2016年7月28日木曜日

召集令状


   小松左京 「召集令状」 
19645月『オール讀物』に発表
『小松左京全集 完全版』第12巻(城西国際大学出版会)、『戦争小説短篇名作選』(講談社文芸文庫)所収

 小野が入院中の父親を見舞って帰ると、同じ団地に住んでいる会社の新人武井に召集令状を見せられる。戦争中幼かった彼は召集令状を知らない。小野は昔の軍隊の呼び出し状と説明するが、いたずらか宣伝物かと言うしかなかった。武井はゴミ箱に捨てたが、翌日無断欠勤。他の新入社員にも令状が届いているし、新聞記事にもなっている。受け取った若者たちが次々行方不明になっている。
 小野はまた父の病院。軍国主義者だった父は衰え、精神は病んでいる。戦場の号令や、恐怖の言葉をつぶやいている。

《……六十こえてなお、その狂った頭の中で戦場の幻を見つづけている老人……》

召集令状は、政治団体の陰謀? 秘密軍事組織? 集団誘拐? 親たちは警察に捜査を依頼し、政府にデモで抗議する。戦争を知る世代が暴徒化し、右翼団体の事務所や軍国酒場を襲う。楽器店の軍歌レコードを割り、戦争物を掲載する出版社、軍隊物を放映するテレビ局、プラモデルを売るおもちゃ屋まで襲う。

《「きさまたち……何百万人の同胞を殺した戦争を、のどもとすぎれば熱さを忘れるからといって、下劣な食い物にしてきたきさまたちが、またおそろしいものをよびおこしちまったんだ!」》

 戦争物は影をひそめ、軍歌も聞かれなくなった。連日、反戦集会、デモ。
 誰が令状を発行しているのか? 戦争勢力はどこにいるのか?
 令状を受け取った男たちは、どうあがいても、逃げ回っても、指定された入隊日に消えた。小野は同僚の中崎と、人間が消える現象について考えた。超常現象か? SFで言うパラレルワールドとの接触か?
 戦争反対のデモは消え、千人針や日の丸行列があらわれる。政府は失踪者家族に補償金を出す。
 召集された若者たちの戦死公報が届くようになり、令状を受け取る年齢層が上下に広がっていく。小野にも中崎にもきた。小野は強度の近視で虚弱体質。中崎が速達で、令状現象について説明をしてきた。
 パラレルワールドとの接触では説明できない、超能力・人間の意志が働いている、誰かわからない、年配者で戦争経験があり心の奥であの戦争が終わっていない、戦後の風潮にはげしい憎悪を抱いている……。
 小野の入隊時間まで一時間、父の病院に向かう。

(平野)

2016年7月26日火曜日

小松『ウインク』解説


『ほんまに』第18号、ゴローちゃん奮闘中。8月に出せるか!?

 神戸空襲を取り上げる。当時中学生だった人たちの文章を紹介する予定。学校は違うが、同学年4人。小松左京と野坂昭如も登場する。文学研究者の話では、野坂は『火垂るの墓』で小松らしき中学生を登場させている。もちろん二人の出会いは戦後作家になってから。

小松の文庫本『ウインク 他十一偏』(角川文庫、197210月刊)の解説を野坂が書いている。解説文は野坂の「僻み」から始まる。

《小松左京は、昭和六年の早生まれだから、ぼくと学年が同じである。小松は神戸一中出身で、ぼくは神戸市立一中を中退している、同じ一中でも、この両者、いわば月とスッポンであって、小松の方の一中は、カーキ色の制服、学用品を白い絹の風呂敷に包んで小脇にかいこみ、全市女学生の憧れの的だった、ひきかえわが方は、〽神戸中学坂の上、大の男のランドセルと唄われた如く、幼稚園児のような姿なのだ。ぼくが入学する前まで、神戸中学、通称ベー中といって、それなりの個性があったらしいのに、なまじ一中などと改名したため、いかにもインチキ臭い印象であり、おかげで、ぼくは今でも、小松左京に、かなりの劣等感を抱いている。》

 野坂は小松を、「秀才」より「巨才がふさわしい」、「根底にうかがいしれぬ、異様な虚無の翳を、ひそめている」と書く。

《……未来学とか、あるいは万国博覧会に関係して、なにやらうわっ面は、馬鹿面ぞろいの、繁栄たいこもちに見られかねないが、小説家小松左京を支えている底には、やはりわれわれの世代が、否応なく眼にせざるを得なかった、戦争体験がある。ぼくなど、才足らざるを補うために、大安売の態だけれど、彼はあくまで屈折した形でしか、戦争空襲に関わることを書かない、それだけに、根は深く暗いのだ。》

