2018年7月31日火曜日

死處


 山本周五郎 『戦国武士道物語 死處』 講談社文庫 560円+税
 
 戦争中、未発表のまま出版社に眠っていた原稿「死處」他、戦国武将に仕えた家臣たちを描く8篇。いずれも戦前の作品。手柄を誇示せず、主君のため命を捧げる覚悟を持った武士たち。

時局柄、滅私奉公、自己犠牲を美しく描かなければならなかったろう。周五郎は無数の無名武士たちの死を弔い、目立たないが重要な役目を労う。なぜ死ななければならなかったか、困難な役目を選んだのか、ひとりひとりの行動に深く意味を探る。

 
「死處」の主人公・夏目吉信はかつて徳川家康に降参して命を助けられ、旗本に加わった。武田信玄との戦いで浜松城の留守役を申し出で、他の武将に軽んじられる。出陣して戦うことこそ武士の誉れとする息子は「命が惜しいのでござりますか」と詰め寄る。

〈「そうだ、……命は惜しい」(中略)「いったんの死はむずかしくはない、たいせつなのは命を惜しむことだ。(後略)」〉

「もののふは名こそ惜しけれ」と言うが、名には虚名もある。息子は、父が人の批判を恐れず命を捨てる前に名を捨てた、と知る。家康敗走に吉信は駆けつけ、身代わりになって討ち死にする。

 確かに最後は死ぬ。けれども、この時代に周五郎は「命を惜しむ」と書いた。



(平野)
しろやぎ(喜久屋書店阿倍野店の市岡陽子)さんがラジオ出演。
81日(水)20002030
FMOH!85.1《MUKOJOラジオ》
DJさんは神戸出身作家の姉上。



2018年7月26日木曜日

今宵はなんという夢見る夜


 柏倉康夫 
『今宵はなんという夢見る夜 金子光晴と森三千代』 左右社 4200円+税
 
 

 著者はジャーナリスト、フランス文学者、放送大学名誉教授。
 金子光晴・森三千代夫婦は二人の遍歴を率直に作品にしている。
 192812月、夫婦は幼い子どもを親に預け、わずかの金を持って旅に出る。中国、東南アジア、ヨーロッパ、足かけ4年の放浪。金子が絵を描いて異国に住む日本人に売る。少し稼いでは次の旅を続ける。2910月、シンガポールからマルセイユ行き二人分に金は足りず、三千代が一人先に旅立つ。金を作れるか、永遠の別れになるのではないか、追いかけて来てくれるのか……。その場面をそれぞれ作品に書いている。

〈船底のまるい窓から覗いている彼女が船がはなれてゆくにつれ小さくなってゆくのをながめていると、ついぞ出たことのない涙が、悲しみというような感情とは別に流れつたった。「馬鹿野郎の鼻曲がり」と彼女が叫びかけてきた。「なにをこん畜生。二度と会わねえぞ」/罵詈雑言のやりとりが、互いの声がきこえなくなるまでつづいた。彼女の出発について移った桜旅館にかえると、空中にいるような身がるさと湿地にねているような悪寒とを同時に味った。〉(金子『どくろ杯』)

〈「めっかちの、つんぼの、鼻まがり。おまえなんか、どっか消えて、失くなっちまえ」排水のさわがしい音に消されそうになるので、声を限りに、岩壁にしょんぼり立っている小谷にむかって叫んだ。小谷がマッチの軸ぐらいに小さくなって、やがて見わけられなくなるまで、ながめていた彼女は、女ひとりで相客のいない船室の藁蒲団のベッドの上に、突き上げてくる嗚咽といっしょに顔を伏せた。〉(森「去年の雪」)

 そもそも二人が海外に出た理由は、貧乏生活に行き詰まったから。それに、三千代と恋人を引き離すため。金子の嫉妬と憎悪・憤怒の感情に、倒錯した興奮が入り混じる。
 301月、二人はパリで合流するが、やがて離れ離れになり、帰りも別。
 帰国後、一家で軍国主義の時代を乗り越えた。

 書名は三千代の詩「星座」から。

〈放浪生活を含めて、二人は「相棒」と呼ぶ以外にない関係を保った。自分たちの二人三脚ぶりを「相棒」と称したのは金子光晴である。(後略)〉

(平野)
装幀・絵は林哲夫。

2018年7月21日土曜日

頼介伝


 松原隆一郎 『頼介伝』 苦楽堂 2000円+税

 
 

