2021年1月28日木曜日

噺は生きている

 1.23 神戸市立博物館「つなぐ」展(1.24終了)。同館のコレクションと地域の文化財を通して、過去現在未来、視えるもの視えないもの、場と記憶、人と世界、人と人、心と心を「つなぐ」。コロナ対策事前予約したが、雨だし、らくらく入館、鑑賞。GFクッスーが入場券を送ってくださった。ありがとう。

「朝日新聞」朝刊神戸版に垂水区〈流泉書房〉が商店街仲間の配達を代行の記事。地域に貢献。

 


 1.25 メガネのフレーム、ポキリ。本や新聞は裸眼で支障ないけど、仕事は困るかも。でもね、あんまり働かないし、しばらく古いメガネで。

 1.26 ギャラリー島田DM作業。今日は作家さんやお客さん続々、スタッフさんたち忙しい。私はひたすら作業。 

  買い物して帰宅したら、孫からLINE電話。ヂヂに手洗い、うがいを促す。いつも自分が言われているらしい。鬼の絵を描いてくれ、紙飛行機を床に投げつける。ヂヂの口ぐせ「ほんでー」を真似する。

 

 広瀬和生 『噺は生きている 「古典落語」進化論』 ちくま文庫 950円+税



 ロック雑誌編集長で落語評論家、という人。初版は2017年毎日新聞出版。文庫では3話追加。

「芝浜」「富久」「紺屋高尾」「文七元結」など名作人情噺を取り上げて、昭和の名人はどう演じたか、現役実力者たちはどう演じているか、比較、分析。

 もともとの講談、歌舞伎、落語からどのように継承されたか。文学性、リアリズム、演劇性、現代性など演者の違いがある。

 師匠から受け継いだ噺に、別の演者の演出を取り入れたり、新しい解釈でストーリーを加えたり、現代人に受け入れられるようセリフに説得力を持たせる。サゲも改良する。

帯で落語家さんの推薦文、「こんなに落語ばっか聴いて、この人どうかしてる。」。本職も忙しいだろうに。たとえば、立川談志の「文七元結」は現在7種類の音源・映像(1974年から2006年)が市販されているそう。談志は演じるたびに噺を進化させている。著者はそのすべてを視聴。

〈落語の演目とはあくまでも「器」にすぎない。その「器」に、それぞれの演者が「魂」を吹き込むことで、始めて「生きた噺」になる。〉

芸を究める演者がいて、それを聴く客、違いがわかる客がいる。

(平野)厳しい世界。私は楽に聴きたい。

2021年1月23日土曜日

うつせみはうつしみ

 1.21 「朝日」朝刊文化欄に安野光雅追悼記事。谷川俊太郎が安野と共につくった本から3冊あげていて、持っていない本を注文。

 1.22 鈴木創士『うつせみ』(作品社)読了。先日、「変なフランス文学者が書く変なおじいさん・おじさん、らしい」とめっちゃええ加減な紹介をした。

「第一章 日誌」は、「僕」が、「おじいさん」の日記と「おじさん」の手記を盗み見て日誌に転載。「おじいさん」の日記は荷風を気取って「脱腸亭日乗」、ちょっと飛んでしまっている。「おじさん」は難解、哲学あり文学あり、パロディや幻想小説も書く。確かに変な話ばっかり。

 「僕」の日誌は20155月某日に始まり、201912月某日文章途中で突然終了。

「第二章 廃址」はがらっと様相が変わる。半世紀以上ぶりに「僕」の従兄=「私」が「僕」の家を訪れる。「私」は海外生活が長く、「僕」の消息は不明だった。家は荒れ放題になっている。部屋の中にカバンを発見。中に「僕」の「日誌」が入っていた。「私」は「僕」と幼ななじみであるが、「おじいさん」も「おじさん」も心当たりはない。「僕」はかなりの病弱で、長生きしたと考えにくい。「日誌」の日付だと「僕」は老年に達していたことになる。日付がデタラメ、すべて創作と考えられる。廃屋は12年の荒れようではない。では、「僕」は何ゆえ、何のために創作の日誌を書いたのか。「私」は思いを巡らす。

