2026年1月6日火曜日

物語の近代

1.4 新聞朝刊でアメリカによるベネズエラ攻撃を知る。朝食中、テレビで北朝鮮がミサイル発射の速報。軍事狂国に呆れる。恐ろしい。

 のの様からLINE、岐阜の古本屋さん「徒然舎」が今月末で閉店の知らせ。海文堂でのイベント「女子の古本屋」以来お世話になった。海文堂の書棚がお嫁入りしている。年末の阪神百貨店のイベントにも参加してはったはず。残念。

 午後花森書林店主に挨拶。元町映画館の冊子「今日、なに観よう?」1月号のインタビュー欄に登場している。〈いろいろなところで支えられ、繋がれる神戸は「本当にええ街」〉。



元町駅前でBIG ISSUE518、特集〈シジュウカラは言葉を話す〉。スペシャルインタビューは絵本作家・森洋子、表紙は絵本『ある星の汽車』(福音館書店)より。



1.5 初出勤。ヂヂイは、心新たに仕事に取り組もう、などと殊勝に考える訳がない。いつもどおりです。

 兵藤裕己 『物語の近代 王朝から帝国へ』 岩波書店 2020



年末図書館で借りた本。〈ラフカディオ・ハーンと近代の「自我」〉の章が気になって借りた。

著者は学習院大学名誉教授、日本文学・芸能論。

〈語られる対象を明示しない語りが、ものがたりである。/語られるのは、語り手の意識あるいは無意識裡にある記憶だが、「もの」と名づけられた記憶は、ふとしたはずみで意識も表層にあらわれる。/記憶の語りは、記憶じたいが引きおこす語りでもある。ものがたりの「もの」は、「かたり」の対象物であると同時に、「かたり」を引きおこす主体でもあった。(後略)〉

「もの」は名詞では、形ある物体を表わすだけではなく、存在を感じる対象や漠然としたなにものかを表わす。また、「ものかなし」「ものうし」など接頭語+形容詞で、何とはなしにという感覚で使う。「ものがたり」を「霊語り」、「もののかたり」=「もののけ」とも考えられる。

〈そんな見えない「もの」のざわめきに声(ことば)をあたえる発話行為が、ものがたり(物語)であると、とりあえずは定義できようか。〉

『平家物語』を語る琵琶法師をはじめ、声に出して語るということは語り手の人格や思いが加わる。鎮魂であったり、歴史の記憶であったり。

ラフカディオ・ハーンの著述や泉鏡花の小説は近代文学の言文一致や自然主義の枠からはずれる。平安の王朝文学から近代文学につながる「ものがたり」の系譜とその担い手たちについて語る。

(平野)

ハーンが神戸にいた時、盲人女性の三味線語り=門付けを聴く。「思いもかけない奇蹟のような声」。

〈まるでなにか目には見えない物柔らかなものが、自分の身のまわりにひたひたと押し寄せてきておののき慄えているかのようであった。そして、とうに忘れ去ってしまった時と場所との感覚が、あやしい物の怪のような感じと打ちまじって、そこはかとなく、心に蘇ってくるのだった。その感じは、ただの生きている記憶のなかの時と場所との感じとは、ぜんぜん別種のものだった。〉

 その記憶と場所は、ハーンがかつて暮らしたロンドン、夏の宵の公園で聞いた少女の「こんばんは(Good night)」の声。

〈おそらく、わたくしがこの世に生を享けるまえの、つまり、前世からのものであるにちがいない。〉

2026年1月4日日曜日

南蛮幻想

1.3 朝、三宮から元町、デパート買い物。

午後、新開地喜楽館、初笑い。私生活はお笑いだらけですけど。林家勘左「道具屋」、月亭遊真「初天神」、桂雀太「代書屋」、辻笙 立体紙切り、露の都「ハルちゃん」、桂米之助「ふぐ鍋」、林家染吉「猫の茶碗」、桂米團治「掛け取り」。噺はダイジェスト版ながら皆さん熱演。楽しく面白く。色物の「立体紙切り」は動物など切った作品をさらに折って立体的に仕上げる。お見事。終演後、振る舞い酒あり、お土産菓子あり。

