2025年5月31日土曜日

鷺と雪

5.25~ 何ということもないのにせわしなく、日記をつけられない。臨時出勤あり、有給休暇あり。

拙著完成に向けてみずのわ社主が最終確認に奮闘してくれている。著者が頼りないから、厳しいチェックが入るのはありがたいこと。探せばまだ資料が見つかる。

 ギャラリー島田スタッフさんたちが出版に合わせて展覧会を企画してくださっている。他にもイベントや本紹介を考えてくださる方々がいらして、感謝の一言。今しばらくお待ちください。印刷決定、となるまで浮かれることはできません。

 読書も落ち着かない。以前古本市で見つけた本をあれこれ手にする。

北村薫『鷺と雪』(文藝春秋 2009年)は第141回直木賞受賞作だが、これがシリーズ物の最終巻とは知らなかった。図書館で前作を借りる。『街の灯』2006年 文春文庫)、『玻璃の天』2009年 文春文庫)。昭和初期、上流階級の女学生・花村英子がお付きの運転手(相談役、護衛役)別宮みつ子=愛称ベッキーと謎解き。兄が悩む暗号の解読、犬猿家族の仲直りに水を差すもめ事、友の失踪、豪邸での殺人事件・変死事件、行方不明の華族、ドッペルゲンガー現象などなど。モダニズムあふれる帝都、華やかな社交界を舞台に、きな臭くなる世情を映し出す。第一話「虚栄の市」では昭和七年(1932)五・一五事件、最終話「鷺と雪」では昭和十一年(1936)二・二六事件が描かれる。著者得意の文学、古典芸能、映画、音楽の話題も。

ヒロインは英子で謎解きの主役。ベッキーは英子にヒントを与え、補佐・護衛に徹しているのだが、本シリーズは〈ベッキーさん〉シリーズと呼ばれる。ベッキーの素顔が少しずつ明らかになる。時代の被害者であり、次代の若者を導く先達である。



5.28 花森書林・森本恵さんのご命日。

(平野)

2025年5月25日日曜日

岡本綺堂集

5.18 「朝日俳壇」「朝日歌壇」より。

〈吉里吉里忌(きりきりき)ひようたん島にドン・ガバチョ (市川市)福田肇〉

〈深い息で北条民雄を読み終えるトランプトランプと騒がしい世に (浦安市)中井周防〉          

 本や本屋さん関連を選んで紹介しているけれど、こんなのも。

〈「日本人って戦争好きだ。敗けるまでは」年表閉じて孫が呟く (船橋市)清水渡〉

5.20 歯医者さん、ギャラリー島田DM作業。スタッフさんたちと出版記念展覧会の話。海文堂と縁深い画家さんたちに協力依頼することに。

5.22 本屋さん、荷風、時代小説など。荷風本は前篇・後篇なのに、レジに後篇を2冊持って行っていた。ヂヂイは常に迷惑をかける。

5.23 拙著で登場する方のお名前、漢字の「読み」で悩む。確か濁らずお呼びしていたと思うのだけれど、実際はどうなのか自信なし。たとえば「中田」は「なかた」なのか「なかだ」なのか? 「浜崎」は「はまさき」か「はまざき」か? どっちでもいいという問題ではない。「東」は「あずま」なのか「ひがし」なのか? 「東海林」という難しい苗字には「しょうじ」「とうかいりん」という読み方(他にもあるらしい)がある。

5.24 週末は雨、という周期。午前午後とも図書館。

 

■ 『怪奇探偵小説傑作選1 岡本綺堂集 青蛙堂鬼談』

日下三蔵編 ちくま文庫 20012月(手持ちは同年3月二刷)



 酔狂者が集まり怪談話や体験談を語り合う岡本綺堂版「百物語」。綺堂の怪異譚は古今東西の話を取り入れている。海外の探偵小説も愛読した。不思議な幽霊話もあるが、できるだけ科学的合理的に謎解きをする。精神的な弱みであったり集団心理であったり。祟り、愛憎、因縁などの名を借りて悪事を働いたり、仕返ししたり、そういう人の心が一番恐ろしい。

 日下は編集者、ミステリ・SF研究家、古本蒐集者。アンソロジー編集多数。5.24「朝日新聞」広告に、著書『断捨離血風録』、小山力也『古本屋ツアー・イン・日下三蔵邸』(共に本の雑誌社刊)。

(平野)

2025年5月18日日曜日

癲狂院日乗

5.911 東京。孫(妹)の誕生日パーチーで家族集まる。親戚大学生さきちゃんも来てくれる。野球観戦(燕対巨人)、美術館、墓参り、森鷗外記念館を駆け足で廻る。本屋さんは銀座の教文館を覗いただけ。秋にゆっくり来よう。失敗やらかす、眼鏡紛失。