 本短篇集には戦争空襲作品なし。カバーは黒田征太郎。

(平野)
 余談。私は神戸市立神戸中学校卒業。戦後の新制中学ですよ。現在は統合で神戸生田中学校。神戸中学は国鉄元町駅北側、狭い校庭で、隣の小学校の方が大きかった。自校を「べーちゅう」と呼んでいた。誰が言い出したのか、なぜ「こうちゅう」ではないのか、わからなかった。旧制神戸中学のことを知っている親御さんがいたのか、野坂の本を読んでいた人がいたのか。私が知ったのは数年前。それでも旧制「神戸中学」の呼称がなぜ「べーちゅう」となったのかはわからない。
 同級生のS君が「べー中校歌」を作った。
 〽むかしむかしそのむかし、ちんちん電車のすぐそばに、小さくそびえるわが母校、われらわれら、ベー中!

 だったと思う。

 

2016年7月19日火曜日

日本アパッチ族


 小松左京 「日本アパッチ族」

1964年、光文社カッパノベルス刊 
『小松左京全集 完全版』第1巻 城西国際大学出版会(20069月)所収
 これは「大阪空襲」もの。
 戦前、大阪城の東側(現在大阪城公園)に軍事工場が集中していた。

《ここはかつて、大阪最大の、しかしもっともすさまじい「廃墟」であった。
 戦前、ここには陸軍砲兵工廠があり、それが戦時中くりかえし爆撃を受け、ついに見わたすかぎり巨大なコンクリートと鉄骨の、瓦礫の山と化した。くずれた塀や、ねじまがった鉄骨の残骸は視界をはばみ、足のふみ場のないほど煉瓦やコンクリートの塊がつみかさなり――やがて終戦とともに高さ三メートルもある雑草がおいしげって、飢えた野犬が徘徊し、一度足をふみいれたら、生きてかえってこれないとさえいわれる魔所と化した。(中略)――だが、この巨大な、牙をむく廃墟へ向かって敢然といどんだ、おそるべきエネルギーにみちた人がいた。
 これこそ、あの有名な屑鉄泥棒――通称「アパッチ族」だったのである。》

 大阪は大都会の姿を回復した。あの「廃墟」も片づいた。戦後19年たって、小松は大阪の風景の中にあの「廃墟」と「アパッチ」のエネルギーを感じる。
 物語では、憲法は既に改正され、軍隊が復活。死刑は廃止されたが、「追放刑」が新設された。社会の外に追放され、自由に生きていいが、待っているのは餓死。主人公木田福一(アパッチ名キイコ)は失業罪(失業3ヵ月以内に次の仕事を見つけなければ強制労働、危険人物と見なされれば「追放」)で砲兵工廠焼け跡の追放地に放り込まれる。餓死か野犬に食われるか。先住者山田が脱走を試みるが、扉に身体をはさまれ首だけが門の外に落ちた。木田は半裸の男に助けられる。男は屑鉄泥棒・アパッチ族の一員。彼らは依然「廃墟」で生きていた。数年前、軍は彼らを殺戮したが、生存者がいた。「廃墟」は追放地となり、アパッチ族は屑鉄を主食にした。酸でいためたり、煮込んだり。ガソリンや軽重油は飲み物。くわしい調理法も紹介されている。

《鉄を食べることによって、アパッチの体はほとんど完全に鋼鉄化していた。(略、体組織の機能変化も詳しく説明)。彼らの運動神経は常人をはるかに上回る。(略、生殖様式は化学式で説明)》

 アパッチ族は平和に静穏に暮らしていたが、食糧=屑鉄埋蔵量が課題。外部との闇交易でスクラップを化学薬品やガソリンと交換していた。警察と軍による取り締まりが厳重になり、先の脱走事件で、追放地整備計画が決定した。「廃墟」の屑鉄発掘も目的。
 アパッチは政府、産業界と交渉するが、戦争が始まる。苦戦する軍は核兵器を持ち出した。
 アパッチは、敵の武器をかじって使用不能にしたり、鉄塔や土管を食って電気・水道・ガスを止めるというように、一見平和的戦い。だが、部族の女子ども老人を盾にし、市民を巻き添えにすることもある。戦争にきれい・汚いはない。
 小松は文化論、産業論を交え、ギャグをちりばめ、架空の物語をつづる。
 残ったのはアパッチ族、日本はまた廃墟になった。キイコは泣いた。

