2025年10月30日木曜日

井伏鱒二ベスト・エッセイ

10.24 勤務マンションで貴重な鍵の落し物あり。一定期間保管して申し出でがなければ警察に届ける規定。その期限が迫るなか、ようやく落とし主現われる。掲示板とエレベーター内に「落とし物」の掲示していたのだが、気づかず、探し回られていたよう。よかった、よかった。

10.25 東京神保町のブックフェスティバル、今年も都合つかず行けない。雨で中止のよう。関係者の皆さん、本好きの方々にはお気の毒。

10.26 「朝日歌壇」より。

(カップ麺8個のレシート図書館の本が誰かの人生挟む (熊本市)桑原由吏子)

10.28 午前、「大ゴッホ展 夜のカフェテラス」、神戸市立博物館。当日券買うのに行列は覚悟していた。予想より早く、15分で入場。満員だけど、自分のペースで進む。目玉の「夜のカフェテラス」は写真撮影可で、また並ぶ。

 買い物しながら、中央区内で拙著を置いてくださっている書店さんに26日「読売書評」コピーを持っていく。引き続きよろしくお願いします。

10.29 「朝日新聞」の投稿川柳、「朝日川柳」。

〈世論調査わたしは置いていかれそう (神奈川県)大坪智〉

選評に「支持率68%」とあり。ヂヂイも置いていかれるのだろう。

もう一句、本屋のこと。

〈贅沢は徒歩圏内に本屋あり (京都府)高橋眞理〉

 

『井伏鱒二ベスト・エッセイ』 野崎歓編 ちくま文庫 940円+税



 井伏鱒二(18981993年)は長く文筆生活を送った。エッセイから37編を初出順に収録。編者は、どこからでも読者はきままに読んでよい、と書くが。

……最初から順番に読みすすめるなら、波乱に満ちた時代の渦中にあって、たゆまず書き続けた作家の足どりを辿ることができる。井伏鱒二はだてに長生きしたのではなかった。苦難を飄然と乗り越えて、しぶとくも愉しげに日々を送るすべを、彼は文章を綴る仕事をとおしてつかみとった。そしてまた、そうやって生きることの秘訣を文章のうちに溶かし込んだ。井伏エッセイの得も言われぬ滋味はそこに由来する。

 故郷と家族のこと、学校、友人、釣り、旅、従軍など、悲喜こもごもをユーモラスに、短編小説のごとく仕上げる。

「森鷗外氏に詫びる件」は新聞に発表(1931.7.1516「東京朝日新聞」)。井伏中学生時代のこと、鷗外が新聞に連載していた史伝「伊沢蘭軒」について、友人と郷土史研究家を装って、蘭軒に関する伝聞情報を手紙に認めた。文学志望の井伏はペンネームを使った。鷗外から返事があり、その情報の誤りを正してあった。友人が鷗外の手紙をほしがり、井伏は再度本名で手紙を出し、先の手紙の主は既に死亡とウソを書いた。また鷗外から返信、郷土史家の死を悼むものだった。中学生のイタズラに鷗外は真摯に対応した。井伏は軽率を恥じ、「鷗外氏の真率なる研究態度」を称える。

(平野)

2025年10月26日日曜日

『神戸元町ジャーナル』その11

  だいぶご無沙汰の『神戸元町ジャーナル』関連。

10.26「読売新聞書評欄」に岡美穂子さんが書いてくださいました。ありがとうございます。東京大学史料編纂所准教授、海域史研究。神戸の生まれ育ち。

神戸の近代文化史のことだけでなく書店の興亡にも目配りしてくださっています。もちろん柳原社主による編集・補填作業にも言及。

出版後すぐに地元「神戸新聞」が取り上げてくださったが、全国紙に載せてもらえるとは思いませんでした。御礼申し上げます。




(平野)

2025年10月23日木曜日

志記(一)遠い夜明け

 10.16 政治の世界は権力の奪い合い。狐と狸の権謀術数。誰かがサイコロ転がしているのだろうけど、ヂヂイはアベ一派もイシンも嫌。

10.18 ギャラリー島田DM作業、4ヵ月ぶりで手が動かん。ヂヂイにとってはボケ進行防止リハビリだから継続せねば。帰りに買い物して、花森書林。古本市出張が連続していて忙しいのに、古書業界機関誌の捜索をお願いする。