「第二章」冒頭、著者が詩を掲げる。

〈破れた靴の底に/冬がいたつき/この旅愁をはこぶみちに――//霧は硝子のやうに冷たい。  詩村映二「虚身(うつしみ)」(『カツベン』より)〉

詩村は戦前の活動写真弁士で、詩も書いた。トーキー反対労働争議で逮捕され、神戸詩人事件でも検挙された。映画の世界を離れ、戦後は露天商。『カツベン』(みずのわ出版)は詩人・季村敏夫が詩村の詩・文、資料をまとめた労作。

日誌すべてが「僕」の創作だとしても、長い海外生活を送る友と恋人「異邦の女」、「阿片」(末期ガンの鎮痛剤使用)など「私」につながる記述がある。「おじいさん」の手記に語られている友人の弟の広島被爆体験については、「私」が「僕」の父親のものであることを明かす。

「私」は「僕」との思い出の神社、森に行く。蝉の抜け殻や鳴き声など記憶の風景・感覚を取り戻せない。しかし、あの「家」は確かに存在している。もう一度「僕」の家に。

……そう、私は古い映画のスクリーンのなかに入り込んでいたのであった。/他愛ない無声映画であった。活弁士はいるのであろうか。(中略)たった一日だけの映画。一日は、逆向きに思いを馳せると、一日以上の意味をもつことがある。いや、そうではない。朝に生まれた蜉蝣が夕暮れに死ぬように、一日はこんなにも短いし、それどころか一日などというものはないのだ。〉

「私」は女性とすれ違う。「異邦の女」か?

 詩村の詩に触発された作品、と考える。「うつせみ」は「空蝉」「虚身(うつしみ)」だが、「うつしみ」は「現身」=生きている身でもある。

 著者の生まれ育った東灘区の御影や魚崎、岡本の景色が語られる。わが家近くのモダン寺や雅叙園ホテルも登場するが、ちょっと怪しい場所として。生まれ育った身にはその雰囲気、わかる。



(平野)

2021年1月21日木曜日

ボケボケ振替休日

 1.18 ババちゃんが孫に絵本を買った。LINE電話で読まされるのはヂヂ。

神沢利子文、林明子絵 『ぼくのぱん わたしのぱん』(福音館書店、1981年)



孫は童謡「こねこのパンやさん」に合わせてクッションでコネコネする。絵本も子どもたちがパンづくりでコネコネするので、食いしん坊孫喜ぶ。ヂヂも役に立っている。

1.19 寒いけど買い物に出る。「BIG ISSUE399号。表紙はジャーナリスト・伊藤詩織さん。「次の世代や未来のために声を上げている人々のことを伝え、サポートしていきたい」。



妹が17日の「神戸新聞」を持って来てくれる。仙台出版社「荒蝦夷」土方社主インタビュー記事。全国の被災地取材を続けている。東日本大震災では自らも被災した。東北の現状・課題を語る。海文堂のことにも言及してくれている。

災害列島日本にいる限り、被災は特別なことではない。(中略)『明日の被災地』への伝言だと思って発信を続けるしかない。記録に残して伝え続ける。〉



1.20 新年早々ボケボケで休みの日に出勤してしまったので、本日振替休日。頭にウンチがつくくらい真面目(?)ゆえの失敗。運はつかないのに。そう言えば、今年の年賀状懸賞は当たりなし。

午後図書館。1892明治25)年6月、夏目漱石と正岡子規の夏休み関西旅行を追う。京都観光のあと、漱石は縁者の祝い事で岡山(滞在中水害に遭う)、子規は松山帰省。8月漱石も松山。子規は学年試験落第して、この休み中に帝大退学を決意。8月末帰京途中も観光。旧暦七夕、子規は神戸布引の滝で句作、「布引も願ひの糸の數にせむ」。

夜のニュース、芥川賞・直木賞決定。直木賞西條奈加、私読んだばかりなのでうれしい。

(平野)

