2019年3月28日木曜日

神戸市立圖書館100年史


 『神戸市立圖書館100年史』 神戸市立中央図書館 
2012年刊 非売品

 
伊藤博文銅像設立と同じ年、1911(明治44)年3月、神戸市議会で図書館設立議案が可決。地元経済界から寄付金があり、篤志家から蔵書が寄贈された。11月、相生町(神戸駅の東)旧市庁舎を改装して市立図書館が開館。2階建て延床面積195坪。蔵書9000冊だが、整理・準備できたのは3400冊あまり。図書のカードで読みたい本を調べ、閲覧表に記入して、書庫から出してもらう。
当初、閲覧は無料だったが、翌年4月から有料になる。普通閲覧料12銭、特別閲覧料14銭、普通回数券15回分15銭、特別回数券15回分30銭(東京市電運賃大人4銭)。普通閲覧室、婦人席の他、特別閲覧室があり図書館功労者や館長が許可した人は貴重図書や冊数など優遇された。
15(大正4)年4月、館外貸出開始。普通貸出13冊まで20銭(延滞料あり)、優待者は無料。
優待者とは、功労者及び館長が認めた者、市区名誉職員、官公庁銀行会社等の要職者、官公立学校校長、直接国税10円以上納税者、以上の条件該当の保証人がある者。1920(大正10)年10月、大倉山に新図書館移転。延建坪607坪、本館1階に公開図書室、特別閲覧室、婦人閲覧室、館長室、事務室など、2階は大閲覧室、屋上に庭園、別に書庫5階建て。蔵書29000冊超。

 当時、菊田一夫(劇作家)は元町の美術商で奉公していた。店主の納税証明書を利用して本を借りた。

〈神戸市のうちでは住宅街として、粒がそろっている、といわれる中山手通りを、湊川の方向にむかうと、その右側の小高い丘に大倉山公園がある。その中腹に市立大倉山図書館がある。そこでは誰か保証人を立て、その保証人の納税領収書を示せば、館外貸出もしてくれる。和吉は珍物屋商会の主人に頼んで、納税領収書を貸してもらい、生まれてはじめての図書館通いをやった。〉(菊田の自伝小説『がしんたれ』角川文庫、1961年)

 菊田が図書館の前庭から見た100年前の神戸風景。

〈そこは神戸港を一目に見おろす丘の中腹でその白いベンチに腰をおろして見ると、遥かな兵庫地区の街並を越えて右手の海際には、川崎造船所の巨大なクレーンが工場地帯の煙にかすみ、そのずっと左手の海には、幾条かの突堤が欧州やアメリカにいく旅客船の折目正しい姿を抱いて浮かんでいる。)(同上)

 閲覧料・貸出料が廃止されるのは51(昭和26)年4月。 81(昭和56)年4月、現在の中央図書館開館。今は建物に遮られて、3階の閲覧室からも港は見えない。


(平野)『100年史』は貸出可能。『がしんたれ』は館内閲覧のみ。
《ほんまにWEB》「海文堂のお道具箱」「奥のおじさん」更新、最終回。リニューアルします。


 

2019年3月21日木曜日

若山牧水伝


 大悟法利雄 『若山牧水伝』 短歌新聞社 1976年刊

 大倉山の図書館で借りた本。私の目的は若山牧水(18851928年)の恋愛だが、ここでは先日の「伊藤博文」に関連した話を紹介。

 1908(明治41)年、牧水は早稲田大学を卒業。翌年7月、中央新聞社入社、社会部勤務。同社は伊藤博文・立憲政友会の機関紙的存在。1026日、ハルピンで伊藤が安重根に狙撃され死亡。111日、横須賀港で牧水は伊藤の亡骸を迎えた。翌日の新聞に牧水が記事を書いた。

「霊柩を迎ふ 落葉雨の如き加納山」

〈藤公の遺骸海を渡つて今日横須賀の埠頭に着くと云ふ、東京より出迎への人々並びに横須賀市民は云ふも更なり付近の住民悉く心を一にして之を待ち受け此日粛然の気は(はや)く一帯の沿岸山野に溢れてゐた、市街の上なる加納山は付近の海上一面を瞰下し得る好地位にあるので午前八時頃からどやどやと押来る者引きも切らず瞬く間に其所等に人の山を築いて了つた、日極めて清和碧りに凪いだ遥かの海上に夫らしい煤煙を認めた時には皆云合わせた様に目前と名目叩頭し、何れも暗涙に咽んでゐた。(後略)〉

 牧水は伊藤の墓に参り、1127日記事「秋は寝たり偉人の墓畔」も執筆(署名は木酔生)。
 ところが、社では社長と編集主幹が対立し、主幹一派が退社。牧水は主幹の縁で入社していたのでとばっちりを受け、退社を命じられた。約半年の記者生活だった。
 文学史本では、牧水と兵庫・神戸について芦屋在住の富田砕花との関係や歌会指導で語られることが多い。本書は母親の異母弟が神戸市相生町にいたことを紹介している。牧水は東京と故郷宮崎往来に際し(神戸・宮崎間は航路)、たびたび立ち寄っている。
 この神戸で、後に数々の恋の歌を捧げる女性に出会う。以前投稿した、俵万智『牧水の恋』(文藝春秋)を。


(平野)

2019年3月16日土曜日

天皇陛下にささぐる言葉


 坂口安吾 『天皇陛下にささぐる言葉』 景文館書店 
200円+税
 

 1946年の「堕落論」他、4852年に発表した天皇論、平和論4篇収録。
 戦後昭和天皇が全国を巡幸。ある雑誌が市民の熱狂・歓迎ぶりを「天皇は箒である」と諷刺した。不敬という批判が起きたが、安吾は雑誌の味方をした。

