1.4 新聞朝刊でアメリカによるベネズエラ攻撃を知る。朝食中、テレビで北朝鮮がミサイル発射の速報。軍事狂国に呆れる。恐ろしい。
のの様からLINE、岐阜の古本屋さん「徒然舎」が今月末で閉店の知らせ。海文堂でのイベント「女子の古本屋」以来お世話になった。海文堂の書棚がお嫁入りしている。年末の阪神百貨店のイベントにも参加してはったはず。残念。
午後花森書林店主に挨拶。元町映画館の冊子「今日、なに観よう?」1月号のインタビュー欄に登場している。〈いろいろなところで支えられ、繋がれる神戸は「本当にええ街」〉。
元町駅前で「BIG ISSUE」518号、特集〈シジュウカラは言葉を話す〉。スペシャルインタビューは絵本作家・森洋子、表紙は絵本『ある星の汽車』(福音館書店)より。
1.5 初出勤。ヂヂイは、心新たに仕事に取り組もう、などと殊勝に考える訳がない。いつもどおりです。
兵藤裕己 『物語の近代 王朝から帝国へ』 岩波書店 2020年
年末図書館で借りた本。〈ラフカディオ・ハーンと近代の「自我」〉の章が気になって借りた。
著者は学習院大学名誉教授、日本文学・芸能論。
〈語られる対象を明示しない語りが、ものがたりである。/語られるのは、語り手の意識あるいは無意識裡にある記憶だが、「もの」と名づけられた記憶は、ふとしたはずみで意識も表層にあらわれる。/記憶の語りは、記憶じたいが引きおこす語りでもある。ものがたりの「もの」は、「かたり」の対象物であると同時に、「かたり」を引きおこす主体でもあった。(後略)〉
「もの」は名詞では、形ある物体を表わすだけではなく、存在を感じる対象や漠然としたなにものかを表わす。また、「ものかなし」「ものうし」など接頭語+形容詞で、何とはなしにという感覚で使う。「ものがたり」を「霊語り」、「もののかたり」=「もののけ」とも考えられる。
〈そんな見えない「もの」のざわめきに声(ことば)をあたえる発話行為が、ものがたり(物語)であると、とりあえずは定義できようか。〉
『平家物語』を語る琵琶法師をはじめ、声に出して語るということは語り手の人格や思いが加わる。鎮魂であったり、歴史の記憶であったり。
ラフカディオ・ハーンの著述や泉鏡花の小説は近代文学の言文一致や自然主義の枠からはずれる。平安の王朝文学から近代文学につながる「ものがたり」の系譜とその担い手たちについて語る。
(平野)
ハーンが神戸にいた時、盲人女性の三味線語り=門付けを聴く。「思いもかけない奇蹟のような声」。
〈まるでなにか目には見えない物柔らかなものが、自分の身のまわりにひたひたと押し寄せてきておののき慄えているかのようであった。そして、とうに忘れ去ってしまった時と場所との感覚が、あやしい物の怪のような感じと打ちまじって、そこはかとなく、心に蘇ってくるのだった。その感じは、ただの生きている記憶のなかの時と場所との感じとは、ぜんぜん別種のものだった。〉
その記憶と場所は、ハーンがかつて暮らしたロンドン、夏の宵の公園で聞いた少女の「こんばんは(Good night)」の声。
〈おそらく、わたくしがこの世に生を享けるまえの、つまり、前世からのものであるにちがいない。〉