2025年4月1日火曜日

ウスバカ談議

3.25 家人と京都大谷本廟墓参り。平日朝、通勤ラッシュ終了して電車楽チン。春休みだし、観光客はたくさん。

花粉舞い黄砂たなびく墓参り  よおまる

3.27 福岡アリスメール、早速拙著予約してくれた由。

3.30 「朝日歌壇」より。

〈図書館に陽がさして来てしずかなり受験シーズン終わりし日曜 (橋本市)秋月晶江〉

 拙著に掲載する写真の人物の名前不明。ずーっと前のミニコミ誌「ほんまに」古本屋店主さんの寄稿を思い出し、ご教示願う。感謝いたします。

 図書館で知人に遭遇、立ち話。お子さんご一緒、ヂヂイはしゃぐ。

 

 梅崎春生 『ウスバカ談義』 解説・荻原魚雷 ちくま文庫 

1000円+税



梅崎生誕110年、没後60年。第一次戦後派の作家、戦争小説で知られる。ユーモア小説もあり、本書はその短編集。画家で定時制学校の教師・山名が小説家の家に出入りしていろいろ世話を焼き、雑用を引き受ける。小説家と奇妙珍妙な会話、やりとりを繰り返す。

表題作は、駅でのサラリーマンの口喧嘩。足を踏んだ、踏まれたから、「大バカ野郎」「ウスバカ野郎」と応酬。「ウスバカ野郎」と呼ばれた方が激昂し、鞄を捨て相手の胸ぐらをつかむ。

「すると相手も怒って取組合いになるのかと思ったら、意外にもしゅんとなって、うん、なるほどウスバカは言い過ぎだった、取消そう、と言ったもんですからね、いきり立った男も気を抜かれたらしく、相手の胸ぐらから手を離し鞄を拾い上げ、これから言葉に注意せよと捨てぜりふを残して、こそこそと人混みの中に逃げて行ったですな。(後略)」

 山名が言うには、

「大バカよりウスバカの方がののしり方としてきついんですよ」

「大バカてえのはね、バカの大なるものですから、箸にも棒にもかからない手合いのことです」

互いがののしり合いの言葉とわかっている。

「ところがウスバカの方はそうは行きませんや。ウスバカというと、バカの程度が浅いやつで、普通人よりちょっと知能程度が低い手合いです。社会生活もできるが、どこか釘が一本抜けているという感じのものです」

お互いに自分が「ウスバカ」という気持ちが胸の奥底にとぐろを巻いていて、一番痛い真実をついてしまった、つかれてしまった。

「口喧嘩にもルールがありましてね」

 山名には実在のモデルがいて、梅崎作品にたびたび登場する。梅崎自身の姿も投影されている。

(平野)

2025年3月25日火曜日

春山行夫と戦時下のモダニズム

3.20 実家に彼岸のお供え持参。

知人電話、ヂヂイにお悩み相談。それは相談者間違えてますよ、頼りにならんよ。

元町駅前の「BIG ISSUE」販売員さん交代のよう。499号購入。表紙とインタビューは絵本作家・ヨシタケシンスケ。自ら怖がりで不安症と語る。

〈生きづらさ、しんどさを抱えてきたからこそ「自分ならこう言ってもらえたら、少しは楽になれる」ことを、ヨシタケさんは描き続けてきた。絵本はヨシタケさんにとって「心の松葉杖」なのだ。〉

本屋さんで新刊、『ヨイヨワネ あおむけ&うつぶせBOX(ちくま文庫、2冊セット付録付き)。「良い弱音」。「日々あったこと、思ったことを弱音とともにスケッチ」。



3.22 前回ブログ、拙著紹介で表紙写真の写真家名を誤記。いつものバカバカ。正しくは「安井仲治」です。訂正のうえ、お詫びします。

3.23 「朝日俳壇」より。

〈殺人へ頁(ページ)をめくる春夜かな (東京都中野区)吉田徹夫〉

「朝日歌壇」より。

〈バースディ女孫に贈る詩を求め半世紀ぶり書店立ち読み (一宮市)今出公志〉

〈書棚には高橋和巳の本ありて一途に読んだ大切な本 (別府市)藤内浩〉

〈滅びゆくもの美しやヴェネツィアの夜の灯(ともし)に「死者の書」を読む (蓮田市)石橋将男〉

ギャラリー島田DM発送作業手伝い。通信に早速拙著刊行予定記事を入れてくださっている。ありがとさん。


 