《「日本は……日本はほんまに、ええ国やった……」(略)「大阪かて、ええ街やった――うすよごれて、やさしゅうて……ちまちましとって……(略)おれはもう、なんや、アパッチであることに耐えられんみたいな気になった……」》(下線部原文は傍点、以下同じ)

 大酋長は、アパッチが国づくりをはじめる、と言う。キイコは戦闘中にシンパのジャーナリストと人間的な喜びや悲しみについて議論した。キイコは、アパッチに未来はない、文化や幸福など考えなければならなくなったときに考えればいい、と答えた。

――今、この地の寸土からも、「文化」の痕跡の消えうせたあと、私がこの先、この廃墟のみの世界でアパッチたることにたえうるだろうか?――私はまたもや涙があふれるのを感じた。》

(平野)砲兵工廠とアパッチ族については、開高健『日本三文オペラ』(新潮文庫)、梁石日『夜を賭けて』(幻冬舎文庫、品切)を。

2016年7月16日土曜日

戦争はなかった


 小松左京 「戦争はなかった」
『小松左京全集完全版』第15巻 城西国際大学出版会(20108月刊)所収
初出『文藝』19688月号(河出書房新社)
 戦後20数年、旧制中学の同窓会。盛り上がり、〈彼〉も酔った。戦時中の「いろんなことが脈絡もなくどっと思い出されてきた」。〈彼〉は、あの頃は好きでなかった軍歌を歌った。でも、誰も知らないと言う。防空壕や工場動員の話をするが、予科練に行った男も幹事も〈彼〉を酔っ払い扱いする。

《「工場動員?――中学生のおれたちが、なぜ工場なんか行ったんだ?」
「きさままで、とぼけるのか!」泣くような声で、彼は叫んだ。「戦争を忘れたのか! あの大東亜戦争を……
 どうかしているぞ、こいつは――というつぶやきがまわりできこえた。(後略)》

 翌日二日酔いで会社を休んだ。妻に戦争のことを尋ねたが、知らない、20数年前に何があったかも覚えていない。「生理的な吐き気」に「心理的なそれ」が加わる。本屋に戦後派の戦争文学の名作がない。おもちゃ屋に大和や零戦のプラモがない。レコード屋には軍歌がない。本屋に戻って年表と日本現代史の本を買った。年表も見ても、昭和前半を読んでもわからない。わかったことが一つ。

大東亜戦争はなかった(原文傍点)ということである!》

異なる歴史の中にとびこんだのか? 誰かが戦争の記録と記憶を消去したのか? みんなが隠している? 自分の妄想? 悪夢?
 新聞社の友人に過去の縮刷版を見せてもらうが、わからない。友人も妄想だと言う。〈彼〉は戦争と敗戦後の歴史を力説するが、友人は「大戦争がなくても、そういう風になったんだ」と言う。〈彼〉は広島に行ったが、原爆ドームがない。自分が間違っているのか、記憶は自分の胸にしまえばすべて丸くおさまる……?

《いや、そんなことはない! 夜半、突如として寝床の上にはね起きて、彼は歯噛みしながら心に叫んだ。夢とも思えぬ夢の中の轟々と燃えたける火焔と煙と熱い灰のむこうにひびく、焼け死んで行く何万人、何十万人の人々の、遠い阿鼻叫喚を彼ははっきりきいた。一万メートルの清澄の高空から、金属に包まれた業火を、無差別に、機械的にふりまくものたちと、地上で焔にまかれ、高熱のゼリー状ガソリンにまといつかれて火の踊りを踊りくるい、つむじ風にまい上るトタン板に首をきりさかれる人たち、髪の毛がまる坊主にやけ、眼をむき出し、舌を吐き出し、ふくれ上って死んでいったセーラー服の女学生、灰燼と化した家財と、飢餓と危険と疲労の中に荒廃して石と化した心、一瞬の灼熱の白光ときのこ雲の下に、やけただれた肉塊となり、炭となり、一団のガスとなって死んでいった何万もの人々……。》

 殺戮、破壊、苦悩……、それらがなかったとしたら、血塗られた歴史をなかったことにするとしたら、現在が平和だったとしても、「その世界はどこか根本的に、重要なものを欠落させているのではないか?」と思う。
 言わなければならない。〈彼〉は街頭に立ち、戦争体験、戦争の悲惨さを語り出す。
(平野)

