2022年10月23日日曜日

文にあたる

 10.20 訃報、ドリフターズ・仲本工事。

BIG ISSUE441号。巻頭リレーインタビューは作家・マンガ家の小林エリカ。

「『アンネの日記』と出合い、作家を目指す」

見えないもの見えないまま表現したい」



 孫動画。妹がお気に入りの絵本を姉のところに持っていく。姉が読んであげる。盛り上がるところで姉が叫ぶと、妹も合唱する。なかよしうれしい、ヂヂバカチャンリン。

10.22 村田耕平氏の墓参り。ご家族に案内を願い、みずのわ一徳社主と。ようやく手を合わせることができた。故人の思い出と恩は語り尽くせない。

 

 葉室麟 『星と龍』 朝日文庫 800円+税



 確か読んだ、と思いながら。やっぱり単行本で読んでいた。けど、再読。著者は2017年逝去。本書は「週刊朝日」連載途中で絶筆。2005年デビューして、12年で著書60数冊上梓。

 主人公は楠木正成。後醍醐天皇親政後、護良親王殺害まで。

 

 牟田都子 『文にあたる』 亜紀書房 1600円+税



 フリーの校正者「むた・さとこ」。

〈本を読むことを仕事にしています。/といっても、いわゆる「読書」とは少し違います。本が出版される前にゲラ(校正刷り)と呼ばれる試し刷りを読み、「内容の誤りを正し、不足な点を補ったりする」(『大辞林』)のがわたしの仕事です。(後略)〉

 誤字・脱字、衍字(えんじ)など「誤植」を見つける。見つけることを「拾う」、見逃すことを「落とす」という。

固有名詞や数字、事実関係などの正誤を確かめる「事実確認」。

校正の対象は活字本だけではない。雑誌、漫画、テレビのテロップ、映画字幕、新聞、ネットニュース、ウェブサイト、カタログ、チラシ、商品パッケージ……

「誤植」は簡単に見つかるだろうと想像するが、複数の人が繰り返し校正しても見逃しは残る。ことばの「誤用」は著者が意図した文章表現かもしれないから、何冊も辞書にあたり例をあげてお伺いのメモを付ける。

「事実確認」となると途方もない。広告の数字や単位を間違えたら「正誤表」で直すわけにはいかない。料理のレシピ、数式や化学式、動植物の特徴、漫画の人物の姿(服や小物の柄、髪型の向きが前後で違っていないか)、小説の細部(その時代・その場所に全国チェーンの店舗があったか、登場人物や家の間取りに矛盾はないか)、引用文は正しいか……、図書館で資料を探し、ネット検索し、調べ上げる。

〈校正は自信の持ちにくい仕事です。減点方式だからとは先輩の言ですが、百点満点で採点するとしたら合格ラインは百点以上。つまり最低でも百点(原文傍点)ということです。(後略)〉

 間違いがなくて当り前、読者がたまたま見つければ「まちごうてる!」と怒る、呆れる。

〈ある作家は誤植を部屋のちりにたとえ、「掃除をして、床にちりひとつ落ちていない状態にしたとたん、それまで気付かなかったもっと細かい塵が目に入り、全体が汚れているときには保護色のように周囲に溶け込んでいた異物が、笑みを浮べて自己主張をはじめる」といいました。校正を「掃葉」とも呼ぶのは、掃けども掃けども散りしきる落ち葉に誤植をなぞらえたのだと考えれば腑に落ちます。(後略)〉

初心者でもベテランでも落とす。必死にやって落とすこともあれば、気楽にやって拾うこともある。初歩的なミス、自分で気づかないミスもある。ゲラと校正直しを比較対照して公開され、評価されることはない。

〈あらためて校正について書かれた本を探してみると、本づくりや編集について書かれた本の中で校正にふれられていることに気がつきました。かつて目を通した本がいま読むと別の本のように生き生きとした言葉となってたちあらわれてくることも驚きでした。読めば読むほど読みたい本が増えていく。校正だけにとどまらない、本を作るということの奥深さは、広大な森に分け入っていくようだと感じられました。自分はまだその入口に立っているにすぎない。読んでも読んでもこれで十分と思えることはなく、読むほどに無知を恥じました。〉

 失敗の数々、先輩の仕事ぶり、作家の悪筆、辞書の話など数々のエピソードを語る。

(平野)校正というと赤鉛筆と黒縁の分厚い眼鏡、黒い腕カバーのイメージ。地道で、なくてはならない仕事。