10.19 「朝日歌壇・俳壇」より。

〈誰へ向けての気遣いだろうフェミニズムの本はカバーをかけてから読む (柏市)伊藤智紗〉

〈終活に古本五冊売りに行き古本五冊買つてしまひぬ (延岡市)片伯部りつ子〉

〈灯火親しかつて信濃に読書(よみかき)村 (立川市)和田秀穂〉

「読書村」は現在長野県木曽郡南木曽町(なぎそまち)読書。

10.21 寒い、外に出たら手がかじかむ。昨日、家人は仕事から帰宅して「暑っつい」と言ってクーラーつけたのに。

髙田郁 『志記(一) 遠い夜明け』 ハルキ文庫(角川春樹事務所) 720円+税



 待望の新シリーズ。これまで同様、封建制度のもと、女性が志を立てて生きる姿を描く。今回主人公二人、黒兼藩松平家の侍医の娘・美津と備前の刀匠の娘・暁(ぎょう)。ともに文化元年(1804)清明の日(春分の次の二十四節気。草木、水清らか、風が心地よい季節)生まれ。19歳のとき、江戸で出会う。美津と暁道がどう交わり、進んでいくか。

黒兼藩は架空の藩、京から片道三十里、砂鉄の産地、北から南へ大きな川が流れ、南の果ては播磨灘、とある。播磨中部か但馬南部の山間部と想像。

冒頭、解剖場面。美津が生まれるずっと以前、祖父が藩主の許しを得て秘密裡に刑死人(女)の腑分けを行った。首のない死体、熊討ちの猟師が執刀、祖父が臓器をつぶさに調べ記録し、その図を絵師に描かせる。

〈何ということか。/肺は、開いた蓮の花を逆さに伏せた形ではなかったか。/心の臓は鬼灯、肝の臓は木の葉に似たものではなかったのか。/永く信じられてきた五臓六腑図とは似ても似つかぬ。/これが、これこそが、ひとの臓器の真の姿だというのか。(後略)〉

 これまで著者は惨劇の場面を描いていないと思う。事故死、病死はあった。医療と刀剣を主題にする作品ゆえ、未踏の描写に踏み込んだ。

著者は毎回主人公をいじめるから、きっと艱難辛苦が待ち受けている。

(平野)

2025年10月16日木曜日

資本主義の敵

 10.9 ノーベル賞、生理学・医学賞の坂口志門さんに続いて、北川進さんが化学賞受賞。理系の話はさっぱり不明ながら、地味な基礎研究が大事なことはわかる。

10.11 当ブログがヂヂイのボケボケ日記になってきた。食事の用意、長芋をすりおろして食卓に置いたところ手が引っかかって床に落とす。食べものを粗末にしたうえマット洗い、しょげる。本屋さん行ったら待っていた新刊文庫出ていて、機嫌なおる。

 長い日数かけてリーダー選びしてもパートナーから拒否されて、また政治空白。テレビの解説は政権の数合わせ・組み合わせで、ああやらこうやら。どう転んでも、しばらくは連立で進まなければならない。

10.12 「朝日歌壇」より。

〈診察をまつ間の読書すがすがし二時間あまりも没頭できて (盛岡市)山内仁子〉

〈三四郎一人それから門を出てこころはずまず道草を食う (京田辺市)大島智雄〉

 職場の仲間と「KOBE JAZZ STREET」。三宮からトアロード、北野町にかけて屋内、野外でジャズが満ち溢れる。常連先輩がチケット手配して案内してくれる。熱心なオールドファンの皆さんがいっぱい。手拍子したり、しっとり大人のムードに浸ったり。ヂヂイでも知っている曲が多く楽しめた。フィナーレでは、最前列で聴いていた小学生が音楽に合わせて踊りだして、会場大盛り上がり。



10.14 孫電話、姉はコネコネ、料理の手伝い。妹モグモグ、つまみ食い。

 友だちが送ってくれた本。

 チョン・ジア 『資本主義の敵』 橋本智保訳 新泉社 2200円+税




1965年生まれの韓国の女性作家短編集。作品の底流にあるのは、朝鮮半島南北分断から米国軍政・軍事政権下で両親がパルチザンの闘士だったこと、両親の故郷であり自身が育った全羅南道の求礼(クレ)が主な舞台であること。過去の武装闘争、現在のグローバル資本主義をユーモラスに、また風刺を込めて描く。表題作は題名から強烈なメッセージと思われたが……