2016年7月14日木曜日

地には平和を


 小松左京 「地には平和を」 

『小松左京全集完全版』第11巻 城西国際大学出版会 20073月刊 (全50巻刊行中)
http://www.jiu.ac.jp/sakyo/index.html
 初出「宇宙塵」63号(19631月)

 戦争を題材にしたSF
 1945810日頃から、工場に動員されている中学生たちの間で戦争は負けたという噂が立つ。少数派の敗戦論者たちは殴られた。新聞で長崎に新爆弾が落とされたことは知っていた。その前の広島では不発で、軍が捕獲して研究中らしい。
 15日正午に予定されていた天皇の重大放送は午後2時に延期になり、さらに3時にのびた。「海行かば」の音楽と共に始まった放送は、天皇の言葉ではなく、臨時ニュース。本土決戦が宣言された。翌日から、再び米軍の「底抜けの大空襲」が始まり、ソ連軍は満州を南下。本土防衛特別隊が編成された。

……白虎隊――誰もがそう呼びたかったが、賊軍の名だと言うので敬遠され、かわりに黒桜隊という名がつけられた。隊員は十五歳から十八歳までで、一応志願制度だったが、殆どの連中が志願した。若い連中ほど多かった。今度は本当の武器が持てる本当の戦争だ。》

中学生河野康夫も志願。敵は本土に上陸、中学生たちは戦車隊を迎え撃つが惨敗。康夫は長野のどこかにある大本営を目指す。康夫は負傷、最後の手榴弾で自害しようとするが、果たせない。目の前に金髪の青年が現われ、妙なアクセントの日本語で話しかけてきた。
「僕はこの世界とは関係ない。……二時間前やっとこの世界を見つけた所だからな。……この世界は、あと五時間一寸で消滅するんだ……
 康夫にはチンプンカンプンの話、なおも自決を試みる。

《「やめてくれ!」と青年は哀願するように叫んだ。「やはり見殺しには出来ない。説明してやるからそんなに死にたがるな。――いいか、君、この世界はまちがってるんだぜ(原文傍点)……」》

 青年は5000年の未来から来た時間管理庁特別捜査局員。時間犯罪者が歴史を作り変えようとしていた。青年は康夫に本来の歴史を見せる。

――日本が負けたなんて、そんなバカな! 日本にかぎってそんな事はあり得ない。……だがあり得ない事ではない、という恐ろしい想像が、意識のカーテンの影から、静かに姿をあらわそうとしていた。――馬鹿野郎! 彼は必死の力をふりしぼってその想像と闘った。お前は、死におよんで日本人としての信念をなくしたのか! そんな事はあり得ないんだ。それでは、すべての日本人の死、俺の死がむだになってしまう……(後略)》
(平野)
 仙台在住イラストレーター・ジュンコさんの4コマ漫画に神戸西灘古本屋店主と看板猫登場? ジュンク堂書店のPR誌『書標』7月号をご覧ください。
『ほんまに』第18号にジュンコさんイラストエッセイ掲載決定。お楽しみに。

2016年7月12日火曜日

くだんのはは

 小松左京 「くだんのはは」
『日本文学100年の名作 第6巻』(新潮文庫 2015年)所収 

 初出『話の特集』19681月号。

 小松の空襲体験は以前紹介した。本作品は戦争をSF小説で描く。

《阪神間大空襲の時、僕たちは神戸の西端にある工場から、平野の山の麓まで走って待避していた。給食はふいになるし、待避は無駄になったので、僕たちはぶつぶつ言った。芦屋がやられているらしいと聞いても、目前の疲労に腹を立てて、気にもかけなかった。またいつものように工場から芦屋まで歩いて帰るのだと思うと、情なくて泣きたくなった。神戸港からあいやまで十三キロ、すき腹と疲労をかかえ、炎天をあえぎながら歩いて帰る辛さは、何回味わっても決して慣れる事はない。空襲があれば必ず阪神も阪急も国鉄もとまってしまい、翌日まで動かない事もあった。》

