2022年6月14日火曜日

仰臥漫録

 6.13 姉の歌に合わせて妹が踊る。片手で本棚につかまって、腰ふってごきげん。芸がふえてきた。何してもうれしい、ヂヂバカちゃんりん。

 

 正岡子規 『仰臥漫録』 岩波文庫 800円+税



 正岡子規没後120年。解説に『仰臥漫録』出版までの経緯が紹介されている。子規が日記を書き始めたところ、高浜虚子が「ホトトギス」にその掲載を予告してしまい、子規激怒。それでも子規が亡くなって2年数ヵ月後、1905(明治38)年1月発行の同誌に載せた(一部省略、削除あり)。18(大正7)年岩波書店から絵を含めすべて出版。27(昭和2)年7月岩波文庫。このたび改版してカラー版に。解説、復本一郎。

 01(明治34)年9月から10月末、翌年3月の3日分、6月から7月の「痲痺剤服用日記」など病床日記である。毎日の食事三食と間食メニュー(大食である)、身心の苦痛、便通、繃帯取り替え、来客、見舞い品、庭の糸瓜・瓢(ふくべ)・夕顔・鶏頭、・小鳥・虫、それに短歌と俳句、絵。忘れてはいけない、介護してくれる母と妹への不満・怒り、時に感謝。「古白日來」の文字と小刀・錐の絵を添えて、自殺の衝動も書き留めている。自死した従弟「古白」が自分を呼んでいる、と。

 02(明治35)年919日子規死去、辞世三句。

〈糸瓜咲て痰のつまりし仏かな〉

〈痰一斗糸瓜の水も間にあはず〉

〈をとゝひのへちまの水も取らざりき〉

 子規はずっと庭の糸瓜を見て、生長を句と絵にしていた。慰められていた。忌日は糸瓜忌と呼ばれている。

 戦後子規庵に保管されていたはずの原本が行方不明になっていた。2001(平成13)年土蔵から発見された。ついこの間やん。

(平野)

「古白」とは藤野古白(ふじの・こはく、本名・潔、187195年)。95(明治28)年初め、平清盛兵庫築港の伝説をもとに戯曲「人柱築島由来」を発表。4月ピストル自殺。ノイローゼ、作品不評と失恋があった。このとき子規は日清戦争従軍、戦地で追悼。

〈春や昔古白といへる男あり〉

97(明治30)年、子規は古白の遺稿をまとめ出版、三周忌の記念とした。坪内逍遥、島村抱月が追悼文を、友人たちが句を寄せた。

〈思ひ出すは古白と申す春の人〉漱石

〈古白死して二年櫻咲き吾病めり〉子規