2017年12月31日日曜日

義経伝説と為朝伝説


 原田信男 『義経伝説と為朝伝説 日本史の北と南』 
岩波新書 860円+税

 源義経の華々しい活躍と悲劇は「平家物語」などでよく知られる。その叔父・為朝は《鎮西八郎》の号を持つ豪傑、保元の乱で敗れ自害した。両者とも史料は少ないが、物語に語られ、各地に伝承・伝説が残る。座った岩、所持品、岩を投げた場所などの他、生き延びて海外に渡ったという説がある。義経のジンギスカン伝説は特に有名。

原田はふたりの伝承・伝説の分布――義経は北方、為朝は南方に多いこと、また彼らが足を踏み入れたことがない地域にも伝わっていることに注目。さらに、彼らの死後の物語が海外に及んで王朝の始祖・覇者になってしまうことに疑問を持つ。謎解きは旧石器時代の日本列島から始まる。古代史以来の国家の北限・南限領域拡大過程、彼らの伝説の発生と時代ごとの変容、近代での英雄伝説「史実」化を検証する。

〈すでに『古事記』『日本書紀』のヤマトタケル建国神話は、西(南)で熊襲を、東(南)で蝦夷を、それぞれ征討する物語となっており、ヤマト政権にとって列島の北と南は、当初から版図拡大の対象だったことがわかる。〉

 中世以降、ふたりの物語にさまざまな逸話が加わり、より大きな伝説になる。時代時代の人々に浸透し、大きな役割を果たすようになる。蝦夷、沖縄、そしてアジアへと。

……義経・為朝伝説の成長と展開は、日本の中央政権が列島の北と南を自らの領域として覆い尽していく歴史過程と、みごとにシンクロしている。それゆえ本書では義経伝説と為朝伝説を軸に、その背景となる日本の北と南の歴史を通史的に対比しつつ、日本という国の歴史がもった特質について考えてみたいと思う。〉


(平野)

2017年12月26日火曜日

五月よ 僕の少年よ さようなら


 寺山修司×宇野亜喜良 『五月よ 僕の少年よ さようなら』 編:目黒実 アリエスブックス 1700円+税
 
 

 少年少女をテーマに、寺山の詩・アフォリズムと宇野のイラストがコラボ。宇野は寺山の舞台で美術やポスターを担当した。

寺山の詩「五月の詩・序詞」に、〈夏休みよ さようなら/僕の少年よ さようなら〉の一節がある。宇野は本書巻末に、〈五月よ/ぼくの少年よ/さようなら//ぼくの寺山修司よ/さようなら〉と書く。

寺山は宇野のことを、かつて「刺青師」「変装狂」「ジル・ド・レ伯爵の末裔」「老婆」「左手の職人」「経歴詐称の船乗り」……「舞踏病の少年」「冷酷な法医学生」「花をくわえた少女」……「わたしの誇るべきひとりの友人」と表現した。

 海の詩が多くて、ついそれに目が行く。

「海の消えた日」
〈ある日、突然、世界中の海が消えてしまった。/そして、人々は誰もそのことを口にしなくなってしまった。/一体、海はどんなものだったか。/思い出そうとして書物をひらくと、どの書物からも/海という字が失くなってしまっているのだった。(後略)〉

「かなしくなったときは」
〈かなしくなったときは/海を見にゆく/古本屋のかえりも/海を見にゆく/あなたが病気なら/海を見にゆく/こころ貧しい朝も/海を見にゆく(後略)〉

アリエスブックスは福岡の出版社、絵本を中心に出版。トランスビュー扱い。

(平野)
 クリスマス・イヴに娘と赤ん坊が横浜に帰ってしまった。じいさんは《孫ロス》状態からようやく脱した。ぼやぼやしていたら年を越せない。赤ん坊の写真で年賀状作成中。