 脇田裕正 『春山行夫と戦時下のモダニズム 数・地理・文化』 

小鳥遊書房 2700円+税



 著者は慶應義塾大学、中央大学非常勤講師、比較文学研究。

春山行夫(19021994年)は詩人、文芸批評家、編集者。昭和戦前の思想・芸術運動「モダニズム」の代表的人物。モダニズムは、革新、前衛、科学、実験、技術、幸福、正義、反ファシズムである。

戦時下、多くの文化人同様、春山も日本文学報国会や大東亜文学者会議に加入、対外宣伝雑誌『FRONT』編集など戦争協力者とならざるを得なかった。しかしながら、春山の発言や活動を見ると、その思想・行動には「一貫して反精神論的で反非合理的な見解が見られる」。多くの作家・文化人たちは単純な愛国精神論を発表するだけ。春山は世界的視野で戦争を考え、精神論ではなく近代戦争の総力戦=物量のリアリズムを理解していた。合理的・客観的に分析し、農業生産や物流、植民地経営など具体的な提言をし、欧米の海洋文学から海・空の支配の重要性を主張する。エッセイでも、扇情的な言葉ではなく数字や風物誌を紹介して戦争を語る。『FRONT』は前衛的革新的デザインで知られる。

 著者は言う。

「モダニズムを、たんなる流行現象として取り入れたのではなく、生き方として春山は構築したのである。たとえそのモダニズムがおかしなものと他人から思われようと気にしない精神のさが春山にはあった」

 春山を取り上げることは、

「戦時下の春山の軌跡を検証することは、私たちを支配している/いく時代の力に対して、いかに考え、いかに批判的に私たちは行動するのかを考えることでもある」

 ヨーロッパで生まれたモダニズムの思想・運動は第一次世界大戦の惨劇の反省という意味があった。日本は国家として戦争敗北・悲劇を経験していなかった。

(平野)

2025年3月20日木曜日

日本賭博史

3.16 「朝日歌壇」より。

〈山積みの本と議論と一升瓶思い出す夜に飲む茶碗酒 (石川県)瀧上裕幸〉

〈戦禍にも書店増えゆくウクライナ心の支え求めるように (中津市)瀬口美子〉

 花壇のさくらんぼの花、雨で散った。拙著ビラ担いで、ギャラリー島田、J堂、1003、うみねこ堂書林、花森書林を回る。途中買い物。担当さん見当たらずしばらく店内うろついたり、忘れ物して取りに戻ったり、無駄な動きが多い。

3.17 老人力で自分が困るのは仕方ないけれど、人様に迷惑かけることがある。ごめんなさい。

3.18 機関誌から依頼されて海文堂の元同僚に原稿執筆を打診していた。断わりの連絡あり。経験上、大事なことは多忙な人に頼むのが良いと思っている。今回は残念。

 

 紀田順一郎 『日本賭博史』 ちくま学芸文庫 1100円+税



 近代史や出版・書誌に詳しい著述家。古書を題材にしたミステリーもある。初版は1966年桃源社刊『日本のギャンブル』、86年中公文庫。今回改題、改訂。

神事や娯楽が、賭け事の材料になる。古代から始まっている。双六、サイコロ、花札、富くじなど賭博の仕組み、ルールなど紹介。時代時代の賭博から見る日本文化史。

本書の話は1960年代までのことで、賭博の大衆化が進んだと言っても宝くじの当選金は一千万円(1966年)。現在は金額の桁が違う。宝くじも競馬もテレビコマーシャルで煽る、刺激する。バブルの時代には株の個人取引が広まった。ゲームの形態もコンピューターやらインターネット。大阪に巨大カジノができる。