5.13 午前中臨時出勤。夜は埼玉イベント岩さんと海文堂仲間4名とで会食。岩さんは関西万博行くと言い(招待券もらったそう)、海文堂組は全員「絶対行かない」、で元町の夜は更けゆく。

5.15 前前夜の会でコバさんがグループLINE作ってくれる。岩さんが万博会場写真を次々送ってくる。お腹いっぱいゆえ、「もういいですよ」と返信。

5.16 孫電話。姉は今場所の相撲は興味なさそう。手芸やらピアノやら忙しい。妹は暴れん坊で、食卓の上に乗って踊るらしい。

 

 車谷長吉 『癲狂院日乗』 新書館 2600円+税



 車谷長吉(19452015年)兵庫県飾磨市(現・姫路市)生まれ。私小説で数々の文学賞受賞。2010年に直木賞。本書は『赤目四十八瀧心中未遂』が直木賞候補になる頃から始まる約1年間の日記。夫人・高橋順子の回想、

〈直木賞候補。焦慮。念願の受賞。その直後の出版社・新聞社・テレビ局からの原稿・出演依頼に圧倒されるも、ほとんどの求めに応じ、疲労困憊。並行して持病の強迫神経症治療のための病院通い。受賞して大金が入ったので、中古の家を買う。その顛末。人生最後の引越し。〉

病の苦しみ、編集者との確執、作家仲間・友人・知人への罵詈雑言、夫婦生活のことまで、本人は発表する気持ちで書き続けていた。野次馬には面白いが、関係者は堪らない。夫人は

〈「あなたか私かどちらか死んでから出して!」とわめいている。〉

 直木賞候補になって、

〈七月朔・水曜日。晴。/私は今日で五十三歳になった。何の渇望も祈りもない。この業病の強迫神経症があるだけだ。書くことは、これ迄に書きたいことのほぼ八割を書いて来た。書いてしまった。/もういつ死んでもよい。死ぬことは恐くない。この頃は編輯者に言われて、書いているだけだ。こういう外発的な文章は、文学ではない。内発的にこれを書きたいと思うて書くのが文学だ。(中略)編輯者にあれこれ言われて書くのは、本当に厭だ。(後略)〉

 今月、『車谷長吉全集』全四巻(新書館)完結。

(平野)

2025年5月8日木曜日

立ち読みの歴史

5.4 買い物がてら〈親子で楽しむ落語会〉(こうべまちづくり会館)観覧。桂惣兵衛「手水廻し」、笑福亭笑利は紙切り芸と「味噌豆」。「親子で~」なのに老夫婦、しかも無料。申し訳ないけれど、たくさん笑う。

5.7 「波」2025.5月号(新潮社)。[新発見 遠藤周作未発表作品]あり、[阿刀田高ミニシアター完成記念特集]で太宰治、カフカ、坂口安吾の掌篇小説あり。ヂヂイが面白く読んだのは、吉川潮「退屈指南 色川武大先生のこと」。吉川は「師匠」と仰ぐ色川武大(19291989年)の命日410日に毎年墓参りをする。思い出の一駒、色川と寄席を一緒に見て、

……「順子・ひろしと川柳師匠以外にはたいして面白い芸人が出ていなかったので、退屈しませんでしたか」と尋ねたら、先生はこともなげに言った。/「寄席はね、退屈を楽しむところなんだよ」〉

 色川は「退屈を楽しむにはもってこいの寄席が名古屋にある」と吉川を連れて行く。吉川が知っている出演者は一組もいないし、漫才は笑えない、曲芸は失敗して謝ってばかり、「とにかく、退屈極まりない」。色川は微笑みながら見ていたが、そのうち目を閉じた。帰りの新幹線車内で色川が「退屈指南」。吉川は色川の芸人たちに対する思いを想像する。

吉川(1948年生)が退屈を楽しめるようになったのは古希をすぎた頃から。



5.8 近所のご婦人が敷地内を掃除中に自転車が突っ込んできて大怪我、救急搬送。お気の毒。

 

 小林昌樹 『立ち読みの歴史』 ハヤカワ新書 1200円+税



 著者は国立国会図書館レファレンス業務を経て、書誌学・出版史を研究する近代出版研究所所長。著書に『調べる技術』(皓星社)など。

 本屋さんに入ると、大勢の人が本を選んでいる。探している。調べている。熱心に読んでいる人もいれば、ただパラパラめくっているだけの人もいる。いわゆる「立ち読み」。本屋側から言えば「タダ読み」、買うかどうか不明。お客から言えば、必要なことが書いてあるのか、買うかどうか、お金を払う値打ちがあるか吟味している。