2017年12月19日火曜日

江戸川乱歩と横溝正史


 中川右介 『江戸川乱歩と横溝正史』 集英社 1700円+税

日本探偵小説界二大巨星の生涯。
乱歩は1965年に亡くなったが、繰り返し選集や全集が出版され、今もベストセラー作家。
正史は70年代の角川文庫のブーム以前は忘れられていた作家と思われているが、「人形佐七」など旧作がずっと出ていた。
ふたりともデビューしてから常に執筆依頼があって書く作家だった。研究書は何冊もある。
乱歩が8歳年上。探偵小説愛好家の時代から互いに認め合い、時に反目、また支援をしあった。友情は終生変わらなかった。

休筆したり、病気になったり、書きたくても思い通り書けなかった時代があった
 本書はふたりの「交友」に焦点をあて、探偵小説出版史を重ねる。
 
〈江戸川乱歩が作りあげた最大の作品は「横溝正史」だったのではないだろうか。/その交流のなかで乱歩は横溝と、ときには探偵小説愛好家の同志として意気投合し、ときには兄のように叱咤激励し、ときにはライバルとして切磋琢磨し、ときには親友として以心伝心で理解し、常に横溝に探偵小説を書く意欲を持ち続けさせていたように思える。〉

 著者は1960年東京生まれ、作家・編集者。クラシック音楽、古典芸能、歌謡曲などの著書多数。本書では編集者だった祖父が登場する。


 
(平野)

2017年12月10日日曜日

み仏のかんばせ


 安住洋子 『み仏のかんばせ』 小学館文庫 570円+税

 安住は1958年尼崎生まれ、時代小説作家。3年ぶりの新作。人情物が得意だが、本書では主人公が修羅場をくぐる。
 
 

 志乃は女郎に売られ、逃げ、男と偽って首斬り役人・山田浅右衛門に中間奉公する。主人の側に使えて剣術も学んで10年、役目の途中、大事な罪人の肝を強奪され辞職する。針売りになって女として生き直す。志乃は主家出入りの大工・壮太と再会、志乃は壮太が自分のことを覚えていないと思った。中間時代、壮太の笑顔に癒されていた。

ふたりとも人には言えない身の上、壮太は志乃を襲った盗賊一味。互いに秘密を隠し、家庭を持つ。壮太は訳ありの観音像を志乃に見せる。いっしょになっても、志乃は浅右衛門に危ない仕事を手伝わされ、壮太も盗賊を続けていたが、過去の事件を解決する。子どもが生まれ、観音像に手を合わせ平穏な生活を送る。そこに因縁が蘇る。家族が支え合い、良い方向に持っていこうと懸命に努める。

強奪事件で壮太は刃を交え、志乃が女だと気づいていた。壮太が回想する。

〈肌のきめがなめらかで毅然とした顔つきだった。男でも女でもなく、この世のものとは思えない、肌の内側から発光するように輝いていた。そこに志乃の生き方が現れているような気がしたんだ。(後略)〉

 ふたりの秘密は大きすぎるが、誰にも小さな秘密はあるだろう。ふたりはささやかな幸せを大切にしようと前を向く。過去のしがらみさえも受け入れていく。

(平野)

2017年12月7日木曜日

日本の詩歌


 大岡信 『日本の詩歌 その骨組みと素肌』 岩波文庫 
640円+税

 1994年、95年にフランスの高等教育機関コレージュ・ド・フランスで、日本古典詩歌と言語・文字など日本文化の特質を講義。単行本は95年講談社より、2005年岩波現代文庫。
 

1 菅原道真 詩人にして政治家
2 紀貫之と「勅撰和歌集」の本質
3 奈良・平安時代の一流女性歌人たち
4 叙景の歌
5 日本の中世歌謡

 
 
 大岡は、「日本の文学・芸術・芸道から風俗・習慣にいたるまでを、根本のところで律してきた和歌というものの不可思議な力、それを出来るだけ具体的にとりあげ、説明してみたい」と、まず、菅原道真の漢詩から始める。
 道真の時代(平安初期)はまだ仮名文字が普及していない。公式文書は漢文、詩は漢詩。「学問の神様」道真は学者で政治家。左遷を経験し右大臣に昇進、最後は太宰府に追放。死後は「怨霊」と恐れられ、祀られた。
 日本人でも彼の詩を知る人は少ないだろう。どんな詩なのか。華やかな宮廷の宴の詩もあるが、友を励ます詩、市井の人々の暮らし、地方での生活、政治腐敗、学者批判など社会的問題も扱う。

