2022年6月5日日曜日

ふるさとを憶う

6.3 妹孫誕生日記念写真たくさん。姉孫と並んだ写真も。他人様にもお見せしたいところ、自慢したいけど我慢。

6.4 妹孫1年検診の写真着。まんまる、 おすもうさんみたい。どすこい!

 昨年廃業した編集プロダクション「くとうてん」鈴社長、セーラ編集長、ゴロウさんを中心に、お世話になった面々が集まり感謝の飲み会。3年半ぶりに会う人もいて、皆さん息災と思いきや、古本屋さん家族にコロナ感染あり休業の知らせ。

6.5 「朝日歌壇」より。

〈母遺す蔵書を詰めしダンボール積上げしまま吾は八十路に (岐阜市)後藤進〉

〈返本の荷造りしてる本屋なり本が紙にて刷られるうちは (長野県)沓掛喜久男〉

 

 『ふるさとを憶う 宮本常一ふるさと選書第2集』 

みずのわ出版 1200円+税


 

 民俗学者・宮本常一は日本全国を歩き、膨大な資料、写真、文章を遺した。本シリーズは故郷・周防大島について記録したものを集める。

 本巻では1947年執筆の「私のふるさと」を収録。小学生高学年でも読めるようルビや解説をつけ、写真・絵も多数。島の四季、森、干潟の遊び、自然の脅威、言い伝え、村の家々の様子、集落の変化など、幼少時の思い出を中心に綴る。

〈お宮の守では、五月頃になるとみみずくがないた。その声を村人はチョーキチコイときいた。五月田(さつきだ)の忙しさに親は日の暮れるまで働いて、戻ってみると息子の長吉がいない。片方の脚絆(きゃはん)(農作業等で脛(はぎ)の保護などのため巻く布)をときかけてそのまま子をさがしに出て、子の名を呼びつつ鳥になったのだという。その声をきくたびに、鳥の身の上をあわれに思ったものである。〉

 戦後の話も。外地から引き揚げてきた老夫婦が親戚のツテで村の沖の小島に住み着いた。潮が引くと歩いて渡れる。小屋を建て、海水を煮詰めて製塩し、細々と暮らしていた。村まで飲み水をもらいに来ていた。妻が死に、夫ひとりになった。親戚が引き取ると言ったが、小屋を動かなかった。死期を悟ると、通りあわせた人に親戚を呼んでもらった。跡始末の貯えはあったようだ。

〈老人が死ぬと小屋はすぐ解かれた。そして、その跡へは草が生えた。なにごともなかったようにそこは草に埋もれていった。ここにこうして書きとめねば誰の記憶にもとどまらないほど、ひっそりと消えていった人生であった。この人にも語れば語ってきかせるほどのライフ・ヒストリーがあったはずである。それはつつましく清潔な晩年がおぼろげながら物語ってくれるのだが、この世に何ものをも残さなかった。墓すらも建てられはしなかった。〉

 本年2月、監修者・森本孝さんが亡くなった。みずのわ社主が遺志を引き継ぐ。

(平野)