「平野」は兵庫区平野町。清盛ゆかりの史跡、神社がある。
 芦屋の自宅一帯は燃えていた。父が立っていた。会社の寮に向かう途中、以前家政婦に来てくれていたお咲さんに出会う。今、浜近くの屋敷に住み込んでいて、そこの奥さまに泊めてもらえるよう頼んでみるから来いと言ってくれる。
 芦屋の昔からの邸宅は阪神電車の芦屋駅付近にある。山の手は新興階級の家だそう。
 屋敷の奥さまは40歳くらいの上品な女性。お咲さんの申し出でに「困ったわね」と言いながら泊めてくれることに。父は会社から出張命令が出て、僕だけが住まわせてもらう。
 屋敷には病人がいるらしい。夜、泣き声が聞こえる。
 朝晩米の飯を食べさせてもらう。弁当も持っていけと言われるが、友人たちの食生活を思うとそれはできなかった。空襲はますます激しくなり、日に3度ということもあった。警報のサイレン、待避の半鐘、高射砲、B29の爆音、焼夷弾の弾ける音、火と煙の中を山へ逃げる。

――毎日暑い日だった。やたらに暑い上に、空気はいがらっぽく焦げた臭いがし、焼跡の熱気は夜の間も冷える事なくこの暑さを下からあぶりつづけた。いらだった教師や軍人は、僕らをやたらに殴りつけた。腹の中は、熱い湯のような下痢でもって、みぞおちから下半身まで、いつでも一本の焼け火箸をさしこまれているような感じだった。騒音と爆音と怒声、それと暑さの中で、僕たちは自分たちが炎天の蛙の死骸のように、黒くひからびて行くのを感ずるのだった。》

 屋敷は別世界だった。僕は病人のことが気になる。お咲さんに尋ねるが、母屋には行くな、病人のことは自分も知らない、と言う。
 西宮が空襲された日、奥さまは予言めいたことを言った。西の方が「もっとひどい事になる」と。神戸よりもっと西だ、と。
 僕は下痢で工場を休んだ。母屋の奥にある客用便所まで行った。お咲さんと出くわすと、彼女はびっくりして洗面器を落としかけた。中から腐ったような臭いがし、血と膿で汚れた繃帯が見えた。また病人のことを尋ねるが、お咲さんは、人様の内輪のことを詮索するな、2階には決して行くな、不幸が起きる、と釘を刺した。さて、この家の秘密とは?

 私は戦争を考えて、「くだんのはは」という題名を「九段の母」と変換してしまう。違う。小松左京が私の頭でもわかる話を書くわけがない。
(平野)
〈ほんまにWEB〉連載3本更新。

2016年7月3日日曜日

戦災記念日&記念品


 島京子「記念品」 
『海さち山さち』(編集工房ノア、1995年)所収

 島京子は毎年317日の日記に「戦災記念日」と書く。空襲の「記念品」も残している。

《昭和二十年三月十七日、未明から始まったアメリカ軍の大型爆撃機、ボーイングB29による神戸市街地への攻撃は、他都市と同じく、焼夷弾による焼きつくし作戦で、海側からくり返しやってきては、焼夷弾をバラ撒いていった。
 防空頭巾をかぶり、救急袋とリュックサックを身につけた私は、家の玄関口の軒下に立っていた。
 南東の空が、炎を映して赤かった。滅びの予感をはらんで、地鳴りのような、身体の芯にこたえる物音が伝わってくる。
 爆音が近くなり、空を見上げていた私の目に、頭上からたくさんの花火状のきらめきが撒かれたのが見えた。
「落ちて来るっー」
 叫んで、家に走りこむと同時に、辺り一面にすさまじい破壊音がした。》

 焼夷弾2発=「敵からとどけられたまがまがしいもの」が家の屋根を貫いて落ちてきた。訓練どおり砂袋を投げ、なんとか消えた。隣家から火が燃え移ってきて、家をあきらめた。

《「家が焼けてしまうのだ」と涙が出た。「たくさんの日記帳が」「私の心が焼けてしまう」そんな一瞬の感傷があった。》

 京子はのろのろ歩いている大人たちの「腑抜けのような顔つき」に驚く。
 小学校に避難、午後家に戻る。本は灰、焼け跡に残っているのは瓦礫。

《戦災記念品として、いまもあるお釜は、コンクリート敷きの裏庭に出した七輪の上にあった。
 木蓋は形を残して消し炭のようになっていたが、朝食のために用意していた麦入りごはんは、釜の中で、何のおかしげなところもなく、でき上がっていた。(後略)》

 島京子 1926年神戸市兵庫区生まれ、『VIKING』同人。65年「渇不飲盗泉水(かっすれどもとうせんのみずをのまず)」が芥川賞候補。現在神戸エルマール文学賞代表。

(平野)
ヨソサマのイベント 医師で作家・久坂部羊さんの講演。
 久坂部羊講演会「医療は高齢者をしあわせにするのか」
723日(土)14:00~ 甲南大学にて 参加費1000
詳細はこちら。
http://www.konan-u.ac.jp/topics/news/files/News/3780/news_file/0723.pdf