……道真の詩、特に讃岐時代の詩や九州太宰府への追放時代の詩は、喜びや哀しみ、怒りや苦しみの表現において、常に具体的に原因と結果を明示する書き方をしており、主体である詩人自身の立場は明確であり、社会事象に対する彼の反応も明確に表現されています。〉

 漢詩と比較して和歌は短い形式、主語も省略される。

〈和歌の表現は、暗示と極端に少ない量の情報によって成り立っています。そこに存在するのは、具体的な事物や事件の精細な描写ではなく、それらと出会った時の、作者の感動の簡潔な表現です。具体的な事実への言及は、感動の表現にとっては必要な範囲で最小限に行われるだけです。〉

 仮名の発明、普及で詩歌は漢詩から和歌に移る。「きわめて短期間にこの劇的変化は成就」した。

〈彼の用いた詩型が中国伝来の漢詩であったことが、この忘却の一つの原因であったことも明らかですが、彼がこのような詩を書きえた理由も、まさに漢詩という形式を使った点にあったのですから、思えば矛盾そのものを生きた詩人でありました。大きな深淵が漢詩と和歌との間には横たわっていたのでした。〉

(平野)

2017年11月25日土曜日

スリップの技法


 久禮亮太 『スリップの技法』 苦楽堂 1666円+税

 久禮は1975年生まれ、フリーランスの書店員。新刊書店の選書や業務の他、書店員研修を担当する。


「スリップ」とは、本11冊に挟み込まれている細長い紙。出版社名・書名・著者・コード番号などが記載されている。読者にはあんまり役立たないが、書店にとって重要な情報が詰まっている。売上の証拠・記録であり、これに店のハンコを押して取り次ぎ会社や出版社に発注する注文書として使う。現在はレジのPOSシステムで売上データが集積され、発注もオンラインで行うから、書店現場ではこのスリップはほとんど利用されていない。しかし、久禮はこのスリップを重要視して活用し、業務に役立てている。

〈売れた書籍のスリップを集めた束は、売れ冊数や売上金額といった抽象的な数字に化ける前の具体的な「売れたという事実」を、個別に、かつ大量に扱いながら考えるための優れた道具です。〉

 久禮はこのスリップを在庫管理や発注に使うだけではない。レジ業務をしながらスリップを整理し分析する。発注・関連書・陳列の手直しをするための備忘録、同僚書店員への業務連絡メモ(本の動き、関連本などヒントや注意事項)、他の本へのつながりを考え発注・陳列の参考。それに久禮の真骨頂が、スリップを見てどんな人が買ったのか想像をめぐらすこと。まとめ買いのスリップは輪ゴムやクリップでまとめておくようにしている。それらから想像が広がり、妄想もする。

〈具体的な読者像を描き出し、そのバリエーションを増やしていくことで、書店員ひとりの狭い視野では気づくことのできなかったさまざまな視点から発注や陳列ができます。〉

 まとめ買いの数冊から読者の職業・嗜好を想像する。その人が棚をどう回遊したのかを追うことで意外な本のつながりを読み取る。関連本、品揃えをさらに検証する。スリップは《次にやるべき仕事リスト》だ。

 久禮は頭の固いスリップ至上主義者ではない。スリップを検証したうえで、POSやWEBの情報と連携させる。

〈スリップに書き込むメモは仮説であり、ときに妄想でもあります。その頭を冷やすブレーキがPOSのデータです。ただ、ブレーキだけでは売上も僕自身のやる気も徐々に減速してしまいます。スリップを見て「次はこんな品揃えならお客様も喜んでお財布を開いてくれるんじゃないか」と期待感を高め、アクセルを踏み、本を実際に仕入れることで、売り場を新陳代謝させ、売上を伸ばしていくことができます。〉