 

〈天皇が人間の礼節の限度で敬愛されるようにならなければ、日本には文化も、礼節も、正しい人情も行われはせぬ。いつまでも、旧態依然たる敗北以前の日本であって、いずれは又、バカな戦争でもオッパジメテ、又、負ける。性こりもなく、同じようなことを繰り返すにきまっている。/本当に礼節ある人間は戦争などやりたがる筈はない。人を敬うに、地にぬかずくような気違いであるから、まかり間違うと、腕ずくでアバレルほかにウサバラシができない。地にぬかずく、というようなことが、つまりは、戦争の性格で、人間が右手をあげたり、国民儀礼みたいな狐憑きをやりだしたら、ナチスでも日本でも、もう戦争は近づいたと思えば間違いない。〉
 
 神戸の三田産業はじめ安吾復刻が続いている。2月から4月にかけて本書含め5冊出るそう。

(平野)復刊ドットコム糸さん情報で知る。値段間違っていません。32ページのブックレット。

2019年3月14日木曜日

神戸の歴史 第27号


 神戸市史紀要『神戸の歴史』第27(平成3012月) 
「県政150年」「明治150年」に寄せて――大倉山公園にかかる新しい史実等を踏まえて―― 編集・発行 神戸市(文書館) 
500円税込 

研究論文
瀧井一博 開港期神戸と初代兵庫県知事伊藤博文   
津熊友輔 伊藤博文銅像・台座と大倉山公園     
山本一貴 幻の神戸市公会堂の建設計画と設計競技  
資料編
伊藤博文の銅像・台座に関する史料の翻刻
幻の神戸市公会堂のコンペ(大正・昭和)の設計図

 伊藤俊輔(のちの博文)は長崎で倒幕戦争のための武器を調達していた。京に向かうため、186811日(慶応3127日)、イギリス軍艦ロドニー号に乗り、長崎から神戸に来た。当日はちょうど神戸開港の日。2日後、京で王政復古宣言がなされる。一月後、伊藤神戸再訪。このとき備前藩と外国人兵士による「神戸事件」勃発。伊藤はイギリス公使と交渉、処理にあたった。さらに開港行政の責任者に就任する。

 大倉山公園は広大な丘陵で、野球場あり、児童用遊具あり、全国の植物を集めた「ふるさとの森」あり、ジョギングコースにもなっている。近隣に市立中央図書館、文化ホール、中央体育館、神戸大学病院、学校、湊川神社、大きなお寺もあるという場所。最近はマンションがたくさんできている。
 公園敷地は実業家・大倉喜八郎の別邸跡。伊藤は大倉と関係が深く、兵庫県知事時代にこの別邸を利用した。1909(明治42)年伊藤が暗殺された後、大倉が神戸市に寄付、公園として市民に開放することを条件とした。11年、伊藤の銅像が建造されたが、太平洋戦争で金属供出、現在は台座のみ残っている。
(平野)
 
ゴロウちゃんのイベント
 イシサカゴロウ展 みえるものみえざるもの
320日(水)~31日(日) 10001900(最終日1600まで) 25日休み
ポートピアギャラリー(ポートピアホテル内


2019年3月2日土曜日

書物の破壊の世界史

 フェルナンド・バエス 八重樫克彦+八重樫由貴子=訳
『書物の破壊の世界史 シュメールの粘土板からデジタル時代まで』 
紀伊國屋書店 3500円+税

 現在も書物は世界中で破壊され続けている。戦争、災害、権力者、宗教、思想……、さまざまな力によって。

 バエスはベネズエラ出身の図書館学者・作家・反検閲活動家。初版は04年、13年増補改訂(スペイン)。

〈二〇〇三年五月バグダードに現地入りした際、私は文化の破壊の新たな形に直面した。それは見て見ぬふりをするという間接的な加担でなされていた。〉 

 米軍は文化施設を破壊しなかったが、守りもしなかった。その「無関心」によって犯罪グループの略奪が始まった。博物館の所蔵品強奪、展示室破壊、図書館・古文書館焼失。価値のある蔵書・古文書は盗まれ、残りは燃やされた。遺跡の考古学資料も盗掘され、破壊された。大学図書館も例外ではなかった。学生が訊いてきた。「どうして人間はこんなにも多くの本を破壊するのか」。バエスは答えられなかった。
 バエスは幼い頃初めて見た書物破壊を思い出す。親戚が勤めていた町立図書館で本に囲まれて、読書の喜び・価値を見出していた。川の氾濫で小さな図書館は破壊され、蔵書は全滅した。幼児体験だけではない。高校の修了式で同級生が教科書を燃やし、火を消そうとして皆に嘲笑された。19歳、通っていた古書店が全焼した。1999年ボスニア・ヘルツェゴヴィナで廃墟になった国立図書館を調査。同年ベネズエラの図書館が地すべりで崩壊。2000年コロンビア内戦で破壊された図書館を調査。
 バエスは書物の破壊をテーマに執筆準備をする
2001年、生前会ったことはない祖父の遺品=40冊の本が送られて来た。その中に本を破壊する諸々の要因について解説する本があった。父に遺産のことをすると、祖父が歴史好きだったこと、アレクサンドリア図書館の話で盛り上がったことなどを語ってくれた。

〈帰り際、父に力強く抱擁されたとき、私は自分の研究の方向性が決まったと確信した。〉

 表紙の絵は、ペドロ・ベルゲーデ『聖ドミニクスとアルビジョ派』。焚書を免れた本が宙に浮いている。

(平野)索引・註含め740ページ、ヂヂ、いつ読むんや?