大喜楽ひょっとこお多福初笑い

「午」つながりで「馬」、平野威馬雄の本。

『南蛮幻想』 絵=川上澄生 文=平野威馬雄 濤書房 1975



川上澄生(18951972の南蛮情緒の木版画に平野威馬雄(19001986が詩文を添える。

「阿蘭陀正月」



 陰暦の時代。長崎出島は太陽暦の正月。

〈阿蘭陀正月は、長崎出嶋がわきに湧く、にぎやかな數日だった。鑑札ラシャメンだの、丸山の女郎たちもポルトガルの赤い葡萄酒に浮かれて、鶴の枕の歌など唄って阿蘭陀屋敷の夜を華やかに彩った。(後略)〉

 馬にちなんで「馬のない馬車」というお題を紹介。明治42年、在米日本人会が皇太子に最新の自動車を献呈。馬車そっくりの車体。試運転を見物していた老婆が「馬のない馬車が来た」と見とれた。お婆さんは自動車が進んできても突っ立ったまま。自動車がハンドル切ってお濠の土手に乗り上げた。

〈のち、かくと復命せしに、あわれなるかなこの自動車は、『そのような危うきものは御召料にはならぬ』と、空しく倉庫の中に放りこまれてしまったという。〉

(平野)

2026年1月2日金曜日

転がる本屋に苔は生えない

12.31 お江戸の本屋さん開店10周年記念出版本。前夜郵便受けにレターパックも到着していた模様。

本屋 Title 10th ANNIVERSARY BOOK 転がる本屋に苔は生えない 』 Title編 1980円税込



 東京荻窪の〈本屋 Title〉のみの限定販売。

https://www.title-books.com/news/14257

 店主・辻山良雄さんは経営、日常業務だけで多忙のはず。ギャラリーとカフェ併設、サイト上で開業以来「毎日のほん」を更新、11冊本を紹介している。メディアでの連載や原稿依頼も多い。10年間で本を5冊も出している。寝ているか? ちょっと心配する。

〈タイトルに付けた「転がる本屋に苔は生えない」という言葉は、この十年を総括する意味で書いたものだが、あらためて眺めてみると、これからの自分に対して言い聞かせているように思える。何でも飽きることなく新鮮にやれているあいだは、まだ先に進むことができるのだろう。/思えば本を売る仕事について三十年近くになるが、これまで飽きるということは一度もなかった。この仕事は奥が深い。たとえどこに行くのかわからなくても、これからもずっと転がり続けていきたいと思う。


 デパート地下食品売り場買い物混雑、ブランド店には行列。正月ゆえ・正月だから、の贅沢を楽しむ人もあろうけれど、見えない貧困はある。ヂヂイも来年はどうなるか、わからん。

小市民乾杯紅白年暮れる 

202611日 早朝、近所の氏神様参拝。町内静か。公園で若者3人だべっている。帰宅して二度寝。

 孫から新年LINEメッセージ。元気な大声。

今年から年賀状を減らして、メールとLINE、ブログで新年挨拶。ネットでつながっていない人の年賀状に礼状。

 餅一つ喰ろうて新年祝い酒



(平野)

2026年1月1日木曜日

謹賀新年 德兵衞はん

新年おめでとうございます

二〇二六年 令和八年 丙午 元旦

皆様のご健康をお祈りいたします。

昨年、人生七回目の巳年を無事過ごすことができました。頭のてっぺんから手足の先まで内も外も悪いところだらけですが、まだどうにか動けそうです。

昨夏は念願の神戸元町本『神戸元町ジャーナル』(みずのわ出版)を出版することができました。出版元・柳原一德さん、ギャラリー島田の皆さん、海文堂書店関係者はじめ多くの方々のご協力とご支援に感謝申し上げます。

年賀状は本年をもちまして終了いたします。ブログ「ほんまに日記」はボケながら続ける所存です。今後ともよろしくお願いいたします。

画像は、上から妙光院の馬頭観世音菩薩(神戸市中央区神仙寺通)、生田神社絵馬、湊川神社絵馬。


 