2021年1月19日火曜日

阪神淡路大震災26年

 1.17 阪神淡路大震災から26年。

ギャラリー島田で三宮ブックス村田社長と待ち合わせ。島田・村田両社長(以下敬称略)の会談にご一緒する。1995年震災の時、幸いにも中央区内で最初に営業再開できたのが元町商店街の海文堂、二番目がJR三ノ宮駅そばの三宮ブックスだった。島田は海文堂書店を復旧し、芸術家支援運動を立ち上げた。村田も自店経営に加え、書店組合役員として本屋仲間の復旧・復興に奔走した。当時私は三宮ブックス勤務。2000年ギャラリー島田開廊。03年三宮ブックス業務縮小のため私は海文堂にもぐり込んだ。13年海文堂閉店。その後もおふたりは私とおつき合いをしてくださって、本日この日ふたりの話に参加しているのもご縁である。

 帰り道、すっかり忘れていた〈さんちか古書大即売会〉に。吉野丈夫『神戸と基督教 100年史に輝く巨星たち』神戸伝道百年史刊行会、1975年)

 朝日新聞朝刊に、坪内祐三『慶応三年生まれ七人の旋毛曲り 漱石・外骨・熊楠・露伴・子規・紅葉・緑雨とその時代』(講談社文芸文庫)の広告掲載。値段2700円+税。文芸文庫は発行部数少ないだろうからどの本もちょっと高い。

年始、書誌に詳しい業界先輩が文庫新刊情報を見て伝えてくださっていた。初版マガジンハウス版は2001年、ハードカバー552ページ、2900円+税。11年新潮文庫版は本文730ページあまり(著者あとがきと北次郎解説で全764ページ)、895円+税、だったそう。

講談社Webサイトには文芸文庫版752ページとある。年譜・解説・書誌充実が売りだが、本書はどうか。現物を見てみよう。

 坪内さん急逝から1年。私は何年も前に古書市でマガジンハウス版を入手。必要があって今読もうとしている。遅い。



(平野)

2021年1月17日日曜日

江戸染まぬ

1.15 兵庫県も緊急事態宣言出たけど、マンション仕事は通常通りの予定。管理組合との協議で時短短縮があるかもしれない。

1.16 お昼、ネットニュースで安野光雅さんが昨年末に亡くなっていたことを知る。絵本、画集含めたくさん読ませていただいた。感謝を込めてご冥福をお祈りする。



 ジュンク堂書店の阪神淡路大震災フェアを覗く。26年経っても新刊本が出る一方、過去の本は少なくなる。拙著『海の本屋のはなし 海文堂書店の記録と記憶』(苦楽堂)も並べてくださっている。感謝。

  時代小説四冊目、年末年始読むつもりだった本、一応終了。

 青山文平 『江戸染まぬ』 文藝春秋 1400円+税

「オール読物」に掲載した短篇七作品。

 貧乏旗本の妻、小さな町の紙問屋、甥に養われる老剣士、殿様の書状を処分する御小姓頭取、殿様のお手のついた下女を田舎に送って行く下男、隠居した父親の罪で追放された一家の次男坊、女争いで祖父に負けた部屋住み、それぞれの思い悩み、希望、欲。大小あるが、当人には深刻。封建制度下、命を賭ける問題もある。突如として大きな歴史の波をかぶることもある。



(平野)

2021年1月14日木曜日

とんちき

 1.12 『ニッポンチ!』河鍋暁斎のこと。本日「朝日」夕刊に、暁斎「鳥獣戯画 猫又と狸 下絵」の上部3分の1が見つかった、というニュース。暁斎の完成品ではなく下絵。下絵ははり合わせられ、重ねられていて、それがはがれてバラバラになっているそう。整理の作業が続いている。27日まで丸の内・東京ステーションギャラリーで公開。

 


 岩波書店の「図書」1月号、星泉「テントを育てる人とともに作る辞書」。昨年3月東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所が上梓した『チベット牧畜文化辞典』を紹介。「チベット牧畜民の言語と文化の全体像に肉薄しようという野心のもとに編んだ」辞典。チベット仏教を読み解くためのいい辞典はあるが、牧畜など生業にかかわる語彙は重視されていない。星は牧畜の暮らしを知らずにチベット文化研究・翻訳をするのは「修行が足りないのではと悶々としていた」。2014年、研究仲間、留学生らと牧畜文化共同研究をスタート。

