2016年2月11日木曜日

北京彷徨


 山田晃三 『北京彷徨 19892015』 みずのわ出版 3500円+税

 著者は1969年神戸市生まれ、京都外国語大学中国語学科卒業。在学中に北京第二外国語学院に留学。大学卒業後、北京師範大学大学院留学。現在、北京大学で日本語を教えている。中国の伝統芸能を学び、演劇・映画にも出演した。中国で暮らして、日本との関係を考える。尖閣問題、東日本大震災、歴史認識、戦勝70周年、首脳会談など大きな話題から、市民の暮らしや町の様子、伝統芸能、映画まで、中国の今をルポする。
 892月から4月、山田は初めて中国に旅行。大同では夜行列車で隣り合った軍人の家に宿泊させてもらった。帰国後の6月に「天安門事件」。山田は大同の軍人に抗議の手紙を書いた。北京は平静を取り戻した、また遊びに来て、という返事にがっかりした。これをきっかけ中国の勉強を始め、講演会や交流会、ボランティア活動に参加した。
……中国について自分の考えを持ちたいという気持ちが高まった。》
 留学当初は町の人たちと言葉を交わし友人に恵まれた。
《当時バブルで湧いていた日本と違って中国は貧しいけれど日本よりずっと自由な国だ、というのが当時の私の感想だった。そして、中国が大好きになった。》
 北京での生活が長くなるとこの国への思いが変化してくる。日常の人間関係が誤解や失敗でギクシャクしたり、日中関係について感情的な反応をされた。思ったことを率直に口にできなくなった。
《中国人と付き合うことが億劫になった。》
 2006年に演劇のオーディションを受け、俳優たちと稽古してすこし変わってきた。ちょうど日本の首相の歴史認識問題で日中関係がこじれ始めた時期。山田に批判を向ける人がいるし、優しく接してくれる人もいた。
……中国人同士のやりとりを見ていてわかったのは、日本人の私だけが嫌な思いをしているわけではなく、中国人の間ではもっと熾烈な競争が繰り広げられていることだった。その時初めて自分は日本人だから疎外されているのではないと知った。すると気持ちが急に楽になった。(中略)
……私は十年以上かかってようやく中国のことが少し掴めてきた。それまでは、自分は中国のことを解っていない、ということが分かっていなかった。そしてそれ以来、私は無理して中国人社会に入っていかなくてもいいと考えるようになり、一歩引いて日本人らしく振る舞うように心がけるようになった。》
 長く暮らしたから語れるわけではない。中国の人は、山田を「客人」としてではなく、肩書きのない不安定な暮らしをしている日本人として接して本音をぶつけてくれた。
 タイトルの「彷徨」は魯迅の作品集にちなむ。「北京をさまよい続けてきた」自分にぴったりと書く。
《私はまさに北京に漂っていた。最初の十年間は留学生として、その後は定職につかず通訳やアテンドなどさまざまな仕事で食いつないできた。その間、日中関係が大きく揺れ動いてきたように、私自身もまた、中国への思いや自身の生き方に大いに迷いながら過ごしてきた。》
 著者はみずのわ代表と高校の同級生で、私にとっては大後輩になる。
(平野)