久禮はこれまで培った《スリップの技法》を惜しげもなく披露する。誰でもがすぐにできることではないけれど、本を売ることの楽しさと喜び再発見につながると思う。

写真は、11.24神戸で開催された「勁版会第402回例会 『スリップの技法』著者・久禮亮太さんトークイベント」。実際の売上スリップを使っていつもの作業を見せてくれた。
 

 

(平野)私は現役時代スリップ主義者であった、と言ってもご大層なことではなく、POSレジなどない前近代的経営の店だった。働く者も、「そんなもんいらん!」と思っていた。お子さん連れのお客さんが「ピーしてもらおうね」と来られると、レジ担当者が「ピー」と言って手渡していた。

2017年11月23日木曜日

365日のほん


 辻山良雄 『365日のほん』 河出書房新社 1400円+税

荻窪《本屋 Title》店主。Webページで「毎日のほん」を毎日更新、それに新刊紹介も行っている。
 私は本書をそれらの情報をまとめたものと思っていた。たいへん失礼いたしました。すべて書下ろし。本屋経営に加えて、連載やらインタビューやら引っ張りだこなのに、一体いつ寝ているの?

〈毎日、書店の店頭には数多くの新刊が入ってきます。日々、それに触れることを繰り返しているうちに、「光って見える本」が自然とわかるようになりました。著者の内にある切実なものをすくい上げ、生まれるべくして生まれた本には、はじめて見たときでも「ずっとこの本を待っていた」という気持ちにさせられるものです。そうした強い必然性を持った本は、ぱっと見ただけで、他の本とは違う輝きを放っています。〉

 装幀もサイズも本文インクも、かわいい! 爺さんが手に取っていいものか、すこし戸惑う。《考える本》《社会の本》《ことば、本の本》《文学・随筆》《自然の本》《アート》《くらし・生活》《子どものための本》《旅する本》《漫画》など柔らかくジャンル分け(複数のジャンルになる本も)し、春夏秋冬を考えて配列。
 たとえば11月は《考える本》、國分功一郎『暇と退屈の倫理学』で始まる。
〈哲学は古くカビが生えたものではない。/哲学とはいつの時代でも、「どうやって人間らしく生きるか」を真剣に考えることだ。(後略)〉
 続いて、《アート くらし・生活》、『柚木沙弥郎 92年分の色とかたち』。
〈歳を重ねるごとに若くなる。自由に布のうえで舞い、踊る、色とかたち。/「芸術」や「民藝」といった大げさなことばのうえには納まらず、みずみずしい驚きを追いかけた人生。(後略)〉

 本を読むこと、選ぶことが楽しくなるよう提案してくれている。
《Title》店内を回遊している気分。
 
 

(平野)著者のお店で購入すると特典あり。

2017年11月21日火曜日

戦争育ちの放埒病


 色川武大 『戦争育ちの放埒病』 幻戯書房 4200円+税

 単行本・全集未収録の随筆86篇。


「本が怖い」

〈本屋にはわりに頻繁に出入りする。びっしり並んだ本を、ただ黙っていつも眺めている。ああいうときの、ふわッと自分が軽くなっていくような、とめどなくぼんやりして眠くなってしまうような気分が悪くない。〉

 本はあまり買わないが、あれこれ買ってしまう。でも、読まない。買って家にあるとページを開いて読んでしまう。本は読まないようにしたい。買って置いておくだけでも健康に悪いのに、読んでしまったらどうなるかわからない。作家になってから、「本を開けるのが怖い」。読み出したら萎縮して書けなくなると思う。

〈情けないが売文しなければ生活がおぼつかない。したがってできるだけ毒にも薬にもならぬことを記して、社会のお邪魔にならぬよう隅っこでお茶を濁している。が、ほかの人はそうではあるまい。本というものはそれなりに著者の力の結晶であって、そういう力感に私は出遭いたくない。私は何も見ず、何も聞かず、何も読まず、このままなんとかごまかして手早く一生を終えてしまいたい。〉