〈牧畜民はヤク毛のテントに毛織の反物を継ぎ足しながら長く使うことを「テントを育てる」という。そうか、これと同じだ。われわれも時間をかけて辞書を育てていくんだ。〉

WEBで無料公開。書籍版は非売品、研究機関・研究者には送ってくれるそう。

https://nomadic.aa-ken.jp/

  私には無縁の辞典だけれど、すごい情熱、作業、成果だなあ。ありきたりの感想でごめん。

  1.13 「歴史探偵」半藤一利さん逝去。ご冥福を。


 

 時代小説三冊目。

 矢野隆 『とんちき 耕書堂青春譜』 新潮社 1650円+税

 江戸、耕書堂・蔦屋重三郎のもとに4人の若者たちが集まる。戯作者・絵師志望、それぞれ個性豊か。自分の才能に気づいていない。ただただ、書きたい、描きたい、悩み苦しみもがく。彼らは長唄師匠の首つり自殺事件に遭遇し、その死に疑問を持つ。そんなこと探索している場合か、けど、かかわらずにはいられない。



(平野)

2021年1月12日火曜日

ニッポンチ!

   1.10 北摂墓参り、親戚宅で昼食。

1.11 成人の日、我が家は関係なし。神戸市の式典は延期だそう、気の毒。買い物に出たら、晴れ着姿の娘さん発見。「BIG ISSUE398号はジョン・レノンの表紙。



 時代小説二冊目。

 河治和香 『ニッポンチ! 国芳一門明治浮世絵草紙』 小学館 1700円+税

 絵師・歌川国芳とその一門の物語。前作『国芳一門浮世絵草紙』(小学館文庫、全5巻)は国芳の長女登鯉の目を通した話だった。本書では、次女芳が新時代を生きた弟子たちと自身を語る。時代の波に乗った者もいれば、落ちぶれた者もいる。弟子を育て一門の枝を広げた者もいる。芳は「国芳の娘」と持ち上げられたり、突き落とされたり、世間にもまれて生きた。

国芳の絵と人柄に弟子たちが集まる。皆個性豊か、一癖二癖ある。河鍋暁斎は7歳で国芳に弟子入りしたが、親に連れ戻され狩野派の塾に入れられた。ほんの2年ほどの弟子だが、国芳を慕い、一門に可愛がられた。仮名垣魯文の小説に挿絵を描き、彼と組んで新聞に風刺画=ポンチ絵を描いている。明治6年国芳13回忌、暁斎酔っ払って芳に構想を話す。

〈「ワーグマンの『ジャパン・パンチ』の向こうを張って、日本のポンチだから……『ニッポンチ』って……

 お芳がくすくす笑うと、暁斎も悦に入ってスイスイ盃を重ねている。

「ニッポンチ……いいだろう? やるぞ、ニッポンチ!」〉

 本格の絵もポンチ絵も描く人気絵師。58歳、胃がんで亡くなる。娘は美大の教授になったという。

(平野)

2021年1月9日土曜日

心淋し川

1.9 読書、ようやく時代小説に。一冊目は、

 西條奈加 『心淋し川(うらさびしがわ)』 集英社 1600円+税

「心」を「うら」と読む。『広辞苑』には、「(表に見えないものの意で)こころ。おもい。」とある。

舞台は江戸根津権現近くの窪地にある長屋。小さな川があるが、淀んでいて流れていない。塵芥が溜まる。落ちぶれて流れ着いた者、自分の意思で来た者。この場所から抜け出したい人、ここで生きていくと決めた人。つかみかけたささやかな幸せも手からすり抜けていく。それでも自分のため、周りの人のため、懸命に生きる。

 連作短篇集。主人公たちに寄り添う差配は謎。哀しい過去を抱えて、目的があって差配になった。前任者に言われた。

「傍から見れば、まさに芥箱(ごみばこ)みてえな町ですがね。汚ねいし臭えしとっちらかってるし。それでもね、あの箱には人が詰まってるんでさ」

 