閒村俊一 『句集 德兵衞はん』 書肆アルス 3800円+税



 1954年兵庫県宍粟郡(現宍粟市)生まれ、装訂家。『新校本宮澤賢治全集』(筑摩書房)、『新編中原中也全集』(角川書店)、ちくま新書他、単行本も多数担当。俳人でもあり、本書は第三句集。付録の「栞」には嵐山光三郎、永田和宏、福島泰樹ら著名な作家・歌人・俳人らが寄稿。

 書名の「德兵衞」は近松門左衛門「曽根崎心中」の「お初・徳兵衛」。映画「国宝」をご覧なら、「死ぬる覚悟が……聞きたい」の名場面を思い起こすでしょう。死出の道行。

〈道行やお初德兵衞マスクせよ〉

〈盆の月なんや德兵衞はんかいな〉

 帯に「虚実綯ひ交ぜ道行句集」とある。文豪、詩歌の先人、知友、先に逝った人たちに加え、たまたま同じ飲み屋にいたおっちゃん・おねえちゃんも登場する。これも道行。装訂家ゆえ書物を題材にした句も多数。

〈本滅ぶニッポン滅びつゝ紅葉(もみ)づ〉

 旧字旧かな。多くの句に詞書、前書が付く。句であったり短歌であったり。

〈マムラくんのラにアクセント置き呼ばる和平(わっぺい)さんの訛りなつかし

 日比谷線入谷遠雷連れて乗る 〉

著者「あとがき」より。

〈きのふな、德兵衞はんに會うたんや。シンチのスナックや。ほんまよう飲んでたで。べろべろ(原文繰り返し記号)やつたわ。カラオケも絶好調、かなんやつちやでほんま。先週お初ちやんが入れていつたボトルもカラやがな。もうそれぐらゐにしときィ言うたつたんや。お開きやで德兵衞、ちやんと新しいボトル入れときや。なんや立てへんのんかいな、ほれ、鐘が鳴つてるで、今生の鐘やで。一緒に歸ろ。送つて行つたるわ。なんやて、ローソンでハーゲンダッツ買ふ? わかつたわかつた(同前)、買うたる買うたる(同前)。せやけど道行だけは堪忍やで。(後略)〉

(平野)本書は著者と共通の友人から頂戴したもの。その友人も句に詠まれている。

2025年12月30日火曜日

街に戦場あり

12.27 たぶん今年最後の本屋さん、家人の雑誌のみ。

 年賀状投函、今年で年賀状仕舞とする。メールとLINEでは味気ないかもしれないけれど、ヂヂイ寄る年波のドンブラコでございますので、お許しを。

 神戸新聞ネットニュースでギャラリー島田・島田誠さん訃報を知る。衝撃。のの様からLINEあり、ご家族から直接電話。海文堂書店ジイサンズに連絡。

12.28 午後、神戸栄光教会。故島田誠さん弔問。安らかなお顔。ご長男と初めてお会いする。島田さんとそっくりそのままで、先に来ておられたピアニスト女史と共感。ご次男夫妻、元同僚の児童書担当者、ギャラリースタッフさんも見える。悲しみの最中だけど、懐かしい話・思い出話に花が咲き、遺影写真選びも和やかに。ご家族の明るさは部外者には助かる。部屋に毛筆「常に寿ぎ絶えず祈り凡に感謝」(うろ覚え)の掛け軸あり、「日野原善輔」と読める。聖路加国際病院の日野原重明さんの父上の筆。

12.29 島田誠さん訃報記事、「朝日新聞」神戸版にも掲載。本日の葬送式にヂヂイは参列できない。13時に合わせて職場で讃美歌「主よみもとに近づかん」を聴きながら黙禱。



仕事は本日最終日。マンション住民さんたちにご挨拶。

12.30 朝、埼玉・岩さんからグループLINEで体調報告。グループの人たちはいろいろメッセージ投稿しているけれど、ヂヂイは「お大事に」としか言えない。

 家人に叱られ、机まわり片付け。ヂヂイは子ども並みの日常。しぶしぶでもやらないと放り出される。

 孫(妹)動画、クリスマスにもらったキックボードで走り回っている。暴走心配。

 