 久坂部さんもかつて『VIKING』同人。



 


 

2016年7月1日金曜日

日英ハーフの空襲


 島京子 「借りてきたライオン」 
『かわいい兎とマルガレーテ』(編集工房ノア、2002年)所収

 1990年の作品。
 エミ子は1923年生まれ、父は日本人、母はイギリス人、オーストラリアで出会った。父は日本での暮らしを望むが、母は承知せず離婚。神戸に着いてすぐ、父はチフスで死亡。京都の伯母が御影町(戦後神戸市に編入)に家を借りて遠縁の女性を家政婦につけてくれる。エミ子が女子商業学校(3年制)を卒業した年に家政婦が急死、「ライオンが咆えとるみたいな声」で泣いた。友人文子の世話で細川家の長屋に転居(場所不明だがたぶん兵庫区)して一人暮らし。文子と細川の人たちが親身になってくれる。エミ子は授産所で軍隊の白衣や下着の縫製をしている。細川公子は高等女学校3年生だが、病弱で工場動員に参加できず休学中、退学も考えている。エミ子は近所でいじめられる公子を「ライオンの咆え声と〝あの世の声"」で助ける。
 神戸にも空襲。まだ冬の時期、毎晩のようにB291機やって来て警報が出るたびに、人びとは身支度し、防空壕に入る。ついには昼間の服装のまま寝ることになる。米軍の神経作戦。
《長屋では、エミ子の逃げっぷりの鮮やかなことが評判になった。エミ子は極上の綿をたっぷり詰めこんだ防空頭巾と、大切なアルバムや絹のストッキング、文庫本、当座しのぎの米少々などを入れたリュックサックと、救急カバンを身につけ、風呂敷包み一つを持って、公子の家の防空壕へかけつけた。》
 317日。
《その日、未明よりなお早い午前二時ごろ、空襲警報が出た。間なしにいくつもの照明弾により東西に長く伸びた神戸の街と、海が、ふしぎな明るさのなかに浮び上った。神経質な灯火管制をあざ笑うように、光度を消したような明るさは、都市空間にしばらく滞留していた。》
 エミ子が防空壕に入った様子はなかった。
《やがて敵機は、天地を揺るがす轟音とともに、いつもより低空で次々に飛来し、小型爆弾と焼夷弾の投下を開始した。焼夷弾は上空で結束が解かれ、一弾ずつが火を吹きながら、連らなって落ちてくる。きらびやかな瓔珞のようだったが、目の下の街の随所はたちまち炎と煙に包まれ始めた。敵機は数知れぬ投下弾を撒いては北上し、旋回して海上から侵入して街を襲った。》
 細川家にも焼夷弾が落ちたが、公子が用意していた砂で消した。裏山が燃え、火が迫ってきたので小学校に避難。焼夷弾が地面に突きささっているが、家は無事。でも、エミ子がいない。
《公子の家族が心配していると、三日目の朝になって、エミ子は憔悴し汚れた姿で現われた。自慢の防空頭巾にも、乾いた泥がこびりついていた。
「どこへ行ってたん、みんなどないに心配したか」
「京都へ逃げて行こ、と思うて、歩いて御影の方まで行ってんけど、夜は小学校で寝たんやけどな、焼跡で、みんなが缶詰掘りをしとる、て、人が走って行くから、私も行ってみたんよ」
 重そうな風呂敷包みを、音たてて縁の沓脱ぎに置いた。缶詰は黒く焦げたものもあったが、すべて鮭缶で、中味に変りはなかった。
「家の方が安全やったんか。けど、怖うてじっとしとられへんかったんよ」
 焼跡では、焼死体になった人を、たくさん見た、ともエミ子は言った。》
 エミ子は家政婦が亡くなってから「怖がり」になっていた。だけど、怖い話が好きで、読んでは、より恐怖心が増し、夜中金縛りになる変な子! 栗色の長い髪、小麦色(かなり黒め)だが光沢のあるきめ細かい肌、くぼんでいるが大きい目(色不明)、長いまつ毛、身体は「樽のようにどっしり」している。公子は「アマゾネスのようだ」と感嘆する。洋裁が得意で、華道・茶道稽古、「ライオン」のような声で浪曲を語り、お茶漬けが好き、国防献金している軍国乙女。戦後の生活も波瀾万丈。
(平野)