 松原は1956年神戸市東灘区生まれ、社会経済学者。本書は祖父・頼介(らいすけ、1897~1988年)の評伝。頼介の製鉄所は松原大学在学中に破綻した。
 2008年、松原の父が亡くなる。頼介と神戸の町に向き合うことになる。3つの謎めいた出来事が現れた。
1)父の死亡届を出す。謄本に知らない町名「兵庫区東出町」が記されていた。
2)実家を整理して進水式らしい写真発見。祖母の姿はわかるが、他の人物たちは誰なのか、場所はどこなのか不明。
3)実家を売却したお金で仏壇と本を納める書庫を建てる。お金の出所を説明するために頼介の経歴をまとめる必要。どのように財産を作ったのか。

頼介から直接聞いた話は少ない。フィリピンで働いたこと、満鉄相手に商売して大儲けしたこと、豪邸のこと、国の命令で工場を手放したこと、船持ちだったが軍に徴用されたことなど。松原は物心ついた頃には製鉄所の跡取りだった。
 未知の町「東出町」に出かけ、聞き取りをし、歴史を調べ、昭和の時代に造船で活気のあった町と知る。
 船の写真。Googleで頼介の名前を検索すると、企業家ではなく船の所有者として出ていることに驚く。神戸「戦没した船と海の資料館」を訪ね、「船名録」など資料を調べ、船のデータから撮影場所と人物たちを探る。
 外務省外交史料館で海外渡航者名簿に頼介の名を見つける。何度も通って航路を特定する。頼介はフィリピンでどんな仕事をしたのか、なぜ帰国することになったのか。親戚から提供された写真を手がかりにし、フィリピン移民の成功を書いた作家から情報を得、推測する。
 1918(大正7)年に頼介は帰国したようだ。なぜゆかりのない神戸だったのか、当時の神戸はどんな町だったのかを考える。港の繁栄、造船所はじめ製造が発展、歓楽街新開地の賑わい、人口が流入した。この年8月米騒動が起き、21(大正10)年には三菱・川崎大争議。
 神戸で頼介は船具商を興す。防水帆布を開発して満鉄に販売して財を成す。魚崎(谷崎潤一郎倚松庵の近く)に豪邸を建てる。38(昭和13)年阪神大水害被災。日中戦争で経済統制を受け、事業整理。海運業に乗り出すため造船。しかし、船は軍に徴用され、全て沈没。戦後、鉄鋼業界に進出。工場を次々建設、川崎製鉄が出資する会社に成長。ところが、1973(昭和48)年のオイルショックから鉄鋼価格乱高下、75年には73年の半額になる。76年会社は川崎の傘下に入る。
 松原は東京大学理科一類在学中、工学部冶金科に進む予定だった。山崎豊子『華麗なる一族』の万俵家に共通点を見る。万俵鉄平(東大冶金科卒、阪神特殊鋼専務、倒産して猟銃自殺、テレビドラマでは木村拓哉が演じた)に自分の姿を重ねてしまう。「鉄平は二〇年早く生まれた俺だ!」と。会社を継ぐ「運命」から解放された。
 松原の経済思想。
〈私は近年、過去に生じた事象の統計的な反復である「リスク」と、過去に事例がなく想像するしかない「不確実性」とを区別し、後者が我々の住む資本主義社会を動かしていると考えるようになった。不確実性に挑むには社会に対する深い理解と瞬時の判断が必要であり、暗記力で得られるような学歴だけでは対応できない。〉
 頼介は国策や社会情勢に翻弄されながらも次々に事業を起こした。成功と失敗を繰り返した。
……その人生は起業の繰り返しであり、不確実性に挑み続けるものであった。〉
 松原は文献や論文・公文書を調べ読み込む。資料を分析整理して、推理し、仮説を立て、証拠をあげ、論理を尽くす。頭脳だけではなく身体も使う。根気よく各地の役所や博物館、写真撮影現場に足を運ぶ。親戚や頼介の部下を訪ねる。人の縁がつながる。研究仲間からのヒント、作家との情報交換、地方図書館館長の調査報告。苦楽堂社主が社史を手がけたエンジン製造会社からも記録が出てくる。
 本書の主役は企業家だが、彼の足跡・事業をたどることで日本と神戸の近現代史も描き出してくれる。徴用船と戦争、鉄と経済。それに「長男以外と移動が作った街」神戸、さらに敬語表現分布も興味深い。

