2022年8月27日土曜日

貸本屋とマンガの棚

8.24 大阪市立美術館〈フェルメールと17世紀オランダ絵画展〉。「窓辺で手紙を読む女」、女性の背後に天使が描かれていたことが判明、修復が完了。




天王寺公園内、前に来たのは子どもたちが小学生の頃。あのときも「フェルメール」を見た。当時公園内あちこちで朝から一杯呑んでカラオケ歌っていた。今はきれいなふつうの公園。

8.25 なかじま教授から6月の呑み会の写真届く。楽しかったのにすっかり忘れている。思い出した。ありがとうございます。また集まりましょ。

8.27 「寅さんの日」だそう。1969年8月27日に『男はつらいよ』第一作が公開された。同シリーズはテレビで繰り返し放送されている。なんども見ている作品があるのに、見ていないのもいくつか。


 高野慎三 『貸本屋とマンガの棚』 ちくま文庫 900円+税



 高野は1940年東京生まれ、「日本読書新聞」、青林堂「月刊漫画ガロ」を経て、1972年北冬書房設立。1999石子順造らと貸本マンガ史研究会創立。本書は、貸本マンガ以前、誕生から衰退まで、戦後間もない時代のマンガ文化・貸本文化を紹介。「まんだらけZENBU」(20002013年)に掲載。単行本『貸本マンガと戦後の風景』(論創社、2016年)を改題、文庫化。

 本屋で売る新刊本とは別に貸本マンガが出版されていた。手塚治虫の本は貸本マンガではないが、貸本屋にもあったそうだ。白土三平や水木しげるは紙芝居から貸本マンガに転身。さいとう・たかを、つげ義春も描いていた。

貸本が映画と並んで青少年の娯楽だった。貸本屋最盛期は1950年代、全国で推定2万数千件あった。貸本に描かれたのは貧しさや家族との別れ、戦争の悲劇、平和の願いなど。まだ身近に空襲の跡があり、記憶も鮮やかにあった。読者のすぐそばにある真実だ。残酷で強烈な表現・主張もあったが、働く若者たちの夢や希望を描き、マンガ本来の笑いもあった。

〈貸本マンガを語るとき、注意しなければならないのは、その背景として横たわっていた社会の構造にも目を向ける必要があるということだ。それは、貸本マンガという存在が、社会=生活と密着していたからにほかならない。〉

 貸本マンガ登場が1953年、消滅が678年頃。朝鮮戦争、安保、ベトナム戦争と重なり、高度経済成長が始まると衰退した。多くのマンガが生まれて、消えた。貸本屋もなくなった。

 著者蒐集の貸本マンガ図版あり。私たちが知る著名漫画家の作風、描法の変遷を見ることができる。

(平野)うちの近所にも貸本屋があった。小学校低学年の頃に通ったけれど、子ども向けの本は少ない。水木マンガは表紙だけで恐ろしかった。借りるのは山根赤鬼や前谷惟光などお笑い系。「少年マガジン」「少年サンデー」を読むようになって、貸本屋には行かなくなった。