図書館に行く途中に氏神社がある。元日に孫がまいた南天の実がまだ少し残っていた。

孫は、「 あかいとりことり なぜなぜあかい あかいみをたべた ♫」(詩・北原白秋)の歌が好き。正月の花飾りから落ちた実を、鳥さんにあげる、と言う。初詣して境内の大きな木の根っこにまいた。鳥の声は聞こえる。神社の周りを一周して鳥が食べたか確認に戻った。来た様子なく、あきらめて家に帰った。


 

花飾り落ちた赤い実鳥にやろ

孫の手は賽銭南天ヂヂばなれ

幼子が赤い実を置く初詣  (よ)

 

 図書館調べ物、正岡子規の従弟・藤野古白(ふじのこはく)のこと。平清盛の兵庫津築港の伝説を基にした戯曲「人柱築島由来」がある。完成後、ピストル自殺。1897(明治30)年5月、三周忌に子規は病床で『古白遺稿集』を編集・発行した。坪内逍遥、島村抱月の追悼文。夏目漱石、高浜虚子、河東碧梧桐らが追悼句を寄せている。

 子規の句、

〈古白死して二年櫻咲き吾病あり〉

(平野)


2021年1月5日火曜日

創さま「うつせみ」

  1.3 食料、野菜なくなって買い物に出る。予想していたより人出少ない。

本も初買い。鈴木創士『うつせみ』(作品社)。帯の紹介文。

〈洒脱にして剣呑、静謐にして囂囂たる、おじさんおじいさんの夢幻の如き日々は、どこに辿り着くのか。〉

 変なフランス文学者が書く変なおじさん・おじいさん、らしい。


 

 1.4 本日初出勤。

Web「元町マガジン」更新。

https://www.kobe-motomachi.or.jp/motomachi-magazine/2021/01/04/townnews341.pdf


 コロナ、首都圏また緊急事態宣言発出の模様。

 森まゆみ『子規の音』(新潮文庫)ようやく読了。次回元町原稿の大参考になる。

 

1.5 夕方、孫とLINE電話。ババちゃんと好きなふりかけ海苔を見せっこしている。ヂヂにはイジワル言う。

 『ひょうご部落解放』原稿送信。

(平野)

2021年1月2日土曜日

本 みかん 子育て

 12.31 夕方、みずのわ出版新刊、柳原一徳著『本と みかんと 子育てと』届く。一徳社主はみかん農家兼業。1969年神戸生まれ、97年出版創業。2011年に母方実家・周防大島の畑を引き継ぎ、出版の拠点を移した。島で伴侶と子宝も得た。本書はこの10年間の農業と出版と生活の記録、「本 みかん 子育て」の日々である。全670ページ超。写真も社主。装幀は林哲夫。早期予約だからと、旧著をおまけしてくれた。

 


 2021.1.1 近所の氏神さんに孫と初詣。細々拝まない。祈るは世界平和のみ(?)。

ヂヂは孫に年賀状用写真拒絶されたが、娘の年賀状2種披露。



いつものゴロ寝正月だけれど、本は溜まっていて、予定していた時代小説にたどりつけそうもない。原稿締め切りもある。活動は明日から?

「朝日新聞」の新春詠より〈朝日俳壇〉選者・高山れおなの句。

〈 歳晩やたまたま入りて良き本屋 〉

  1.2 昼すぎ、孫一家帰る。ヂヂババ、楽しい年末年始終了して日常に戻る。たいへん静か、すごーく寂しい。

 三宮ブックス村田社長から新年電話。

(平野)

2021年1月1日金曜日

今年もよろしく

 二〇二一年 令和三年 辛丑 元旦

垂乳根の母の胎内出でし以来最高衛生生活送る日々。

寄る年波の小生は須磨の浦マンション勤務早六年。

妻はラジオ体操おいちにさん、横浜子ら孫恙無し。

友とのおしゃべり呑み会を開催したいと思えども、今しばらくは辛抱我慢。

元気に再会できますよう、皆々様の健康と世界平和を祈念して新年挨拶といたします。

今年もよろしくお願い申し上げます。







写真は、上から
湊川神社と生田神社絵馬、地元八宮神社(わが旧坂本村の氏神六宮神社はここに合祀)。
(平野)