〈ここに資本主義の真の敵がいる。かつて社会主義を信奉した私の両親のことではない。(後略)〉

 著者が生まれたとき既に両親は年老い、貧しく、「資本主義の死んだ敵」だった。

著者が「資本主義に新たな、かつ真の敵」と世に知らしめるのは、「自閉家族」と呼ぶ30年来の友人とその家族。友人は自然に存在を消す「秘技」を身につけ、集団のなかで目立たない、気づかれない。彼女も見知らぬ人を恐れる。文芸創作科なのに作品を書かない、将来の志望なし、ほとんど毎日寝て暮らす。試験で答案用紙の一枚が逆に綴じられていたら、用紙をひっくり返せばいいのに、自分が机の反対側に移動しようとする。バカではない、バカ正直。学生運動で先輩が指名手配され、彼女も安企部に監禁され事情聴取を受ける。しかし、無傷で車で送られて帰ってきた。安企部も無垢(間抜け)な彼女に同情した(呆れた)。結婚して子どもができる。運転免許を取り、ネットショッピングもする。合理的でシンプル生活かというと傍から見てムダが多い。夫は真面目に働き、『資本論』を枕に寝る。子どももバカ正直、パソコン遊びの許可を得るのに一生懸命。素朴な食事、余暇の読書。大きな家や新しい電化製品不要、古い携帯電話で十分、今以上の消費生活を望まない、欲望がない。

〈幸か不幸か、彼らには自分たちが資本主義の敵だという自覚はなく、資本主義の敵になりたいとも思っていない。彼らの人生には何かをしたいという気持ちすら存在しないのだから。あ、ひとつだけある。このままでいたい、という気持ち。(後略)〉

 拡大膨張する資本主義をおちょくる。

 表紙の絵はイシサカゴロウ、神戸の画家。

(平野)

2025年10月9日木曜日

南方ノート・戦後日記

 10.5 「朝日歌壇」より。

〈図書館で借りた曽根崎心中のしおり紐だけ赤くて長い (高山市)西春彦〉

10.6 ヂヂイ寝言うるさい、らしい。夢の中でしゃべっているのを覚えていることもある。今朝がたの夢は本屋開店前にお客さんがいっぱい入ってきて、「まだです、時からです」と断わっている。それでもどんどん入ってくる。その寝言らしい。

 孫電話。妹は人形遊びに夢中。姉としりとり、負けず嫌い、ヒントを言われるのはイヤ。

10.7 ヂヂイぼけぼけ進行中。呆れた家人は買い物と晩ご飯用意のメモを書いてくれる。メモを見ても間違えるし、メモを持って行くのも忘れる。

10.8 BIG ISSUE512。特集「人間と薬物。そのつきあい方」、世界中に広まった薬物「ビッグスリー」は、アルコール、タバコ、カフェイン。

 大佛次郎『南方ノート・戦後日記』(大佛次郎記念館編、未知谷、2023年)読む。

「南方ノート」は大佛が1943(昭和18)年11月から翌年1月末まで同盟通信社から派遣されて東南アジア各地を取材した時のノート。この時期、同地域は日本軍の進撃がほぼ終わり平穏と言えるが、戦争全体で見るとミッドウェー、ガダルカナルで敗れ、劣勢。大佛は現地の飲食を楽しみ観光し、優雅に見える。原住民向けの文化講演や座談会に出席し、ラジオ放送の原稿を制作し、学校を訪問する。従軍作家ではないが、軍政に協力しなければならない。大佛は冷静に現地住民の声(日本統治の不安)に耳をすませ、アメリカの日本向け放送を聴いて日本劣勢の情報を得ている。

「戦後日記」ではあまりに忙しい生活を綴る。雑誌・新聞の連載多数、経営する出版社のこと、文壇付き合い、政府関係、近所・親戚付き合い、金の相談などなど。ストレス解消はスポーツ、旅行。ついつい深酒になり健康不良。ただ偉いのは、明るい時間に集中して執筆しているし、いい酒を飲んでいる。同時期売れっ子だった「無頼派」たちは危ない酒と薬物で身体を痛めつけていた。

良い作品を書きたい(連載中の作品は評判よし)、もっと本を読みたい、旅行帰りの車窓から田植えの様子を見て、酒量を減らす決意。

「よい仕事をするのは高貴な義務だし責任だと昨の車窓田植ゑのひとを見つゝ単純に感じたり 外に甘へてはいけないのだ 評判がよいだけに強く緊める必要あり」




(平野)先日紹介した『植民地時代の古本屋たち』、10月下旬に増補新装版出来。

2025年10月5日日曜日

植民地時代の古本屋たち

9.30 朝は寒いくらいの温度。あわてて長袖を出す。昼間はまだ暑い。

 午前図書館。午後買い物。本屋さんで先日の万引き騒ぎの話を聴きたいと思うけれど、ヒマそうな人がいない。ギリギリの人員で回しているのでしょうが、それも万引きの誘因では?

