11.14 「朝日新聞」〈声〉欄に元ちくさ正文館店長・古田一晴さん追悼の投稿。「閉店の名物書店と店主を悼む」(愛知県 大川四郎)」
〈古田氏は「教養・文化の本拠地」づくりに大きな足跡を残された。〉
11.16 午前の臨時仕事を終わって、ギャラリー島田DM作業手伝い。例年11月12月恒例展覧会、「石井一夫展」(11.23~12.3)、「井上よう子展」(12.14~12.24)など。
家人用事で梅田。ついでに「BIG ISSUE」3冊買ってきてもらう。
夕方急ぎの資料コピーのため図書館。
11.17 「朝日俳壇」より。
〈深秋の古書肆(こしょし)に眠る資本論 (大阪市)上西左大信〉
「朝日歌壇」より。
〈ピカソの絵目鼻ちぐはぐなる意味を教へてくれし『名画を見る眼』 〈八尾市〉水野一也〉
(そんな眼をもちたいものと思いしは高階さんの「名画を見る眼」 (逗子市)織立敏博)
〈図書館で泣きだした児に保育士が小さく強く「ここでは泣かない!」 (横浜市)田中廣義〉
高階秀爾さんは西洋美術史研究者、本年10月17日逝去。著書『名画を見る眼』は岩波新書。
■ 永井荷風 『断腸亭日乗(二)大正十五―昭和三年』
中島国彦・多田蔵人校注 岩波文庫 1080円+税
荷風40歳代終わりから50歳。持病の腹痛、風邪引きなど健康に自信なく気弱に。死後他人に見られたくないから手紙や古い原稿を隅田川に流してしまう。
女性関係は「毒婦」に振り回されるが、若い歌という女性を身請けして借家に住ませる。その家を「壺中庵」と名づけて通う。さらに歌に待合を経営させる。荷風が最も長く付き合った女性。
文壇とは一線を画すが、執筆・出版の依頼はひっきりなし。出版社に悪態をつきながらも、高収入を得る。江戸の漢籍、フランス文学を繙き、森鷗外や上田敏の文章に親しむ。
文学の師・広津柳浪、弟・貞次郎を亡くすが、親しい友との交流は続いている。友と酒を酌み交わし、歌と食事に出て、銀座や浅草を散歩。関東大震災後の復興により、東京の街の風景も風俗も日々変わっていく。
昭和3年12月31日の記。健康不安はあるが、子孫ないゆえ死んでも心残りなし、文学者の友なきは「わが幸福中の第一」と書く。身体弱く力ないから人を傷つけたことはないし、少し財産あり金銭上で迷惑をかけたこともない、女好きながら乙女に手を出したり道ならぬ恋もない。「五〇年の生涯を顧みて夢見のわるい事一つも為したることなし、是亦幸なる身の上なりと謂ふべし」。
(平野)