 色川は戦争ですぐ死ぬと思っていた。どんな死に方をするか、死ぬまでどう生きるかしか考えなかった。戦争が終わって生き延びた。歓喜と同時に、死んでいった人たちのむなしさを思う。

〈一度あったことは、どんなことをしても、終らないし、消えない、ということを私は戦争から教わった。〉

 色川の「戦後」は終らなかった。

(平野)

2017年11月18日土曜日

個展


ヨソサマのイベント

 竹内明久「モトコー切り絵展 犬の記憶。人の眼差し。」

11.142620日休み) モトコー2 プラネットEartH

故成田一徹のお弟子さん。元町高架下の人と店を描く。モトコーはJRの線路の下、再開発計画で存続の危機にある。


 


ギャラリー島田、毎年大人気の二つの展覧会、同時開催。

 石井一男展

11.2512.6 11001800 (最終日は17:00まで)

25(土).26(日)は930より整理券配布。


 

 須飼秀和展

11.2512.6 11001800 (最終日は17:00まで)

 

(平野)
 

2017年11月14日火曜日

港の人


 北村太郎 『港の人 付単行本未収録詩』 港の人 2200円+税

〈荒地〉の詩人・北村太郎(192292)の『港の人』(1988年、思潮社)を復刊。
 解説・平出隆、ケースの絵・岡鹿之助「古港」。

……家庭を捨てた北村太郎が、彼を労わる者たちの圏内からもやがて離れて、みずからを横浜という固有の都会の中へ解き放とうとする姿をとどめた詩集である。(後略)》(平出)

 


《むかし船員になりたいとおもったことがあった
いちばん下っぱの水夫がいいなとおもった
ペンキくさい底のほうで
労働するのはわるくないぞとおもった
そのころのぼくの愛読書はコンラッドで
なかでも『台風』とか『青春』とかの海の小説が気にいっていた
そんなのんきな夢は
とおいとおい昔のこと(後略)》
 QE2を見にやました公園に行く。船は「ごく静かに」「遅いような早いような速度で」出港していった。
「人生の一日はいつもあっという間に終わってしまう」
 帰り道、あの作家は船長の資格を持っていたことを思い出す。

(平野)
北村の詩集を社名にした出版社、本年創立20周年。

2017年11月12日日曜日

詩人なんて呼ばれて


 谷川俊太郎 尾崎真理子 
『詩人なんて呼ばれて』 新潮社 2100円+税


 谷川俊太郎評伝+インタビュー+詩21篇(書下ろし1篇)。

〇詩人になろうなんて、まるで考えていなかった
〇詩人は、全世界を引き受けようとするんだ
〇意識から出てくる言葉じゃない
〇滑稽な修羅場もありました
〇運がいいと、それを詩に書けるかもしれない

 尾崎は読売新聞編集委員、3年かけて谷川にインタビュー。谷川の生い立ちと詩人としての歩みに、時代と社会の動きを重ねて構成する。
 1962年から63年、谷川は週刊誌で社会世相を題材にした詩を連載していた。当時、高度経済成長が始まり、消費社会、土地、教育、労働、環境問題など現在につながる課題が芽生えていた。

……あの頃、詩を書いている人間の一種の敏感さみたいなものがはたらいて、自分の周囲の物事、とくに言語化されたものを全体的に引き受けようとしすぎて、それで疲れてしまったところもあった気がしますね。ふつうは皆、自分に関心のある、一部分だけ引き受けてるんだけど、詩人は全世界を引き受けようとするんだ。少なくとも、僕はそういうところがあるから、そうすると言葉にするのがもっと難しくなっていく。そのためのタクティクス、戦略みたいなものを自覚的に考えて切り開いていかないと書き続けられない。僕はその頃から時事的な詩を引き受けたり、歌詞を書いたり、脚本を書いたり。口語体の詩とかひらがなの詩とかいろいろな方向で、意識的に自分をオールラウンド・プレーヤーに鍛えようとしてきたって感触はありますね。》