江戸時代の本屋では「座売り」、お客は目的の本は蔵から出してもらう。お客が自由に本を探して選べるようになったのはいつごろのことか。「立ち読み」という行為は可能だったのか。

〈立ち読みの歴史を語る上で最大の問題は、いつ頃、どのようにしてこの習慣が始まったのか、ということがわからないことである。この問題を明らかにするためには、今現在に残されている資料(証拠)から、仮説と検証を繰り返して探っていくことになる。〉

 立ち読みは黙読、江戸時代は音読が当たり前。庶民も多くは読み書きができたが農村ではまだ。本屋の販売方式座売りで、そもそも和装本は本棚の陳列されることを考えて作られていない。

〈「立ち読みの歴史」を考えることは、現代の私たちにとっては当たり前の「本」や「読書環境」のあり方が、いかにして誕生したのかを問うていくことにもなるのだ。〉

 海外の本屋に「立ち読み」はないは事実か。「立ち読み」と「万引き」。江戸の「絵草紙屋」、本屋ではない「雑誌屋」。立ち見、冷やかし、タダ見の違いは。

書き手や版元、書店など「作る側」「売る側」の歴史を語るとともに、「立ち読み」という行為から「読む側」の歴史を繙く。読書の歴史、読者の歴史。

(平野)ヂヂイが最初に勤めた本屋はデパート内。マンガコーナーを設置して「立ち読み歓迎」。出版社は、いくらでも配本するからどんどん読ませてあげて、と全面協力。デパートは話題になるし、人が集まる。子どもたちは喜ぶ、親はゆっくり買い物できる。みんなハッピー、のはず。子どもたちは全員フロアに坐ってしまい、通路も占領。近隣売り場にも入る。満員だから本を元の場所に戻せない。担当者は毎日整理整頓がたいへん。本は汚れてコテコテ。買うお客さんは棚にたどり着けない。売り上げは大きなものではなかった。

2025年5月3日土曜日

美しい人

 4.26 神戸華僑歴史博物館で貴重な資料を見せていただく。関係者皆さんのご配慮ありがたいこと。

4.27 「朝日歌壇」「朝日俳壇」より。

〈本を読みネットを開き旅をする知る喜びのなかで老いたし (大田市)安立聖〉

〈短編の起承転結春の昼 (所沢市)高橋裕見子〉

 アリス福岡から年一度仕事で来神する岩さんとの飲み会案内メール。アリスは虎トラ快調でご機嫌の様子。

 花壇のさくらんぼ、ここ数年は収穫前に雨で落ちたり、野鳥に食べられたりで、ほとんど口に入らなかった。今年も鳥は来ているようだが、実はたくさん残った。ご近所さんに少しずつ配る。

4.29 家人は実家墓参を兼ねて親戚の集まり。ヂヂイ留守番、食事番。

5.3 黄金週間、ヂヂイの用事は飯炊きのみ。

 佐久間文子 『美しい人 佐多稲子の昭和』 芸術新聞社 

3000円+税



 芸術新聞社Webサイト連載した作家評伝に加筆、修正。2024年は佐多稲子(19041998年)生誕120周年にあたる。佐久間は『キャラメル工場から 佐多稲子傑作短篇集』(ちくま文庫)も編集。

〈本や雑誌に掲載された佐多稲子の写真を見ると、その美しさはきわだっている。/どの年齢の彼女も美しいが、眉のあたりに煙るような憂いをたたえた若いときの美貌と、老年の、眼鏡をかけて、きりっと口を結んだ凛とした美しさには、別人と言っていいほどの隔たりがある。この変貌を遂げるまでにいったい何があったのだろう。〉

 実母の死、家計のため小学校退学、工場や料亭勤め、丸善の女子店員、結婚と破綻、自殺未遂、心中未遂、出産、離婚、党活動。堀辰雄、中野重治、窪川鶴次郎らに応援されて作家デビュー。窪川と再婚するも、彼は浮気を重ね、稲子と親しい作家とも関係する。戦時下、「プロレタリア文学」作家たちは逮捕される者もあり、活動を制限される。人気作家の稲子は戦争中何度も従軍。戦後そのことで仲間から戦争責任を追及された。党から除名された。

〈一度や二度の挫折ではない。何度も何度もつまずき転んで、そのつど立ち上がり、顔を上げて曲がりくねった道を再び歩き出した。転ぶたびに内省を深めて歩幅を確かめ、自分の傷を核にして作品にふくらませていった。〉

 稲子の作家生活は65年に及ぶ。佐久間は稲子を「自分で自分の顔をつくりあげていった人」と語る。

(平野)