10.2 花森書林に雑貨や絵本を持って行く。自分の本も整理しないといけないのだが、腰が重い。

10.3 勤務マンションは高齢の方が大半。働くヂヂイも高齢者ながら、まだ若手。そういえば落語でも同年輩の師匠が同じことをしゃべっていた。

 沖田信悦(しんえつ)『植民地時代の古本屋たち 樺太・朝鮮・台湾・満洲・中華民国――空白の庶民史』(寿郎社、2007年)。著者は当時船橋市の古書店「鷹山堂(ようざんどう)」店主。本書他、昭和戦前戦後の古書店資料をまとめ、出版している。

先日紹介した『帝国の書店』関連で図書館から借りた。内地・外地間の書物の往来、仲立ちをした古書店にスポットを当てる。本・古書店・お客の緊密な関係が明らかになる。

神戸の名物店主・故黒木正男の満洲ソ連軍進駐後経験が『帝国の書店』で紹介されているが、沖田本でも古書状況が引用されている。両書とも黒木の同じ文章からだ。

『帝国の書店』は、財産を処分する日本人を真似て黒木が路上で「にわか古書店」を始めたところ。大衆物を並べたが売れず、蔵書の岩波出版物を置くと「きれいに皆売れてしまつた」。客はすべて満洲人。岩波をはじめ「良書払底」の時代だった。

黒木原文は戦後古書組合の機関誌に発表したもの。黒木の詳しい経歴は不明。満洲在住時は愛書家として買い手の立場。戦後広島で古書店開業、1950(昭和25)年神戸に移転。

 


10.4 ローカル話題。三宮と元町の境界争い、綱引きで決着。元町勝利で、境界線は「京町筋」となった。戦とか住民訴訟ではありません。平和な街起こしイベント。

一政党の代表者選び、メディアが長期間報道してうんざりする。ヂヂイは投票権ないけれど、結果は最悪だと思う。

(平野)

2025年9月28日日曜日

帝国の書店

9.25 旧植民地の古本屋を取り上げたり、上海の「内山書店」のことを書いた本はあった。

日比嘉隆(ひび・よしたか)『帝国の書店 書物が編んだ近代日本の知のネットワーク』岩波書店5400円+税)。戦前大日本帝国勢力圏に進出した日本人経営の書店(新刊・古書)と本・雑誌を運んだ取次業者の歴史を調べる。戦争勝利によって日本の領土となった場所、日本の軍隊が進駐して占領した場所、海外に移住した日本人のコミュニティもあり、事情はいろいろ。領土には日本人子弟だけではなく現地住民の日本語教育のための教科書が必要だし、在外日本人の娯楽、教養、学術のために雑誌・書物は欠かせない。海外で本を売った人、運んだ人、買った人。モノであり文化そのものである本の価値。文化・知の産物である本と国家権力の相性、たとえば教科書供給、統制経済と流通の合理化。そして経済活動としての本屋・流通業。様々な視点から書店・流通を考える。さらに母国敗戦による人の引き揚げ、そして本たちのその後も。索引含め400ページ超。

著者は名古屋大学大学院教授、専門は近現代日本文学・文化、移民文学、出版文化。調査・研究しながら身近だった「街の本屋」のことを考えていた。対象の「旧外地」を訪れて古い地図をたどり、現在の姿を眺め、その土地の本屋を感じようとした。

〈だが、私はこの本を、かつてあった本屋の黄金時代への挽歌として書いたつもりはない。本書を通じて私が再確認したのは、読むことをめぐる人間の渇望の強さである。書店主や出版人の商魂のたくましさ。娯楽だろうが知識だろうが何か読まずにいられない人たち。いま街の本屋の生き残りは厳しいが、それは読むことの中心地が、ずれたことの余波であるはずだ。読むことをめぐる生態系は、変化のただ中にある。本屋の過去を考えながら、私はこの国の本屋の行く末もまた、考えている。〉

 


 休日は買い物担当。家人に指定されたモノ、自分で判断して買うモノ。後者が問題。まだ冷蔵庫に在庫があるのに買ってしまうこと多々。家人に叱られる。

9.27 新泉社・ヤスさんから新刊書、チョン・ジア『資本主義の敵』をいただく。ありがとうございます。思想系の書名ながら、同社の韓国文学シリーズ。神戸の画家イシサカゴロウが挿画・扉絵を担当している。紹介は読んでからします。

 久方ぶりに花森書林。8月は外部イベント大忙しの由。9月は私が出不精。

9.28 「朝日俳壇」より。

〈ぐりとぐら読んでと子らの星月夜 (新潟市)田丸信子〉

(平野)