寺山修司 森山大道 中平卓馬 『街に戦場あり』 ちくま学芸文庫 1200円+税

 

 1966年「アサヒグラフ」連載。森山と中平が撮影する都会の様々な場所、人の写真に寺山がエッセイを添えた。歌手とファン、競馬場、ストリップ劇場、パチンコ屋、ピンク映画、宝くじ、上野駅、見世物小屋、ボクシング……。昭和の高度成長時代、飢えはしないけれど貧しく孤独、それでもしたたかに生きていく。賑やかだけれど寂しくて、それでいて暖かい街の片隅、夢があり、挫折あり、休息の場でもある。そこで生きていかざるを得ない人たち。

 寺山の「家出のすすめ」を読んだ家出少年少女が身の上相談の電話をかけてくることから、上野駅に出かけることが増えた。

〈風呂敷包みと啄木歌集、それに一本のコ―モリ傘を持った彼等は、/十年前のある日の、私自身のポートレートでもあるのである。〉

 家出少年寺山18歳が上京してきた時、上野駅でやさしい老人がうどんを奢ってくれ、東京の地図まで書いてくれた。親切そうに近づいてくる手配師や置き引き犯のこと、それにスリの様々な手口まで教えてくれた。その老人もスリだった。老人が打ち明けたのか、それとも寺山は被害者か、不明。

井沢八郎「あゝ上野駅」の歌詞とともに、寺山は上野駅構内を歩く。上野駅は広い。保安室の失踪人写真、公衆便所、遺失物収容所、あちこちの方言が飛び交い、迷い人があふれる。

〈それはまるで、一〇〇メートル四方のはてしない群衆の荒野なのだった。〉

 森山と中平の写真はモノクロ、ブレ、ボケ、画像荒い、それゆえにナマナマしい現場、その場所にいる人間の姿が写し出されている。

(平野)皆様良いお年をお迎えください。

2025年12月28日日曜日

深悼 島田誠さん

悲しい辛いお知らせです。

1226日夜、ギャラリー島田代表、元海文堂書店社長の島田誠さんが肺炎のため逝去されました。83歳。

https://gallery-shimada.com/cn6/2025-12-27.html

 

2003年、私は島田社長退任後の海文堂書店に中途入社しました。三宮ブックス勤務時代、村田社長を通じて、また雑誌や新聞記事などで島田さんの活躍を存じていましたが、直接話をする機会はありませんでした。時おり島田さんがお客として海文堂に来て話すようになったような次第。海文堂を大事に思い、誇りにされて、閉店時には何より従業員のことを気遣ってくださいました。海文堂OGが施設で療養すると足繁く見舞いに行き、身寄りのない彼女の最期を看取りました。

ギャラリーで何度も海文堂イベントを開いてくださいました。私は月に一度ギャラリーのDM発送作業を手伝い、親しくお茶の時間をご一緒しました。「みなと元町タウンニュース」の拙稿を楽しみにして、ついには出版実現に力を貸してくださいました。多大なご恩を頂戴いたしました。新参者がおこがましいことですが、謹んでご冥福をお祈りいたします。

老人力は誰でも身に付きます。島田さんも聴力が衰え、趣味のレコード鑑賞もままならず、嘆いておられました。それでも毎日ギャラリーに顔を出して画家さんやスタッフさんと歓談し、お孫さんと散歩する姿は微笑ましいものでした。金看板はいつもの場にいるだけで皆安心するのです。

芸術を愛し、本と本屋を愛し、人を大事にする人でした。「文化至上主義」とも言える頑固さも島田さんの美徳です。芸術家支援基金を立ち上げ、その活動を継続・拡大して現在に至ります。大企業や行政の非文化的な開発事業に異議を唱え、抗議の先頭に立ちました。商売仲間から商売下手・文化人と揶揄され、文化人からは商売人と卑下されたことを自らこう表現しています。

