を信じて読もう。

《本当に書きたいことを読者の目や編集者の目を気にすることなく、自分の気持ちだけを相手に語りかけるような書き方である。》(山本善行)

 古本や紙くずの臭い、人物たちの生活の匂いが染み出てきそうな文章。自然主義と言うのでしょう。
 
 

「翌檜(あすなろう)」は1942(昭和17)年「早稲田文学」に発表、第16回芥川賞候補作。主人公・島赤三は作家を目指しているが、屑の中から古本を探す稼業。これもセドリ。大企業が探していた鉱山の資料で大儲けしたことが忘れられず、ツブシ屋に通う。芥川龍之介のハガキを見つけたこともあるが、生活は妻の針仕事に支えられている。

……ツブシ屋と言うのは屑屋のその下で文字通りのツブシの紙屑屋で、いま一歩で釜で煮られると言う溜り場である。表紙のはがれた雑誌、古教科書、はがき、手紙、凡そ紙と名のつくものが、それぞれこの辺一帯の住民の体臭をぷんぷんと漂わせ、山と積まれている。甘酸っぱい、饐えた、黴くさい匂いが、ぷんと鼻腔を突く。赤三はそのなかに蹲り、獲物をさがす猟人の真剣さで、眼をかがやかし屑紙を丹念に撰り分けていった。そんなときの赤三の態度は悪臭など全く感じない風に背を丸くして、さんざ屑紙を撰って汚れた指先をなめなめさがすのであった。(後略)》

(平野)

2017年8月31日木曜日

WAR IS OVER! 百首


■ 南輝子 『WAR IS OVER! 百首』 ながらみ書房 2000円+税

 南は1944年和歌山県御坊市生まれ、歌人・画家。
 父は敗戦時ジャカルタの製紙工場勤務、現地住民が武装蜂起し、部下共53名が犠牲になった。事件は極秘事項となった。1980年、アメリカ公文書公開で明らかになり、遺体が発掘された。53体の骸骨。

《ばらばらに交じりあひ重なりあひ、崩れ溶けだし、なかば地へ還り、それでも生きたいとほりだされるのを待つてゐた骨骨骨。》(南はさらに「骨」の文字を連ね、犠牲者の慟哭を聴く)

南にとって敗戦・終戦の日は父親が殺された日で、戦争は終わらなかったし、戦後は始まらなかった。

《歳月やジャワ・ジャカルタの虐殺をひとに語りてさらにへだたる》

《はちぐわつは青空ばかり青空の底踏みぬいてもまたもや青空》

《生きかはらむ生まれかはらむ繋がらむ死者(WAR )(IS)生者( OVER、)(IF)( YOU)あはせて(  WANT IT.)

 201412月、南は歌会で沖縄訪問。同地の歌人の父は海で戦死、骨は探しようがない。沖縄の12月は真っ青な空、むきだしの太陽、半袖、サンダル、ゴムぞうり。国際通りの茶店でジョン・レノンの「ハッピー・クリスマス」を聴く。

《「あの時この海は血でまつ赤に染まつたさうです」。店の若い亭主が淡々と語る。急にジョンの唄に痛みが走る。/夏のクリスマスに聴いたジョンのパッピー・クリスマス――WAR IS OVER,IF YOU WANT IT. 私は忘れないだろう。》


 戦争体験者は亡くなっていく。その記憶を聞かされた世代は高齢化し、記録しか残らなくなる。その記録さえ隠されてしまう。せめて記憶を記録しておかなければならない。
 南は歌と絵で平和を祈る。

(平野)
 著者から本書と歌誌をいただく。感謝。

2017年8月26日土曜日

プレヴェール詩集


 『プレヴェール詩集』 小笠原豊樹訳 岩波文庫 840円+税

 ジャック・プレヴェール(190077)はシャンソン「枯葉」作詞で知られる。映画ファンなら「天井桟敷の人々」の脚本。

外国語のできない私は翻訳詩を読むとき、恥ずかしながら、と思う。
 小笠原がこう解説してくれる。フランスで「プレヴェールの奇蹟」と言われる詩人だが、奇蹟でもなんでもない。