「詩人なんて呼ばれて」
本当は呼ばれたくないのです
空と呼ばれなくても空が空であるように
百合という名を知る前に子どもが花を喜ぶように
私は私ですらない何かでありたい (後略)

(平野)詩人は私(1953年生)が生まれる前から詩人であり続けている。『鉄腕アトム』の主題歌でこの人の名を知った。「たにがわ」とずっと思っていた。

2017年11月6日月曜日

銀河鉄道の父


 門井慶喜 『銀河鉄道の父』 講談社 1600円+税

 宮沢賢治の生涯を父・政次郎の視点で描いた作品。
 

 政次郎は花巻の裕福な質屋の主で地元の名士。熱心な浄土真宗檀家であり、経典を読み込み、賢治が日蓮宗系の団体に入会して論争を挑んでも受け止めた。
 私は賢治の父に、封建的、わからず屋というようなイメージを持っていたが、この小説ではまったく違う。真面目で頭脳優秀、文化に理解があり、厳格であるが子どもたちに優しい。特に賢治は政次郎の大きな愛に包まれて育った。
 賢治は学校を出た頃から、飴を製造するとか、人造宝石を研究するとか、夢ばかり追っていた。政次郎は賢治に質屋を継がすことはあきらめたが、堅実な道を歩んでほしかった。教師になることができて、息子が「ふつうの、大人になれた」と思った。
 賢治も自分が「甘ったれ」だとわかっている。経済的にも精神的にも独立できない自分を責めた。俗物的野心はあるが、父の望むような生活は嫌なのである。家出して東京の印刷屋で働いていたとき、現実の自分に悲観し、将来の展望もないことを宗教者に相談したが、たいした応えはない。たまたま見つけた文房具屋で原稿用紙が目に入った。

《「あっ」/声が、家々の壁にひびいた。/胸腔内の熱い岩漿(マグマ)がガスを吹き出し、頭蓋を割った。/(これだ)/思うまもなく、頭蓋から、噴水のように溶岩がほとばしった。/溶岩とは、ことばだった。手でつかまえなければ永遠に虚空へ消えてしまうだろう一瞬の風景たち、どうぶつたち、人間たち、せりふたち、性格たち、比喩や警句たち、話の運びたち。》

 賢治は店にあるだけの原稿用紙を買い、下宿で万年筆を走らせた。1日で300枚の塔ができていた。内容は童話。走り書きだし、消した箇所も多いが、「質的にもこれまでで最高」だと思った。なぜ童話だったのか。小学校で先生が『家なき子』を朗読してくれたこと、妹に童話を書いてとせがまれたこと、自分が大人と良い関係を作れなかったこと、それは大人の世界からの「逃避」だったことなど、さまざまな考える。何よりも根本的だったのは、

《「お父さん」/賢治はなおも原稿用紙の塔を見おろしつつ、おのずから、つぶやきが口に出た。/「……おらは、お父さんになりたかったのす」/そのことが、いまは素直にみとめられた。/ふりかえれば、政次郎ほど大きな存在はなかった。自分の命の恩人であり、保護者であり、教師であり、金主であり、上司であり、抑圧者であり、好敵手であり、貢献者であり、それらすべてであることにおいて政次郎は手を抜くことをしなかった。》

 賢治は父のようになれないことはわかっている。健康不安もある。それでも「父」になりたいのなら方法はひとつ、「子供(わらす)のかわりに、童話を生む」、活字になれば読者もまた、「おらの、わらす」になる。花巻に帰らず、父とも顔を合わせず、東京でやってみようと決意した。ところが、妹の病状(結核)が悪化し、賢治帰郷。まもなく妹は死去。
 賢治も肺を冒され、またも政次郎が看病する。賢治が机に向かえないと嘆くと、政次郎は「あまったれるな」と叱咤。

