2023年11月19日日曜日

命の家

 12.13 先週暑い暑いと言っていたのに、一気に秋を飛び越えて冬。外の仕事は身体にきつい。

 昨日明日本飲み会案内送付、女性陣の回答早い。ひと月後を楽しみに。

12.14 ギャラリー島田DM作業を少し手伝って、神戸市文書館。阪神大水害資料閲覧。事前にメールで訪問と希望図書の予約が必要で、窮屈なところかと思ったが、学芸員さんは親切。今後もお世話になる。

12.17 孫電話。妹は姉のお遊戯会の演目を覚えていっしょに踊り歌う。自分も当日出演するつもり。姉妹で歌うのはアリスの「遠くで汽笛を聞きながら」。パパさんが教える。でもね、小さい子が「なにもーいいことがなかったこのまちで~」とは……

 

 上林暁 『命の家 上林暁病妻小説集』 山本善行編 中公文庫 1200円+税



 上林暁(190280年、高知県出身)は私小説で知られる。心を病んだ妻のことを繰り返し赤裸々に書いた。妻は戦争中(昭和14年)から8年間入院生活を送り、戦後(昭和21年)に亡くなった。本書は病妻小説12編。

〈「僕はこの後書を、都下町の聖ヨハネ病院の一室で書いている。入院中の妻の附添いのため、寝泊りを始めてから十余日になる。妻は、最後の宣告に近きものを受けている。僕は、書く作品書く作品に、病める妻を題材として、読者を倦ましめて来た。(中略)思えば僕は、妻が何も知らぬを奇貨として、臆面もなく、秘すべき妻の宿業を切売りの種にして、我が作家生活を樹てて来た。長じて子供達が、父の作品を読む時の心事も思わぬではない。その罪、万死に値しよう。しかし、この妻あるがために、我が文学精神が支えられ、言い得べくんば、高く保たれたこと、如何許りであったろう。若し妻亡き後を思えば、我が文学精神は萎微し尽すやも計られない。それを思えば、我乍ら不安に堪えられない。(後略)」〉「聖ヨハネ病院にて」

 妻が亡くなった時、子どもたち3人は高知に疎開したまま。上林は一人ひとりに宛てて手紙を書く。

〈お母さんの病気の間、お前達は事毎に肩身の狭い思いをしたにちがいない。人前で言える病気ではなかったからねえ。(中略)しかしお父さんは、小説の中には、包み隠さず、あからさまに何も彼にも書いたよ。小説を書く以上、そこまで突き詰めて書かなくては承知出来なかったんだ。嘘や隠し立てをして、自分の境遇をごまかしては、作家の道がすたれるとさえ思ったのだ。そこで、この八年のお父さんの作家生活と言えば、お母さんの病気と取組むことで一杯だった。苦しかった。けれどもそれが、どんなに救いになったことか。そのためお母さんの病気に堪え抜くことが出来た。(後略)〉「庭訓」

 小説を書くとは、なんと業の深い、罪なことか、苦しいことか。

 選者は京都の「古書善行堂」店主。上林の作品集を編むのは五作目。上林作品を読み続けて、「上林の見つめた世界に包まれ」てきた。

〈この目なんですよね。上林が人を見る目、自然を見る目、病に侵された妻を見る目、この目が一番の魅力かもしれない。何度も私はこの目に救われた。(後略)〉「編者解説」

 読む方も辛い。でもね、上林は不幸・悲しみから逃げず受け入れ、正直に書き続けた。

(平野)