8.8 マンション住民さんの孫ちゃんたちが遊びに来て、毎回管理人ヂヂイの相手をしてくれる。おもちゃ扱い?
8.9 家人がネットのフリマサイトで拙著出品を発見。定価より高く売っている。だんだん値下げするらしい。他人の本で商売すんな、と思う。
孫たち来るので朝から掃除ほか準備。午後駅まで出迎え。元気おしゃべり食欲いっぱいのタイフーン襲来。
8.10 「朝日歌壇」「朝日俳壇」より。
〈目頭をそっと押さえて席を立つ井上ひさしの反戦の劇 (三鷹市)大谷トミ子〉
〈赤毛のアン函(はこ)よりだして曝書(ばくしょ)せり (京都市)山本京子〉
8.13 孫台風帰る。滞在中、天気悪く、デパート買い物のみ。それでもヂヂババは楽しくいそがしく過ごさせてもらった。
■ 宇野邦一 『ハーンと八雲』 角川春樹事務所ハルキ文庫 940円+税
著者は1948年松江市生まれ、フランス文学者・哲学者、立教大学名誉教授。
明治の日本に来日したラフカディオ・ハーンは帰化して小泉八雲となった。彼が集め、改作した怪談・奇談は今も読み続けられている。また、『日本瞥見記』などによって日本と日本人の姿を的確に描写した。
これまでのハーン研究は一部をのぞき多くが伝記的事実・作品研究に向けられている。本書は、ハーンのアメリカジャーナリスト時代からの文学研究、仏領西インドでのクレオール研究をふまえ、日本論の揺らぎ――初期の理想化された美学・道徳、繊細なエキゾティズムから歴史的な展望を深め考察(帝国主義・軍国主義への傾斜を憂慮)――を再考する。さらに、東京帝国大学での世界文学講義に注目して、彼の文学論、思想を読み取る。ハーンは世界を論じ、巨大な宇宙と微細な次元との間で物事を捉え、国や人種を超えて思考した。
〈アメリカでもマルティニック島でも日本でも、ハーンはつねに「小さきもの」を注視してきた。つましい生活の細部、場末の音楽、クレオール料理、町の物音、墓碑銘、虫の鳴き声、玩具、女性の髪型……。そのリストは限りなく続く。ハーンのこういうマイナーな志向は、かなり徹底したものだった。ハーンが偉大な文学者であったかどうか、私にとって、それはあまり重要なことではない。この本を書きながら確かに見えてきたことは、そんなふうに小さなものにむかうハーンの知覚が、人間も生物も、あくまで連続したひとつの生命の輪(わ)のなかで捉える巨大な世界のイメージとともにあったことである。(後略)〉
2009年同社より単行本、文庫化にあたり一部改稿、「補論」追加。
(平野)