かつては麻雀やゴルフも賭け事だったが、スポーツ・ゲームとして社交の手段となっている。ギャンブルとは意識されていない。しかし、紀田は「表面的な観察にすぎない」と言う。「もともと人間社会には不確定、ないしは不価値的な要因がつきものであるから、私たちは生活者として「賭ける」という意識から解放されることはない」。

……現在の社会が相対的に安定しているとしても、一方では学校や企業という局面を例にとってもきびしい競争に満ちており、人間の合理的な努力だけでは片づかない要素が多いことは否定できない。(中略)このような安定社会なりの不平不満を外に逸脱させるためのシステムとして、スポーツや各種の趣味があることはいうまでもなく、昔ほどウエイトが高くないにしてもギャンブルというものの存在理由があることになる。人はスポーツやギャンブルなどを通じて、危険な衝動としての投機心をたがいに確認し合って安堵するのであって、そこにつきあいというものの深層的な意味がある。(後略)〉

 スポーツや芸能人への熱狂も、懲りないネズミ講も「同じ文脈の中にある」。

〈ギャンブルの効用が他の分野に拡散しはじめたことは、これまでにない現象であって、賭博史は新しい局面をむかえたことになるのである。〉

 私は博打の才能ない。パチンコ勝ったことがない。複雑なルールは理解できない。集中力なし、持久力なし、度胸なし、根性なし。でもね、賭博の漫画を読んで、賭け事の高揚感はなんとなくわかる。落語の富くじやバクチ話を面白がっているのが分相応。

(平野)

2025年3月16日日曜日

神戸元町ジャーナル その1

3.13 〈イシサカ ゴロウ展〉。前回のゴロウさん個展以来のポートアイランド上陸。会場ではゴロウ画伯作業中で、ヂヂが一番乗り。今回の展示は本の見開きページのイメージ。

「2025年日本国際博覧会 大阪・関西万博」開催までひと月に迫って、報道各局PR放送たくさん。視聴者は冷めていると思う。

3.15 同級生夫妻とランチ、散歩して我が家でお茶。10ヵ月ぶりのおしゃべり。ボケボケヂヂが待ち合わせ場所を間違っていた。それも笑い話なのだが、老人力どんどん増強中。

 拙著販促ビラが到着。本文組見本。表紙写真はまだです。6月出版予定。

『神戸元町ジャーナル――通り過ぎた人々、喪われた街』

本文執筆:平野義昌

写真構成・索引年譜編輯・校閲:柳原一德

書容設計:扉野良人  

イラスト:林哲夫  

表紙写真:相剋 安井仲治19322004 名古屋市美術館蔵

出版助成:公益財団法人 神戸文化支援基金

みずのわ出版 5000円+税

https://mizunowa.com/pub/862/

 






(平野)

2025年3月13日木曜日

桂米朝が遺した宝もの

3.6 ゴロウさんから個展案内。



〈イシサカ ゴロウ展 OPENWIDE 202325〉

3月13日(木)~23日(日) 休館日:17(月)・18(火)

ポートピアギャラリー(ポートピアホテル1F)

3.7 孫姉のリクエスト本を探すが、近隣の本屋さんにない。調べたら大阪梅田の本屋さんに在庫あり。息子の仕事帰りに寄ってもらう。家人もついでにデパートで買い物を頼んでいた。

3.8 孫に宅配便。大相撲番付コピーと本。

3.11 雨の中、お墓参りの人はいないだろう、と思って行ったら、他にも何人もいらした。今日でなければならないがある。

3.12 午後の勤務移動前、綱敷天満宮梅見。立派な梅の木々が見事に開花。





マンションに着けば大問題発生中。テレビ映らん、ネット使えん状態。通信会社、ケーブルテレビ、電気設備の作業員さん入れ替わり立ち替わり来館。

 