……プレヴェールの詩を読んで味わうには、なんらかの予備知識や、専門知識や、読む側の身構えなどがほとんど全く不必要であるからです。プレヴェールの詩はちょうど親しいともだちのように微笑を浮かべてあなたを待っています。それはいわば読む前からあなたのものなのです。》

 その「奇蹟」を可能にしているのは、プレヴェールが芸術家の友たちと育んだ「自由と友愛の雰囲気」。その《青春の精神は今なおプレヴェールの詩のなかで呼吸しています。》

 谷川俊太郎のプレヴェール論も収録。

……僕はフランス語がからしき出来ない。だからぼくがいくらプレヴェール、プレヴェールといったところで、それは日本語におきかえられたプレヴェールのことなのです。(中略)翻訳じゃ絶対に分からない部分もあるかわりに、翻訳で読んで分かりすぎるほどわかる部分もあると思います。翻訳じゃ絶対に分からないところは、フランス人にまかせておいて、僕はもっぱら、翻訳でもわかる方を楽しむことにします。(後略)》

「家族の唄」
 おふくろが編物をし、息子は戦争、おやじは事業。戦争が終ったら息子はおやじと事業するつもりだが、戦争はつづく、おふくろは編物、おやじは事業。

……息子が戦死する 息子はつづかない/おやじとおふくろが墓参りをする/これは当然のこと とおやじとおふくろは思う/生活がつづく 編物と戦争と事業の生活/事業と戦争と編物と戦争の生活/事業と事業と事業の生活/生活と墓場が。》

「恋する二人」

《恋する二人は立ったまま抱き合い/夜の戸口によりかかる/行き来のひとがゆびさすけれど/恋する二人には/だれもみえない(後略)》

 戦争への抵抗や風刺があり、日常があり、恋がある。
 
 

「枯葉」は私たちの聴いている日本語歌詞とはかなり違う。原詩は「シャベル」で枯葉を集める。風に散る葉ではなく地面の落ち葉というイメージ。

……枯葉を集めるのはシャベル ね ぼくは忘れていないだろう/枯葉を集めるのはシャベル 思い出も未練もシャベルで(後略)》

 小笠原豊樹(19322014)は「岩田宏」名で詩、小説。「小笠原」名義で露・英・仏語翻訳多数。
(平野)

2017年8月24日木曜日

日常学&ビブリオ漫画


 荻原魚雷 『日常学事始』 本の雑誌社 1300円+税

 書名どおり日常の衣食住についての体験談。ひとり暮らしの自炊はお茶をいれることから始めよ、家事はやればやるほど早くこなせる、荻原流ネット依存(洗濯ネット)、ゴミ出し(収集日と回収品目)を知ることの重要性などなど。お金の話もある。
 フリーライターで自分ひとり食べていく生活だった。32歳で結婚したが貯金ゼロ。ひとり暮らしの知恵と経験は結婚生活でも活かされている。好きな仕事をして好きな本を買って読んで生きていく。お金はなくても無理せず生きたい。病気になると困るから清潔、整理整頓、掃除を心がけるが、やりすぎは禁物。

《生活を疎かにすると、気持が荒む。かといって、過度にストイックな暮らしは長続きしない。のんびりくつろげる環境を作るのは簡単なことではない。/無理のない快適な生活――それこそが「日常学」の目標だと思っている。》

 荻原の著書をあげておく。『活字と自活』『書生の処世』(本の雑誌社)、『古本暮らし』『閑な読書人』(晶文社)、『本と怠け者』(ちくま文庫)。著書も日常生活。
 荻原は怠け者と自称するが、なかなか勤勉。私も家事担当だが、なかなか向上せん!