(平野)M&J書店文芸担当者の推薦帯付き。
 賢治の死後、政次郎は孫たちに賢治の詩を読んで聴かせる場面、感涙。

2017年10月28日土曜日

うそつき


 野坂暘子 『うそつき My Liar 夫・野坂昭如との53年』 新潮社 1500円+税
 
 

 夜でも黒眼鏡早口酔っ払いの変なおじさんはコマーシャルソング作詞家、30歳。現役タカラジェンヌ、19歳。知人の紹介で交際が始まった。変なおじさんは東京からたびたび宝塚にやって来た。差し入れはダンボールいっぱいの即席ラーメン。六甲山頂の岩の上でプロポーズ。その時、もう嘘があった。山上からの景色を説明しながら、

《突然野坂さんが言う。/「ぼく、マツゲが無いんです、見てくれますか?」えっ? マツゲが無いって……怖い! 野坂さんはいつも外したことのない黒眼鏡をはずす。一瞬緊張が走る。/「アハハハ、マツゲあった!」/私は岩の上で笑いころげる。/野坂さんは真面目な顔をして私にプロポーズをした。/私は何故か急に涙が溢れて泣き笑いをした。》

 夫人が作家との思い出と共に、彼の素顔を語る。

《彼はとてもお行儀のいい人で、言葉づかいがまず綺麗。これは亡くなるその日まで崩れることがなかった。私は呼びすてにされたことは一度も無く、一般によく聞く、オイ、お前、風呂、お茶、云々は例えば「あなた、お茶を一杯淹れて下さい」という具合。結婚後しばらくは、何かぎこちなく、他人行儀の感もあったしオジサンくさくもあった。》

 野坂は軽佻浮薄、不良、目立ちたがり屋と思われがち。その反面、戦争をテーマに小説を書き、食糧問題に取り組んだ。

《気が小さい、気が弱い、ついでに僻み嫉み妬み、これはぼくのキャッチコピー。努力、忍耐、根性は到底似合わない、いつか人生のどこかで辻褄が合えばそれでいい、と私に語っていたあなた。酒の力を借りながらその都度いろいろなものを捨ててきたとも。浴びるように流し込んでいたアルコールも黒い眼鏡も隠れ蓑。嘘ばかりついていたら何が本当やら、気づけば狼少年が狼爺いになって本当に逝ってしまった。(後略)》

 野坂は嘘つきでアル中、ついに脳梗塞で倒れる。暘子は介護中も旅行に連れ出したり、原稿聞き書きしたり、それを楽しんでいた。故郷神戸にも連れて行きたかった。野坂本人は震災復興後の神戸を嘆いていたようだが。

他人事ながら退屈しない家庭生活だっただろう。本書には笑ってしまうエピソードがたくさんある。ヒモの話とか前世の話とか。でもね、生い立ちや戦争体験の話はやはり悲しい。すべてひっくるめて、〈野坂昭如〉。

(平野)『エロ事師』にも戦争の影がある。
〈ほんまにWEB》連載3本、更新しています。

2017年10月18日水曜日

南蛮美術総目録

 『南蛮美術総目録』 市立神戸美術館 1955

『みなと元町タウンニュース』連載原稿のために図書館で借りた本。A5判、375ページ、美術目録なのに図版なし。紙は藁半紙。

 神戸兵庫の大地主で池長孟(18911955)という人がいた。先祖代々の財産を南蛮美術品蒐集につぎ込み、美術館を建て、公開した。神戸の年配の方なら葺合区熊内町にあった〈南蛮美術館〉を覚えておられるだろう。

池長は、植物学者・牧野富太郎を援助し、地元の考古学者の資料を保存するなど、芸術、文化を愛し、高貴なる者の義務を心得ていた人。戦災から美術品を守ったが、戦後莫大な税金を課せられ、コレクション散逸の危機に陥った。神戸市に委譲を決意、蒐集品を整理・分類して目録を作成した。51年、池長美術館は神戸市立美術館になる。現在南蛮美術品は市立博物館に収蔵されている。重要文化財がたくさんある。

表紙の絵は南蛮船。
 

 