〈動物の仲間にも鳥の仲間にもいれてもらえない蝙蝠みたいなもの〉(『不愛想な蝙蝠』風来舎、1993年)

私は『海の本屋のはなし 海文堂書店の記憶と記録』(苦楽堂、2015年)で以下のように書きました。

〈島田が海文堂書店の経営者であり続けていたとしたら、海文堂書店は存続できていたでしょうか。私は書店員を続けていられたでしょうか。答えは出ません。わかりません。/でも、文化至上主義の島田が経営者であり続けていたら、閉店の形は違ったものになったと断言できます。なぜなら、島田は人とのつながりを大事にする人だからです。〉

 

聖夜の祈り終えて蝙蝠昇天す

蝙蝠のバリトン響けウィンターソング

木枯らしがハンター坂を吹き下ろす



(平野)

2025年12月25日木曜日

山本周五郎未収録時代小説集成

12.23 朝日新聞記事、第52回大佛次郎賞に木内昇『雪夢往来』(新潮社)。江戸時代末期のベストセラー、鈴木牧之『北越雪譜』出版まで40年の苦労を描いた歴史小説。



鵯越墓園、墓参り。帰り道、新開地でバス降りて喜楽館の正月公演チケット購入。

 午後、銀行回り、買い物して、トアウエストのギャラリーロイユ「ドラコニア逍遙 オマージュ澁澤龍彦展」。澁澤と縁の深い芸術家たちによる美術作品と澁澤愛蔵品を展示。記念冊子「ドラコニア逍遙記」(ギャラリーロイユ発行)、展示作品紹介ほか、夫人と作家たち寄稿。澁澤龍子「澁澤ダイアリ」、巌谷國士「澁澤龍彦の美術世界」、山尾悠子「ドラコニアの周辺より」、東雅夫「ドラコニアの軒先で」。



元町商店街をぼんやり歩いていたら塩屋の古書店主とバッタリ。

12.24 ギャラリー島田DM発送作業。今年の展示はすべて終了して、ギャラリー内は後片付けの最中。スタッフさんがクリスマスの予定を訊ねてくれるけれど、老人夫婦には縁のないことでおます。

12.25 孫から家人にプレゼント届く。

 

『山本周五郎[未収録]時代小説集成』 末國善己編 作品社 2025年4月刊



 戦前に山本周五郎が発表した時代小説で単行本や全集に収録されていない作品、埋もれてしまった作品を集める。少年少女向けの剣豪小説や歴史小説、職人もの、怪異・幻想譚など。少女主人公も登場。戦時下ゆえ忠君愛国の歴史観で執筆しているが、戦死や英雄礼賛に抵抗していたり、家族を思う気持ちを控えめに表現している。

「戦国少年記」(193940年「六年生」に「秘文鞍馬経」の題で連載、42年改題して鶴書房から単行本)は武田家滅亡から18年後の話。関ヶ原合戦で勝利した徳川方と武田家遺臣との信玄隠し財宝争奪戦。編者は、周五郎が武田甲府流軍学の弱点を取り上げて、日本快進撃の時期に足元を見直す重要性を描いている、と指摘する。

私は戦乱が続くなか庶民の声として、大阪商人に語らせているところに注目する。商人は、天下は徳川家康が治めることになる、と確信。

〈……これまでずいぶんと強い大将もいましたが、戦に強いばかりで国を治めることを知らなかった、自分の威勢を張ることには強いけれども、日本国を泰平にしよう、禁裏さまのお心をやすめ奉ろうという考をもっている大将はいなかった、明けても暮れても戦につぐ戦です、お百姓も町人もくたくたにつかれてしまいました。(後略)〉

 商人は家康の徳、智恵をほめ、天下泰平を望む。主人公の少年(武田方)もその思いに共感する。財宝が見つかれば、まだまだ戦が続くかもしれない。さて、結末は?

 本書、4月に出たばかりなのにお江戸の本屋さんでバーゲンになっていて、11月上京時に購入。本屋さんからの返品など傷みのあるものを出品。10月末の神保町ブックフェスティバルで販売予定が雨で中止になったため。

(平野)