2023年6月25日日曜日

私のイラストレーション史

 6.22 臨時出勤。先週急に休みを願ったからその穴埋め。雨上がり、野鳥の声。「ホーホケキョー」ときれいに上手にはっきり3度鳴いて、「キョキョキョ……」と連続で鳴く。うぐいす?

6.24 BIG ISSUE457、特集「ニューロダイバーシティ」。



6.25 「朝日歌壇」より。

〈広辞苑まっさらのまま隅飾る近くの本屋も閉店真近か (栃木県)大野木和子〉

「朝日俳壇」より。

〈休刊に「またね!」も寂し梅雨に入る (新庄市)三浦大三〉

 6中に家人が家を片付けたい、と奮闘。不要の物を大整理。


 南伸坊 『私のイラストレーション史』 ちくま文庫 

1100円+税 解説 養老孟司



 2019年単行本、亜紀書房刊。文庫化にあたり「追悼和田誠さん 『新しい絵』世に播いた種」を収録。南にとって和田は「日本のイラストレーションの父」。

 南伸坊(1947年生まれ)、イラストレーター、装丁デザイナー、エッセイスト。小学6年生の時にデザイナーになりたいと思った。なぜそう思ったのか、記憶を遡る。叔父と親戚を訪ねて、美大生の娘さんに憧れた。これはキッカケに過ぎない。叔父がペンキ屋・看板屋で、展示会や見本市の装飾をしていた。大工や左官の仕事を見ることが好きだった。友だちのおじいさんの趣味のマッチラベル蒐集を(友だちが留守でも)ずっと見ていた。近所のポスター屋の作業を最初から最後まで見続けていた。もともと興味があったことの面白さを発見していった。

 小学校時代の絵のこと、好きだったマンガのこと、そして中学2年で週刊誌広告「ピース」のイラストレーションを見てしまう。これが和田誠のイラストレーション。

〈「いいなあ」と思った。/「こういう絵を描く人になりたいなあ」と私は思った。(中略)「このピースの広告みたいな絵を描く人になりたい」と思ったのだった。〉

 工芸高校、芸大浪人、美学校、「ガロ」編集者。和田誠、水木しげる、羽仁進、澁澤龍彦、つげ義春、横尾忠則、赤瀬川原平、木村恒久らに出会い、師事。

〈高校入試に失敗し、大学入試に失敗し、就職試験で失敗する。その失敗のたびに、自分の会いたかった人に近づいていった。〉

南の青春は日本のイラストレーション史と共にあった。南が模写した当時の作品を収録。

〈私が考える「イラストレーション史」というのは「illustrationという英語を、和田さんが日本語にした過程」ということなんです。(中略)私が言いたかったのは、和田さん(たち)がイラストレーションとかイラストレーターという言葉の使用にこめた意味は、当時ももちろんあった「挿絵」とか「挿絵画家」とは違う表現をしはじめたジャンルに、新たな名称を与えて、その違いをあきらかにしたかったということじゃないかということでした。〉

 和田の思いは雑誌「話の特集」となる。

(平野)