5.4 買い物がてら〈親子で楽しむ落語会〉(こうべまちづくり会館)観覧。桂惣兵衛「手水廻し」、笑福亭笑利は紙切り芸と「味噌豆」。「親子で~」なのに老夫婦、しかも無料。申し訳ないけれど、たくさん笑う。
5.7 「波」2025.5月号(新潮社)。[新発見 遠藤周作未発表作品]あり、[阿刀田高ミニシアター完成記念特集]で太宰治、カフカ、坂口安吾の掌篇小説あり。ヂヂイが面白く読んだのは、吉川潮「退屈指南 色川武大先生のこと」。吉川は「師匠」と仰ぐ色川武大(1929~1989年)の命日4月10日に毎年墓参りをする。思い出の一駒、色川と寄席を一緒に見て、
〈……「順子・ひろしと川柳師匠以外にはたいして面白い芸人が出ていなかったので、退屈しませんでしたか」と尋ねたら、先生はこともなげに言った。/「寄席はね、退屈を楽しむところなんだよ」〉
色川は「退屈を楽しむにはもってこいの寄席が名古屋にある」と吉川を連れて行く。吉川が知っている出演者は一組もいないし、漫才は笑えない、曲芸は失敗して謝ってばかり、「とにかく、退屈極まりない」。色川は微笑みながら見ていたが、そのうち目を閉じた。帰りの新幹線車内で色川が「退屈指南」。吉川は色川の芸人たちに対する思いを想像する。
吉川(1948年生)が退屈を楽しめるようになったのは古希をすぎた頃から。
5.8 近所のご婦人が敷地内を掃除中に自転車が突っ込んできて大怪我、救急搬送。お気の毒。
■ 小林昌樹 『立ち読みの歴史』 ハヤカワ新書 1200円+税
著者は国立国会図書館レファレンス業務を経て、書誌学・出版史を研究する近代出版研究所所長。著書に『調べる技術』(皓星社)など。
本屋さんに入ると、大勢の人が本を選んでいる。探している。調べている。熱心に読んでいる人もいれば、ただパラパラめくっているだけの人もいる。いわゆる「立ち読み」。本屋側から言えば「タダ読み」、買うかどうか不明。お客から言えば、必要なことが書いてあるのか、買うかどうか、お金を払う値打ちがあるか吟味している。
江戸時代の本屋では「座売り」、お客は目的の本は蔵から出してもらう。お客が自由に本を探して選べるようになったのはいつごろのことか。「立ち読み」という行為は可能だったのか。
〈立ち読みの歴史を語る上で最大の問題は、いつ頃、どのようにしてこの習慣が始まったのか、ということがわからないことである。この問題を明らかにするためには、今現在に残されている資料(証拠)から、仮説と検証を繰り返して探っていくことになる。〉
立ち読みは黙読、江戸時代は音読が当たり前。庶民も多くは読み書きができたが農村ではまだ。本屋の販売方式座売りで、そもそも和装本は本棚の陳列されることを考えて作られていない。
〈「立ち読みの歴史」を考えることは、現代の私たちにとっては当たり前の「本」や「読書環境」のあり方が、いかにして誕生したのかを問うていくことにもなるのだ。〉
海外の本屋に「立ち読み」はないは事実か。「立ち読み」と「万引き」。江戸の「絵草紙屋」、本屋ではない「雑誌屋」。立ち見、冷やかし、タダ見の違いは。
書き手や版元、書店など「作る側」「売る側」の歴史を語るとともに、「立ち読み」という行為から「読む側」の歴史を繙く。読書の歴史、読者の歴史。
(平野)ヂヂイが最初に勤めた本屋はデパート内。マンガコーナーを設置して「立ち読み歓迎」。出版社は、いくらでも配本するからどんどん読ませてあげて、と全面協力。デパートは話題になるし、人が集まる。子どもたちは喜ぶ、親はゆっくり買い物できる。みんなハッピー、のはず。子どもたちは全員フロアに坐ってしまい、通路も占領。近隣売り場にも入る。満員だから本を元の場所に戻せない。担当者は毎日整理整頓がたいへん。本は汚れてコテコテ。買うお客さんは棚にたどり着けない。売り上げは大きなものではなかった。