■ 『桂米朝が遺した宝もの』 淡交社 2500円+税

監修 小佐田定雄  執筆 小澤紘司 桂米朝門弟一同



 桂米朝生誕百年、没後十年。記念の展覧会が尼崎市総合文化センターで開催中。

https://www.city.amagasaki.hyogo.jp/manabu/art/1040277/1040283.html

 本書は〈この世に遺された桂米朝の宝ものを一挙公開)。蔵書、原稿、切り抜き、台本やプログラム、ポスターなど貴重な資料も。

桂米朝は落語の「演者」であり、多くの後進を育てる「指導者」であり、古典芸能の「研究者」だった。門弟たちにとって、「師匠」であり、「父」「祖父」。曾孫弟子もいるから「曾祖父」でもあった。「米朝が遺した宝もの」は、古典芸能継承とその伝統を後世に遺すという姿勢、そして多くの弟子たち。その功績は戦後の上方落語を共に支えた他の四天王たちと共にある。

 奇しくも、長男は落語の弟子=演者、次男は高校教師=指導者、三男は博物館学芸員=研究者。

(平野)

2025年3月6日木曜日

雫峠

2.27 「朝日新聞」(大阪本社版夕刊2.27)一面、大阪梅田の「清風堂書店」閉店のニュース。大阪メトロ東梅田駅近く、人文書・教育書を揃え、「ヘイト本を置かない本屋」。入居ビルの建て替えに伴う立ち退き。移転だと家賃が現在の倍以上になるそう。今後は出版を主軸に経営する方針。



 孫動画着。姉が感情込めてピアノ弾く。カメラの前を妹がしゃべりながらドスドス通る。ミスハワイさんの「あ〜いやー!」みたい。昭和人しかわからんか?

3.1 図書館のち、海文堂じいさん飲み会。コバさん、福岡アリス、ゴットさん。皆年取ったが、それなりに元気。でないと飲めない。じいさんたちの話題は持病に薬、仕事や余暇など。SNS批判や国際的な右傾化批判も。再会を約束、それまで生きいよ~。

 孫たち遅まきながら七五三お参り。昨秋来、晴れ着の準備をしていたものの、なんやらかやら都合つかず、ようやく。写真送られてきて、二人共着物姿もかわいい。ヂヂババチャンリン。

BIG ISSUE498、特集〈タネをまく動物たちの秘密〉。



3.2 「朝日歌壇」より。

〈レジ待ちの列長ければこの本屋消滅せぬと思えて嬉し (横浜市)杉本恭子〉

 テレビの演芸番組、ゲストが歌舞伎役者・尾上右近。名優・六代目尾上菊五郎(1885~1949年)の曾孫にあたる。右近は、曾祖父の映像「新歌舞伎十八番之内春興鏡獅子」(1936年、小津安二郎監督)を見て歌舞伎の道を志した、と語る。

ジャン・コクトー来日時1937=昭和11年)、六代目の「鏡獅子」を観覧。その感動を、

〈「あの大きな毛筆で。あの舞踊の無言の歌詞を書いてゐるやうに私には思はれる。」と表現してゐる。〉

 六代目の楽屋を訪ね、

――あなたの『鏡獅子』を見るだけで、フランスからわざわざやつて來たとしても、僕は悔いなかつたと思ひます。〉といふ言葉で賞めた。〉

堀口大學「コクトオの見た日本」(『堀口大學全集6』小澤書店1982)より。

3.3 税務署に確定申告書類提出。今年は少額ながら還付あり。ひな祭りの寿司買って帰る。

 孫七五三写真続々着。かわいくて愛らしくて見せびらかしたいけれど、自重。ひとりニンマリ、ヂヂバカちゃんりん。

3.5 砂原浩太朗『雫峠(しずくとうげ)』(講談社)。架空の藩・神山藩を舞台に、下級武士の勤め、重役間の確執、藩主の覚悟などを描く短篇集。町の盗人も登場。表題作は足軽の家から上士に婿入り・嫁入りした義兄妹の悲劇。神山藩は、「日の本有数の大藩から分かれた家」で自然豊かな雪国、江戸から参勤交代なら1415日、急いで7日強の距離。



