3.3 花壇のさくらんぼの花が咲き始めた。例年より少し遅いが、毎年咲いてくれる。うれしい、心はずむ。
「波」連載の川本三郎「荷風の昭和」に幸田露伴死去の話。昭和22年7月30日没。荷風は露伴と会ったことはないが、露伴を「先生」と敬慕。戦後同時期千葉県市川市に二人は住んでいた。露伴は明治の大文豪、読者に知識・教養が必要な作家、当時は読まれていない。寝たきりの貧乏暮らし。財産は貯金通帳に2000円のみ。娘・文と孫の玉、弟子・土橋俊彦が世話をした。一方、荷風は戦後「荷風ブーム」と言われるほどよく読まれた。露伴葬儀は8月2日。荷風は式場には行かず、離れたところから黙礼。
〈……遠くから景仰していた露伴に弔意を示すには、式場には入らず距離を置いて黙礼したほうがいいと遠慮したのだろう。人気作家の荷風が式場に現れれば、混雑が予想されると慮ったのかもしれない。(中略)黙礼こそ、一度も面識はなかったものの、長く敬してやまなかった「露伴先生」への最高の礼儀ではなかったか。〉
3.4 図書館、西村貫一調べ。ようやく「金曜」を紹介できる。
「金曜」15号(へちま文庫、昭和25年4月発行)に増田五良「尾崎紅葉の晩年」。紅葉は露伴と共に「紅露時代」と並び称された文豪。明治36年11月30日胃がんで亡くなった。37歳、若い。多くの硯友社弟子に囲まれて逝った。増田は「紅葉山人追憶録」(雑誌「新小説」明治36年12月)、泉鏡花「紅葉先生逝去十五分間」を参照。紅葉死後、自然主義作家らが活躍し、弟子たちは発表の場を失っていく。
明治文人の話が続く。「金曜」18号(昭和25年7月)、森於菟「脈鈴――露伴と鷗外餘録」。露伴と鷗外について思い出話を求められるが、思いつかない。叔母・小金井喜美子(鷗外の妹、歌人、翻訳家)に訊ねる。喜美子が語るのは、露伴の鼻が低かったこと、近所の古道具屋に露伴の石膏像があり驚く。その像の鼻も低かった、と。於菟が、まだ何かあるでしょう、と問う。露伴の釣り好きのこと。日露戦争の頃だったか、露伴が鷗外宛の手紙に釣りの詩を添えた。鷗外は面白いので真似しようと思ったができず。その手紙を喜美子に送ってきた。手紙は行方不明だが、喜美子は露伴の詩を覚えていた。
「脈すずはいまだ鳴らずて 気はしづむ川の水底 大利根の深き夜を釣る 釣糸の長き思いや」
脈鈴は魚のあたりを感知するための細工。鯨の髭に鈴をつけた。
小雨の中帰り道、於菟は露伴の釣り姿を想像。
〈……竹の子笠をかぶった露伴翁が闇にもほの白く光る大河の水面を見つめて、ひとり黙然と釣糸を垂れる姿を頭の中にえがいた。そして昔は互に相許した仲であるが、時世の遷り変るとともに、彼自身好んでいるとは思えぬが勲章を胸に飾り、若い文学者にかこまれている老友鷗外に、孤独の中にも澄みに澄むおのれの心境を即興の四行詩に托して伝えようかと思いついたとき、やわらかにしなう釣竿の先にとりつけた鈴からかすかな脈動が掌に伝わるのを感じたであろうと想像した。〉
■ 髙宮利行 『西洋書物史への扉』 岩波新書 1000円+税
著者は慶應義塾大学名誉教授、中世英文学、書物史専攻。
bookの語源、印刷本から転写された本、楔形文字は紀元前3100年まで遡れるなど、びっくりする話がいっぱい。
〈……本書の目的はヨーロッパの書物の歴史に関して、多くの事例から時代の特徴を捉え、点と点を結んで線にすることである。文字メディアがいかに誕生したか、何を書写材料として発展してきたか、パピルスの巻子(かんす)本はなぜ羊皮紙の冊子本に駆逐されたのか、中世の写本生産の担い手だった修道院の写本室の様子、印刷術の発明がもたらした書物文化の普及とそれとは逆の狭隘化(ボトルネック)現象、音読から黙読へと変化する読書のあり方、溢れかえる印刷本と格闘するルネサンスの文化人、一九世紀の中世趣味による振り返り現象、書物コレクターの出現と偽書など、書物の生産・流通・鑑賞の歴史が織りなす綾をお楽しみいただければと念じている。〉
2000年前の文書板、楔形文字と蠟板、冊子本、中世のペチア・システム、音読・黙読、写字生、書見台、回転式書架、活版印刷、写本偽作者、復刻、本の余白、それに現代のデジタル化……、書物と共に書物を愛した先人たちの歴史をたどり、書物の未来を考える。
著者の古書体験は12歳から。父上に連れられて神保町からはじまった。
(平野)