(平野)
出版記念のトークイベントあり。詳細は上記苦楽堂サイトを。
《ほんまにWEB》「海文堂のお道具箱」更新。
 

2018年7月10日火曜日

本屋な日々 青春篇


 石橋毅史 『本屋な日々 青春篇』 トランスビュー 
1800円+税

 これまでの著書、『「本屋」は死なない』(新潮社、2011年)、『口笛を吹きながら本を売る』(晶文社、2015年)、『まっ直に本を売る』(苦楽堂、2016年)。

『「本屋」は死なない』に登場した書店員(独立して開業)の言葉、「情熱を捨てられずに始める小さな本屋。/それが全国に千店できたら、世の中は変わる」を本書でも引く。

〈たしかに変わったと思える世の中を、いつか見てみたいと思った。/では、そのために何をしよう? 物書きをやるのだから、書くしかない。熱意を込めて、千編の本屋の物語を書けばいいじゃないか。あるとき、そう考えた。〉

若い世代の書店員についての文章を再開。発表方法に迷っていたところ、2013年に出版社トランスビューが書店用DMに毎月付録として同封する。単行本化第1弾。

石橋は全国を回って奮闘している書店員に取材する。本書には16の話を収録。本に親しんだ経験なく32歳で書店員になった人、勤めていた老舗書店が倒産し自分で開業した人、石橋自宅最寄りの小さな書店店長、大書店に期間限定のフェアを任された女子古本屋店主、トークイベントで自分の所属する本屋を愛していると堂々と言う人、書店業界大物とのトラブル、沖縄の市場の古本店主、「傷だらけの店長」の今……、既に書店員を辞めた人もいるし、故人もいる。

……僕が書いたのは、それぞれの本屋の、ある瞬間に過ぎない。/どれもが貴重な瞬間だったと、あらためて思う。情熱ある本屋の日常が各地で積み重ねられていること、つまり世の中が変わる過程を、僕は目撃できている。〉

(平野)神戸の古本屋さんでも著者のことをよく耳にする。突然現れるらしい。
 7.10「朝日新聞」鷲田清一《折々のことば 1163〉は『幸福書房の四十年 ピカピカの本屋でなくちゃ!』(左右社)から。
https://www.asahi.com/articles/DA3S13577585.html?ref=nmail_20180710mo

2018年7月8日日曜日

泥濘


 黒川博行 『泥濘(ぬかるみ)』 文藝春秋 1800円+税
 

 喧嘩上等極道・桑原(金の計算と先を読む頭脳あり)と建設コンサルタント・二宮(建設現場などでややこしい組織の妨害を抑えるため別のややこしい組織を斡旋する)のコンビが、悪党の上前をはねる人気シリーズ、「疫病神」。今回は『週刊文春』連載。

ターゲットは警察幹部OB。暴力団とつるんで診療報酬や老人福祉を食い物にし、オレオレ詐欺の黒幕。「泥濘」とは腐敗した組織か、血まみれの抗争か。二宮は攫われ、桑原は撃たれる。

 二人の会話は漫才、じゃれ合っているようにも見える。二宮は毎回危ない目に遭うのに、結局金欲しさで桑原について行く。

(平野)
 集中豪雨被害、お見舞い申し上げます。

《ほんまにWEB》「いろやぎくろやぎ」更新。

本日のPR誌、『scripta』no.48(紀伊國屋書店)。世界を駆け回る編集者・写真家の日記に「フランス書院文庫読書会」実現の話。
……日本のオトコの妄想力育成にそうとう役立ってきた「夜の岩波文庫」のはずなのに、きちんと語るひとがほとんどいないのがつねづね残念でたまらなかった。(中略)僕の理想の本屋とは、岩波文庫とフランス書院文庫が並んでる店なので。〉
 たいていの大書店はフランス書院を置いていない。私は文庫担当の時に置いていたが、担当替えになったら新担当者は撤去した。