(平野)

2025年2月27日木曜日

星の教室 他

2.24 髙田郁『星の教室』 角川春樹事務所 1600円+税

 著者が小説デビュー以前、漫画原作を土台にした作品。25年ほど前に大阪市立天王寺中学校夜間学級を長期取材した。

 主人公・さやかはレンタルビデオ店アルバイト中、もうすぐ二十歳になる。中学一年生の時、いじめの標的になり不登校、卒業証書を受け取っていない。アルバイト先で履歴書を求められるたびに退職を繰り返してきた。店で「学校」という夜間中学が舞台の映画を訊ねねられて、その存在を知る。意を決して学校の様子を見に行く。

 生徒たちはそれぞれ事情があって学校に行けなかった。学べなかった。それを自己責任と突き放してはならない。学歴だけの問題ではない。無償かどうかでもない。読み書きから始める人がいる。日本語を学ぶ外国生まれの人もいる。学校という場所、先生・級友・家族や周りの人たち、学ぶことの大切さを改めて知る。

 J堂、この本は文芸書で置いてほしい!



 本屋さん、注文していた『石垣りんの手帳 1957から1998年の日記』(katsura books、3600円+税購入。石垣りん(19202004年)、高等小学校卒業後、日本興業銀行に就職。ずっと働きながら詩作。遺言により、原稿など遺品は故郷の静岡県の南伊豆町立図書館に寄贈。「石垣りん文学記念室」が設置されている。本書は詩人が愛用していた手帳(1957、65、68、71~96、98年)を撮影して公開。毎日の日記とメモ、仕事のこと、家族、買い物、金銭出納、詩の仲間のことなど記録。ここからたくさんの詩が生まれた。

 詩仲間では谷川俊太郎と茨木のり子がしばしば登場。なかよしだった。本書に谷川が寄稿する予定だったが、昨年11月谷川逝去。2005年2月7日、石垣の「さよならの会」で谷川が朗読した詩が掲げられている。

「石垣さん」

〈何度も会ったのに/親しい言葉もかけて貰ったのに 石垣さん/私は本当のあなたに会ったことがなかった/きれいな声の やさしい丸顔のあなたが/何かを隠していたとは思わない/あなたは詩では怖いほど正直だったから〉



2.25 こいしゆうか『くらべて、けみして 校閲部の九重さん 2』 

新潮社 1200円+税

 出版社「新頂社」校閲部(新潮社同部がモデル)を舞台にしたコミック。「くじゅう」さん。「校閲」とは、文字の間違いだけではなく、文章の間違いはないか、歴史的事実の誤認はないか、話の前後でつじつまが合うか、時間のズレはないか、他者の引用文は正確に適切に用いられているか、などなど調べて、誤りがあれば編集者・著者に質す。正す、直す。「校」には比べる、考える、正す、の意味がある。「閲」も、考える、けみする=調べる、改める。

(1)では校閲の仕事内容や苦労が描かれた。本書では編集者、著者との軋轢というか、表現の自由とか人権意識の問題に関わる。


2.26 やりたい放題米国大統領。ロシアのウクライナ侵攻は終結するのか。

「朝日新聞」2025.2.26、エマニュエル・トッド(フランスの人類学者・歴史学者)インタビュー「敗北する米国」より。

「私たちは世界史の転換点を迎えています。米国はロシアに対して、非常に屈辱的な敗北を経験しつつあります。(後略)」

 米国主導の経済制裁が失敗し、ロシアが持ちこたえ、同盟国欧州が深く傷ついた。日本はどうなる? 

「屈辱的な経験をする米国は、本来はより大切な存在になるはずの弱いパートナー国に対して、まるでいじめっ子のような態度に出ることが予想されます。(後略)」

(平野)