8.17 このところ神戸は雨予報があってもほとんど降らずだったが、昨日から大粒のが降ったりやんだり。しばらく続く模様。
孫電話。姉は昼間はしゃぎすぎて眠たい。妹は睡眠十分、叫ぶ、動き回る。おやすみ~。
■ 野崎歓 『無垢の歌 大江健三郎と子供たちの物語』
生きのびるブックス 2000円+税
野崎はフランス文学者、放送大学教授、東京大学名誉教授。フランス文学他、映画、日本文学評論の著書もあり。本書は子供に注目する大江文学論であり、大江作品の面白さを伝える入門書。
大江作品の子供といえば、長男光をモデルにする「イーヨー」。障害をもって誕生した長男の成長は大きな柱。
大江はデビュー当時から「子供っぽい人間、子供っぽい作品」と批評されたそうだ。自ら作品の中で「老人になったならば、子供っぽい老人という評判につつまれて生きることになるのじゃないか」と予測した。(「子供っぽい」傍点)
〈子供っぽさを「チャイルディッシュ」ととれば幼稚な、未成熟で大人げない、という非難になる。しかし「チャイルドライク」ととれば、無邪気で純朴、素直で可憐という肯定的評価になるはずだ。若くしてのデビューから、老齢に至るまで、一貫して「チャイルドライク」であり続け、子供の無垢への追憶と志向を保ち続けたところに、大江文学の素晴らしさを見出したいのである。〉
書名は連作短篇集『新しい人よ眼ざめよ』所収「無垢の歌、経験の歌」から。父が長期取材から帰国後、イーヨーとの間に「危機的な転換期」が訪れる。大江の愛読書であり、しばしば引用するウイリアム・ブレイク詩集『無垢と経験の歌』がモチーフ。神話的な詩の世界に大江は長男との共生を求めた。かつて誤読して赤ん坊殺しと読み取ったことも告白する。
子供の成長は、純真・無垢、ばかりではない。性や反抗心が芽生える。生活・行動は家庭の外に広がり、差別・排除にも遭遇する。
〈……子供との「共生」とは、ただべったり一緒にいることではない。子供はつねに出発し、しばし姿を消す。だが幸いにもまた戻ってきてくれる。(中略)「共生」とは「再生」にほかならない。「よく帰ってきたね」の一言を発するそのたびごとに、親は再生し、家庭も息を吹き返す。〉
野崎は「イーヨー」を〈じつに「decent」(上品)な姿〉と表現する。作品中に紹介される「イーヨー」の優しくユーモラスな言葉づかいやエピソード(父、祖母、タクシー運転手との会話など)は事実だろう。
〈……イーヨーは多くの弱点を抱え、苦しみを味わい、ときには迫害さえ被る。だが彼は上品さとユーモアを失わず、しばしば鮮やかな表現力を発揮し、そしてつねに食いしんぼうである。子供が周囲にどれほど大きな力を及ぼすものであるかを、イーヨーの姿は浮き彫りにしている。〉
大江のテーマは核兵器、戦争廃絶。そのために神話・伝承、SF、詩、世界文学、音楽・芸術を駆使する。自からの旧作品を読み直し、批判する(野崎はそれこそが「経験の歌」という)。
大江の根底にあるのは「祈り」。子供たちが、赤ちゃんが、そのまた子供たちが生きていける環境を残すこと。
〈……我が子であろうがなかろうが、あらゆる子供のために大人は祈らなければならない。その祈りを未来に届かせるために、現在を生きる責任を大人は負っている。〉
(平野)