 


 『ビブリオ漫画文庫』 山田英生・編 ちくま文庫 780円+税
 カバーイラスト、うらたじゅん。
 本をテーマにした漫画集。奇人変人、怪奇、夢、幻想の世界。それに清貧、頑固。笑いあり、恋あり、人情あり。
 山川直人、松本零士、水木しげる、諸星大二郎、楳図かずお、いしいひさいち、西岸良平、永島慎二、つげ義春ほか大人の漫画。
 少女漫画篇というのもありそう?

(平野)

2017年8月20日日曜日

蔵書一代


 紀田順一郎 『蔵書一代 なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか』 松籟社 1800円+税

序章 〈永訣の朝〉
章 文化的変容と個人蔵書の受難
章 日本人の蔵書志向
章 蔵書を守った人々
章 蔵書維持の困難性

 


 本にも出会いがあり、別れがある。
 紀田は書誌研究の他、幻想文学・ミステリ創作も手がける。シニア環境としてのマンションに転居するため、膨大な蔵書を処分しなければならない。古書店に引き取ってもらえば簡単だが、散逸してしまう。公共機関に寄贈しようにも現在は引き取り手がない。保管サービスにはそれなりの料金がかかる。結局大部分の本は最寄りの大型古書店に引き渡す。

《いよいよその日がきた。――半生を通じて集めた全蔵書に、永の別れを告げる当日である。砂を噛むような気分で朝食をとっていると、早くも古書業界のトラックが到着し、頭に手ぬぐいをかぶった店員が数人、きのうまでに梱包作業を終えていた約三万冊の書物の搬出にかかった。》

 自動車1台、4トントラック2台、運び出しに2日間で8人。がらんどうになった書棚を眺めて、「書籍なき家は、主なき家のごとし」というキケロのことばに実感をもつ。作業終了。本を見送る気はなかったが、店主に挨拶する。

《いまにも降りそうな空のもと、古い分譲地の一本道をトラックが遠ざかっていく。私は、傍らに立っている妻が、胸元で小さく手を振っているのに気がついた。/その瞬間、私は足下が何か柔らかな、マシュマロのような頼りないものに変貌したような錯覚を覚え、気がついた時には、アスファルトの路上に俯せに倒れ込んでいた。(中略、近所の人が心配して駆け寄ってくる。立ち上がろうとしてまた転ぶ)/小柄な老妻の、めっきり痩せた肩に意気地なくすがりながら、私は懸命に主なき家へと階段をのぼった。》

 家族や愛する人との別れではない。相手は「本」。愛書家にとっては自分自身との別れなのかもしれない。

(平野)
 冊子いただく。『人文会ニュース NO.127』 非売品
 毎号営業さんが送ってくださる。感謝。
 時事性のある問題を解説して参考文献を紹介する〈15分で読む〉は「LGBT(Q)――セクシャル・マイノリティと教育、学校」(吉谷武志)。
〈書店の現場から〉は鳥取・定有堂書店の奈良さん寄稿。
 人文会はこちら。「ニュース」も読めます(最新号はまだ)。
http://jinbunkai.com/

 


2017年8月19日土曜日

あきない世傳 金と銀(四)


 髙田郁 『あきない世傳 金と銀(四) 貫流篇』 
ハルキ文庫 580円+税

 髙田郁は主人公を次々に窮地に陥れる。たぶん、否、きっと性格が悪い! 読者も困難を克服する主人公に肩入れして毎回読んでいるのだが。

 ざっと、あらすじ。江戸中期、摂津武庫郡津門(つと)村の学者の娘・幸(さち)、兄と父が相次いで亡くなり、大坂天満の呉服屋・五鈴屋に女衆(おなごし)奉公に出る。お家(え)さん(三代目の母)と番頭に商売の才能を認められ、四代目店主の後添えになる。こやつが放蕩者、事故死。商才のある次弟が五代目になり、幸を妻にする。順調に繁昌するのだが、五代目は仕入先に迷惑をかけ出奔、呉服仲間に隠居願いと夫婦離縁を申し出る。お家さんは心労で倒れる。