 数年前に消えた本屋の書皮を思い出す。もう一枚あったが見つからない。
 
(平野)
『みなと元町タウンニュース』は元町商店街あちこちの設置ラックで配布しています。

 

2017年10月17日火曜日

昭和文学盛衰史


 高見順 『昭和文学盛衰史』 文春文庫 1987年刊

1956年から57年『文學界』連載、単行本(全2巻)は58年文藝春秋新社から。



30年前の文庫、よく焼けている。

 高見順(19071965)は福井県生まれ、作家・詩人。ダダイズムなど前衛芸術運動、社会主義思想の影響を受け、プロレタリア作家となる。治安維持法で検挙され転向、従軍。戦後は病を抱えながら作品を発表し、日本ペンクラブの活動や日本近代文学館設立に尽力した。70年、高見の遺志により詩人に贈る「高見順賞」が設立された。
 本書では高見自身の足跡と共に昭和文学史を回顧。
 大正末から昭和初め、全国で多くの文学同人雑誌が発行されていた。作家も既存の雑誌に発表するのではなく、友と同人雑誌を始めた。高見は島木赤彦の歌を紹介して、若き日の文学への思いを伝える。

《 我等の道つひに寂しと思ふゆゑにいよいよますます友を恃(たの)めり
  はじめより寂しきゆゑに相恃む心をもてり然(し)か思はぬか》

文学の友。

《この世に生を享(う)けて、ともに、文学の道を歩んで行く友である。》

高見は「寂しと思う心」に郷愁を覚えるが、礼讃するのではない。「偉大な文学こそ、我等の道ついに寂しと思う、強い孤独のなかから生まれる」と考える。
 しかし、資本主義社会では芸術・文学は商品である。プロレタリア文学が「文学を商品としてしか見ない資本主義社会の悪を衝いた」。
 同人たちが対立、抗争、分裂する。

《恃む友、相恃む文学の友と、いわゆるイデオロギーの相違ということで喧嘩別れをせねばならなかった。昨日までの友を今日は敵と呼ぶに至った。これは喜劇であったろうか。悲劇であったろうか。》
 プロレタリア文学の台頭は昭和文学史の重大事項だが、こちらも内部で対立、分裂が起こる。

(平野)

2017年10月12日木曜日

幕末明治人物誌


 橋川文三 『幕末明治人物誌』 中公文庫 1000円+税

解説・渡辺京二

 橋川文三(はしかわ・ぶんそう、192283)は政治学者、著書に『日本浪曼派批判序説』(未來社)など多数。
 
 

明治という時代を見ることなく倒れた人、権力から外れた人、思想家、軍人、文化人、政治家、結社主宰者ら。歴史の本流ではなく、どちらかと言うと敗者の側にいる人物たちを取り上げた論文集。吉田松陰、坂本龍馬、西郷隆盛、後藤象二郎、高山樗牛、乃木希典、岡倉天心、徳富蘆花、内村鑑三、小泉三申、頭山満。

《歴史は主役だけで動くものではなく、蔭には無数の脇役の働きがある。後藤象二郎は準主役であっても、いまの人には耳遠い存在だろうし、小泉三申も知る人ぞ知るにせよ、いまとなっては無名に等しかろう。松陰や龍馬のような超有名人にまじって、今日忘れられたような人物に光が当っていることも、本書の今日的有用性ということになろう。》(渡辺)

 西郷隆盛は維新の英雄として現在も人気がある。しかし、歴史家の評価は芳しくない。「征韓論」が侵略思想の源流とみなされること、大久保利通らに比べて近代国家建設に貢献していないこと、を理由にされる。

 西郷下野、西南戦争は、明治新政府が西郷の理想と離れた結果という意見も多い。

《しかしそれなら西郷が維新にいかなる夢を託していたかといえば、直接にはわかりにくいところが多い。ただもし幾分の飛躍をおそれずにいえば、西郷はそこにもっとより(、、)徹底した革命を、もっとより(、、)多くの自由と平等と文明(、、)をさえ夢想していたかもしれないのである。》

(平野)