 人の世の荒波に翻弄される幸だが、ただひとつ揺るがない意思がある。五鈴屋の暖簾を守り抜くこと。しかし、女は店主になれない掟。お家さんは幸を養女にする考え。浮世草紙の書き手を夢見て家出していた三弟・智蔵が店を継ぐ決意をする。智蔵は幸を人形浄瑠璃に連れて行き、嫁になってほしいと打ち明ける。

《「何の才もない、木偶の坊の私だす。いっそ人形になりきって、幸の思うように動かしてもらいまひょ。遣い手の幸に思う存分、商いの知恵を絞ってもらえるように」
 それでこそ、私が五鈴屋に戻った意味がおますのや、と智蔵は静かに結んだ。》

 智蔵は9年の作家修行でそれなりに苦労しただろう。六代目継承と兄の妻を娶ることについて呉服仲間の旦那衆に挨拶をし、頭を下げた。兄弟3人に嫁ぐことは世間の好奇の眼に晒される。智蔵は奉公人たちにも、すべて自分が考え、断る幸を無理に説得した、と説明。幸が商いに力を発揮できるよう「人形」としての役回りを果たす。周りの人に気遣いできる、意外に肝が太い。幸をやさしく包んであげている。

 智蔵と幸のお披露目の後、お家さんが幸に言い遺す。

《「五鈴屋を百年続く店にしてくれ――二代目が今わの際に、私の手ぇ取って、そない言うたんだす。三代目を継ぐ栄作にではのうて、女房の私に、この私に、そう言い遺したんだす」(中略)

「創業から百年続いたなら、次の百年、それを越えたらまた次の百年。たとえ、ひとの寿命は尽きても、末永うに五鈴屋の暖簾を守り、売り手も買い手も幸せにする商いを、続けていってほしい――二代目はそう言い遺したかったんやと思う」》

 幸の新しい商いの知恵は、読んでのお楽しみ。
 
 

(平野)今回お江戸で買った唯一の本。東京堂書店特製しおり付き。

2017年8月16日水曜日

蕭々館日録


 久世光彦 『蕭々館日録』 中公文庫 2004年(単行本は01年中央公論社刊)

「とりあえず世間では、小説家で通っている」児島蕭蕭(しょうしょう)の家(本郷弥生町)に、人気作家九鬼、『文藝春秋』蒲池、美学者迷々、精神科医並川、金貸し中馬、『中央公論』新米編集者雪平たちが何やかやと集まって来る。語り手は蕭蕭の娘麗子(5歳)。蕭蕭が岸田劉生「麗子像」に感動、おかっぱ頭に赤い着物を着せられている。この子が賢く弁も立ち、おませ、母の手伝いもする。2軒おいて隣の比呂志(6歳)は「しばらく物を考えないと、智恵が脳に貯まり過ぎて重く」なるほど頭脳優秀。ふたりは大人たちの話にまじって、彼らを驚かせる。

蕭蕭は小島政二郎、九鬼は芥川龍之介、蒲池は菊池寛のこと。他の作家たちの名は実名で出てくる。大正末から昭和初めの時代の様子も描かれている。
九鬼は精神的・肉体的に疲れている。みんな九鬼のことが大好きで心配している。
 5月の夜、作品をけなし合う「黒豹会」(こくひょうかい)を開く。九鬼のための会ではないが彼に来てほしいと思っている。ものぐさな蕭蕭の妻も九鬼の好きな天ぷらを用意。遅れてやって来た九鬼が亡くなった母親の話をし、蕭蕭に借りていた本を返す。

《……一応さりげなさそうに装ってはいるが、誰が見たって身辺の整理をしているとしか思えない九鬼さんの様子だった。父さまはみっともなく狼狽えて、プイとそっぽを向く。あたしは九鬼さんに腹が立って、口の中が熱くなった。――九鬼さん、甘えてはいけません。この間うちから、みんな九鬼さんのことを心配しているのです。九鬼さんの才を惜しみ、九鬼さんの人柄が好きだから、ハラハラしながら、もう一度しっかり生きてくれるよう祈っているのですよ。……》

 麗子が怒りを爆発させようとした瞬間、中馬が創作した講談「十兵衛旅日記」を大声で語り出した。白扇を打つ呼吸も見事で、蒲池がやんやと声を上げ、九鬼は「体を海老みたいに折り曲げて、苦しそうに咳き込みながら笑い転げている」。蕭蕭も笑い、迷々は興奮して雪平の頭を叩いている。

《あたしは心の中で中馬さんに頭を下げた。中馬さん、ありがとう。あなたの機転で、九鬼さんが笑ってくれました。――中馬さんは、俯いて真っ白なハンカチで目を拭っていた。》

 723日、九鬼以外の人たちはまたも蕭々館に集まっている。九鬼は彼らに借りた本をすべて送り返していた。麗子は書庫で昼寝していて九鬼の声を聞いた。自作を読んでくれている。目覚めてその原稿を発見する。清国の女性革命家の話。読んでいると、空から怖しい音がした。みんなが庭に飛び出す。

……石段に立って、比呂志くんが震えながら上野の空を指差していた。キラキラ輝く光の雲の塊が、ちょうどあたしたちの頭の上を越えて、上野のお山の向こうに消えていくところだった。(中略)――あたしと比呂志くんは、弥生坂の石段でしっかり抱き合っていた。比呂志くんが、泣きながら「九鬼さーん」と叫んだ。まるで、さっきの〈あれ〉が九鬼さんだったみたいに、あたしたちは「九鬼さーん」と、何度も呼んだ。涙は、いつまでも止まらなかった。》

 1927年昭和2724日明け方、芥川龍之介服毒自殺。
 
 

(平野)8.11から13、盆休み帰って来ない子どもたちに会いにこっちから上京。その旅の本。

2017年8月8日火曜日

古い旅の絵本


 『茂田井武画集 古い旅の絵本』 JULA出版局 1999 2800円+税

茂田井(190856)は1930年から3年あまりヨーロッパ放浪。ソウル、ハルピン、シベリア鉄道、モスクワ……エジプトから船で帰国。

茂田井は40円持って東京出発、大阪で使い果たし、広島で餞別をもらい、福岡で散財、募金、ハルピンで看板描きと似顔絵で300円稼ぐ。シベリア鉄道車中でも似顔絵、「三等車中の人が全部たのみにきて、各国の紙幣 金貨 銀貨でポケットが一ぱいになる」。

行く先々で働きながら土地の人と触れ合っている。解説者が茂田井の旅の文章を探してきている。ソウルでは銀行員の娘の婿候補になり、モスクワではアメリカ人の金持ちと知り合い、ワルシャワでは「ショパンそっくりの案内人にひきまわされ見事に金をつかい果たす」。ケルンの駅のベンチで一晩寝た。パリの革命記念日、老若男女が街中で踊り、茂田井は床屋のマダムとタンゴ、「盆踊り」と記している。

菓子焼きの名人と客、鳩にエサをやるおばあさん、エジプトの喫茶店、市場……、酒好きイタリヤ人の鼻は皆赤い。
 
 

カバーの絵、表はレマン湖、裏はパリ祭の踊り。

旅行中のスケッチは戦災で消失した。本書の絵は、「印象のレンズを通して脳裡に焼きつけられた光景」を少しずつ描いていたもの。戦争中、画帳を預かった編集者が大切に守った。茂田井は画業と病のなか、子どもたちに遺したかった「おとうさんの絵本」を描いていた。本書もその一部。

(平野)古本ではなく新刊扱い。新聞広告で発見。